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【9年目の冬 Ⅱ】


「明日、律子ちゃんと陽君が家に来るんだけど蒼空君も来ない? 」


「は? 」




冬休みの宿題を一緒にやるという名目でお邪魔しているのは蒼空君の部屋。


在宅なのはわかりきっているので今から宿題を一緒にやろうとメッセージを飛ばしたところ、冬休みに突入してから3日で終わらせてしまったから一緒にやることはできないけれど写したいのであれば来ればいいという彼が秀才であることを思い出させる返信を頂いたのでお言葉に甘えて部屋に上がらせてもらった。


さすがに全部写すのは気が引けて本を読む蒼空君の横で一人黙々と宿題に取り組む私。「ちゃんと解くなら俺の部屋に来る必要あった? 」と聞かれたので満を持して本来の目的であった要件を伝えると、どんなに問題について質問しても本から目を逸らさなかった蒼空君が一瞬で顔を上げた。必要最低限の言葉では理解し切れなかったような顔をしているので意を決して詳細を付け加える。


「好きなバンドのライブDVDが出たんだけど、実は陽君も同じバンドが好きで、一緒に見ないかって誘われてさ。でも二人きりはアレだから律子ちゃんにも付き添ってもらうことにしたの。で、蒼空君も来ない? 」


そこまで聞くと蒼空君は面倒くさそうに栞を挟んで「結論から言うと行くつもりはないけど、」と言いながら本を閉じ、私が宿題やらなんやらを広げているテーブルに置いた。続く言葉を数秒待ってみたけれどそれは沈黙となって室内を淀ませる。


「……まあ、好きなものは同志と分かち合った方が楽しいんだろうなというのは十二分にわかるからな」


一息ついた後に諦めたような納得したような口調、それでいて私を不安にさせない声色。予想外の言葉に真意を読み取ろうと蒼空君の顔を観察するけれどそこに私が懸念するようなものは何一つ見えなかった。


「なに見てんの」


「なんか、こういうこと言って不機嫌そうじゃないの、珍しいなって」


「不機嫌になって欲しいって言うなら今すぐにでも不機嫌にはなれるけど、

感性が違うから俺はそいつ以上に花の好きなバンドのことを語り合えないし」


そう言いながら蒼空君はテーブル足元に隠れていたペットボトルの水のキャップを開け、一口含んで飲み込んだ。上下に振れる喉仏はいつからこんなに主張していたっけ。


「二人きりにはならないように律子のことも呼んだのなら、それでいい」


そこまで話すとペットボトルのキャップを閉めながら「以上です」と一方的に話し終え、再び本を開こうとテーブルの上に手を伸ばす。それが届く前に本を勢いよく手の平で押さえると蒼空君は弾かれたように顔を上げて私を見た。


「え、なに? 」


「最近、蒼空君よく話してくれるなって思って」


「そう? 」


「せっかくだしもっと話そうよ。もう数ヶ月で終わるんだよ、共存期間」


昨日、陽君とライブDVDを一緒に見るという話になった時、私は同時に焦りを感じた。


陽君とは生命力を移植してもらった同士として相談や共感のためであったり、なにより好きなバンドが同じという話す理由、会う理由が存在する。


でも蒼空君とは共存という関係が切れたらただの幼馴染で、更に理由がなければ会ってはくれない。興味がなければライブDVDでさえ見に来ようとしないくらいだ。


今、蒼空君と話さないと後悔する。

もっと、もっと話したら今後も会える理由が生まれるかもしれない。


そんな思いが、堂々巡り。

落としどころを見つけたと思ってもまた振り出しに帰ってくる。


「別に共存し終えても会える関係でいようって前に言ったじゃん」


「明日一緒にDVDを見ることさえ乗ってくれない人が簡単に会ってくれるとは思えなくてさ」


「春にお互い自立しようとしてクラスをわざわざ離した花がそれ言う? 」


決して怒った風ではなく少し笑いながら、余裕そうな蒼空君。


私は妙に必死で、春とは逆転したようなポジションがなんとも腑に落ちず自分でもわかるくらいにむくれて言葉を返さずにいると蒼空君は私の頭に手を置き、それを軸にするように立ち上がった。


