第108話 異世界でのすごしかた③
* * *
「……あー」
「……うー」
「その、なんというか……ごめんなさい」
俺はテーブルに手をついて、向かいの席で揃って頭を抱えてるルティとアヴィエラさんへと思いっきり頭を下げた。
ゴンッていう音と衝撃は、今のところ気にしないでおく。いや、ちょっと痛かったけど。
「いや、サスケは何も悪くない。舞い上がってしまった我が悪いのだ……」
「アタシもだよ……まさか、あんなにドキドキするなんて……」
「その状況を作ったのが俺なんだし、ふたりこそ何も悪くないって」
「わたしも、ふたりとも慣れてると思い込んじゃって……本当にすいませんでした」
「る、ルイコ嬢も謝らないでくださいっ!」
「ルイコが謝ることなんて何もないだろっ!?」
右隣に座っている赤坂先輩が頭を下げると、弾かれたようにしてルティとアヴィエラさんが頭を上げた。
赤坂先輩はふたりをリードしようとがんばっていたんだから、アヴィエラさんの言うとおり何も謝ることなんてないはずなのに……
「私は過信しすぎていたのかもしれません。ニホンで〈らじお〉に出て、多くの人に聴いてもらったのだから大丈夫と思い込み……それが〈なまほうそう〉が近づくにつれて、息苦しいほど胸が高鳴ってしまって」
「アタシは、みんなが〈らじお〉をやってる姿を思い出してたら『自分はちゃんとできるのかな』って思っちまって……そうしたら、もうドキドキが止まらなくてさ」
「ふたりとも、極度の緊張状態にありましたからね。慣れないうちは、致し方ないことだと思います」
俺の左隣に座っていたメイド服姿のリリナさんも、なぐさめるようにしてふたりへと語りかける。この人も経験で言えばまだそんなにないはずなのに、その言葉には妙な説得力があった。
「しかし」
「でも、さ」
「まあまあまあ。みなさん暗い顔をしてないで、甘いものでも食べて元気出してください」
それでもと言いつのるふたりへ割り込むようにして、お椀がのったトレイを手にした赤髪の女の子――ユウラさんが個室へと入ってきた。
昼飯が終わっても落ち込んでいるふたりを連れてきたのは、飲食店街にある顔なじみなスープ専門店の「流味亭」。反省会とねぎらいを兼ねてやってきたここには、表の屋台の他に個室つきの店舗もあるから、じっくりと話し合うには最適だった。
他の畑仕事組はふたりを元気付けるために夕飯を作るって言ってたから、しばらくはここでお世話になるとしよう。
「ありがとうございます、ユウラさん。あと、いきなり来たのに個室を借りちゃってすいません」
「いいんですよ。ちょうどおやつ時はここも空いていますし、みなさんでしたらわたしもレナトさんも大歓迎です」
「申しわけない、ユウラ嬢」
「ごめんな、気を遣わせちゃって」
「だからいいんですって。今日はおまかせでご注文をいただいたので、甘茶と牛乳の冷製スープにテミロンを入れてみました。のどに優しいですから、〈らじお〉のあとにはきっと美味しく飲めると思いますよ」
ユウラさんはにこりと笑うと、俺たちの前へミルクティーのような薄茶色の液体で満たされたお椀を置いていった。
「テミロン、ですか?」
「元々テミルっていう木があって、葉っぱをじっくりと煮詰めると少し甘酸っぱくてぷるぷるした塊になるんです。それを冷やしてガラス玉のように丸めたのがテミロンなんですよ」
「へえ、珍しいですね」
「それだけでもおやつになりますけど、こうして甘いお茶と食べるともっと美味しくて。わたしが作ったのを、レナトさんがおやつ時間限定で採用してくれたんです」
うれしそうなユウラさんの言葉を聞いてると、旦那さんなレナトとは相変わらずアツアツらしい。幸せなのはいいことですよ。
「……ん、これは美味いな」
「へえ、かじるとぷるるんってして面白いな。酸味もちょうどいいよ」
その幸せが生んだ甘い香りにつられたのか、さっきまで暗い顔をしていたはずのルティとアヴィエラさんがスプーンでスープを口にしていた。
「どれどれ……なるほど、ほどよい甘みとレモンのような酸味が合わさってとてもいいですね」
「日本で出せば、評判間違いなしです」
味にうるさいリリナさんと甘いものが大好きの先輩からも絶賛ってことは、相当美味いんだろう。
俺もひとくち食べようとスプーンで底のほうから持ち上げてみたら、ミルクティーといっしょに澄んだ茶色のテミロンが先端にのっかってきれいな色合いを生み出していた。それを口の中に運んでいくと、
「……おお」
ほんのりと甘く、そして濃い紅茶の味わいが広がっていった。その最中にテミロンのゼリー状な粒を噛むと、レモンのような淡い酸味がふんわりと加わって……美味い、これは確かに美味い。
朝に食べた大玉トマトも美味しかったけど、これもまた食後のデザートにはもってこいだ。
