テニスの上手さと強さ
初めての作品なので拙い文章ではありますが、ぜひご拝読ください。
評価をつけていただければ嬉しいです。
つけてくださった方、ありがとうございます。
「何年振りだっけ。懐かしいな」
記憶の中と相違ない校舎を見上げると学生だった頃の思い出が浮かんでくる。
福田幸人がこの柳葉高校を卒業したのは十年も前のことだ。恩師にテニス部のコーチをしてほしいと頼まれるまでは母校の門をくぐることはもう二度とないと思っていた。
(不良とかいたらどうしよう)
不安からかその足取りは重い。
早朝の澄んだ空気の中当時と変わらない外観を眺めながらあたりをうろつき、ふと思う。
(いま見つかったら不審者だな)
用があるのは職員室だ。でも行く前に事務室に一声かけた方がいいのだろうか。いや、そもそも土曜日も事務員さんいるのかな。
そんなことを考えながら歩いているとテニスコートが目に入る。一人の男の子がサーブの練習をしているようだ。練習開始時間まで二時間以上あったはず。随分練習熱心な子のようだ。
「上手いな」
思わず呟いてしまうほどいいサーブだった。スピードはそう速くないが、しっかりと回転の掛かったサーブはサービスボックスのコーナーに吸い込まれる。何よりも惹きつけられたのはそのフォームだ。無駄な力の入ってない流れるようなそれは、彼自身も目指す理想的なフォームだった。
思ったよりも面白そうだ。引き受けてよかったかもしれない。そう考えながら職員室へ向かう足取りは軽いものになっていた。
「今日からだったな。新コーチが来るのって」
一つ上の先輩たちがそう話しているのを聞いたとき、柏木孝は肩のストレッチをしていた。
諸事情により知り合いのいない高校へと進学してはや一年。ここでならきっと勝てる。その考えが打ち砕かれるのに一か月もかからなかった。
テクニックなら誰にも負けていない。打てないショットは無いし、ミスもほとんどしない。それが練習ならば。
そんなことを考えていると、周りが静まり返っていることに気が付いた。顧問の大隅先生が来たようだ。
「おはようございます」
整列した部員たちが大きな声であいさつをする。練習前のいつもの光景だ。
しかし今日はいつもと違う。大隅の横に男が立っている。背の高い男だった。
細身ながら筋肉の付いている体をしている。あれが例のコーチだろうか。
「はいおはよう。今日から卒業生の福田君にも練習に参加してもらいます。彼はあと一歩で全国大会に出場というところまでいった実力者です。いろいろ教えてもらって吸収しましょう」
「先生話盛りすぎ。実際は中国大会で3回戦負けなのでそんなに大したことないですよ」
「さて、練習を始めてください」
大隈が笑いながら促す。都合の悪い話はスルー、昔と変わらないようだ。
そのやり取りに部員たちは思わず笑い、和やかな雰囲気で練習は始まった。
練習の後、福田と大隅は居酒屋に来ていた。
「福田君。うちの部はどうだった?」
大隅がビールを飲みながら言った。
「一人、すごく上手い子がいますね。どのショットもレベルが高いし、フォームの完成度なんて群を抜いてる。彼はなぜレギュラー陣のコートで練習していないんですか?」
「ああ、柏木君か。彼は、ねえ。」
大隅が憂いを帯びた表情で答える。
「彼は試合になるとまるで別人なんだよ。練習では上手い。それこそ全国を狙えるぐらい上手い。でもね、試合になるとまるで別人のようになってしまうんだ」
「まさか。そんなにひどいんですか?」
「彼が入部してきて初めて練習を見たときは衝撃を受けた。こんなに上手い選手がいるのか、とね」
でもね、と大隅は続ける。
「初の公式戦の時には違った意味で衝撃を受けた。別人のように縮こまったフォーム。当然サーブも全く入らなくなるから試合にならない。試合前の練習ではシード選手と同等にラリーができていたのに」
「それでもレギュラー陣と練習させた方がレギュラー陣や、柏木君自身のためにもいいんじゃないですか?」
福田は控えめに問う。練習中だけでもあれだけ上手いのだ。少しでもレベルの近い者同士で練習するほうが部全体のレベルアップにつながるのではないかと思う。残酷な話ではあるが練習相手という点において彼以上に適任者はいないだろう。
