第105.5話 異世界"商"女のおてつだい①
「第94話 はじまりの日①」から少し前。アヴィエラ視点のお話です。
「んっ……」
突然、まぶた越しの視界が白い光で満たされる。
手で避けながらゆっくりとまぶたを開けると、影になった指の隙間からあふれた光がアタシの顔に降り注いだ。
「朝か……」
寝入る前は仰向けだったのが、今は横を向いている。寝返りで陽射しが当たったのか……そう思いながら身体を起こすと、
「すー……」
「くぴー……」
「みんな、幸せそうに寝てるねぇ」
いっしょの部屋で寝ているみんなが、穏やかな顔で寝息を立てていた。
アタシが住んでる国、レンディアールのお姫様なフィルミア様とエルティシア様が隣で並んで眠っていて、その枕元でお付きの妖精さんなリリナちゃんとピピナちゃんが小さい姿になって眠っている。
反対側では、こっちの世界――ニホンっていう国に住んでいるカナとルイコが並んで眠っていた。
みんなも、そしてアタシも着ているのは〈ぱじゃま〉っていうこっちの世界の寝間着。薄手の毛布からのぞくその〈ぱじゃま〉は、同じ装飾のものを色違いで着ていることもあって、鮮やかに映えていた。
フィルミア様とエルティシア様が薄い紅色で、リリナちゃんとピピナちゃんが緑色。カナが水色とルイコが薄い黄色で、アタシが今着ているのは薄い紫色。模様も飾りも特にない簡素な服ではあるけれども、快適な上にこうしてみんなでいっしょに着ていられるっていうのが、なんだかうれしい。
みんなの姿を見渡すついでに時計を見れば、今は5時ちょっと過ぎ。ちょうどいい頃合いだし、そろそろ起きようか。
できるだけ音をたてないよう、おなかの辺りを覆う薄手の毛布をゆっくりとのけてから慎重に立ち上がる。そのまま〈フトン〉から下りて、足音に気をつけながらみんなで泊まっている部屋から出た。
サスケの家の廊下は、うちの商業会館や時計塔のものよりも狭い。でも、カナやルイコの家でも同じようなものだったから、きっとニホンじゃこのくらいが標準的なんだろう。
2階の洗面所へ立ち寄ったアタシは、前髪をかき上げると〈たおる〉って呼ばれる長い布巾を頭に巻いてからぐるぐるとまとめた。据え付けられている鏡を見れば、映っているのは眠気のせいでちょっと目つきの悪いアタシの顔。
「うしっ」
気合を入れながら〈ぱじゃま〉の袖をまくって、〈じゃぐち〉をひねる。向こうだと手押しの揚水機で水が出てくるから、初めてコレを目にしたときにはどう使えばいいのかわからなかった。
出てきた水に手をあてれば、ひんやりとした水流でみるみるうちに濡れていく。そのまま両手に水を溜めながらゆっくりかがんで、水を顔へとあてれば……うんっ、気持ちいい。
二度、三度と顔をごしごし洗っていって、最後に手へ溜めた水をごくりと一杯飲む。逆方向へと蛇口を締めて水が止まったのを確認してから、頭に巻いていた〈たおる〉をほどいて顔を拭けば、朝の準備は完了だ。
「おはようございます」
「あら。おはよう、ヴィラちゃん」
洗面所を出て居間へ入ると、サスケのおふくろさん――チホさんが、食堂のいすに座って何かを作っている姿が見えた。
「チホさん、なにしてるんです?」
「みんなの朝ごはんづくりよ。サンドウィッチ……って、ヴィラちゃんもよく食べるからわかるわよね。みんなバラバラに起きてくるだろうから、作っておこうかなって」
「なるほど」
引き戸が開いたままの入口から、まずは居間へ。そのまま食堂へと通って、チホさんの向かいの席へと座った。
アタシがリリナさんに作ってあげた『眼石』に似た、サスケのとは少し違った形の〈めがね〉をかけたチホさんはとても楽しそうに、そして柔らかい笑顔を浮かべながら手元のパンを薄い刀で切り分けていた。
薄手な半袖の衣服の上に〈えぷろん〉って呼ばれる前掛けを身につけているから、終わったらこのまま店へと出るつもりなんだろう。
「でも、店じゃ見たことのないものばっかりじゃないですか」
「あら、わかった?」
「もちろん」
得意げににんまりと笑うチホさんへ、アタシも笑ってうなずく。
パンとは別個の器には、いつも店で出している卵とマヨネーズを使ったり魚肉とタマネギを使った具じゃなくて、刻まれたキュウリとゆでたらしい肉をゴマが入った薄い茶色のクリームで和えたものや、カボチャやナスにパプリカ、トマトやアスパラガスといったレンディアールでも見かけるような野菜を〈ショウユ〉と、刻まれた緑色の香辛料かなにかで和えた具が入っていた。