「紅茶と牛乳の濃さがよく合ってて美味しいです。でも、砂糖入れたようなとがった甘さとは違うような」
「甘茶の木自体に甘い樹液がたっぷり含まれてるから、茶葉にもその甘みがじっくりと行き渡るみたいなんです。糖蜜いらずの茶葉とも言われてるんですよ」
「なるほど、茶葉自体に樹液の味わいがなじんでいくわけですか」
「サスケ、喫茶店の息子なだけあってこういうのには目がないな」
「そ、そうですか?」
「うむ、さすがはチホ嬢の子息だ」
ふたりしてうんうんうなずきながら、アヴィエラさんとルティがにやりと笑ってみせた。甘いものを食べて、ちょっとは元気になったのかな。
「我もこの味わいが気に入った。テミロンの粒がぷちりと弾けるとほどよい酸味も混ざって、とてもよい変化だと思う」
「テミロンってサラダぐらいにしか使い道がないと思ってたけど、こういう使い方もあるのか……すごいね、ユウラちゃんは」
「たまたま、入れてみたら美味しいのかなって思っただけですよ」
「その思い切りの良さを、私も見習いたいものだ」
「アタシも」
「それって、朝の〈らじお〉のことですか? わたしは、エルティシア様もアヴィエラ様もとても初々しくてかわいらしかったと思いますよ」
「なっ!?」
混じりっ気の一切ないユウラさんの純粋な感想を聴いて、ルティとアヴィエラさんがふたりそろって顔を真っ赤にした。
「そういえば、こちらでも〈らじお〉の試験にご協力していただいておりましたね」
「はいっ。朝の仕込み中に聴こえてきたら厨房へ持っていって、レナトさんといっしょに聴いてるんです。リリナさんがいろんな曲を紹介してくれるの、ふたりで楽しみにしてて」
「ありがとうございます。楽しんでいただけているのであれば、私としても幸いです」
その一方で、リリナさんは落ち着いて応えて……と思ったら、背中の羽がちょっと揺れ動いてるな。うれしいときに見せる動きだってピピナが言ってたっけ。
「リリナちゃんはすごいよなぁ。あんなに落ち着いてて」
「私も最初は手ひどく失敗しておりましたが、『どうせ誰かに聴かれているんだから』と開き直るようになったら落ち着きました。全ては、怪我の功名とも言うべきでしょうか」
「あ、あははははは」
意味ありげに視線を送ってくるってことは、リリナさん、もしかして初めて会った頃の送信機入れっぱなし事件のことを言ってるんだろうな……アレだったら、確かに怪我の功名と言う他ないだろうけどさ。
「アタシもそう開き直りたいんだけど、〈なまほうそう〉で変なことを口走っちまうんじゃないかって考えたら……なんだか、すっごく怖くなっちゃって」
「我は、どう受け答えをすれば楽しんでもらえるだろうかと思ってしまってな。リリナの思い切りを見習いたいものではあるのだが」
「〈らじお〉って、そういう心構えが必要なものなんですか?」
「例えばだけどさ、ユウラちゃんはこういう会話が数千人に聴こえるって思ったらどう感じるよ?」
「数千人、ですかぁ……」
アヴィエラさんが唐突に問いかけると、あまりピンとこなかったらしいユウラさんはしばらく視線を宙へとさまよわせてからぽんっと両手を合わせて、
「それは、きっと楽しいでしょうね!」
「おおぅ……ここにも大物がいたよ」
満面な笑顔で言い切ってみせて、アヴィエラさんを戦慄させてみせた。
「いえいえ。元々お客さんたちと話すのが楽しみなので、きっと楽しいんだろうなーって」
「それは、たとえば我らのうちの誰かとふたりきりでもか?」
「カウンターを挟んでふたりで話すこともよくありますから、大歓迎です」
「な、なるほど……もしや、サスケもこうやって鍛えられたのか」
「違う違う」
尊敬のまなざしを向けてくるルティへ、手を振ってすぐさま否定してみせる。俺の場合はあんまりカウンターで話したりしないし、そもそも自己流で練習してたんだからどっちにも当てはまらないって。
「でも、だからといって収録放送ばかりってのもなぁ」
「アタシは収録のほうがいい」
「開局の演説を収録で……というわけにはいかないだろうな」
「〈しゅうろく〉? それって、なんなんですか?」
「ああ、すいません」
そっか。ルティとアヴィエラさんは慣れていても、ユウラさんは耳慣れない言葉なんだよな。
「『収録』っていうのは事前にしゃべったことを一旦保存してラジオから聴こえるようにする形式です。それともうひとつ『生放送』っていうしゃべったことがそのままラジオから聴こえるようにする方式があって、これまでユウラさんたちが聴いていたのがこの形式なんですよ」
「事前に保存なんて、そんなことができるんですか?」
「あともうちょっとかな。この魔石が完成すれば、みんなの声を保存して〈らじお〉へ受け渡すことができるようになるんだ」
