【9年目の秋 Ⅱ】
先週はマフラーを引っ張り出して、今日は去年ぶりのコートに袖を通した。制服の上、コートの下に挟んでいるカーディガンがゴワゴワと摩擦を起こしてより温かみを感じる。
教室の戸を引くと室内に籠っていた熱気が漏れて一瞬たじろいだけれどそのまま真っ直ぐ向いた先で何故か私の席に座っていた律子ちゃんの声が耳に入ってきて我に返った。
「花、今日早くない!?サプライズ仕込んでおこうと思ってたのに最中に来るなよ~ 」
「だって、誕生日ってなんかそわそわしない? 」
私の席が隣の席になるように背もたれを肘置きにして横向きに腰掛けた陽君が「わかる。誕生日おめでとう」と言って綺麗に梱包されリボンが巻かれた長方形を私に差し出す。
その動き触発された律子ちゃんも「ああもう、サプライズにしようとしてたのに! 」と私の机の奥に押し込んでいた円錐型の箱を取り出して私に手渡した。律子ちゃんのものは箱そのものが洒落ていて特別なデコレーションはされていなかったけれど中身が透けて見える。
「すごく綺麗。キャンディー? 」
「チョコレート。スイスのブランドのものなんだよね。包みの色によって味も違うらしいよ」
一つ一つがカラフルに包まれたキャンディーのような丸いそれら。青、オレンジ、ピンク、角度によってキラキラと光りを放つそれぞれ。
「ありがとう。カラフルなものとは縁がなかったから部屋が華やぎそう」
「いやいや、飾らないでちゃんと食べてよ? 」
「丁度良かった。俺のは飾る専用」
「受け取って? 」と笑顔で続けられたのでチョコレートを机の上に置いて陽君のものを受け取る。リボンを解いて丁寧に梱包を剥ぐと現れたのはシックでシンプルなデザインの黒い箱。なんだか律子ちゃんのものとは対照的だなと思いながら箱を開けると、なんとこちらも、カラフル。
「……プレゼントでお花貰うの初めてかも」
陽君からのプレゼントは濃いものから薄いものまで、様々な赤とピンクがカラフルに敷き詰められたフラワーボックスだった。
「だって、花じゃん」
陽君の明朗で太陽のような笑顔にはカラフルが似合う。
そして何より花が似合う。
「二人ともチョイスがカラフルで驚いたよ。ありがとう」
「来年は陽と被らないようにモノトーンでTHE大人なものにするんだ」
「いいじゃんカラフル。私好きだよ」
「じゃあ来年は俺、バラの花束にでもしようかな」
「えー、THE大人被りじゃんそれは」
来年のことを言えば鬼が笑う。そんな諺もあったもんだ。
なんてことはない来年の話なのに、私の来年の話は鬼もきっと笑えないくらい重みが違う。
「で、一つ年を重ねた花はどう? 」
授業と授業の合間。次の授業の教科書やノートを取り出す為に机の中を探っていると後ろから肩を突かれ、振り返ると頬杖をついた陽君がなんとなくニヤケ顔でこちらを見ていた。
「どうって、一日しか経ってないもん、昨日と変わらないよ」
「抱負とかやりたいこととか。一つ年を重ねた花が今一番考えてることは? 」
頬杖をついたまま腰を背もたれに付けるように深く腰掛けて、姿勢を緩く崩したことで必然的に上目になる陽君。あちら側から見たら私は見下しているように映っているのだろうか。
「何考えてるんだろうな~、私」
「俺は共存が解けるまであと一年って時は姉貴のことばっかり考えてたけどね」
「え? 」
「引いた? 」
少し笑みを含めて言う。あざけるわけでも照れるわけでもなく。
笑むことが当たり前だというように。
首を左右に振ってみせると陽君は一呼吸置いて続ける。
「あまりに考えすぎて俺、姉貴のこと好きなんだって思ってた。普通じゃない方の、好き。共存が解けてすぐ、姉貴が急速に離れていったから察してたんだろうな。でも今、色々見えた世界で思うと姉貴への想いはきっと依存で、恋愛感情ではなかった」
また陽君は俯瞰で見たように話す。
教室内の騒がしさには似つかわしくない質量の俯瞰。
「花は? そうじゃない? 」
先程から共通して笑顔が温かいんだな、陽君は。
日向ぼっこに最適。そして、溶かすのが上手い。
「……私も、そうかも」
