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【8年目の春 Ⅲ】

「水島さんって移植してから今で何年目なの?」


授業と授業の合間で机の中から次の授業に使う教科書類を探していると、急に真後ろの席の男子から声を掛けられる。


正直とても驚いた。


移植の話はセンシティブなものというか、暗黙のルールで触れない方がいいものとして扱われている節があるから。まあ、こんなに堂々と指輪を見せていて気にならない方がおかしいし、私自身は触れられたくない訳でもないので気を悪くしてはいないのだけど。


「あ、ごめん。実は俺も」


そういって見せられた左手の小指には指輪こそ着けられていなかったものの付け根にわかりやすいへこみがあり10年間指輪を付け続けていた過去があるということが簡単に理解できた。


「13歳の時に外れたんだけどやっぱり成長期に10年着け続けるとこれだけ痕になるんだよね~」


後ろの席の男子、村上 よう君は軽い世間話のようなテンションで明るく話す。意外にこの手の話題は関係のない人達が勝手に騒いでいて当事者の方が気にしていないもので、なんてことなく扱ってくれるのが心地良かった。


「私は8歳の7月15日に移植を受けたから今年の7月で9年になるね」


「提供者は? 坂本蒼空? 」


やっぱり誰が移植を受けていて誰が提供したのかって噂にはなるものなんだな、と思いながら「そうだよ」と返し、机の上に乗せられた陽君の左手の小指をさりげなくもう一度視界に入れる。


私にもこの指輪が外されても何年も残るような痕ができているのだろうか。その視線に気づいた陽君は軽く笑って小指の付け根の痕が見えやすいように手の平を広げて見せてくれた。


「陽君は、もう苦しくなることはないの? 」


「うん。というか移植からしっかり10年目って日からいきなり空気が軽くて美味しくなるよ。」


「走ったりしても平気? 」


「全然問題ない。俺、今サッカー部なくらいだし」


「誰から提供してもらったの? 」


衝動的に、マシンガンのように。今まで同じ経験をし終えた人に聞きたかったことを一気に放ってしまっていたことに気付いて焦って「ごめん」と謝り口をつぐむ。今日初めて深く話している人な上に話題もディープで人によっては踏み込まれたくないもの。二人で話しているといっても周りは人だらけで誰が聞き耳を立てているかわからない。


そんなことを脳内で悶々と考えていると全て表情に出ていたようで、陽君は声を上げて笑った。


「なんでも聞いてくれていいよ。気になること沢山あるよね」


右手で頬杖を付きながら「俺も当時は誰かとこういう話を共感し合いたいなって思ってたからわかるよ」と重みを全く感じない同調をしてくれた陽君はそこから続けて自身の経験を丁寧に話してくれた。






「俺に生命力を分けてくれたのは一つ上の姉貴だよ。3歳の頃に病気で死にかけちゃって。だから俺、小6の時とか自分の学校には行かずに姉貴の中学の保健室にずっといたからね」


「姉貴とは今はもう全然話さなくなったな。多分貴重な時間を奪われたって意識が強くて憎しみも若干あるんだと思う」


「共存中は割と仲良かったはずだったんだけどな。自由を知ったら犠牲になった年月の大きさに気付いたんだろうね」


「毎日のように遅くまで友達と遊び歩いてちょっとグレたというか。羽目を外しまくっている感じはする。でもまあ、俺はもちろん家族の誰も咎められないんだけどね」


陽君は御伽噺を話すように、どこかで聞いた話を伝えるように私の質問に答えてくれた。


自分以外の一人の人生を10年に渡ってわかりやすく振り回してしまう。そしてその犠牲をこちら側が語る資格なんてない気がして俯瞰で見たような話し方になってしまう気持ち。


物凄くわかる。


それでも陽君のお姉さんが今は一人で自分の意思を生きていることに安心感を覚えて「まあ、それくらいは仕方ないよね」と答えると陽君は少し驚いた表情をしながら私を見た。


「なんか新鮮な反応だ、それ」


「新鮮? 」


「この話をすると大体の人たちからは同情されるというか。大変だったねって飲み込んだ反応をされることが多かったから」


確かに。大変だねという同情は沢山されてきたけれど仕方ないよねという共感は私自身も今までにされたことがなかった気がする。


始業のチャイムが鳴り先生が教室に入ってきたことにより私たちはどちらともなく会話を終わらせ授業を受ける体制を整える。


同じく移植を受けたことがある人には定期的に通うことになっている病院でしか会ったことがなかったので、自分の日常に移植経験者が溶け込んだことで久し振りに生命力というものを実感した。






下校の準備を終えてしばらく自分の席で携帯をいじりながら蒼空君を待っていると「迎え待ち? 」と上から声が降ってきて、顔を上げると机の前に運動部らしい恰好をした陽君が立っていた。


