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【9年目の冬 Ⅲ】


帰りの短いホームルーム。


明日の入試でこの教室も使うことになるから普段は置いている荷物も持ち帰るように伝えられ、軽いブーイングが起きている様子を窓の外を眺めながら聞いた。


「……あと、水島はこのあとちょっと話があるから残るように」


不意に呼ばれた自分の苗字に目の前が弾ける。


視線を窓の外から教卓に立つ先生に移すとしっかりと目が合い、残される理由がカケラも見つからず動揺と共になんとか出した「はい」という返事は掠れたか細いものになった。


その他の伝達事項の共有が終わり解散の礼をすると真っ先に教室を出た生徒によって開けられた戸の先に私を待つ蒼空君の姿が見えた。


残された旨を伝えるべく鞄を机の上に置いたままコートも着ずに蒼空君の元へ向かう。校内では私とあまり話したがらない蒼空君もいつもと違う様子に私が話し出すのをきょとんとした顔で待っている。


「ごめん、先生が私と話があるみたいでちょっと残るようにって」


「……何したの? 」


「何もしてないとは思うんだけど……」


蒼空君と話していると後ろからやってきた先生が「水島、ちょっと場所変えよう」と声を掛けてくる。まだちらほらと生徒が残る教室内ではできない話なのか。心当たりがまるでない分、不安が手足を冷えさせる。


「あっちの空き教室を借りようと思うんだが、坂本は待っていてもらえるか? 」


動揺している私とは裏腹に毅然とした様子で「はい」と答える蒼空君。空き教室に向かって進みだす先生に続かなければと思いつつも動けずにいると「ほら、行きな」と背中を押される。すると触れられた背中からどんどん解凍されたように血が巡り、やっと足が動いた。


そのまま先生の後に続き空き教室に入る前に振り返ると蒼空君は同じ場所から動かずに私を見ていて、片手を腰の位置でひらひらと振って見せた。


進路相談やお説教などに使われるこの空き教室。ほとんどの机と椅子が後ろに下げられている中で6つだけ班のように組まれた机が中央に用意されていて、先に教室に入った先生が何も言わずにその真ん中の椅子を引いて腰掛けたので私もその向かいの椅子を引いた。


あまりにガチガチな私を見て笑いながら「別に説教とかで呼んだわけじゃないからそんなに身構えないでくれよ」と言われたけれど、そもそもこうやって呼び出されるというイレギュラーな状況自体に身構えているのだから警戒心は拭えない。


先生はスーツの上着を軽く正してから私と目を合わせるとここへ呼び出した本題を話し出した。


「……来年度のクラス分けの話なんだ」


ああ、そんな時期か。


「坂本とは、どうする? 」


1年の時は同じクラスでと頼み、2年は離してほしいと頼む。完全に私の我儘なのに共存の事情なのであれば仕方ないと簡単に受け入れられてきた。


蒼空君とある程度の距離があっても同じ校内であれば呼吸には何の影響もないことがわかった2年。でもわざわざクラスを離してほしいと言う程に離れたいという気持ちもない。


「……どちらでもいいです。もう普通の生徒と同じようにクラスを組んでいただいて構いません」


「そうか。……聞いているとは思うんだが坂本には理転を薦めていてな。3年からの理転は結構厳しいんだが坂本の頭ならいけるだろうし。次の夏で共存も解けるのであれば、進学の選択肢を増やす意味でもな。クラスが別れても問題ないのであれば強めに打診できる」


聞いているとは思う。

その前提で話されたその事実を今知った私。


どんなリアクションが知っていた人のリアクションに該当するものなのかわからず苦笑するしかなく「そこは、本人の意思次第ですね」とボロの出ない最低限のコメントを返すことしかできなかった。


本当はもっと前から、蒼空君は理系であった方が良いと思われていただろう。最近はあまり感じていなかった蒼空君の未来を潰している感覚が久々に胸の深いところで蠢く。


「そしてな、先生たちの間では夏に水島が倒れた時に助けになったからという理由で村上とは同じクラスにしたいという案が出ているんだけど、それは問題ないか? 」


次いで先生から出された、例年にはなかった提案。

それにはまるで反射のように「はい」と答えていた自分に驚愕し、絶望した。


蒼空君が離れてしまった時に上手く呼吸ができなくなった自分を理解して助けてあげられるのが自分だけになってしまう状況を想像よりも先に怖がってしまった。


こんなの、陽君が生け贄みたいじゃないか。


「でもそれも、本人の意思次第で、お願いします」


偽善の詰まった取って付けたような台詞を、先生は「わかった」と笑顔で受け取った。


「それだけだ。時間取らせたな」


そう言って立ち上がる先生。答えは出ていたようなものだったから話し合いというよりは一問一答で、案外短く終えた気がする。


空き教室を出ると最後に見たときと変わらない位置にしゃがんで読んでいた本から顔を上げた蒼空君と目が合った。


「寒くない? 教室で待っててもよかったのに」


「ここにいた方が終わった時にすぐわかるから」


近寄りながら思わず話し掛けると、校内では珍しいくらいの言葉数で返してくれた。そしてその流れで私の後ろに向かって軽く一礼をすると私の真後ろから「さようなら」と先生の声が聞こえ、私も振り返って挨拶を返すと先生は片手を上げてそのまま職員室方面へ向かって階段を下りて行った。


