【1年目の夏 Ⅱ】
それから急激に私たちの距離が開いた。
理系クラスの有志が行っている早朝学習に参加するために今までより早く学校に向かうことにしたり、予備校に通うことにしたりと、主に蒼空君に私と接する時間が無くなった。
夏休みに入ると更に病的になり、起きている時間は全て当てている勢いでまるで勉強することに取り憑かれているよう。期末試験でさえ三年で理転したとは思えないほど上位だったのに。
「勉強するために食事はもちろん睡眠時間すら削っているっぽいんだよね」
「もちろんって言わないでよ食事しないのは怖いって」
陽君と共通して気になっていた映画を見た後、立ち寄ったカフェで注文したものが運ばれるのを待っている間に蒼空君の話題になって、お母さんから聞いたことを話すと陽君はわかりやすく眉をひそめて見せた。
「でも、それだけ坂本蒼空は花のことを大切にしてたんだろうね」
「私? 」
「うん。花との繋がりが無くなってしまった虚無感を持て余した結果だと思うよ」
去年の春に懸念していた事態だ。あの時の意志を貫いてゆっくりと距離を離していたらこうはなっていなかったのだろうか。私が蒼空君への愛しさから離れることを恐れてしまったからこうなったのか。
胸中をぽつりぽつり溢すと陽君は「何があっても花のせいなんかじゃないよ」と今度は眉を下げながら私を受け入れた。
それでも私を否定したくて「でも」と続けたタイミングで運ばれてくる食事。目の前にコトンと置かれ反動で揺れたふわふわなパンケーキに否定が感嘆の声に変わって漏れ出ると陽君がふんわりとした笑顔を見せる。
「パンケーキはここのが世界で一番美味しいと思っててさ。花が共存を終えたお祝いに連れてこようってずっと考えてたんだよね」
食べて食べてと促されフォークを刺すと一切の抵抗も無くすんなりとお皿を目がけて落ちていく程の柔らかさで、スプーンを使った方が食べやすそうなくらい。上手く掬って口に運ぶと舌の上でしゅわしゅわと溶けた。しかもしっかりとバターが香って、付け合わせの生クリームやお好みでどうぞとテーブルに置かれたメープルシロップがなくてもこれだけで何度でも口に運びたくなるような逸品。
わかりやすい反応を見せてしまったのか陽君は「でしょ! 」と満開に咲かせたような笑顔でキラキラと私を照らした。
夕方と夜の間の時間に自宅に戻ってから今まで、私は部屋着に着替えることもせずにずっと玄関で過ごしている。
蒼空君とはここ最近面と向かって話していないどころかメッセージを送っても満足な反応を得られないので、マンションに帰ってきてから強行突破してみようと真っ直ぐ蒼空君の家に向かったのだけどチャイムを押して出てきたお母さんから夏休み中は朝から晩まで毎日予備校に通っていて想像以上の夜遅くに帰ってくることもあると教えられたからである。
参考書を読んだり携帯をいじったりして無駄な時間を過ごしていると日付が変わる直前にやっとそれらしい物音が聞こえ、急いでドアを開けた。
「蒼空君! 」
「……びっくりした」
「ごめんね、おかえり」
自分の家のドアノブに手を掛けて驚いて固まったままでいる蒼空君は、気のせいかもしれないけれど少し頬がこけたように見える。
「帰り、こんなに遅いんだね」
「必死だからね」
いつも飄々として余力があるように振る舞っていた蒼空君が自分が必死であることを認めるなんて。その衝撃で言葉を続けられないでいると「何か用事でもあった? 」と蒼空君の方から声を掛けられる。
「今日行ったカフェのパンケーキが凄く美味しかったから」
「うん」
「共存が解けた記念に蒼空君と一緒に行きたいなって思ったけど夏休み中は忙しそうだから、せめて私の誕生日に行けたらなって。少し先にはなるけど。一日くらい、もらえないかな。」
最後まで聞いてくれた蒼空君は軽く笑顔を見せる。でもそれが今までたまに見せてくれていた安心するようなものではなく、やつれた顔で疲れが混じったものだったから心は欠片も温かくはならない。
「今日の服、可愛いよ。凄く似合ってる」
返答とは思えないその言葉を残して、蒼空君はドアノブを捻り止める間もなくスッとドアの先へ消えて行ってしまった。
少しでも顔を見られるだけで、会話ができるだけで満たされると思っていたのに、可愛いって言ってもらえたのに、似合ってるって言ってもらえたのに。目標を達した今の方が以前より擦り減っているのを感じる。
私は蒼空君に依存していた。