第106話 異世界でのすごしかた①
ぱちんっていう金属音と同時に、さくりとした感触が手にした実へと伝わる。
巨大なキュウリの実が直径1センチは越えていそうな茎から離れたとたんに、重りを失った茎はびよーんと上へ跳ねていった。
それもそのはず。手にしたキュウリの実は俺の手の指先から肩ぐらいまでの長さがあって、ずっしりとした重みもかなりのもの。両手で根元を持てば、まるで野球用のバットにも見えそうなシロモノだ。
「はー……すごいですね、これ。なんだかヘチマみたい」
「俺たちがよく見るキュウリとは全然違うよな」
「じゃあ、あたしも一個。って、重っ! 結構重くないですかっ!?」
学校指定の緑ジャージを着ている有楽も巨大キュウリを収穫しようとしたけど、左手で根元をつかんでいたせいか重みで思いっきりよろめいた。
「よっと。大丈夫か?」
「す、すいません」
空いてた右手でとっさに実の真ん中あたりをつかんだら、何とかバランスがとれて踏ん張れたらしい。女の子なんだし、転んで泥だらけだけは避けないとな。
「おばあちゃんの家で手伝った時と同じようにやってみたんですけど……」
「仕方ないさ。これだけ大きいんじゃバランスも取りづらいだろ」
「さすけ、かな、それもってくですよ」
ふたりで感心しながらキュウリをながめていると、すぐそばにいたメイド服姿のピピナがしゅたっと両手をあげて俺たちに声をかけてきた。
「大丈夫なの? ピピナちゃん」
「もつんじゃんなくて、かかえればきっとだいじょーぶですっ」
「なるほど」
あげていた両手を差し出すように伸ばしてきたピピナの腕へ、俺と有楽が収穫した巨大なキュウリを1本ずつのせていく。
「これくらいならへっちゃらですよー。ジェナさま、きゅうりをもってきたです」
キュウリを抱えたピピナが向かったのは、キュウリ畑から少し離れた空き地。その一角に広げられた敷物の上で、サジェーナ様は収穫したての巨大キュウリを大きめな桶で水洗いしている最中だった。
「あらあら。ありがとう、ピピナちゃん」
ピピナからキュウリを受け取ったサジェーナ様が、洗い桶の水につけて布巾で磨くようにしっかりと拭いていく。白いブラウスと焦げ茶色の長ズボン姿、そしてズボンと同じ茶色のスカーフを巻いた格好は、肩まである銀髪によく映えて可愛らしい……んだけど、この人って7人の子持ちな上に俺の母さんと近い歳なんだよな?
目を輝かせていきいきとした姿は、本当にそうなのかと疑いたくなるぐらいの若々しさを誇っていた。
「せんぱい、どんどんやっていきましょう」
「ピピナもどんどんおてつだいするですっ」
「おう、そうだな」
サジェーナ様に見とれていた俺へ、有楽と戻ってきたピピナががせかすように声をかけてくる。ふたりが言うとおり、まだまだいっぱいあるんだからボーッとしているヒマはない。
少し汗ばむ快晴の下、俺は肩に掛けたタオルでひたいをふきながら気合いを入れ直した。
1学期の終業式も終わって、いよいよ夏休み。土曜日のレギュラー番組の生放送を終えた俺たちは、久しぶりにレンディアールへと訪れていた。
寝不足解消でリリナさんに連れてきてもらって以来だから、だいたい20日ぶり。朝から降り注ぐジリジリとした陽射しは日本と同じだけど、乾いた空気と時々山から吹き下ろしてくる涼しい風がとても心地いい。
『ただいまお送りした曲は、〈ニホン〉という国に伝わる物語〈風を見渡す丘で〉のために作られた音楽です。同じ題名の演劇で主役を演じる主人公が――』
そんな過ごしやすい気候の中で有楽と畑仕事をしていると、サジェーナ様がいる空き地のほうから涼やかな声が聴こえてきた。
「ラジオ、順調そうですね」
「そうだな。リリナさんのパーソナリティもずいぶん板についてきたんじゃないか」
敷物の片隅にはついさっきまで音楽を流していた無電源ラジオとメガホン製のスピーカーが置かれていて、サジェーナ様は時々聴き入るように野菜を洗う手を止めている。
