第98話 0:00 [新]異世界ラジオのつくりかた①
草むらを駆け抜けるような擦れた音が、あたりに響く。
『はぁっ、はぁっ……』
『はっ、はっ、る、ルティさまっ、だ、だいじょうぶですかっ!?』
『んっ、はぁっ、だ、大丈夫だっ』
その合間から聴こえてくるのは、ふたりの女の子の声。
かわいらしくも切羽詰まった声に応えるように、まだ少し幼さの残る声が言い切ってみせる。
『おそらく、このあたりまで来れば……ふうっ……』
『ず、ずいぶんおくのほーまできちゃったみたいですね……』
『そうだな……奴らも、惑わされてくれればいいのだが』
『そいつは甘いなぁ、お姫さぁん?』
『っ!?』
まとわりつくような女の声が響いた途端、ガサガサと葉が擦れるような音に続いて大勢の足音が覆い尽くした。
『貴様、なぜここに!?』
『簡単なことだよ。お忍びか何か知らないが、王族しかない銀髪が歩いていりゃあ、月明かりで目立つったらありゃしない』
『くっ……』
『街にも王都にも、あたしの手下はどこにでもいる。ヒヨッ子魔術師しか連れてないアンタはもう、籠の中の鳥みたいなものさ』
焦るルティを嘲笑うかのように、高飛車な女の声が足音とともに迫ってくる。
『こ、こんなことをしてただじゃすまないですよっ!』
『あはははははっ、そりゃあただじゃ済まないだろうよ。アンタはここで捨てられて、お姫さんは王族との交渉ごとに使わせてもらうんだから。まあ、安心しな。ここでおとなしくしてりゃ、手荒なことはしないさ』
『済まぬ、ピピナ。我がわがままなど言わなければ』
『へーきです。ピピナだってまじゅつしのはしくれ、これくらいのことは――』
『おっと。そこのチビ魔術師ちゃん、アタシらが調べてないとでも思ったのかい? 〈どの魔法も三流な姫様付きの魔法使い〉って評判なんだろ』
『そ、そんなことないです! ピピナは、ピピナはルティさまをまもるまじゅつしですよっ!』
『ピピナ、よせっ!』
ピピナが杖を構えたのか、ルティが制止する間もなくちゃきっとした金属音が鳴る。
『たしかにこーげきまほーはすっごくへたですけど、ルティさまをまもるまほーだけは……このまほーだけは』
『へえ、〈守る〉ねえ。どんなお遊戯を見せてくれるのか、お手並み拝見といこうじゃないか』
『ルティさま、ピピナにつかまってくださいっ!』
『う、うむっ』
『〈でっかいおそらへとんでけ、でっかいおそらへとんでけ、でっかいおそらへとんでけ……〉』
懇願するような叫びから一転して、なにかを唱えるようなピピナの声がエコーのように響く。
『はははっ、何にも起こらないじゃないか。そんな無駄なことをするんなら、アタシのほうから――』
『〈でっかいおそらへ、とんでけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!〉』
見下した女の声をよそに、ピピナの絶叫があたりを覆い尽くす。それと同時に、金属音のような高い音が重なって何かが弾けるような音とともに暴風が吹き抜けていった。
しばらくして残ったのは、風が草の間を吹き抜ける音と、
『なっ……き、消えた!? おいっ、どこへ行った!』
女盗賊の、焦りを含んだ声。
『せっかく大物を捕まえたって思ったのに……くそっ、逃がしやしないよ! お前ら、草の根分けても探し出しな!』
悔しそうな絶叫がスピーカーから伝わってきて、
「……すげえな」
「同一人物の声とは思えないね」
「さすがです、カナ様」
「あはははは……どーも、どーも」
思わず出てきた言葉に、その声の張本人な有楽が振り返ってあたふたと俺たちへひらひらと手を振った。
目の前にいる元気な高校生の女の子と荒々しい女盗賊の声がいっしょだっていうんだから、声優っていう職業の凄さを改めて実感させられる。
24時をまわって、いよいよ始まった『異世界ラジオのつくりかた』。