「休憩したら? なんか甘い物とかないか探してくる」


いつの間にか私を通り越して蒼空君の方が大人になってしまったように感じる。


ドアが閉まり私一人になった静かな部屋でずっと本の上に置きっぱなしにしてしまっていた手をやっと引いて、いつもの定位置でテーブルとベッドの間で膝を抱える体勢を取ってギチギチも挟まりながら感傷に耐えた。


しばらくして再び開かれたドア。顔を上げてそちらを見ると二つのカップと何かが入った袋を持った蒼空君が戻ってきていて、私に向けてカップを一つ差し出す。手渡されたカップを素直に受け取ると滑らかな甘さを含んだ香ばしい香りが鼻孔を擽る。


カップを目の前まで引いて覗くとココアがその甘さを主張するように波打っていた。次いでこちらに投げるように渡された袋の中を覗くとその中には様々な種類のチョコレートがぎっしりと。


「甘い物のダブルパンチだ」


「だって花、甘い物好きじゃん」


そう言いながら先ほどと同じ位置に腰掛けて、テーブルに置かれた自身用のカップの中身は何も入れられていないスタンダードなブラックコーヒー。


蒼空君は私の持っている袋に手を突っ込み、中を見ずにチョコレートを一つ取り出すと包みを開けてそれを口に放り、すぐにコーヒーを啜った。包みを見るに彼が食べたのはホワイトチョコレート。ブラックコーヒーwithホワイトチョコレート。案外相性が良さそう。


カップに口を付けて一口啜ると沸騰する前にケトルを止めたであろう、猫舌の私には丁度いい温度で糖分が私に溶けて安心感として戻ってきた。


「というかさ、明日は行かないって言ってるだけでその他全部行かないって言ってるわけじゃないんだけど」


「でも理由がないと来そうにないから」


「理由がなくても行くよ、大丈夫」


明日は来ないのに?と付け足したくなったけれど拗れそうなので、やめた。それ以上にそんなことどうでもよくなるくらい熱すぎないココアとチョコレートの出現によって満たされていて、更に理由がなくても行くという言葉がより安心感に輪をかけた。


私のちょっとした様子の変化で私に触れてくれたり甘い物を用意してくれた上に、今、未来に対して大丈夫という言葉をもらえるなら、それでいいや。


袋に手を突っ込んで中身を見ずにチョコレートを一つ引き抜く。私が引いたのはスタンダードなミルクチョコレートのよう。包みを開けて口に放り奥歯に力を入れるとアーモンドが隠れていたようで、ぶつかる。全く予想していなかった硬さとの出会いに一瞬驚きはしたけれど奥歯は容赦なくそれを噛み砕いた。


チョコレートは、変わらず甘かった。






今までにないくらい自室のテーブルの上が華やか。陽君が持ってきてくれた焼き菓子のアソートと律子ちゃんチョイスのスナック菓子達。そして私のお母さんが用意した2リットルのペットボトルの緑茶とオレンジジュース。


「花の部屋ってテレビとパソコンがあるのいいよね」


「友達と出掛けるってことがまずないから、部屋で娯楽を楽しめる用だよ」


実際にそう言われて両親から用意されたわけではないけど、真意は痛いほどわかっていた。とは言えテレビや今いじっているDVDプレイヤーも家のお古を譲り受けているものなので私の為にわざわざ買ったものではないとされている。わざわざお古にしたという説も否めないけれど。


「でもなんか予想外だった。花の部屋、もっと女の子女の子してるものだと想像してたから」


「この子、あんまり物に固執しないのよ。誕生日に欲しいものがあるかって聞いてもあまり具体例が上がらなくて。そういう子だから余計なものがない部屋って感じは昔からあるかもね」


欲しいものはきっと色々ある。だけど世間を知らな過ぎてそれに気付くことが出来ていないだけなんだと思う。だから他人から与えられて初めてそれが欲しかったことに気付いて何倍も濃い嬉しいという感情を得られている気がしているからお得な体質だな、とも。テレビしかり、チョコレートしかり。