「学生相手にそんなかわいそうなことはしたくない。校内戦の順位で練習コートを決めるのが通例だし、大っぴらに特例を認めると柏木君自身のためにもならないよ。部内で孤立しかねない」
そう言う大隅の表情は暗い。学生の部活動だ。ちょっとしたことでいじめにも繋がってしまうことがあるのだろう。そんなことでいじめに発展するのかというようなニュースを結構目にする。そのあたりのことは福田よりも教師である大隅のほうがよくわかっていそうだ。
「君ならなんとかできるのではないか、そう思って君を呼んだ」
大隅はそう切り出す。
「私の知る中、高校三年間でもっとも成長した選手が君だ。勝てない苦しさ、勝つ喜び。そして勝ち方。君ならよくわかっていると思う。彼が立ち直れるように協力してくれないだろうか」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。そういうのは専門家に相談すべきでしょう。俺は医者じゃない。治療なんてできませんよ。テニスの指導だって素人なのに」
俺はただのサラリーマンであって医者じゃない。
「治療なんてしなくていいんだ。手を貸してあげてほしい。あれだけ練習熱心な子が報われないなんて間違ってる」
そう言われてしまうと何も言い返せない。頑張っている子が報われてほしいとは思う。そうもいかないのが現実ではあるのだが。
「わかりました。俺にできる範囲でなんとかしてみますよ。期待はしないでくださいよ」
「よしきた。ありがとう。お礼といってはなんだが今日は私のおごりだ。好きなだけ飲め。いやいや、よかったよかった」
次の日の朝、練習前のコートに来てみるとすでに彼はサーブの練習をしていた。
同じリズムで上がるトス。膝が曲がって下半身に力がたまる。伸びる膝から伝わる力で肩が動き出す。肩、肘、手首、ラケット。鞭のようにしなった体から繰り出されるサーブは相変わらず美しい。
ずっと眺めていたいが、そうもいかない。レシーブをやらせてもらおう。
「おはよう、柏木君。せっかくだからレシーブをやらせてもらってもいいかな」
「あ。おはようございます。はい、いいですよ。よろしくおねがいします」
レシーバーとしてコートに立つと彼の集中力がさらに増したように見える。
長身から繰り出されるサーブは今まで見た彼のサーブの中でもっとも速いものだった。速いサーブも持っているのか。驚くと同時に喜びも湧き出てくる。こんないい選手滅多に見られない。
何球か受けてから、実戦形式をすることになった。サーブ権も入れ替え練習試合をやってみる。こういう勝負では縮こまることはないようだ。
(やっぱりプレッシャーのかからない場面ならいいパフォーマンスができるみたいだ)
そう考えながらプレーしているといつの間にかお互い本気のプレーをしていた。
「キリがいいから休憩にしよう。おごるから自販機に飲み物買いに行こうか」と提案すると「はい。ありがとうございます」と柏木が答えた。
「柏木はテニス歴何年ぐらいなの?」
「えーと中二からだから、三年ですかね。中学じゃソフトテニス部しかなかったのでそれ、やってました。まあほとんど幽霊部員みたいな感じでしたけど。独学で硬式やってました」
「テニス部がない中学、結構多いもんな。幽霊部員だったのは正解かも。フォームがソフトテニスっぽくない」
テニスとソフトテニスは似ているが全くの別競技だ。プレー中や応援のマナーなどテニス経験者からすれば理解できないところが多い。打ち方も違うのでテニスを始めるのにソフトテニスの経験はない方がいい、とさえ言われている。もっとテニス部が増えてくれれば強い選手が世界へと飛び立つ機会が増えるだろうに、と福田は思う。
ふと、柏木の表情が暗いことに気が付いた。
「俺、練習じゃ上手く打てるんです。なのに試合になると全然だめで」
「思い当たる原因とかはあるのか?」
思い切って聞いてみると柏木はうなずき、答えた。
「最初は結構勝ててたんですけど、途中から全然勝てなくなって。ペアに嫌味とか言われちゃうし。負け癖みたいなのがついちゃったんだと思います」