「そうだよ。隣のクラス、今日はちょっと終わるの遅いね」


先日、映画の上映時間が迫っていたことから私が隣のクラスまで迎えに行ったのだけど、校内ではあまり私と話している姿を見られたくない様子の蒼空君から放課後は自分のクラスで待っていろと釘を刺されたので。それ以来こちらが早く教室を出られる状態になってもこうして大人しく待っている。


「陽君はこれから部活だよね? 着替えるの早いね」


「先生が話してる最中からじわじわ準備してるからね」


半分開けられた私の席の真横の窓からトランペットによって奏でられたスケールが聞こえ、廊下をジャージの生徒たちがざわざわと。放課になった途端に誰しもが駆ける部活という存在の魅力を四方八方から語られている感覚になる。私も憧れたことはあるけれど憧れ以上に諦めが大きく、抗おうとも思わなかった。


「俺、けっこう前から水島さんと話したいって思ってたんだよね」


基本的に目を見て話してくれている陽君の視線が一瞬外れる。


「噂には聞いてたから去年から存在は知っててさ。ほら、例えばバッグに自分の好きなアニメのキャラクターのキーホルダーを付けてる人がいたらなんか話し掛けたくなるじゃん?そんな感じで」


そう一気にまくしたてながら窓に背中をもたれて。言い終えたあたりでまた視線が帰ってきた。


「全然擦れてなくて予想外だった」


それは担当のお医者さんにも言われたことがある。

今まで受け持ったどの患者よりも普通だと。


移植を受けた側も提供した側も普通の生活と自らを比較してしまうことで嫉妬や悲観によって人生を達観しきったような性格になる人が多いそう。皮肉なことに普通への憧れが強ければ強いほど普通に生活をすることができないことへのジレンマに陥り、憧れの普通からはかけ離れた性格を築きあげてしまうんだとか。


それを聞いて私はより普通でいる努力をすることにした。


客観的に見て自分の言動は私が憧れる普通とかけ離れていないかを確認するという作業を怠らない。


嫉妬も悲観もしない。私は普通ではないのだからせめて周囲が安心して関わることのできる人間であろうと思っている。


「……擦れないようにがんばるね」


今度は私が目線を逸らして携帯に落とす。連絡は未だ来ず。


「いや、擦れてなくて良いってことではなくて! 」


焦ったように声量を上げてその勢いで窓にもたれていた身体を起こして自立させた陽君に驚いて顔を見上げると先ほどまで面白いくらいに交わっていた視線はかすりもせず、忙しなく宙を左右に舞っていた。


「どうしたの? 」


「なんか、今もだけど、共存を終えた直後とかしんどくなること多いから、 」


「おい、花! 」


ゆっくり選んで紡ぐ陽君の言葉を待っていると急に名前が呼ばれて。

声のする方に顔を向けると蒼空君がいつの間にか教室の入り口に立っていた。

こんなに張った声を聞いたのは彼の声が低くなってからは初めてのような気がする。


衝撃で動けずにいると先ほどより遥かに落とされたトーンで怠そうに「帰るよ」といつものように声を掛けられて、急いで鞄を掴んで立ち上がる。


陽君に「じゃあね」と伝えて蒼空君に向かって数歩進んだところで、


「じゃあね、花」


と教室に広がるような声が聞こえる。

振り返ると柔らかな笑顔を浮かべた陽君がひらひらと手を振っていた。






「誰、あれ」


まだ校内にいるのに蒼空君から話し掛けてくるなんて珍しいなと思いながら下駄箱に上履きをしまって、少し踏んでしまっているローファーのかかとを直す。


「陽君。移植経験者で13歳までイグジストリングつけてた人だよ」


「元々知り合いだった? 」


「全然。でもほら、経験者が同じクラスにいてよかったよ。何かあった時にどうすればいいかわかるからサポートしてくれそうでちょっと安心した」


「そんな杞憂するくらいなら俺とクラス離さなきゃよかったじゃん」


怒りとも哀しみともつかない感情で軽く瞳が揺れている。それが妙に美しく人間らしくて、何も言えずに見入っていると蒼空君は呆れたように目を逸らして歩みを進めた。


いつも覇気のない目をしながら淡々と生きている蒼空君が感情を乱すのはいつだって私のことで。


どうしよう。

この愛おしさから離れる覚悟が、私にはまだない。


このままではいけない、共存が解ける前に蒼空君にとっての何かを見つけなくてはとかなんだかんだ言い訳をしてきたけれど、私自身は蒼空君から離れる覚悟は出来ているの?


「なんで花より俺の方が焦らなきゃいけないの?俺がいないと生きていけないのは花のはずなのに」


「そんなこと言わないでよ」


「考えてることもっと言って欲しいって言ったのは花だよ」


どこか冷めたような、それでいて初めて見るような攻撃的で生き生きとした嘲笑を含んだ表情が、夏が近づくに連れて青みを増してきた木々に映えて蒼空君の生命力の強さを感じる。


「花はまだ俺がいないと生きていけないって自覚して。お願いだから」


懇願というよりは諭すように、目を合わせながら言う。


彼が放つのは熱量の大きい青色の炎だった。




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