Prologue
彼女には時折, ふと頭の中によみがえる光景がある。
場所は町の図書館。日曜日の午後。館内の静かなざわめき。貸出しと返却でごった返すカウンター。南側の窓から射し込む日光とそれを遮るためのグレーのカーテン。書架に並ぶ蔵書はひと昔, ふた昔前のデザインの装丁のものはもちろん, 新しく入ったはずのものもどこか建物同様に古ぼけているように見え, 実際, めくるページは何とはなく湿気っているのであった。
その中に幼い彼女が繰り返し眺めており, しかし借りずにいる絵本があった。
赤をメインとしたデザインの表表紙には, 月夜の城を背景に1人の男性が描かれている。彼の瞳は水晶の中に赤瑪瑙を埋め込んだようで, 口は妖しげな笑いを浮かべながら大きく開かれ, その口元には長く伸びた犬歯が見えた。東洋人離れした鼻は高く, まるで鷲のような様をしていた。
男は人々が寝静まる夜, 人間の生き血を糧にしながら生きる, 人の様をしながら人ならざる者--「吸血鬼ドラキュラ」と書かれた題名こそ絵本の主人公の素性であり名前である。
物語の舞台は峻厳な山奥にそびえる古城と歴史名高い海外の大都市。闇と血がそれらを彩り, コウモリやネズミたちが跳躍する。繰り広げられる謎と恐怖と神秘に満ちた非日常に, 彼女は胸の奥で高鳴りを覚えた。
とりわけドラキュラ伯爵が女性のもとを訪れる時, それは一層高まった。彼は昼間ではなく真夜中に, 人の形ではなくコウモリに姿を変え, 玄関を通らず直接寝室に忍び込む。ヒロインたちはみなこの来訪を待ち焦がれ, 彼が姿を現すと話もそこそこに抱擁を交わし, 唇ではなく首筋に口づけを受ける。
彼女も父から抱きしめられたりキスをされたりすることはあるが, 伯爵の女性との接し方はそれとは違うと幼心に感じていた。来訪した伯爵の様子を描いた文章。白のネグリジェを身にまとい, 静かに目を閉じ, 首筋から血を流しながら抱擁されている女性の挿し絵。それらが胸の奥で起こす名状し難い感情とえもいわれぬ高揚感。一方で, もし誰かにこの本読んでいる姿や気持ちを知られてしまったら…という緊張感。その狭間でしばしそのページを眺め, 最後まで読み進めるとそっと本棚に戻すのだった。
その行為は図書館を訪れる度に確認するかの如く繰り返された。忘れかけていたにもかかわらず, 呼ばれたかの如く思い出す時もあった。そしてその度に同じ心持ちになった。こんなことはやめよう--そう心に決め図書館に足を運んだ時もある。だが, 何か忘れ物をしたような気がしてやはりそちらに足が向かってしまう。
しかしこれらのことを他の人に明かすことはしなかった。それどころかこの本を借りることも, 吸血鬼の話すら自ら進んで口にすることも敢えてしなかった。「もし誰かにこの本読んでいる姿や気持ちを知られてしまったら…」。この思いが押し留めていた。
皆さまはじめまして, Catherine.O.Alexandriaです。
名前は横文字ですが日本人です。
私自身吸血鬼モノが好きで, これまで吸血鬼好きの仲間と交流したり情報収集したりしてきたのですが, とうとうこの度, 自分で文章を書くことに手を出しました。
思いつきで書き始めたのでこれから先はまったく未知数です。気長に見守っていただければ幸いです。