02「新しい少女勇者の一歩目」
王宮戦技大会の翌日。
セントアリアス王宮のすぐ近くにある、王宮騎士団用の騎士団兵舎。
王宮の造りとは趣が違い、クリーム色をした石造りの角ばった堅牢な建物は、王宮の威厳を間接的に保つために十分な威容がある。
そんな兵舎の中の一室、兵舎らしく簡素な内装の室内で、セントアリアスの新しき勇者、カレン・ルステールは服を着替えていた。
今日の午前にあったイベントのために着ていた赤い騎士用礼服を脱ぎ、ベッドの上にぽんと放り投げる。女性的な膨らみで身体のラインを描く上下の白い下着と、程よく筋肉の付き、少し日に色づいた健康的な肌が露になる。
下ろしていた赤みを帯びた髪を後ろで簡単に結わえ、今度は何とも地味な灰色のズボンと紺色の上着を着て、ベルトを締め、フード付きのマントを羽織る。そして最後に、国王から贈られた銀のサークレットを頭につける。内側に勇者の証として国の紋章と文言が刻まれているので、それを見せれば勇者としての身分証になるが、外から見れば普通の頭飾りだ。
着替え終わり、自分の成りを見回す。
先程まで宮廷騎士らしい成りだったのが、あっという間に放浪する旅人の装いになった。
「旅人の服って、動きやすくていいものね。まったく、任命式は肩が凝っちゃった」
午前中、彼女は宮殿の王の間にて、勇者としての任命式を受けていた。
既に昨日の戦技大会で優勝したカレンは勇者であることは決まっていたが、どうやら偉い人達にとって儀式というものは大切なものらしい。
アドルバルド王は一目で相当な業物だとわかる長剣の腹をカレンの肩に添え、勇者任命の言葉を告げた。カレンもそれを拝受し、晴れてセントアリアスに新しい三代目勇者が生まれたのだ。
「勇者」、それは、この世界「エント・ラグラント」のラーバルシア大陸内の複数大国がそれぞれ選んだ戦士に付けた称号だ。
その「勇者」の使命、それは、「魔神教団」及び「魔神」の討伐である。
幾年か前、ラーバルシア大陸から遥か海を南に進んだ先の島で、エント・ラグラントにて強大な勢力を誇る宗教団である「魔神教団」が、宗教国家「アヴェルサ」の建国を宣言した。元より存在していた一つの島国そのものが全て魔神教国に様変わりしたのだ。
その国に土着していた「魔族」と呼ばれる種族は、「魔物」を使役して編成した軍隊をラーバルシアの南海岸沿いの小国に差し向け、瞬く間に占領。その軍事力をちらつかせ、他の種族国へ対し教国への隷属を要求した。
対応を迫られたラーバルシア大陸の各種族は、初めて各種族の首長が一堂に会する種族首長会議を開くことになる。
エルフ族、ドワーフ族、獣人族それぞれの国から一名ずつ。そして、大陸内に三つの大国を持つ人族から三名。全六か国、六名の首長達による一晩を明かす議論により、一時的な軍事共闘が図られ、魔神教団軍を一旦は退けた。
しかし、その後世界は混迷する。
先代より交代したばかりの若き大精霊「ザティア」の魔神教団による封印。
大陸の摂理は狂い始め、大陸の各地にも魔物が出現し、そして教団による魔神復活の儀式の噂まで流れる。
その危機感は、二度目の種族首長会議の開催を導く。
再び会した首長達は、二晩に渡る会議の後、複数の取り決めをする。
そのうちの一つが、こんなものだった。
一つ、希望をする国は、自国から「極めて優れた武人」、すなわち「勇者」を選出し、敵軍側面から魔神教団の教皇、並びに召喚が想定される「魔神」を討伐させる。討伐に成功した「勇者」を選出した国には、六種国の供出した資産、並びに今後の種族首長会議での「単独否決権」が与えられる。
この取り決めこそ、カレン・ルステールが勇者に選ばれた根拠だ。
(ま、難しいことはわからないけどねー。でも、いつか父さんみたいな、立派な勇者になりたい)
カレンの父、アラン・ルステールは、六種国の中の一国、セントアリアスが選出した最初の勇者だった。
文武両道、そして人格にも優れた人物だった。カレンも、幼い時からそんな父に憧れ、そして勇者に選ばれた父を、誰よりも誇りに思った。
「ぐすっ」
ふと、目尻に熱いものが浮かぶ。
大好きだった、父は、もういない。そう思うと、涙が出てきた。
