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【8年目の春】

教室の全開にされた窓から急に風が強く舞い込んできて、飛びそうになったプリントを急いで押さえつける。今年度も私は例年通り窓際の席スタート。桜の花びらが舞う大分心地良い風が、教室内の密度によって生み出された独特な重みのある暑さを緩和させるように私の身体を象って駆け抜けていった。


窓の外を見降ろして、きっとこれから一緒に街へ出掛けるんだろうなという集団を眺めていると若干の呼吸のしやすさを感じてきたので私も帰宅への身支度を始める。


「花!迎えが来てるよ~」


バッグに荷物を詰めていた手を止めて声のする方へ顔を向けると一番前の廊下側の席から律子ちゃんが手を振っていて、こちらの教室には入ることができない隣のクラスの蒼空そら君が引き戸付近で腕を組みながら怠そうにこちらを見ていたので急いで机の中の教科書類をバッグに詰め込み二人の元へと向かった。


「律子ちゃん、改めて一年間よろしくね。そしてやっぱり席はその位置なんだ」


「相澤あるあるだよね。今年こそは三人で一緒に放課後デートしようね~」


許可を取るように顔を見上げて反応を見ると蒼空君は一層面倒そうに顔をしかめて「気が向いたら」と答えてくれた。この面倒そうな表情を見てもポジティブに捉えられるのは私たち幼馴染の特権だと思う。


「蒼空も花とクラス離れちゃって気が気じゃないでしょ。何かあったらすぐ連絡してあげるからね」


律子ちゃんの言葉に蒼空君は一度だけ頷くと「帰るよ」と私の袖を引っ張った。






蒼空君はあまり校内で私と話したがらない。


いつも決まった友達と下校をしている律子ちゃんと別れて二人で下駄箱に向かっている最中もお互いに無言のまま少し距離を空けて、ただひたすらに、黙々と歩みを進める。つい今までの癖で一年の頃の下駄箱へ向かいかけた時も何も言わずに私のカーディガンを引っ張って引き止め、器用に軌道修正をしてくれた。


校舎を出ると先ほど花びらを舞わせた桜の木がそびえ立つ。風が強めに吹く度に桃色を降らせながら私に年月のサイクルを具現的に知らしめた。


「ねえ」


ある程度学校から距離ができた辺りで蒼空君が空気と共に吐き出すように呟く。


「なんで違うクラスなの? 」


蒼空君の歩くスピードが少し遅くなり私の方が一歩分前を歩いていたことに気付いて振り返ると普段は常に気怠げで覇気の薄い瞳に今は鋭い光が宿って見える。私が何も相談せずに勝手に動いたことへの怒りが瞳に出てるんだろうな。もうずっと一緒にいるから、わかる。


「同じ校内であれば全然問題ないから。2年からはクラス離してくださいってお願いしたの」


「なんで? リスク犯してまで離す必要あった? 」


「10年まであと1年ちょっとだし。ここまで来ると前より蒼空君が遠くにいてもそんなに苦しくならないんだよね。そろそろ蒼空君も少しでも私と離れたいでしょ? 」


「なんで勝手にそういうこと決めるんだよ。

もしなにかあった時にすぐに駆けつけられなかったらどうするの」


そう呟きながら考え込んで完全に足を止めてしまった蒼空君の右手を握ると私の左手の小指に着けられている真っ赤な指輪と同じものの感触を感じる。お互いの体温を共有したところで少し強張っていた蒼空君の手から安心したように力が抜けたので私が彼によって生かされている証を手の平ごと包み込み、再び同じ速度で歩き出した。





当時8歳のとある夏の日。私は10年後の今日までは蒼空君と一緒にいないと死んでしまうということを聞かされた。


正確には蒼空君と距離が離れれば離れるほど息を吸うことが困難になるそう。


あの日海で事故にあってしまった私には大きな手術を耐えきるだけの生命力が足りず、私の両親は死を待つか生命力を移植するかという選択を迫られた。


生命力の鮮度を踏まえてドナーになることができるのは提供時の年齢が25歳までの者と定められていることから両親は生命力を提供することができず諦め始めていた時に、私の母の幼馴染であった蒼空君のお母さんが蒼空君をドナーとして差し出したのだそう。


