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【9年目の夏】

「今回も大きな以上は見られなかったよ。その倒れてしまったという日のこと以外に不安なところはない? 」


「身体的な不安はないというか、慣れました」


「花ちゃんはいつもそう言っている気がするよ」


嗅ぎ慣れたアルコールの匂いと何度も見せられてきた私の体内の画像。

3か月に1度の検診。

そして今日はあの日から丁度9年目に当たる日。


診察を終えて待合室に戻ると長椅子が数列並んでいる中でも一番後ろの端の方に腰掛けて何をするでもなくボーっと一点を見つめている蒼空君の姿が目に入る。特に緊張するでもなく、むしろこちらも慣れた様子。


この病院内での私たちは特別ではない。蒼空君の他にも比較的年齢の若い方たちが静かに相手を待っているし、その全員が小指に赤い指輪を付けている。


「終わったよ。あとは診察券返してもらったら帰れる。……また妄想してるの? 」


「妄想って、人聞き悪いな」


無駄で膨大な時間を嫌でも与えられるのにあれだけ本を読む蒼空君がこの病院では本を開かない。その理由は、ここに通院している其々の関係性や彼らのこれまでとこれからを想像しているから、なのだそう。


「面白いよ、見てるの。凄く仲の悪そうで会話が一切ない二人から共存関係だなんて思えないくらい自然に過ごしているペアもいたりして。仲が悪そうなのもしっかり隣同士密着して座ってるからもはや共存って家族愛に近いものなのかなって思えてきた」


そう話す蒼空君の脳内を覗かせてもらっている最中に私の名前が呼ばれ、二人同時に席を立つ。私たちもここにいる様々な共存関係のうちの一つで、今みたいに立ち上がるタイミングとか速度が似通ってくるくらいには同じ時間を過ごしてきた。






屋外に繋がる自動ドアが開くと私たちを象るように突風が通り過ぎて院内に吸い込まれていく。正午を迎える直前のこの街並みや空気感が、夏の始めに早退をしたあの日を思い出させた。


7月の始めはあれだけ暑くてこれから更に気温が上がっていくであろう今年の夏に耐えられる気がしなかったけれど、今の方が気温も落ち着いていて。先のことを考えて杞憂したとしてもそれがカケラも意味を為さないなんてこと、自分が気付いていないだけで些細なレベルで溢れているのだと思う。


「どうする花、ちゃんと学校行く? 」


「え、蒼空君がそれ言うの? 」


検診のある日は事前に遅刻する旨を申請していて、過去には待機の時間が長く登校することが出来なかったことも何度かあった。それでもそんな言い訳を捏造してサボったことは一度もなかったし冗談でもそんな提案をするのは蒼空君ではなく私のはずだ。


「私はいいよ。共存終了まであと1年記念パーティーとかする? 」


「それって具体的に何するの? 」


「カラオケとかさ」


「花が行きたいなら付いて行くよ」


「本当に? 」


「俺は歌わないけどね」


「えー、じゃあホールケーキ食べる」


「ケーキって消費期限が一日くらいしかないから二人きりで食べきるの大変だろうけど」


「色んな人におすそ分けしよう」


「花と俺の記念のケーキでしょ。こんな重いもの、誰にも介入させられないよ」


そんな逃避を重ねて。学校には行かずに何をするかという話をしながら一度も向かう先を変えずに淡々と進む。普段であれば同じ制服を着た子たちを含めとにかく人が多い大通り。それがこの時間帯になると半分以下の人通りになる上に制服なんて一人も居らず、何より蒼空君と隣り合って他愛のない会話を学校に着くギリギリまで繰り広げられていられる。


少し饒舌になった蒼空君と過ごす暑さより温かさが勝った心地良い真昼間。


学校の敷地に入って自然と開いていく歩幅と距離も私たちにだけ存在するアイデンティティーなのだと思う。






教室の引き戸を音が立ちすぎないように慎重を心がけて引くとそれでも静寂には響いたようで教室内の視線が一斉にこちらに向かう。丁度4限目の最中で教卓に立っていた日本史の伊藤先生が私の顔を見て全てを理解した表情で眼鏡を人差し指で上げながら「おはよう」と一言だけ放つとそのまま声量を上げて何事もなかったように授業は再開された。


「検診? 」


「そう。そして今日が丁度9年目の記念日」


授業を終えてすぐに後ろの席から声が掛かる。きっと私が検診帰りだなんてこと陽君以外もわかっているけれどそれを気軽に口にして確認できるのは私と同じ立場に立ったことのある陽君と私との付き合いが長いからこそ聞くことが出来る間柄になった律子ちゃんくらいだ。


「付き合って9年目みたいなテンションで言うんだね」


「え? 」


「好きとか付き合うとか、共存してたらそういうこと考えないか」


「私は花と蒼空はカップルみたいなもんだと思ってるけどね~ 」


お弁当を持って空いた私の隣の席に腰掛けた律子ちゃんが紙パックのミルクティーの口を開けてストローを刺しながら自然に会話に混ざった。


「ぶっちゃけさ、花は蒼空に惹かれたりしないの? 」


惹かれるってなんだろう。愛おしさは要所要所で溢れる程感じてはいるけれど、それは得も言われぬもので。何故月は美しく見えるのかの答えを問われた時のような感覚になってしまって言葉に詰まってしまう。


「まあ、共存中は否が応でも一緒にいなければいけないからね。自分が抱いていた本当の気持ちがわかるのは共存が解けてからだよ……って経験則。視野が広がってから初めて見える特別なものだって驚く程あるからね」


陽君はそこまで話した辺りでいつもお昼の時間を共に過ごしている友達たちに呼ばれて席を立った。


共存が解けたと同時にお姉さんとの関係が冷たいものに変わってしまったという話は以前聞いていたので察するものはある。そして私はそうはならないようにしたいと今どれだけ思っていてもきっと10年目を迎えた瞬間に失って、取り返しのつかないものだけが残るのだろうということも理解だけはできている。つもり。


「花はさ、共存が解けたら真っ先に何をしたい? 」


2段になったお弁当箱を崩しながらそう言った律子ちゃんの口調は極めて柔らかい。


唐突な質問に初めは戸惑ってごもごもと口ごもってしまったけれど、今、しっかり9年目の今を生きる私が考えるのは、


「蒼空君と解放記念日としてホールケーキを食べながらお祝いするかな。二人の記念日だから、二人で」





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