セントアリアス初代勇者のアラン・ルステールは、魔神教団の本拠地に乗り込み、そこで命を落とした。
話によると、一時的にでも魔神の召喚が阻止されたのは父の奮闘によるものとされている。父はやはり、凄い人だった。
ぐしぐしと涙を拭うと、机の上に置いていた、赤塗りに銀細工を施した鞘に納められた長剣を手に取る。そして、一気に抜き放った。
冴えた音を部屋中に響かせてその剣身を現した銀色の剣は、こちらの身も引き締まるほどに美しい。相当な業物とわかるこの剣は、この国で最高の鍛冶職人が特別に打ったもの。
『そなたの父が勇者となり旅立った時に、わが国が贈ったものと全く同じ剣を打たせた』
任命式でのアドルバルド王の言葉。国王の粋な計らいは、カレンにより父の存在を近くに感じさせた。
「大丈夫、見てて、父さん」
慣れた手つきで剣を鞘に納め、腰の左に帯びる。そして、長剣と対になるように打たれた同じ装飾、同じ剣身の短剣を脇差のように左の腰前に付ける。
「よしっ!」
支度は整った。まだ見ぬ冒険で見る景色への期待が、今は大きい。
もうすぐお別れとなる宿舎の自室から出ようと扉を開けたところで、「カレン!」と女性の呼ぶ声がした。見ると、二〇代半ばくらいで長い栗毛の女性使用人がパタパタと寄ってくる。
「あ、ケイトさん。こんにちは」
「こんにちは、って、その格好。もうお着替えになったのですか?」
「うん。勇者になったから、すぐにでも旅に出たくって」
今にも飛び出しそうなカレンの言葉に、カレンのことを何年も前から知っているケイトは「はぁ……」と呆れにも似た息を漏らす。
「旅に出る前に、同行者の選定をするのでしょう? これから王宮に出向くというのに、もうそんな恰好にしてしまって。また陛下が呆れますよ」
「あ~、そうだよね」
三代目勇者として選ばれたカレンは、魔神討伐のための旅に出るわけだが、国王の計らいで同行者を付けてくれることになった。この後、王宮騎士団から候補者が挙げられ、カレンが選ぶことになっている。
王宮騎士団の中には腕の立つ戦士はもちろん、魔術師や神官もいるので、同行者とできるなら有難い話ではあるのだが。
「でも、さ。陛下が推薦してくれるパーティー候補の人って、アントンとか、コーディさんとかでしょ? う~ん」
「優秀な方々じゃないですか」
「でも~、騎士団の人ってほら、腕は良くても少し頭が固かったりするじゃない? 一緒に旅するのは疲れそうだなって」
「カレンが自由過ぎるんです」
きっぱりと言われてしまった。
カレンは元々の天真爛漫で自由な性格のためか、誠実かつ愚直な人物の多い王宮騎士団を、旅の同行者として連れて行くのには何となくしっくり来ていないようだ。
それは、長い付き合いのケイトもわかっている。
とは言え、そんなカレンも王宮騎士団に所属していた身である。
「自由過ぎるって……。わ、私だって、王宮騎士団で五年間ちゃんと規律も守ってやってきたんだから」
「でしたら、早く王宮にお行きなさい」
「う……」
騎士団に入ってから色々と世話を焼いてくれた年上のケイトにはどうも敵わない。
姉代わりと言っていいケイトの言葉を、いつものように神妙に聞く姿勢になったカレン。
それを見て、何か思うところがあったか、ケイトはゴホンと一回咳払いすると、ふっと表情を緩めた。
「カレン、あなたはとうとう勇者としての旅に出る。あなたを知る皆が、無事で帰ってきてほしいと願っているのです。もちろん、私もです。だから、あなたには万全の準備をしてほしい」
「……うん」
「なので、まあ、そうですね。ここからは姉として言いましょう。カレン、旅の準備は、あなたが自分で考えて、自分が納得できる支度をなさい。あなたが自分で決めたことなら、私は何も言いませんし、誰にも言いません」
「ケイトさん……。うんっ、わかった、わかったよ! ケイトさん、ありがとう!」
カレンはここ一番の笑みを、姉代わりをしてくれていた女性に見せる。
「ほら、早くお行きなさい」
「うん。私、行ってくるね!」
そう言葉を残し、カレンは風のようにその場を去って行く。
それを見送るケイト。
「行って、らっしゃい」
少し寂しそうな笑みを残し、新たな勇者の後姿を見送った。