「店に出そうと思ってる新作候補のテストも兼ねててね。こっちは、キュウリと鶏肉のゴマだれサンド。もうひとつは、素揚げ夏野菜とシソドレッシングのミックスサンドよ」
「これってシソなんですか! ……あー、たしかにシソの香りがしますね」
驚いて匂いをかいでみると、確かにシソ独特のすっきりとした香りがアタシの嗅覚を刺激してきた。
「そっちにもシソができたんだ」
「レンディアールに来てからですけど、時々香辛料として使ってたりします」
「香辛料かぁ。こっちは薬味……えっと、味を足すのに使ったりするから、似たようなものかな。あと、天ぷらって言って、水で溶いた小麦粉にくぐらせて揚げるのも美味しいのよ」
「〈テンプラ〉で? 想像がつきませんけど……へえ、美味しいんですか」
「明後日は定休日だし、佐助たちの収録もないからみんなの夕ごはんに作ってあげるわ。ヴィラちゃんも、みんなといっしょに火曜日まではいるんでしょ?」
「はいっ! やった、チホさん手作りのテンプラかっ!」
「ふふふっ。喜んでくれると作り甲斐もあるわねぇ」
作ってくれることについはしゃいだら、チホさんは楽しそうにくつくつと笑ってくれた。
違う世界から来たアタシを、初めて会ったときのチホさんはただひとこと『いらっしゃい。ようこそ、ニホンへ』ってこの笑顔で受け入れてくれた。
もちろんフィルミア様やエルティシア様っていう先例もあったからなんだろうけど、誰何を問うことなく接してくれたのは、ただただびっくりした。
「チホさん、よかったら手伝いますよ」
「ありがとう。でも、その前にお化粧とかしなくても大丈夫?」
「お化粧、ですか? アタシは化粧するほどじゃないですよ」
「……ヴィラちゃん、お化粧しないの?」
「面倒なんで。顔洗って髪をとかしたら、そのままヴィエルの朝市へ遊びに行っちゃってます」
「そっかー、ナチュラルかー」
「???」
〈なちゅらる〉って、自然ってことだよな……あたしの何が自然なんだろう。
「ふぁ~……おはよー」
入り口からの声に振り向くと、黒い半袖の〈しゃつ〉と短めの履き物を身にまとったサスケがあくびをしながら入ってきた。
「おはよーさん。サスケ、まだ眠いんだな?」
「うぇっ!? お、おはようございます、アヴィエラさん。もう起きてたんですか……」
「このくらいの時間には起きてるよ。そっかそっか、マツハマ家に泊まるとこんな珍しいものが見られるのか」
「珍しいとか言わないでくださいよ! うっわー、はずかしー……」
アタシのからかいで一気に目が覚めたらしく、サスケは文句を言って後ろを向くと、ちょっとボサボサな髪を手ぐしであわてて整え始めた。
「いい光景でしょー」
「ホント、いつものサスケとは大違い」
「聞こえてるんだよっ! アヴィエラさんも乗らないでくださいっ!」
「早起きの特権さね。そういや、サスケもこの時間には起きてるんだっけか」
「店の手伝いという名のこづかい稼ぎです」
「潔いねえ」
「とか適当そうに言ってる割には熱心なのよ。3代目でも狙ってるのかしら」
「さっ……!? お、俺はアナウンサー志望なんだぞっ!? まあ、休みの日に手伝うのは別にかまわないけど……」
「……なんだこのかわいらしい仕草」
顔を真っ赤にして文句を言っていた途中で、我慢したのか口をつぐんで顔をそらしたサスケ。そこから視線だけをこっちの方に向けてぽつりと言葉を補う姿は、なんだかいじらしかった。
「ヴィラちゃん。日本じゃ、こういうのをツンデレって言うのよ」
「カナも言ってました。やっぱりサスケは〈つんでれ〉なんですね」
「母さんも有楽も余計なことを! ……くそっ、有楽は今日の生放送でとことんいじり倒してやる」
ありゃま、カナに飛び火しちまったか。今日のふたりの〈らじお〉も楽しくなりそうだけど、悪いことしちまったかなぁ……ふっふっふっ。
「そんなすねてないで。朝ごはんももうすぐできるんだから、手も顔も洗ってらっしゃい」
「へいへい」
サスケはめんどくさそうに言うと、呆れ顔で居間から出て行った。
いつもはアタシたちをぐいぐい引っ張ってくれるけど、チホさんの前だとこういう感じでやりこめられているのを目にすることが多い。
「それじゃあ、ヴィラちゃんには……」
〈ハシ〉を手にしたチホさんは、調理済みの夏野菜をまな板の上にあるパンへとひょいひょいのせていった。続いてもう一枚のパンを夏野菜の上へとのせると、長い薄手の刀をパンの真ん中にあててからまっぷたつに切って、
「試食第一号、お手伝いしてもらおっかな」
「あ、アタシがですか?」