基本的に前半がラジオドラマ、後半がトークパートなこの番組は、時報が鳴った直後からルティとヒピナの逃走シーンで幕を開ける。実際にヴィエル近郊であったことを、ルティとピピナへの取材をもとにして脚本へと落とし込んだっていうこともあってか、ふたりの演技も真に迫っていた。
『……さまっ、ルティさまっ』
『ん……』
『ルティさまっ、ルティさまっ、おきてくださいっ!』
『うーん……ん? ピピナ?』
『ルティさまぁっ!』
『すまぬ、気を失っていたようだ。ピピナ、ここはどこなのだ?』
『よくわからないです。とうみたいなところですけど、したのほうははいいろばっかりでなんだかおかしーです』
『確かに、我らは見知らぬところであるな……はっ、追っ手は!?』
『だいじょーぶです、ここにはだれもいません』
焦るルティを安心させるかのような、ピピナの優しい声。その後ろで静かに風が吹く音と、さらに遠くから車が行き交ったり、電車が通るような環境音が聴こえてくる。
『誰もいないとは言うが、そもそもここはどこなのだ?』
『えーっとですね……』
『どうした』
『それが、その、んーと……どーも、まほーをしっぱいしちゃったみたいです』
『し、失敗だとっ!?』
『ごめんなさいっ! ただにげようってかんがえてたら、ぜんぜんしらないところへきちゃいましたっ!』
『確かに、あの灰色のものや塔のような建物など見たこともないが……まあ、仕方あるまい。ピピナ、急いでレンディアールへと戻ろう』
『えっと……さっきのまほー、まりょくがまんたんじゃないとつかえないですよ』
『なっ!? い、いや、仕方あるまい。我と逃げようとして使ったのだからな』
『ごっ、ごめんなさいですー!』
『なに、気にすることはない。それよりも、今はこの場から脱出せねば……こんなに高いところで閉じ込められてしまってはどうにもならぬし、あの扉からどこかへ出られまいか』
『あのっ、ピピナがさきにいってよーすをみましょーか?』
『いや、我も行こう。こうなれば、一蓮托生だ』
『ルティさま……はいですっ!』
元気なピピナの声と堂々としたルティの声は、ラジオを通しても変わらない。隣に座っているルティも、その膝に座っている妖精さんモードのピピナも、いつも以上に目を輝かせながらコンポのほうをじっと見つめていた。
このお話でのピピナは、妖精じゃなくルティお付きの魔術師役。第1話でルティといっしょにスムーズに出演させるための役柄チェンジをすんなりと受け入れて、こうしていきいきと演じている。本人いわく『さいしょからみんなといっしょにいたみたいでうれしーです!』だそうな。
『ルティさま、だいじょーぶですか?』
『ああ、大丈夫だ。ピピナこそ大丈夫か?』
『はいですっ。ごつごつしてないから、とってもあるきやすいです』
はげましあうふたりの声の後ろで、こつん、こつんと階段の音が響いている。この効果音を厳選して編集もした中瀬は、左はす向かいのソファで無表情に、それでいながら満足そうにうなずいている。
『なんだ? この透明な板は』
『わわっ、なんかあいたですよ!?』
『外へ出よ、ということか……行こう、ピピナ』
『はいですっ』
ガコンという音に続いて自動ドアが開く音がしたとたん、外からの街の音が一気に加わる。このドアの音も街の音も、全部中瀬が録音したっていうんだからたいしたもんだ。
『これは、街なのか……?』
『なんだかひとがいっぱいいますね。あのたてものはおみせでしょーか?』
『だろうな。食べ物を売っていたり、衣服を売っているところもある』
『たべもの……おなか、すきましたねー』
『空いたな。街へ寄ることができればどうにかなると思ったが、よもや追われてしまうとは』
『ごめんなさいです。ピピナがみじゅくなばっかりに……』
『ピピナが謝ることはなかろう。我がわがままを言い、忍んで遊びに行こうとしたのがそもそものきっかけではないか』
『でも』
『後悔はそこまで。それよりも、ここは何という街なのだろうか』