初めて体外に出した気持ちの肯定に少し唇が震える。
「でもそれが恋愛かどうかはわからなくて、蒼空君との関係がいきなりなくなってしまうのがどうしようもなく嫌というか。共存を終えてもまだ近くにいて欲しい気持ちもあるけど、せっかく10年ぶりに手にする蒼空君の自由を、私が邪魔するわけにはいかないとも思ってる」
間を空けながら、心中をゆっくり整理するように吐露する。その間に陽君は相槌を一切挟まず、それでも話を真剣聞いていることを眼差しで語ってくれていた。
段々と、灰色に幕を下げていたモヤが明確に晴れていく。
これ以上ない現状のモヤを言葉にし終えると陽君は特段珍しいことではないといったような軽い口調で「うん、そうだよね」と眼差しを柔らかなものに変えて私のそんな心中をまるっと受け入れる姿勢を取った。
「まあ、俺が花に答えを出してあげられるわけじゃないし結局わからないまま過ごすしかないんだけどね」
そこまで話して初めて私から目線を逸らした陽君は窓の外に顔を向けた。釣られて私も同じように視線を動かすとつい最近まで色濃い緑でわかりやすく光合成を行っていたであろう桜の葉が赤に変わっていて、何枚も葉を落としている。
光合成ができなくなったこの子は私だって、秋になると毎年思う。
「でもさ、ちょっと楽にならない?自分のことを知ってる人がいると思うと。特に俺は同じ境遇だったから理解も出来るつもりだし、花の考えてることとか思ったこと、もっと言って欲しい」
なんかその言葉、デジャブだな。
そう思って吹き出すと「なんで笑うんだよ~」と蟀谷を小突かれた。
私が揺れると同時に木枯らしに揺れる桜の木から離れた数枚の赤が心地良さげに舞っていた。
今日も今日とていつもと同じ帰路。いつもと同じ時間だった。
校内から自動販売機までは一人分程度の距離を保ったまま同じ目的地までただひたすら歩み、自動販売機を越えてから前を行く蒼空君の速度が徐々に落ちて、私が追い付いた。
「プレゼント、もらったの? 」
登校時には無かった紙袋を指して聞かれたので素直に「うん、そうだよ」と答えると「そっか」と蒼空君お馴染みの素っ気なさで返されてしまったのでこちらが物足りなくなる。
「チョコレートとお花だよ。しかもスイスのブランドのチョコレートと綺麗にアレンジされたフラワーボックス」
「急にお洒落なものもらうようになったね」
「確かに。今までは文房具とか雑貨が多かった気がするもんね。こうやって人は自覚のないまま大人になっていくんですね」
「1歳年を取っただけなのになに悟ったようなこと言ってんの」
そんな普段と変わらない取り留めのない話を何層にも重ねて、家路につく。
同じマンションの隣。自分の家のドアノブに手を掛けて蒼空君に声を掛けようとしたけれど今日はいつも通りではなく、こちらが先に声を掛けられた。
「花、待って」
「え? 」
蒼空君は自分の家のドアを開けると私に「入って」と促す。
「時間、あるよね」
ないわけがないよね、に捉えられるそれ。
私に用事があるときは蒼空君も一緒でなければならないのだからわかりきっていること。
これだけ長い期間密着してきたので別に珍しいことでもないけれど、考えてみればお邪魔するのは数年振り。特に事前に要件を伝えられずに招かれるのは初めてかもしれない。
恐る恐る蒼空君の元へ近付いて大きく開かれたその先、室内を覗くと生活音が聞こえて少し安心する。玄関に踏み出して「お邪魔します」と生活音に向けて声を掛けるとパタパタという足音がこちらに向かい、リビングから顔を出したのは蒼空君のお母さんだった。
「花ちゃん! お久し振りね。元気? 」
蒼空君を束縛してしまっている私を嫌悪していてもおかしくないのにいつも優しく、更には私を気遣ってくれている蒼空君のお母さんは今日も笑顔を私に向けてくれる。
「……取ってきてくれた? 」
「うん、準備して部屋に持っていってあげる」
「いい、自分でやる。花、俺の部屋行ってて」
自分だけが知らないやり取りに動揺して自発的に動けずにいると蒼空君のお母さんに促され、靴を脱ぐと背中を押されながら蒼空君の部屋へと連れられる。蒼空君は一緒には来ない。