アヴィエラさんはドレスのポケットから緑と赤に輝くふたつの魔石を取り出すと、テーブルへコトリと置いてみせた。この間イグレールのじいさんが謀ったときのものよりはひとまわり小さくて、2つとも手のひらへのせても余るぐらいだ。
「そんな不思議な石が……」
「まだ開発中だけどね。これで保存できるのは30分ぐらいだし、1週間もすれば中身が消えちまうからもっと精進しないと」
「それってなんだか素敵ですね。レンディアールとニホンとイロウナの人たちが、いっしょに手を取って作っているみたいで」
「よ、よしてよ。イロウナなんて関係ないし、アタシが個人的な興味でやってるだけなんだからさ!」
「じゃあ、わたしの中で勝手にそう思っておくことにします」
「えぇ……?」
さっきに引き続いて、アヴィエラさんはすっかりユウラさんに圧倒されていた。
流味亭の店内を任せられているっていうこともあるんだろうけど、ユウラさんってこんなにもおしゃべり好きだったんだな。
「すいませーん、注文をお願いしたいんですけどー」
「あっ、はーい! すいません、長々と居座っちゃって」
「いや、我こそ引き止めてしまって申しわけない」
「エルティシア様たちとお話できて、とても楽しかったです。ホールのお客様が呼んでるので、これにて一旦失礼しますね」
外から聞こえてきた声に反応したユウラさんは、礼儀正しく言うと深々と一礼して個室から出て行った。
「凄い子だね……ユウラちゃんって」
「こうして面と向かって話したのは初めてでしたが、とても楽しきひとときでした」
さっきまで落ち込んでいたはずのふたりが、感心したように息をつく。確かにユウラさんと話していて楽しかったし、こういう人がレンディアールにもいるなんてな。
こういう人がラジオをやったら、きっと面白いんじゃないか――
「市井の者にも〈らじお〉に協力してもらうのは将来的にと考えていたのだが……将来的でなくてもよいのかもしれぬな」
そう考えていたら、ルティも同じような考えを抱いていたらしい。
「もしかして、ユウラさんをラジオに誘いたいのか?」
「うむ。サスケは、どう思う?」
「俺もいいと思うけど、まだ早いんじゃないかな」
目を輝かせるルティに対して確認するように問いかけるけど、その輝きを曇らせることなく首を横にふってみせた。
「我もそう考えていたのだが、ユウラ嬢のように〈らじお〉に興味を抱いている者が市井にいるのであれば、今からでも誘ってよいのではと思ったのだ」
「私も、エルティシア様の意見に賛成です」
続いて賛成したのは、俺の左隣にいるリリナさん。いつもの凛とした表情を浮かべて、控えめに右手を挙げていた。
「現在〈らじお〉に関わっているのは、私たちの他に誰もいません。〈ばんぐみ〉の数を増やして負担を分散させるという意味でも、門戸を広げるという意味でも、今からお誘いするというのはとてもよいのではないでしょうか」
「わたしもそう思います。ラジオのことをヴィエル市内の人たちに広めるためにも、ユウラさんにお願いするのはとてもいいんじゃないかなって」
「広める、ですか」
「うんっ」
赤坂先輩もルティの意見に賛成なようで、俺の問いかけに小さくうなずいてみせる。
「リリナさんの言うとおり、今はレンディアールの王家に関わっている人たちとイロウナの高官を務めてるアヴィエラさんだけがラジオに関わっているでしょ。このまま進めても『偉い人専用』っていう壁ができちゃうかもしれないし、親しい市内の人たちを招くのは今のうちからでもいいと思うの」
「なるほど……そういう意味でも、確かに早めに誘ったほうがいいのかもしれませんね」
「アタシも、今のうちからユウラちゃんを誘っていいと思う。きっと楽しそうだし、ユウラちゃんが〈らじお〉でおしゃべりしてる姿を見てみたいよ」
「私も、ぜひともその姿が見てみたいです」
ここにいるみんなが、ユウラさんを誘うことに賛成らしい。元々俺も時期ことだけを懸念していただけだし、俺だってルティやアヴィエラさんのようにユウラさんのパーソナリティ姿を見てみたいのは確かだったから……
「じゃあ、ユウラさんを誘ってみるか」
「うんっ! ぜひともそうしよう!」
俺も賛成にまわったことで、ルティははじけるような笑顔を見せてくれた。
まったく、俺もルティのワクワク顔と笑顔には弱いよなぁ。
「よしっ、そうと決まったら景気づけに甘茶をおかわりしようではないか!」
「アタシもっ!」
「私も、もう一杯いただきたいです」
「わたしもおかわりしようかなぁ」
「では、皆のぶんを注文するとしましょう。サスケも、おかわりはいるか?」
「ああ、俺ももらうよ」
こんな風に問いかけられたら、うなずく他にないしさ。
さっきまであんなに沈んでいたルティがに元気いっぱいになった様を見て、俺はユウラさんに感謝しながらおかわりをもらうことにした。




