01「転移」
2023年夏、日本某所
たった一人の少年が、人気の無い山の道を歩いている。
登山道の入口付近であるこの道はよく整備されており、そのむき出しの土は周囲の鬱蒼とした一面緑の森林に挟まれ、くっきりと道を成している。
山好きにも人気なこの登山道だが、今ここを歩く少年は森の自然には興味がない。
今年から高校一年生となった相馬春人は、ややぼさぼさした短めの黒髪がかかる額に汗を浮かべ、今ゲームの真っ最中なのだ。
まだ少し幼さの残る顔立ちに、白フレームに小さなデバイスが耳掛け部分についたARグラス(メガネ)をかけ、手には小ぶりなコントローラー。
去年発売した「ブレイブアドベンチャー」と呼ばれるスマートフォンアプリのARゲーム。ARグラスと外部コントローラーにより、より臨場感のある拡張現実が楽しめるのが売りだ。
と、ここで胸のホルスター状をしたケースに入ったスマホがブルリと振動した。
「プレイエリアに入ったな。周囲の安全度はA。おっけー、冒険開始、っと」
ARグラスのディスプレイにも、春人がブレイブアドベンチャーの最新マップエリアに到達したことを伝えるアラートがポコンと表示される。
周囲に車等の動体物はもちろんなく、また新マップとしてゲームに追加された直後なのに人影もない。世間の大人たちはまだ仕事だろう。高校生の夏休みというのは最高だ。
トントンと数回ARグラスのデバイスをタッチすると、視界の様子が変わった。
映されるゲームのステータス項目が増え、視界の端に見える自分の服装が様変わりした。先程まで着ていた紺のハーフパンツに水色のポロシャツ、そして小ぶりなリュックという夏らしい姿は消え去り、軽めの鎧を着たファンタジー風の恰好に見えるようになっている。
周囲の景色も少し違う。実際は何らかの人工物なのだろう、先程は無かった岩や植物が増えている。そして何より……
「おーいた。いきなりダースラプトルか」
それまでいなかった、モンスターが出現していた。
道の先約十三メートル。声を掛ければ答えるくらいの距離。
鋭いカギ爪がある二足の後足で立ち、前足は小振りなほっそりとした爬虫類型のモンスターが、ぎょろりとした黄色い眼球をこちらに向けている。
ガァ、と耳元のデバイスから鳴き声も聞こえるが、それがやけに響く気がするのはおそらく緊張感だ。
ディスプレイに写る姿はゲームながらやけにリアルだ。額にそれまでと違った汗が浮くのも、そのリアルさ故だろう。
と、
「ゴガァ!!」
目の前のダースラプトルが口から紫の炎を吐き出した。
「きたっ!」
それを待っていたかのように、頭の中で用意していた右へのステップを踏む。
細かく三歩、横のステップを踏み終える最後の足を踏ん張り、今度は一気に前に踏み出した。
その瞬間、真横を紫の炎が唸りを上げて通り過ぎる。眩しい程の烈火だが、熱は感じない。
あくまでゲームのギミックに過ぎない炎を避けた先には、炎を吐き出した後の硬直時間を過ごすモンスターの姿があった。
全く問題ない。新マップ一匹目の雑魚は予想より強いモンスターだったが、パターンは知っている相手。
「イーサル、ストライク……っ」
相手に迫りつつ、ぽつりと呟く。すると、右手に持つものが反応した。
持っているのはコントローラーのはずだが、ディスプレイ越しに見るそれはすらりと伸びた長剣になっている。その剣が春人の呟きを受けて青白く光を帯びる。
「ガアアッ!!」
ようやく硬直が解けたダースラプトルの鳴き広げる口にめがけ、光を帯びたその剣を、
「おりゃ!」
鋭く一閃。途端、バッと眩い光のギミックが派手に炸裂する。
振り切った剣の軌跡から噴き出したその閃光は剣のリーチの何倍もの範囲を薙ぎ払う。
相手モンスターをもろに襲ったその技はコンボ数通りにダメージ数字を表示させ、相手にギャアアとそれらしい悲鳴を挙げさせた。
光の過ぎた後に、傷を負ったグラフィックはないもののズシンと倒れる敵モンスター。シュウ、という音と残光と共に消え去り、経験値表示とドロップアイテム表示がポコンと現れた。