今、時計塔ではリリナさんたちが試験放送で練習をしている真っ最中。リリナさんが担当しているこの時間帯は、日本で見て気に入ったアニメやドラマのサントラから自分なりにチョイスした楽曲を流す、いわゆるDJスタイルの番組を放送していた。
「この声って、リリナちゃんの声……で、いいのよね?」
「はいですっ」
「不思議ね。声だけ聴いてると、わたしの知ってるリリナちゃんの声と全然違って」
なるほど。サジェーナ様、リリナさんの声を聴いて戸惑って手を止めてたのか。確かに前のリリナさんは威圧感すら発していたぐらいだし、こうした優しい語り口とは結びつかなかったんだろう。
「むかしのねーさまは、ちょっとぴりぴりしてたですから。でも、ピピナはいまのねーさまもまえのねーさまもだいすきですよっ」
「わたしも。今度、リリナちゃんをお茶に誘ってじっくりお話してみようかしら」
「いーですね、きっとねーさまもよろこぶです!」
ピピナとサジェーナ様のほのぼのとしたおしゃべりに、つい頬がゆるむ。有楽もうれしそうに微笑みながらキュウリの収穫を続けていて、時々ふたりのほうへちらりと振り返っていた。
「有楽が言うとおり、ラジオを持って来てよかったよ」
「畑仕事っていったらラジオがつきものなんです。おばあちゃんも、畑へ出るときはいつもラジオを持っていって仕事のお供にしてました」
「この間の田植えのときも好評だったからなぁ。あのサイズなら持ち運べるし、野良仕事にはもってこいか」
「家とは別に、持ち運び専用で欲しいって人もいるかもしれませんね」
「うーん……あとでルティたちと相談して、すこし余分に製造するか考えてみるかなー」
「まだまだがんばりどころですねー」
さらに課題がかさんだことに気付いて、少し困りながらふたりで笑い合う。こっちの生活様式に合わせないといけないわけだし、そのあたりも話し合ったほうがいいよな。
今回のヴィエルへの滞在は、まるまる1週間。開局予定の秋へ向けて番組の構成を詰めていくために、こっちのライフスタイルに合わせて過ごしながらいろいろ案を出そうって魂胆だったから、ちょうどいい機会だ。
「さて、と。だいたいこんなもんか?」
「そうみたいですね」
そのままふたりでキュウリを穫り続けていると、ほとんどの枝からはほどよいサイズの巨大キュウリが消えて、あとはまだ収穫時期じゃない小ぶりなものだけが残っていた。
「さすけ、かな、またもっていってもだいじょーぶですか?」
「ああ。これで終わりみたいだから、手分けして持っていこうぜ」
「わかったですっ」
人間サイズとはいえ小柄なピピナは、よいしょっとかがむとせっせと巨大キュウリを集めて抱えてみせた。有楽も数本の巨大キュウリを重そうに抱えて、俺も地面に置いていた巨大キュウリを集めてからゆっくりと抱え上げると……おお、結構な重さがあるな。スーパーでよく買う5キロの米袋といい勝負だ。
「サジェーナ様、穫れどきのキュウリは全部穫り終わりました」
「お疲れ様。みんなが手伝ってくれてとても助かったわ」
「時計塔に泊まらせてもらってるんですし、俺たちが手伝えることなら手伝いますって」
「田植えだって手伝ったことがあるんですから、これくらいへっちゃらですっ!」
「珍しいわね、若い子たちがそう言ってくれるなんて。さあさあ、こっちに座って一休みしちゃって」
「ありがとうございます。それじゃあ、失礼します」
「あたしも、失礼します」
サジェーナ様のすすめに応じた俺はスニーカーを脱ぐと、敷物に上がって大量の巨大キュウリが入った水桶を挟んで真向かいに座った。続いて有楽が左隣に座って、ピピナがサジェーナ様の右隣に座る。
満足げに俺たちのことを眺めていたサジェーナ様も、茶色のスカーフをほどいてふうっと息をついた。肩まで伸びた銀髪が太陽の光でふわりと淡く輝いて、穏やかに笑う姿は母娘ってこともあってかルティとそっくりで……きっと、ルティがもっと成長したらこういう風に笑うんだろうな。
「お母様~、トマトの収穫が終わりました~」
「大量です。大収穫ですっ」
