創作とは乾いた雑巾を絞るが如し!?
筆者は丁度なろう3年目に突入した若輩である。
しかし、『創作とは?』と聞かれて思いつくことは、乾いたぞうきんを絞るが如しということである。
最初はアイディアに困ることはないが、2作目くらいから、設定や主人公のキャラの作り直しなど、辛いことが増えていく……。
なろうの主人公の性格とは、大体の作品において作者そのものだと思っている。
ある程度はあっているのではないか?
一人称で書かれる場合、その要素はさらに強くなると感じる。
……当然、一作目と二作目の主人公の性格がやや似て来る。
あるいはそっくりになりそうで、書いていて焦る (・ω・`;)
こういう体験をすると、長いものを完結させずにメチャ長く書く利点が少しわかる。
同じキャラや同じ設定で、長く書けるのだ。
読者からは完結は望まれることが多いが、作者からすれば次回作を考えると、キャラや設定の分は、多大な労力がかかる。
脇役キャラも含めて、キャラ造りの労力が半端ない (;'∀')
モデルになりそうな知人も、無限にいるわけではない。
歴史ものなど、実際にいた人間の話を描く場合、そういう労苦は少ないが、想像上の人物だと、やっぱり似て来る……(´・ω・`)
設定も似てくるし、困ることは沢山だ ><。
拙作も似たようなキャラが沢山出て来るが、一応は微妙に設定をかえているつもりだ。
ある種必死の作業だ (;^_^A
……まぁ、そんな愚痴はさておき、なんにしろ創作とは苦行だと思う。
アイディアのある最初の内だけが天国で、そこから先は苦行街道まっしぐらだと思っている。
苦行も時折、楽しいこともあるが、ほぼほぼ乾いた雑巾を絞るような感覚でアイディアをひねり出す。
ずっとアイディアが出続ける人もいるだろうけど、私はそういう人ではない。
先日、本を読まない友人に、『お話を描いている』といってみたら、『よくネタが思いつくな!』と言われた。
……やっぱりソコだよね (ノ∀`)ww
でも、何の世界でもそうだと思う。
ほとんどのプロ野球選手が毎日練習が好きって訳じゃないだろうし、どっちかというと、試合で打てないような辛い出来事のほうが多いだろう。
ただ単に『楽しい』ことと、『好きなことをする』は違うと思う。
楽しいは『楽』と書くが、好きなことに『楽』という文字はない。
屁理屈を言ってみたが、楽しいことも、ある程度上手になるには苦しい練習が必要なのだろう。
ただ走るということと、レースにでて勝つということは違うのだ。
なろうでポイントを気にするということは、ある種レースに参加しているようなものだ。
他人より劣れば、ポイントに差がつくかもしれない。
……人間が純粋に趣味を楽しむということは、えてして難しいものだ。
楽しむだけの趣味で始めたつもりが、結局はレースや試合に出てしまう。
出るからには、自然と苦しい練習を……、となる。
……まぁ、『好きなことをする』というのは、得てして乾いたぞうきんを絞るような苦しい世界を言うのかもしれない……(´・ω・`)