『ピピナもわからないです。とにかくとおくへっておもって、ひっしにとなえたですから』
『ならば、街の者に尋ねるまでだ。なあ、そこ往く者よ。この街は何というのだ?』
『えっ!? す、すいませんっ。なんて言ってるか、よくわからないです……』
『む? そ、そなたはなんと言ってるのだ?』
『あのっ、あのっ、あいきゃんおんりーすぴーく、じゃぱにーずらんげーじなんですっ! ごめんなさいーっ!』
『ああっ、ど、どうして逃げるのだっ!?』
ルティの呼びかけに答えることなく、おどおどした女の子の声は足音といっしょに遠ざかっていった。これまた有楽の演技で、今回はさっきの女盗賊と本人役との計3役。
少数精鋭とはいえ、こうして全く違う役柄をひとりで演じてくれるのはありがたいし、とても頼りになる。
『むぅ……言葉もわからぬというのはさすがに不便だな』
『それならだいじょーぶです! ちょっぴりことばをきけば、ほんやくのまほーでルティさまもピピナもわかるよーになるですよ』
『そのような魔法があるのか』
『はいですっ。このまほーで、ピピナはことりさんとかうしさんとかのどーぶつさんともはなせるよーになったです』
『そうか。ならば頼りにしているぞ、ピピナ』
『はいですっ! とにかく、ひとがあつまってはなしてるところでもさがしてみましょー』
『人が集まっている場所か。となると、先ほどの少女が来たほうへと向かうのはどうだろうか』
『ですねっ。ちょーど、あっちのほーからひとびとのはなしごえがきこえてきて……あれっ?』
『どうした?』
『ルティさま、へんなんです。ここからこえがきこえてきたんですけど、だれもいませんっ』
『聞き間違えではないのか』
『ちがいますっ! ほらっ、あっちからですっ、あっちっ!』
ピピナの呼びかけと入れ替わりに、スピーカーから流れてきたかのように加工された声がかすかに聴こえてくる。
『誰もいないのに、この声はいったい……?』
『なんだか、とってもやさしいこえですよね』
『うむ。ピピナ、敵意は感じぬか?』
『はいっ、ぜんぜんだいじょーぶです』
『ならば、行ってみるとしよう』
足音とともに、街の喧騒の中からスピーカー越しの声が浮かび上がっていく。
それは俺たちにとってなじみ深くて、いつもと変わらない声。
『〈本日も始まりました、【赤坂瑠依子 若葉の街で会いましょう】。パーソナリティの私、赤坂瑠依子が若葉市内を歩き回って、様々な人たちとふれあっていく番組です。今回は若葉市南部の八塚西町とわたしが通っていた母校、若葉南高校を中心に――〉』
『ルティさま、このこえみたいですよ』
『だが、声の主がどこにもいないというのはどういうことだ? この国の魔術だとでも言うのだろうか……むっ?』
『どーしたです?』
『ピピナ、建物の中を見てみろ。中にいる者がしゃべっている』
『しゃべってるみたいですね……って、もしかして、このこえが?』
『どうもそうらしい。彼の者がしゃべっている口の動きと声が合っているようだ』
『そういうことでしたかっ。ルティさま、このこえならちょーどいいかもしれません』
『よし。おあつらえ向きに椅子もあることだし、ここで魔術を使うとしよう。それに……腹も減って、そろそろつらい』
『す、すわりましょうっ! たおれたらたいへんですっ!』
『〈わたしが若葉南高校を卒業してから、もう3年ぐらいになりますか。元々放送部出身なので近頃もよく来ていますけど、来る度にまわりの景色が少しずつ、少しずつ変わっているように感じられます〉』
ルティとピピナの掛け合いが終わってからしばらくして、街の喧騒をかき消すように先輩の声だけが鮮明になっていった。
『〈今日最初にお送りするのは、そんな中で今でも南高生が立ち寄っていく駄菓子屋兼たい焼き屋さんのあかね堂から。女将の森ノ宮あかねさんと昔ながらのたい焼きを食べながら、変わりゆく八塚町のことをうかがってきました〉』