後ろからの声に振り向くと、サジェーナ様と同じ服装に麦わら帽子を被ったフィルミアさんと、俺と同じ学校指定の青ジャージを着た中瀬がそれぞれ竹カゴを持ってゆっくりとした足取りでこっちへ向かっているところだった。
「ミアもミハルちゃんもお疲れ様」
「いえいえ~。今年で3回目ですから、さすがに慣れました~」
「みぃさんが教えてくれたおかげで、とても穫りやすかったです」
麦わら帽子を脱いだフィルミアさんも、肩からかけたタオルで顔をぬぐった中瀬もサジェーナ様からのねぎらいの言葉に満足そうな笑顔を浮かべる。ふたりが下ろしたカゴをのぞき込むと、大きくて赤いトマトがたくさん詰め込まれていた。
「わぁ……品種改良でこんなにでっかく育つんですか」
「これでも、ようやく安定して作れるようになってきたのよ。見た感じは完璧に近いわね」
カゴへと手をのばしたサジェーナ様が、ひとつずつ実を手にして水が張られた桶へと沈めていく。ソフトボールぐらいの大きさをしたトマトがぷかりと浮くと、ひとつひとつが水をまとったことで輝いて、
「水で洗って、しっかり拭いて……っと。はいっ、みんなで味見の時間にしましょうか」
ひょいひょいと手渡されたそれは、ひんやりとしてまるで宝石みたいだった。
「いいんですか?」
「いいのいいの。お昼ごはんまでのおやつ代わりに、がぶっと行っちゃって」
「それじゃあ、いただきます」
「いっただっきまーす!」
「いただきます」
口々にあいさつをしてから、一斉に大きめなトマトへとかじりつく。ひと噛みしたとたんに口の中へと甘い果汁が広がって、噛んでいくたびに果肉の酸味と合わさっていって……
「すっごく濃いですよ、このトマト」
「でしょう?」
飲み込んだとたん、そう言いたくなるぐらいに濃厚な味わいだった。先にかじりついていたサジェーナ様も会心の出来だったのか、うれしそうに言葉を弾ませている。
「日本でも甘いトマトは食べてますけど、こんな大きくて美味しいのは初めてです!」
「私は好きこのんで食べないのですが、このトマトなら何個でも食べたくなりますね……んくっ」
有楽もこの味には驚いたみたいで、中瀬に至っては感想を口にしてからすぐにまたトマトにかぶりついていた。
「あむあむあむあむ、あむあむあむあむ」
「ふふっ、ピピナちゃんもお気に入りみたいですね~」
ピピナにいたっては一心不乱に食べてるし、サジェーナ様の左隣に座ったフィルミアさんも大きなトマトにかじりついて頬をほころばせていた。
つられてもうひとかじりしてみると、最初にほんのりと青々しい味がしてからすぐに甘みと酸味が包み込んで、それがいっしょに広がっていって……うん、美味い。めちゃくちゃ美味い。
「よかった。みんな美味しそうに食べてくれて」
「毎年毎年どんどん美味しくなっていきますからね~。お世話をしていた分、わたしもうれしいですよ~」
「親子二代の共同作業って感じですか」
「わたしは、どちらかというとお手伝いと言ったほうがいいかと~。ルティも手伝ってくれていますし~」
「なに言ってるの。普段わたしが中央都市にいる分、畑の世話をしてくれてるのはミアとルティなんだから、親子二代で間違いないわよ」
「そ、そうでしょうか~?」
ストレートなサジェーナ様からの物言いに、照れたように頬を染めるフィルミアさん。普段はお姉さんな分、こうした姿はなんだか新鮮だ。
『間もなく、ヴィエルの街は午前10時。次に曲が流れたあとは、レンディアール第5王女のエルティシア・ライナ=ディ・レンディアール様とイロウナ商業会館の会長であるアヴィエラ・ミルヴェーダ様、そしてご友人のアカサカ・ルイコ様とのお話へと交代いたします。私、リリナ・リーナの案内でお送りしてきたこの時間の締めくくりは、2曲続けて――』
「ほ、ほらっ、もうすぐそのルティの出番ですからここまでにしましょ~! ねっ、ねっ!」
「ミアったら、こういうところは相変わらずよねえ」
あわてて矛先をそらそうとするフィルミアさんに、サジェーナ様は苦笑い。そっか、フィルミアさんってほめられることに弱いのか。




