【9年目の秋】
風はなく真っ直ぐに落ちる大量の雨粒がコンクリートに打ち付けて弾ける音と下校時の自由な騒がしさの中で靴を履き替えていると下駄箱で遮られた隣の空間から蒼空君の声が聞こえた。
校内では頑なに私と話している姿を見せたがらない蒼空君のこれまでの姿が脳裏を過ってその場に留まる。思えば校内での蒼空君がどんなテンションで交流しているのかをあまり知らない。そんな純粋な好奇心が私に耳をそばだたせた。
「でも俺、今共存中だから無理なんだよね」
「やっぱりそうだよね~。残念」
蒼空君の声に次いで聞こえた女の子の落胆。更に続けて聞こえた「わかった。じゃあ、また明日ね」という声にパタパタと遠ざかっていく足音。
タイミングを逃してしまい自分のクラスの下駄箱のすのこの上から微動だに出来ず空気に徹し続けていると、ザリザリと砂利が混じったタイルを擦るような足音と共に蒼空君がこちらに顔を出し、私と目が合うと特に声を掛けずにそのまま外へと向かい傘を開いた。
周囲にはまだ生徒が多数。以前より会話の量が増えた気でいたけれど、蒼空君は未だに校内では私と話したがらない。
普段であればこの辺りで距離が縮まって会話も生まれ始めるという個人的にポイント地点に制定している自動販売機が見えてくる前に蒼空君は私の隣に並んだ。お互いが傘を差していることからいつもより空いた間隔。ちなみにまだ同じ制服を着た生徒たちの姿が視界にちらほら映るくらいに、ごく数人ではあるけど、いる。
「学祭の打ち上げ」
「うん」
「誘われてさ、さっき」
「そうなんだ。……ごめんね」
「いや、違う、ごめん」
「蒼空君が謝るの、珍しくてなんか笑えるね」
それが何に対してのごめんなのかを尋ねる気にはならない。私に謝らせたことに対するごめんであればそれを聞いたことに対する謝罪がまた私から生まれてしまうし、もし万が一誘われたことに対して謝罪であったらその後の正しい会話の運びがわからなくなってしまう。
「というか蒼空君、打ち上げに誘ってもらえるくらいにはクラスに馴染んでたんだ」
「俺のことなんだと思ってるんだよ」
怠そうに呆れた表情があまりにも蒼空君でホッとする。靴が大量に並んだ下駄箱越しに聞いたあの声色はあまりに聞き慣れない柔らかなものだった。
「蒼空君は、好きな子いないの? 」
「は? 」
「私、将来は蒼空君と恋バナできる仲になりたいなって」
会話が途切れても雨粒が傘やそこらに着地する音が躍って、静寂なんか訪れない。
思いつきでここまで話してしまったけれど実は蒼空君自身は共存が解けたと共に私との縁を切りたいと考えていたのかもしれないと。そしてもしそれをここで切り出されてしまった場合、耐えがたい虚無に飲まれる自分が想像できてしまったので、沈黙を埋めるべく、なんでもいいからと私の口が動く。
「でもさ、今どんなに共存が解けた後の話をしたって実際に解けてみないとわからないこととかあるだろうし、初めて見える特別なものだって驚く程あるって経験者が語ってた」
「……そうだろうね」
「うん」
「でも俺も、来年が過ぎても花が会いたい時に会える関係でいたいとは思うよ」
顔に被った傘を少し上げて「その時は恋バナでもできたらいいね」と付け足したその表情は今まで見たことがない、例えばいつもみたいに手に触れるとかそんな少しの衝撃で弾け飛んでしまいそうな儚さを孕みつつ微笑んでいて。この一瞬の蒼空君はあまりにもガラス細工だった。
こんなに長く密接な付き合いの9年間だったのに、今日は初めて見る表情や声色の蒼空君によく遭遇する日だ。
共存中の今、どんなに未来の話をしたってそれは理想に過ぎなくて。実際に開放された私たちが現在の理想を越える理想を見つけて離れるという選択肢を見つけることもあると思う。
蒼空君のために、共存が解ける前にゆっくり二人の距離を離していって、10年目を迎えたら自由に過ごしてもらうのだと決意したのは今年の春。たった半年前の決意ですら今となっては私利私欲が勝って揺らいでしまっているのだから。
それでも。どんなに愚鈍でもこの上辺だけかもしれないこの約束に今の私は心底救われている。
手を繋ごうにも傘が邪魔で、愛おしさとか嬉しさとかもどかしさとか、全てを込めて傘の柄を強く握った。