死にたがりは痛みを知る
文を書くのって難しい
門のすぐ手前に馬車を止めた一行は、門番による入都に関する処理を行っていた。
通常ならすぐ終わるはずの審査だったのだが、住所不定(未定)、身元不明、おまけにアルツヘイムにも戸籍に似た制度があるようで、当然ハルはそれも無い。
結果、既に20分ほどが経過してしまっていた。
ハルが詰所に付いた窓から中を覗くと、中ではサウルがハルに関するものも入っているのか、10枚はあるだろう書類に記入を行っており、羽根ペンを操っていた。
しばらくかかると考えたハルは幌馬車に戻り、暇潰しと言わんばかりに箱に入って2,3段に積まれた銃を物色し始める。
箱を開けると、一見して火縄銃を思わせる細い銃身が一丁と、逆に現代にある弾のような形状をした弾丸が数発同梱されていた。
(弾の入れる場所はなんとなくわかったけど中身が入ってないのかって位に軽い。このサイズならもっと重くてもおかしくないのに……)
ハルは片手でも平気で持てることに違和感を持ちながら、次に同じ箱に入っていた5個の銃弾に目を向ける。
先端がかなりとがった形をしたそれを手に取ったハルは、弾丸を持った右手に違和感を覚えた。
先の銃の重さのような物理的なものではなく、体の中の流れが狂ったような、前世では絶対に感じることの無い違和感であった。
が、ハルはその違和感が不思議と邪魔にならなかった。
違和感を放置していると、弾の頭の尖っている部分が膨らみ始め、その内側から赤みを帯びた光を漏らし始める。
まずい、とハルが弾をに手放してももう遅い。
ー大量の魔力の渦が、小爆発と甲高い破裂音を伴って弾の外へと解き放たれる。
目に飛び込んできた閃光に思わず目を背けたハルは何があったのかをぼんやりと察し馬車の床を見ると、そこには弾頭の部分が破裂した弾丸の残骸と、ボロボロになった銃の箱が散乱していた。
「ハル殿!如何なされた!」
詰所にいても爆発音が聞こえたらしくサウルが何事かと馬車へ駆けてくる。
しかし、サウルの目に映ったのは何事も無かったかのようにその場に座り込んだ青年と、その後ろに積まれた箱だけだった。
「爆発が起こったような音がしたのですが……」
「さっきのは音だけの爆発だ。気にするな。この通り僕は傷一つ付いてないし、箱も無事だ。にしても案外早く終わったな。もう少しかかるかと思ってたぞ」
「話のわかる方で助かりました。おかげで城の方とも連絡を取れましたし、取引も無事に果たせそうです。……って、それとは別にハル殿、先程の音は一体何があったのか教えてくれませんか」
「……わかった。城に着いたらそれも話すからその目をやめてくれ」
まあ無理か、と小さく零してあっさりと諦める。
それを聞いたサウルは、何度吐いたかわからない溜息を吐きながら書簡をポンとハルに手渡す。
「グランヘイムでの仮身分証です。お、お願いですから、城内や王の謁見中にトラブルを起こさないようにしてくださいよ?」
最悪の事態を考えてしまったのかサウルは少し震えながら事故の再発防止を求める。
コクコクと頷き返したハルを見た後、御者台に着いていった。
(さすがにそこまで迷惑かける気は無いけど……謁見するまではな)
ハルの出現により確実に苦労人になったサウルを心の中で労っていると門から歯車が稼働する音が響き始め、門がゆっくりと開く。
「では、参りましょう」
手綱を軽く握ったサウルが、止まっていた馬車を発車させる。
それに続いて他の四人も馬を進め、グランヘイムへの門をくぐっていく。
「今の門から奥に見える城までを繋ぐ道やその周辺は凱旋の讃道」と呼ばれていて、グランヘイムの中で最も栄えていると言われている街です。謁見が終わったら、是非行ってみてください」
(この国の首都……人が多いのと建物が多いのは東京と大して変わらないけど……)