「そうか。そりゃ悔しかっただろうな。一度苦手意識ができちゃうと自分より下手な相手にも勝てなくなったりするよな」
子供は残酷だ。福田が中学生ぐらいだった頃も運動部でレギュラーのやつ以外は人権がない、というような雰囲気だったのだ。自分より下手なやつには平気で嫌がらせをするやつも多いことは想像するに難くない。ソフトテニス漬けで変な癖がつかなかったという点ではよかった。一度癖づいたフォームは矯正が難しい。その代償として負け癖がついてしまったというのが難点だが。
「手っ取り早く勝てるようになる方法、知りたいか?」
福田は問う。その方法を自分は知っている。
「そんなのがあるんですか!?」
「あるよ。楽しくない、つまらないプレーを強いることになるけど覚悟はある?」
「それで勝てるのなら」
少しも悩まずに柏木はそう答えた。
勝利に飢えている。いいことだ。勝利を目指さない選手なんて何の魅力もない、と福田は思う。
「今のプレーは一旦全部捨てろ。サーブは下からでいいから緩く確実に入れる。ストロークは緩い山なりのスピンかスライスでコートの真ん中に返し続けること。チャンスボールでもだ。それだけで勝てる」
上手くて強い選手に勝つには自分から速いボールを打っていく技術が必要だ。だが地区レベルではそんな選手よりも圧倒的に多いのが、ネットやアウトで自滅する選手だ。強く打ったりしたいのを我慢してリスクを徹底的に避ければ相手からミスをしてくれる。
「お前に今必要なのは目先の勝利だ。勝ちにこだわれ」
「それで本当に勝てるんですか?」
小さな声で柏木がつぶやいた。
「勝てるさ。ミスが少ない方が勝つのがテニスってスポーツだからな。テニスに限った話じゃないけど上手いと強いは違うんだ」
柏木は上手い。すべてのショットをそつなくこなすうえにその精度も高い。それなのに試合においてはその技術が発揮されなくなるのだ。
原因はきっと過去のチームメイトに刷り込まれた苦手意識。これを払拭するには勝つこと。勝って塗り替えるしかない。
「泥臭くてもいい。どんなに汚いフォームでもいい。相手のコートの真ん中に返球し続けろ。それだけで勝てる。実際俺はそれで中国大会まで行ったんだ」
俺も最初は勝てなかった。ある程度の技術があるのだったら、気持ちよく打ち込むことを捨てれば地区レベルで負けることはほとんどない。問題は若い子が我慢できるかどうか。
「わかりました。やってみます。どんな形でも俺は勝ちにこだわりたい」
いい顔になった。整った顔なんだからキリっとしている方が絵になる。
「おう。がんばろうな。勝ち方なんてどうでもいいんだ。勝って壮行式とかで名前呼ばれりゃテニス上手いからって女の子からモテるぞ。どんなスタイルのプレーかなんて実際に見に来たやつにしかわからんからな」
冗談めかして会話は終わったが、モテるのは本当である。顔がよくてスポーツもできれば当然だ。
一週間後、柳葉高校テニス部は市民戦の会場に来ていた。各々ウォーミングアップをしている中、柏木は一際緊張した面持ちで走っていた。
(勝つ。去年は一勝もできなかったけど、今年は絶対に勝つ)
誰かに声を掛けられた。
「気負いすぎだ。そんな怖い顔してても対戦相手からは見えないんだから意味ないぞ」
福田コーチだ。いつも通り落ち着いた声でしゃべりかけてきてくれたおかげで、自分がどんな表情をしているのか気が付いた。
「対戦相手威嚇するために怖い顔なんてしませんよ。ってかそんなに怖い顔してます?」
「もっとふにゃっとした顔しとけってことだ。試合になれば誰でも緊張してきつい顔になるんだからさ。ずっと張りつめてても疲れるだけだからせめて笑っとけ」
そういうものなのだろうか。とりあえず頑張って口角を上げて笑ってみるとコーチが引いたように苦笑いをしていた。
笑えって言ったのコーチなのに、納得いかない。
「お前のエントリーした級には強い選手いないぞ。しっかりラリーしてこい」
コーチはそう言うが、自分の場合相手の強い弱いはあまり関係ないのだ。
それでもこの一週間で教え込まれたひたすら真ん中に返すことだけを考えてプレーする。今までと比べてかなり気が楽だ。
(今まではコース狙わないと。とか考えてたもんな)