まな板のかたわらにあった皿へのせ、できあがったサンドウィッチをアタシの前に置いてくれた。
「今回はまだお試しだから、してもらえるお手伝いっていったら試食ぐらいなの」
「ああ、そういうことですか」
確かに、みんなの朝ごはんでお試しってことなら、今日の今日で店に出したりしないか。
「それじゃあ、さっそく……いっただっきまーす」
アタシはサンドウィッチを両手でつかむと、そのまま半分ぐらいを口に入れて思いっきり噛みきった。それと同時に、口の中で素揚げされた野菜と調味液の水分がじゅわっと弾けて、うまみがぶわーっと広がっていく。
ナスを揚げたのは、ヴィエルでもよく食べたりする。でも、それは串揚げを甘辛いタレにつけたりしたもので、こうしてパンに挟んだり他の野菜と合わせて食べたりするのは初めてだった。
そのトマトの酸味と〈ショウユ〉が元になった調味液がそれぞれの野菜の味を引き立てたり、刻まれたシソを噛めばさわやかな味わいが広がったりしてて、
「美味いっ、美味いですよ、チホさん!」
しっかり噛んでから飲み込んだあと、そんなひとことが自然と湧いて出てきた。
「ほんと?」
「はいっ。パンの甘さと野菜の甘酸っぱさがぴったりだし、これだったら何個でも行けちゃいますよ!」
美味しくてうれしくて、もっともっと食べたくて残りも一気にほおばる。うんっ、美味い。ちょっぴりお酢でも入っているみたいで、その酸っぱさもトマトやカボチャの甘みを引き立ててるのかも。
「うんっ、やっぱり美味いっ!」
「ありがとう、ヴィラちゃん。食べたついでに聞きたいんだけど、これってどんな飲み物に合うと思う?」
「飲み物ですか。うーん……」
口の中に残る味わいをもとに、どんな飲み物が合うかを想像してみる。果物系の甘いのはちょっとくどいだろうし、かといって〈こーひー〉のような味わいが強すぎるのだと余韻を消しそうだ。となると、
「やっぱり、お茶ですかね。あんまり甘くしないように、できるだけ糖蜜は控えたほうがほどよく味わいの余韻が残るかも……って、アタシがここまで言っていいのかはわかりませんけど」
「いいのいいの。ふむふむ、甘さ控えめのお茶、と……」
チホさんはアタシの答えを聞くと、二度三度うなずいてから筆をとって雑記帳へとなにかを書き入れ始めた。たぶん、アタシが言ったことを書き留めているんだろう。
「こっちでも向こうでも、やっぱり新しい商品の追求ってのは変わらないんですね」
「ずっと同じメニューがいいって人もいれば、やっぱり新しい味を求めて来る人だっているから。一時期お父さん――ああ、佐助のおじいちゃんで、今は別のところに住んでるあたしのお父さんね。お父さんのレシピだけで固定してやっていたんだけど、だんだん飽きちゃったのかお客さんが減っちゃって」
「だから、チホさんだけの料理とか飲み物も作ったと」
「そういうこと。今ヴィラちゃんにしてもらったみたいにタダで常連さんに試食してもらって、感想を聞いたりしながらメニューを加えていったってわけ。気合入れてやってみたけど、ボツになったのもたくさんあるわねー」
「それだけ試行錯誤してるってことですか」
「でも、結構楽しいものよ」
ちょっと困ったようなそぶりを見せていたチホさんが、くるりと手の上で筆を回しながら言葉通り楽しそうに笑う。
「どうすれば美味しくなるんだろうとか、どうすればひとくち目を食べたあとに笑ってもらえるんだろうとか、そんなことを考えてると熱中しちゃって」
「わかります、それ。アタシも寝ようと思ったら没頭しちゃって、気付いたら朝なんてことがあったりして」
「やっぱり? あたしも寝る前にレシピを思いついて、徹夜で作ってたら帰ってきた文和さんや起きてきた佐助に怒られちゃったりとか」
「そうそう! 目の下にクマを作ったりしたらじいが『みっともない顔をして!』って怒ってきたりするんですよ!」
「目ざとい人っているわよねー! 常連のおじいちゃんとかも『ほれ、トースト焦げるぞ!』とかからかってくるし!」
「そのあたりの大変さ、もうちょっとわかってほしいっていうか」
「ねぎらってほしいっていうか」
「ですよねー」
「ねー」
お互いちょっぴり愚痴って、同意しあって、くくっと笑う。
料理と魔石って違いはあっても、やっぱり物作りをしていると熱中したり没頭したりすることはあるんだよな。
「じゃあヴィラちゃん、キュウリと鶏肉のごまだれサンドも行ける?」
「お安い御用です」
キュウリと鶏肉が入った器を手にしてにっこり笑ったチホさんへ、アタシも笑って応える。