「すっげ、一撃。やっぱ光属性の上位技は強いな。このマップとの相性も良さそうだし、この調子なら二日くらい探索したらクリアできるかも」
声のうきうきを隠し切れない。
地道な苦労と小遣いから絞り出した課金の末最近覚えた新しい剣スキル、それが予想以上に使えそうなのは良いことだ。今日のうちにボスの出現条件をあらかた満たしておけば、明日はボス攻略に専念できる。おそらくマップクリア第一号になり、称号を貰えるだろう。個人戦績にも箔がつくというものだ。
剣を納める動作で剣の表示を消し、春人は山道を再び歩き始めた。
・・・
「休憩スポットか。礼拝場所もある」
順調に攻略を進めていた春人は自然歩道の途中、少し開けた場所に出た。
大抵こういう場所には中ボスがいるのだが、ディスプレイには休憩可能、礼拝可能のステータスが表示されている。つまり、回復と能力強化ができる。
「ふう」
歩きを止める。リアルでも歩かなきゃいけないこのゲームは単純に歩き疲れる。
どこかに腰を下ろして小休止でも、と周囲を見回したところで、ある場所に目が留まった。
「ん?」
休憩スポットの脇の一角、朽ち果てた祠の入り口らしきものがある。
石造りのその祠はもう長い年月放置されている様子で、苔やツタに覆われていて、入り口も崩れた石で三分の二ほど遮られている。
こうしたモノはブレイブアドベンチャーの中では風景の一部としてちょくちょく見かけるが、この祠の関して言えばもっと立体的かつリアル。また、何というか、妙に気になる。いかにも、「中に何かありますよ」というRPGのお約束を臭わせる祠だ。
「……」
一度気になるとどうも目を離せない。
何となく、ARグラスを外してみる。と、そこにあったのは祠ではなかった。
「でかっ。凄いな、この岩」
そこにあったのは大きな丸い岩だった。大きいを通り越して巨大と言っていい。
ブレイブアドベンチャーが祠のオブジェクトとして表示したのは巨大な岩だったが、その岩は、真っ二つに割れていた。
春人が凄い、とつぶやいたのはその割れた姿だった。
中央から左右に一直線の割れ目。これ程の岩をこうも割るにはどのような力が働いたのだろうか。
何か霊的なものすら感じさせるその岩は、それこそ何らかの信仰か、はたまた畏怖の対象になっているのか、太い麻で編まれた綱で巻かれ、数枚の紙垂が下げられている。
神格的なものとしてはズバリな佇まいだ。
日本人として育ったならば、こんな姿のものに、そう罰当たりなことをしようとは思わないだろう。だから、そこでおしまいにして、冒険を再開すれば良かった。
しかしここで春人は、再びARグラスをかけてしまった。
視界に写ったのは、今しがた目にしていた神の封じ手が施された岩ではなく、朽ち果てていながらも、入口に誘うような姿の祠。
(間違いない、この先に何かある。きっと、強力な武器とかアイテムとか、そういうのが)
そんな、ゲームで強くなりたい一心で、春人は祠へ足を向けた。
「よっ、と。狭っ」
現実では岩の割れ目だった、崩れて遮られた祠の入り口に身体をねじ込む。
祠の中は暗く、狭い。その奥まで行こうと、身体を横にしたまま進む、と…
『アーレ……テス……ベ……ムーリア……』
「え? 何?」
何かが、聞こえた。
「声?」
言葉として聞き取れない、声、らしきものが、聞こえる気が、する。
「何だよ、イベントがあるのか?」
ならば、聞き逃さない方がいいかもしれない。
ARグラスのデバイスを弄り、音量を上げようとした…その時。
ぐらり、と意識が揺れた。
「え?」
がくりと、壁に手を当てたまま崩れ落ちる。その間、上げて無いはずの音量、にもかかわらず、例の声はどんどん大きくなる。
『ベーム………ケ……サ……シューレ……』
「な……、え? ……う……?」
ぐらり、ぐらりと、意識の揺れも大きく、不安定になり、
やがてプツリと、途絶えた。