【生命力の移植を受けた者は提供者から離れると徐々に息を吸うことができなくなる】


【その作用は10年間続くが、移植を受けた日から10年丁度で無くなる】


【周囲がその関係性を確認できるように、移植を受けたものは左手の小指に、与えた者は右手の小指にイグジストリングと呼ばれる赤い指輪を10年間装着し続けること】


目が覚めて落ち着いてきた頃にお医者さんから受けたその説明も8歳だった私たちにはきっと半分も理解できていなくて、病室でもずっとそばにいることを課せられて退屈そうにしていた蒼空君がトイレに行くと嘘をついて軽率に病院を出ただけでどれだけ吸い込んでも口からも鼻からも酸素が入って来なくなってしまって看護師さんが急いで蒼空君を連れて病室に駆け込んできたりもした。


あの時の蒼空君の動揺し切った青白い顔は今でも忘れない。


その事件があってから私たち家族と蒼空君の家族は同じマンションの隣の部屋を借りて過ごすことになり、軽い気持ちと行動で私を殺しかけたことがトラウマになっているのだろう。必要以上に蒼空君は私の近くにいてくれるようになった。


約束された10年が近づくに連れて距離が離れたことによる息苦しさも徐々に緩和されてきていて、きっと別々のクラスになって例えば移動教室なんかでお互いがある程度離れてしまったとしても耐えられるくらいにはなったと思う。具体的にどれだけ離れたら致命的に息ができなくなるかを測ったことはないから確実なことは何も言えないけれど。






「でもさすがに登下校はまだ怖いから、申し訳ないけどまだ一緒にお願いしたいな」


少し重たくなってしまった空気を茶化して飛ばすように努めて明るく話し掛けると「わかってる」と蒼空君特有の気怠さと共に返ってきた。爛々としていた瞳も落ち着きを取り戻した様子で安心する。


「蒼空君もこれを機に友達作るんだよ? 」


「いるよ、それくらい」


「班を作れって言われて組むだけの人たちは友達って言わないよ」


「……」


「ごめんごめん。でもほら蒼空君ダウナー系イケメン枠だから一人でも絵になるかもね」


「なんのフォローにもなってないよ、それ」


同じマンションに帰ってきていつものように隣り合って家の鍵を開ける。「じゃあ、また明日」という言葉に蒼空君はいつものように一度だけ頷いて私が室内に入るまで動かずに見届けてくれた。


ドアが完全に閉まった音が確認できると胸の詰まりがため息として流れ出る。

外の喧騒が遮断された静かな空間で無駄に大きく音になった気がした。


蒼空君は私を生かすという責任に依存している。


あまりに大きすぎる気持ちを10年近く抱えて生きてしまったせいで今となっては任務遂行だけを掲げて自らの感情を極力殺した兵士のようになってしまった。


私から距離を離すことができないので放課後や休日に友人と出かけることもできず、私を生かすこと以外には何の興味もないといったような表情ばかり。


お互い思春期の10年を密着して過ごしてきたことで麻痺している部分があって、普通ではない10年の代償として知ることができなかった所謂普通の日常も沢山ある。


でもその歪な10年間が私たちの普通だった。


蒼空君をこのまま、私のためだけに生きているような様子でいきなり普通の日常に戻すわけにはいかない。


自分自身で無意識に後回しにしてしまっているであろう蒼空君のアイデンティティー。私との共存が解けた時に彼の生き甲斐になるものを残りの期間で確立させなければ。


あと一年と少しという時間をかけて、蒼空君の自由に生きられる人生の形を作っていこう。


あと一年と少しという時間をかけて、自然に、ゆっくりと二人の距離を離していこう。


そんな決意を胸に大きく深呼吸をすると肺に酸素が勢いよく流れ込んだ。



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