DVDを再生すると、良く見るバンドのロゴや注意書きのようなものが表示され、映像がライブ開始直前の緩いBGMの中で観客がまだザワザワと思い思いに過ごす様子とステージに切り替わる。その様子が数秒続いた後にいきなり暗転し、悲鳴のように上がる歓声。様々なライブの映像を見てきたけれど実際にライブへ行ったことはないから、この無意識に近い歓声を上げてしまう感覚にいつも憧れる。


いつもの激しいオープニングBGMに変わり、ドラム、ベース、ギター、ギターと一人一人ステージに現れてその都度拍手と歓声が波のように。最後にボーカルが現れて用意されていたスタンドマイクの前に立つと観客もBGMも最高潮。そんな中で大音量のBGMがカットアウトされると間髪入れずに入るシンバルのカウント、続いて演奏が始まった。


一曲目は当時の新曲。息を忘れるくらいかっこいい導入に感嘆の声が漏れる。


「かっこいい」


「これ、生で見たらマジで震えるよ」


見入り浸る陽君と私。その横に今日は付き添いとして呼ばれた律子ちゃんがマドレーヌを千切りながらふんわりと画面を見ている。


「私、花がアイドルとかじゃなくてロックバンドにハマってるのが未だに意外なんだよね」


「俺は初めて話した時から花はロックな子だなって思ってたけどね」


「どんな印象なの、それ」


私を挟んで飛び交う律子ちゃんと陽君の私に関する会話に気付きながらも私の耳と目は完全に画面の向こうに捕らえられて揺るがず、ここに映る観客のように目の前で生まれる音の波に揺られて我を忘れて興じる自分自身を思い描いて投影する。こんな日常に混じる非現実をみんなどういう思いで生きているだろう。


立て続けに数曲、止まることなく演奏が続いてジェットコースターでぶんぶん揺さぶられたような気分でいたけれど数瞬の暗転の後にメンバーがMCを始めたことで少し緊張が緩む。


視線を部屋の掛け時計に移すとちょうど15時。それと同時に誰かの携帯がメッセージを受信した音が響く。この音は私ではない。両隣を見るに律子ちゃんのものでもない様子で、唯一心当たりのある陽君が携帯を手に取って操作をし出した。


その動作を皮切りに部屋全体の空気も緩んで律子ちゃんはグラスに烏龍茶を注ぎ出し、私はさっき律子ちゃんが食べていたマドレーヌが気になって手を伸ばした。種類がいくつかあったのでどれにしようか決めかねていると陽君から今まで聞いたことのないような、肺の奥から発したカエルの鳴き声のような声が聞こえて手が止まった。


「え、どうしたの? 」


「花、めっちゃタイムリーだよ」


そう言って携帯の画面を見せられる。覗き込むとそこにあったのは今目の前で動いているバンドの周年記念ツアー決定の知らせ。


「毎年やってるツアー、決まったんだ。良かったね」


「そう! そうなんだけど! ちゃんと見て! 」


興奮した様子の陽君が珍しくて律子ちゃんが「落ち着きなってー」と吹き出す。


携帯を丸ごと手渡されたので陽君の携帯をゆっくりとスクロールさせながら概要を読んでいく。ツアーの日程と場所が無機質に並ぶ中で、不意に目に入る私も馴染みのある地名。


「地元、入ってるね」


「そう。そして、7月15日」


私が気付いて何かを言う前に陽君から「行こう、花」と続けられる。


今までだって行こうと思えば行けた。でも無理に連れた蒼空君を隣に置いて私だけが熱狂する姿を想像したくなかったし、何より私の好きなものを蒼空君の苦痛にはさせたくなかった。


でももう、そんなことを考えなくてもよくなる日。それが次に来る7月15日。


「行きなよ花。良い記念になるよ」


「陽君は? 陽君も行く? 」


さすがに初めて一人になる日に初めてのライブはあまりに怖すぎる。縋るように陽君を見て聞くと「もちろん行くつもりだよ」と柔らかく笑ってくれた。


「一緒に行こう、花」


蒼空君への外出許可が必要ない約束に少し罪悪感が芽生える。

そしてこの罪悪感を打ち消そうと膨らむのが単純な楽しみという期待。


画面の向こうでは演奏が再開される。私が中でも好きな曲で、これをやっと生で聞くことができるかもしれないと心が躍った。





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