教室内の自分の席に置きっぱなしにしていた鞄やコートを取りに行くと其々の机の横に掛けられていたりした荷物もしっかり無くなっていて、案外みんな真面目なんだなと思わせられる。


入試にクラス替え。そして夏には共存が解ける。

年が巡るのはあまりに早い。


「呼び出し、なんだった? 」


品行方正とまでは言わないけれど大きく何かをしでかすこともない。

そんな私の呼び出しだ、家族以上に近い蒼空君が気になるのも仕方ない。

ただ校内で聞いてくるのは意外だった。


「気になる? 」


「……いや? 」


「思い当たる節でもあった? 」


蒼空君は「ないよ」と言ってマフラーに鼻から下を埋めると速度を上げて普段通りの距離を作りながら先を行った。


立ち止まっている私とはどんどん開いていく間隔。

私はこのまま置いて行かれてしまうのだろうか。


「蒼空君、理転しないの? 」


声を張って誰もいなくなった廊下に轟かすと蒼空君は立ち止まり、驚き引き攣った表情で振り返った。


「やっぱりそれか」


「思い当たる節、あるじゃん」


隣に駆け寄るとどこか気まずそうな顔をした蒼空君に思わず笑ってしまう。


「別に悪いことでもなんでもない、というか寧ろ凄いことなのになんで言わなかったの? 」


黙ったまま歩き出した蒼空君と隣り合ったまま階段を下りる。

自分に非があると思っているのか、二人の速度は私の速度だ。


途中でジャージを着た隣のクラスの女の子が2人。蒼空君のクラスの子たちの姿が見えた。


階段を下る私たちと上ってくるその子たち。


まずい、距離を空けなければと私は立ち止まったが時は既に遅く、私と蒼空君が隣に立つ姿が目に入ったであろう瞬間に「蒼空君、バイバイ」と声が上がった。


対して蒼空君は一言「うん」と言って会釈を返すのみ。それでもにこやかに通り過ぎていく彼女たちを見てこの一年間、私の見えないところで蒼空君の魅力が開花していたんだと気付いた。


「蒼空君は、理転できるよ」


こんな風に誰とすれ違うかわからない校内。

蒼空君からの返答はない。


「夏を過ぎたらもう自分を一番に考えていいんだから」


それを利用して、こちらは話す。


「寧ろ、今までごめんね」


「……それは、違う」


「え? 」


「謝られるのは、違う」


そのまま会話を続けようと空気を吸って口を開こうとする前に「後でにしよう」と静止させられ、吸い込んだ空気を肺に溜める。空気を無駄だと思ったのは初めてだった。






それから蒼空君が再び口を開いたのは案の定あの自動販売機の越えてすぐのこと。


「この共存中、もし花がしんどいばかりの日々だったとしても俺は違うから。謝られるとそれを否定された気になるから、もう謝らないでほしい」


「でも私と共存していなければすんなり理系に進んでいただろうし、他の子たちとももっと仲良くなって、恋人だっていたはず」


「自分が生きなかった世界なんてどうでもいいよ」


マフラーに埋めていた顔を上げて私の言葉を遮って吐き捨てるように言った言葉が白い吐息に変わる。


「俺が花のことを好きだと思って過ごしてきたこの期間を受け入れなくてもいいから否定はしないでほしい」


蒼空君は語気を強めてそこまで言うとそこからは返答を必要としないというような態度でこちらを向くこともなく行く先だけを見つめて淡々と歩みを進める。


目の前で水風船が割れたような、聞き流すには大きすぎた衝撃。


でもそれに対しての明確な答えを今は持てず、愛おしさは確かに存在するけれどこの気持ちが共存による錯覚であることも否めない、そんなちょうど境界線の真ん中に立つ曖昧な私が返すことのできる言葉を見出すこともできなくて。


そのまま私たちは隣り合ったまま言葉を発することなく、家路に着いた。


自分の家のドアノブを握って「また、明日ね」と久し振りに出した声に対して蒼空君は「うん」と頷き、私がドアを開けて家に入りまたドアが閉まるまでを見届けてくれる。


あまりに普段通りな今日の終わり。

頭の中で言葉どころか形にもならない感情が浮遊するこの状態だけの私だけが異常だった。




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