「花ちゃん、お誕生日おめでとう」
「すみません、ありがとうございます」
「蒼空から何かをして欲しいって頼まれたこと、ほとんどなかったから嬉しかったの。いつも蒼空をありがとう」
不意に掛けられた言葉に返答を探すのに時間が掛かってしまう。
蒼空君に生かされているのも、どれだけ感謝しても足りないのも私なのに。
そんな何も理解できていない私にニコニコと微笑み「ゆっくりしていって」と言いながら蒼空君のお母さんは部屋のドアを開けて私を入れた。
蒼空君の部屋は以前見た時と変わらず、シンプル。そんな中でも以前見た時より本棚が一つ増えて、その横にも入りきらなかったものが何冊も重ねられている部分に彼らしさを感じて頬が緩む。
ポスターもカレンダーも貼られていない、勉強机に余計なものが積まれることもない、そんな必要最低限で整頓された部屋なのに本棚から溢れたこの子たちが醸す人間味があまりに愛おしい。
ドアが閉められると真ん中に置かれている長方形の黒いテーブルの前にベッドを背もたれにして腰掛ける。小学生の頃は入り浸っていたこの部屋の私の定位置で一息つくとノスタルジアが溢れて噎せ返りそうになった。
顔を上げて、目を閉じ、浸る。しばらくそうしているとドアが開く音が聞こえてそちらに顔を向けるとそこにはこの部屋の主。
蒼空君が小さなホールケーキを持ってそこに立っていた。
1と7の火が点いていないローソクが立てられているそれは生クリームと苺が等間隔に並んで円を作った王道のホールケーキ。そして私がかつてホールケーキを食べたいと言った時に思い描いていたような理想のものだった。
「誕生日おめでとう、花」
照れが垣間見えてしまっているぶっきらぼうさ。その愛くるしさに上がりたがる口角を抑えられないまま「ありがとう」と返すと蒼空君はばつが悪そうな表情でこちらに近付きケーキをテーブルの私の目の前に置くと、その向かいに腰掛けた。
「……じゃあ、食べるか」
「もう? ローソク吹き消させてよ」
「火、点けるもの持ってきてない」
「……じゃあ、食べようか」
蒼空君は一緒に持って来たフォークで躊躇いなく雑にケーキを二等分していく。一刺しした瞬間に「あ、写真! 」と掛けた声に一旦こちらを上目で見たものの手は止めなかった。二つに分かれる1と7。
「はい、切れた」
「お皿は? 」
「持ってきてない。このままでも良いかなって」
目の前にまだ綺麗な方のフォークが差し出され、受け取ると蒼空君はじっと私の動きを待つ。一応主役である私が一口目を口に入れなければいけないのだけどいくら小ぶりだといっても半分でショートケーキ2、3個分くらいの量があって、食べ切ることができるのかと一瞬ひるんでしまった。
「食べられる分だけでいいよ」
「でも」
「大丈夫」
蒼空君は自分のフォークで一口分を切り取って刺すと「とりあえず食べなよ」と持ち手を私に向ける。食べさせられるのかと思って身構えた自分に気恥ずかしさを感じているとそれすらも見抜いて「食べさせられたかった? 」とニヒルに微笑むもんだからもうどうでもよくなってフォークを受け取った。
先に刺さったケーキを口内に運ぶと舌先に触れた生クリームは想像していたより甘さが控えられている上に特有の脂っぽさも強くない。更にスポンジとスポンジの合間に存分に挟まったフルーツたちが口内どころか気分までさっぱりとさせていくらでも口に運べそうだ。
「めっちゃ美味しい」
「よかった」
「蒼空君が選んで予約してくれてたんでしょ?
さっきお母さんに取ってきてくれた?って聞いてたし」
蒼空君は否定も肯定もせずに私の分ではない半分にフォークを刺し込み先ほどより大きな一口を掬って口に運ぶ。
お互いケーキを掬っては口に運びながら他愛のない会話をポツポツと。弾ませるわけではないけれど途切れることなく、常に笑っているわけではないけれどたまに笑い合う、そんな一番いい塩梅がこのケーキに酷似している。
ケーキと共に溶けていく私の誕生日。形にならない愛おしさを酸素と共に体内に取り込んで、時間いっぱい存分に浸った。