01「選ばれた少女」
精霊陽歴744年
季節は春。
この世界、「エント・ラグラント」における大地の一つ、ラーバルシア大陸東部もうららかな陽気に包まれていた。
雪が融けて露になった土は次第に乾き、木々は芽吹き明るい花を咲かせ、風に乗った花びらが日の光を反射する。
大陸東部で最大の国、「セントアリアス王国」は丁度暦の上での春に合わせた祭りが国内各地で催されている。
この日は天気も良く、大陸の東に広がる大東海洋からおよそ徒歩二日程離れた首都ミレンの王宮も、その青い屋根と白い外壁に太陽の光をいっぱいに浴び、キラキラとその荘厳さを際立たせていた。
数年前に魔神がこの世に現れ今も人々に恐怖を与え続けているとはおよそ思えぬ、朗らかな空気。恐怖など忘れてしまえる祭りの喧騒。
そんな春の祭りで沸き立つ城下町の賑わいを横目に、この王宮の中で、中庭のように吹き抜けになっているある一角では、四角い舞台を取り囲むように人が集まっていた。
石柱とアーチ建築により屋根が支えられた四方の廊下にも、日焼けを避ける貴婦人達が遠目からその空間の中央を眺めている。
皆、様々な服装をしている。ある者は貴族だろうし、ある者は文官だろうし、ある者は騎士だろう。王宮内の様々な階級の者達が、この王宮東館の闘技場に集まっていた。
そう、単なる舞台ではなく、ここは闘技場。
舞台の中央には、二人の人物が対峙していた。
片方は、さっぱりとした金髪に、精悍な顔立ちの男の戦士だ。
身体の要所を鎖帷子と部分々々を保護した訓練用の軽量な鎧に、両手で幅広の長剣を持ち右肩に抱えるような構えを取っている。
その構えには隙が無く、なかなか腕の立つ武人であろうことは、雰囲気から伝わってくる。
もう一方に立つ者は、相対する戦士と比べると更に軽装だ。
しかしそんなことよりも驚くべきは、その者が女性であることだ。しかも、一見してかなり若い。少女と言えるだろう。
少し遊びのある肩を過ぎるくらいの赤毛を後ろで結わえ、整った顔立ちは若さと活発さを漲らせる。この戦いの場で、相手に薄い笑みと鋭い青い瞳を向けるその不敵さも、彼女の人となりを表しているようだ。
「フッ……」
と一息、金髪の戦士が息を吐いた。
途端、身体を取り巻く空気が揺れ、彼の肉体がぼんやりと陽炎を纏い、それは手にする剣までもを覆う。
「練力」によりまさに練り上げられたエネルギーを、彼は次の瞬間、一気に解き放った。
「はっ!」
人のものとは思えない尋常ならぬ加速。一気に舞台を駆け、抱えた大剣を振りかぶる。
突風が駆け抜けた。
「うおお!!!」
風の如く突撃した金髪の戦士、剣を下手に降ろし悠然と構える少女に向かい、雄叫びと共に容赦無い斬撃を振り下ろした。
その斬撃は、一寸のためらいも無く少女に襲い掛かる。
「……フッ!」
少女は同じように短い一息を吐く。
それは、「息合い」。
その刹那、ギィィン、と甲高く真鉄の打ち合わさる音が、闘技場内に鳴り響いた。
『っ!?』
周囲がざわつく。貴婦人達の悲鳴。兵士達のどよめき。
「ぬうっ!?」
しかし誰よりも驚いた顔をしていたのは、今振り下ろした渾身の斬撃を、目の前の少女にその剣であっさりと受け止められた金髪の戦士だった。
「ふっふーん! どう? 私の練気、あなたでも打ち破れないでしょ?」
と、そんな場違いに陽気なセリフを発し、赤毛の少女はニカっと眩しい程の笑顔を見せた。その瞬間の様子はまるでスローモーションのようで、違う次元の映像のようであった。
金属の擦れ合う音。
受け止めた剣を押し弾く。飛び戻り再び距離を取った戦士に向け、少女は更に不敵な笑みを浮かべる。
「じゃ、今度は私から、いくよ!」
ドンッ、と空気が揺れた。再び会場が驚きに震える。
今少女が見せたのは、金髪の戦士と同じ力、のはずだ。だが……規模が違う。
見物の兵士達、特に多少なりとも「練力」の心得がある者達は、その力に驚きの呻きを漏らした。彼女の場合、練り上げた練気が陽炎を起すだけでなく、周囲の空気を巻き上げ剣先へと集約させているように見える。
セントアリアス兵は伝統的に「練力」と「魔力」双方をバランス良く持って戦う。どちらかに特化しない分隙は少ないが器用貧乏と言える。
だから、こうした突出した「練力」はとても真似ができない。
「いざ…………。ったぁあ!」
今度は少女が踏み込んだ。いや、錬力により高められた肉体により、弾き飛んだ。
「くっ!」
自然、金髪の戦士は錬力の殆どを剣に移し、迫る斬撃を受け止めようとする。
しかし、勝負はついた。
パキィイン!!