技術レベルでは地球の方が大幅に進んでいるものの、賑やかさでは全く引けは取らないレベルであり国の隆盛を表しているようだった。
「そんな大通りの中央を速度を上げながら通っているのにあまり変な目線無いっていうのもなんか変な話だな。その方がありがたいんだけど」
「他国の使節や大規模な行商人のキャラバンはたまに来ますからね。おそらく慣れでしょう」
「慣れで済むようなものなのか……」
グランヘイム民の図太さにやや呆れながら流れていく外の景色を見続けるハルに、サウルは少し誇らしげだった。
見る限り笑顔が絶えない人々に、夜でも輝く街。
前の世界では中々見れない光景に、少しハルは胸が熱くなる。
ー胸の芯が、熱くなる。
「……っ!?」
突然に訪れる、ハルにとってこの世界で初めての痛み。
視界は端から血のように赤黒く変貌していき、記憶の断片が容赦なくハルを貫き、脳髄を掻き乱す。
断片から流れ込んでくるのは、在ったはずの記録。笑いあう二人だけの、幸せな記憶。
夕焼けを背に微笑み合う誰かの顔。
その記憶が脳裏に映っていくと共に春は頭の中で蛆虫と蜂の群れが這いずり、暴れ回るような不快感と激しい苦痛に苛まれる。
「…っ……!!っく…あ…!!」
断片は思わず頭を抱えたハルを貫き、その記憶を流し込み終えるとヒビが入り始め遂には粉々に砕かれていく。
「や……め…ぇ…ろっ!」
「ハル殿、先程から唸り声など上げてどうされた。どこかで一旦停車いたそうか?」
完全に眼中から消えていたサウルからの一声でいつの間にか閉じてしまっていた瞼を開くと、色彩が血に塗れた最悪の視界は既に消え、先程までの笑う都民達と前で馬車を操っているサウルが映った。
痛みも霧散し、体も普通に動く。だが、数秒前の地獄が夢ではなかったと言わんばかりに未だ荒いままの肩を上下させている。
「なんでもない。早い所、城に向かおう」
無理矢理息を整えて意思を伝えたハルは、城に着くまで思考と考察を巡らせるのだった。
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時を同じくしてアルツヘイム内、ネランドの森。
そこは、現国王アレスト・ネルグレスが王になる以前から持っていた私有地であった。
アルツヘイムの北方に位置したそこはかなり深い森ということもありネルグレス家が生息している動植物の把握はしていたものの、好んで人が近づくことはなかった。
そんなネランドの森では夜で明かりもない中、獣同士の一方的な縄張り争いが行われていた。
薄灰色の狼が数体と、赤い毛並みと亀の甲羅のような見た目のとてつもない硬度の外殻を持った3m程の大熊だった。
既にその赤い毛並みに黒ずんだ血がところどころ付いている大熊に対して全くの無傷の狼たちは、完全に受けに回り、標的の動きの隙をついてはあちこちに噛み跡や爪痕を付け、確実に体力を減らしていく。
大熊を囲うように動いている4体の狼は、大熊が一体に攻撃した瞬間他の三体がとんでもない速度で同時に襲うという数の暴力を交えて大熊を圧倒しており、その結果として、今までに陥ったことの無い生命の危機に大熊は理性を失った。
「ーーーーッ!!」
クマはいよいよその状況に耐えかねて特段大きな咆哮を上げ、怒りのままに4体の内の一体に向け、全力で突進。
間合いに入った所で狼を掴み、地面に叩きつけながら引きずり回す。
これが、短い争いの中での大熊の最後の反撃だった。
引きずり回している最中、大熊はその赤い毛に包まれた手のひらから質量が消えたのを感じ取る。
突進を止め、そのひらを見るとそこには仄かな燐光が漂っているだけで狼など形も残っていなかった。
それに気づいた大熊の背後。登っていた月のような星を背に、1匹の狼が月の光が反射したのか、青白く輝く剣の柄を咥えて飛びかかる。
大熊は残った力を全て込めてその鋭い爪を振りかざし、迎撃する。
ーその数秒後、狼の遠吠えが森に響いた。