若番だとボールを受け取りにいかなくてはならないが、今回はそうじゃないので直接コートに行っていいはず。そろそろ試合が始まりそうなのでコートへと向かおう。
「柏木!頑張れよ!今日こそ初勝利!」
チームメイトの声が聞こえる。大丈夫だ。思ったよりは緊張していない。
しばらく試合のない部員たちと柏木の応援に来た。試合が始まる。柏木のサーブからだ。
柏木はアンダーサーブを打つ。緩く回転の掛ったボールはネットに引っかかる。フォルトだ。二球目をなんとか入れると相手がレシーブでミスをしてくれた。まずは柏木のポイントだ。
「アンダーサーブって結構返しにくいよな。ほとんどのやつが上から打つし」
「下から打つのってダサくない?それならダブってでも上から打ちたいよ」
部員たちが観戦しながら会話をしている。
「チャンスボールってつい強打してしまうけど、チャンスボールをきちんと強打するのは意外と難しいからな。あとダブるのは最悪だぞ」
コートを眺めながら軽く解説を入れる。
技術的に未熟な選手でも速い球を速く、遅い球を遅く返すのは結構できる。遅い球を速い球で返球するのは意外と難しい。ベースラインからなら多少の誤差があっても入るだろうが、ネットに近い場所だとアウトやネットをしてしまうのも珍しくない。だからこそ。
「地区ぐらいのレベルで勝ちにこだわるなら強打はいらない。軽く返しているだけで相手から勝手にミスしてくれる」
そんな会話をしているうちに柏木がゲームをとったようだ。
いい感じだ。まだ硬さは残っているが、危なげなくポイントをとれている。
「コーチの言う通り緩く返すだけでも勝てそうだけどなんかそれってつまらなくないですか?」
もっともな意見だ。俺もそう思う。俺が学生の頃も強打で決めてこそかっこいい、強い。そんな風潮があった。
「確かに強打でエース決めて気持ち良く勝てるならその方が楽しいよ。俺もそう思う。でもそうやって勝てるのは本当に上手いやつだけだ。テニスのポイントなんてほとんどがどっちかがミスをすることで入る。結局すべてのボールをコート内に返球し続けられた方が勝つスポーツなんだよ、テニスって」
練習も反復で楽しくなかったりするし、意外と地味なスポーツだ。
「確かにプロ同士の試合でもエースってそこまで多くないですよね」
「でもやっぱ打っちゃうよね、チャンスくると」
「それな。やっぱここだ!って決めた方が気持ちもあがるっていうか」
「それでいいんだよ。やってて楽しいってのが第一だ。所詮、なんて言い方すれば聞こえは悪いけど今やってることなんてたかが学生の部活だ。テニスで一生食っていこう!なんてやついないだろ?そこそこ勝って楽しい思い出になれば学生の部活としては上出来だよ」
福田は続ける。
「柏木は勝ちたいって言ったんだ。負け続けるのは苦しかったと思う。勝利がすべてじゃないけどやっぱり勝たなきゃ面白くないさ。あいつが自由にプレーできるように今は目先の勝利にこだわってもらう」
あいつには可能性がある。あれだけ上手いのだ。体格も申し分ない。当時の俺が持ってなかったプロになれる可能性を感じるのだ。もし、イップスから脱却して本来のプレーが試合でだせるようになったら。
(俺がその姿を見たいっていうのもあるんだけどね)
「あとな、泥臭い試合しててもテニス部以外の学生からしたらテニス部の○○君強いねってなるからモテるぞ」
「まじで!?」
そうこうしているうちに試合が終わったようだ。ボールを持った柏木がこちらへ駆け寄ってくる。
「おつかれ!おめでとう!」
歓喜に沸く部員たち。チームメイトの勝利を自分のことのように喜んでくれる仲間。
こういうのが学生の部活の醍醐味だと思う。
その後、相手コートの真ん中に返球し続けた柏木は最低ランクの試合ではあるが優勝した。観客や対戦相手からはなんであんな地味なプレーのやつが、などと言われてはいたが結果こそすべて。相手に返球し続けられた柏木こそ強かったのだ。
初勝利だけではなく初優勝を掴み取った柏木は非常に嬉しそうだった。この結果で自信をつけてくれればなと思う。
(しかし初勝利の大会で優勝までするとは思わなかったなぁ)
こちらの予想以上に彼は大物のようだ。