剣戟の音の後に残ったのは、剣身を真っ二つに折られ呆然とした金髪の戦士と……
「ふふっ。勝負あり、だね」
振り下ろした剣をピタリと止め、年相応の笑みを浮かべる赤毛の少女だった。
「そこまで!」と審判員の鋭い声が響く。一瞬の静寂の後、
「この勝負、カレン・ルステールの勝利! よって、勇者選定王宮戦技大会の優勝者は、一等剣士、カレン・ルステール!」
言い放たれた判定に、「オオオ」と周囲がどっと歓声に沸いた。
見物人達は皆立ち上がり、「やはりルステール氏か!」「カレン様、さすがでございます!」と、惜しみない称賛を送る。
「えへへ……」
照れ隠しで頭を各かく。勝てるとは思ったが、いざ勝って周囲のこの反応を見ると、何だか逆に自分が場違いみたいだ。
「参りました。完敗です、ルステールさん。いやはや、あなたは本当に強くなられた」
「ごめんなさい、ロバートさん」
「なんの、謝らないでください。むしろこれで良かったのです。もう妻もいて、子供もできた身。またいつこの街が魔物に襲われるかもわからないこの時世、勇者ではなく、この国の騎士として、守りたいものを全力で守る覚悟がつきました。逆に感謝を申し上げます」
「そんな、やめてください」
ロバートと呼ばれた男は騎士としての儀礼を尽くした礼を向ける。
戦いでは勝ったが、こういう騎士としての素晴らしさは見習わないといけないなあ、とカレンは思う。
「見事であった、カレン・ルステールよ。さすが、あのアラン殿のご息女だ」
よく通る一声が場内に響き、周囲の歓声がさっと鎮まる。
闘技場の脇、日陰の見物席がある場所の最上段から降りてきたのは、金の冠に深紅のマント。きらびやかな装飾の施された装いに、栗毛の波打つ髪を後ろに撫でつけた、この国の王。
セントアリアス国王、アドルバルド四世。
年齢は三十六。昨年に先代の王であった父アドルバルド三世が病で命を落とし、その後を継いで即位した、新しきセントアリアスの王。
国王となったばかりではあるが、才覚は父親以上と噂される新王の治世は早くも民の評判は良い。
国王の登場に、カレンは正面を向き直って迎え、ロバートは舞台から降り、脇へ控えた。
カレンを正面で見下ろす位置、見物席の途中踊り場のようになっている場所で足を止め、アドルバルド王は穏やかに声を掛ける。
「カレン、そなたが王宮騎士団に入り、もう五年になるか」
「はいっ!」
「あの頃そなたはまだ十一歳かそこらであったな。あの少女が、今や王宮騎士団で一番の剣士であるロバート部隊長を打ち破るまでになった。その武の才覚はやはりアラン殿譲り。どうかな、ラドリック騎士団長、君の目から見て」
王の脇で控えていた黒髪のがっしりとした騎士団長は恭しく下げていた視線をカレンに向ける。
「驚く結果ではございません。彼女の剣技は既に騎士団誰もが認めるものでありましたし、その練力にあってはセントアリアスで敵う者はおりますまい」
「ほう、君でもかね?」
「……よくて五分五分くらいかと」
「そうかなぁ? さすがにラドリックさんにはかないませんって」
「練力では五分くらいになりましょうが、『破力』を使われたら私では相手にならないでしょう」
「破力」という言葉が口にされた時、周囲の視線がカレンに集中した。
その注目に対し、
「くすっ。まあ、これは、ね」
と、カレンは不敵な笑みを浮かべる。
すると、彼女の体が、ふわりと青白く淡い光を帯び、周囲の光を吸収したかの如く存在をその場に浮き上がらせる。
「存在感の圧力」とでも言うべき異様な空気感。
そして突如、ピシッと音がした。
彼女が持つ降ろされた剣が、まるで剣先から力を放っているかのように、石の舞台に小さな亀裂を生んでいた。
「カレン、力を収めなさい」
「あっ、と、すみませんっ!」
ラドリック騎士団長の一声に、カレンはハッと剣を収める。
途端、周囲の空気は元に戻った。
「ふぅ」と観客の緊張感も和らぐ。と、同時に観客達は思う、「あれが『破力』か」と。
「練力」でもなく、「魔力」でもない、理を超えた破壊の力。ラーバルシア大陸内の長い歴史の中でも、この力を持つ者はごく限られる。
今回カレンが「勇者に選ばれるべき」本当の理由である。
「うむ、その力もアラン殿譲り。女性とは言え、技と力、双方を有していることを証明したそなたであれば、他の者も異論はあるまい。……それに、アラン殿の子ならば、二代目のような失態もないだろう」
確認するような独り言。そして小さく一呼吸。
アドルバルド王は会場一帯に通る済んだ声で、朗々と告げた。
「我、アドルバルド四世が宣言する。セントアリアス第三次勇者派遣に赴く、我が国の三代目勇者として、この勇者選定王宮戦技大会優勝者であるカレン・ルステールを任命する!」
その言葉に、歓喜の声でどっと沸き、会場は震えた。
この、今日最大の喝采はセントアリアスに新しい「勇者」、つまり、新しい国の希望が誕生した瞬間を祝うものである。
その胸に熱いものがこみ上げてくるのをそのままに、深く礼を返すカレンに、歓声は鳴り止まない。
ここに、セントアリアスの国に新しい勇者が誕生した。
その名はカレン・ルステール。
勇者であった父に憧れ、勇者を目指した、一人の少女だった。