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短編集

Oodeeeennn!!

 久しぶりに私は故郷の繁華街を歩いていた。

 懐かしい街の香りは私の頬を優しく撫でてくれる。ふふ、この街は好きだ。


 忙しい毎日の中で、癒されたい、休みたいと感じる日は有るものだ。今日がそうであった。そしてこの街は、それを叶えてくれる街であった。


 私はその街を歩く途中で、どうしても抗いがたい香りを感じて、その店に入った。おでん屋であった。


 真夏である。何故私がこの店を選んだのかは未だに分からない。だが、来てしまったのだ。

 退廃的で、残酷で、無慈悲なその戦場に、私は立ってしまった。まるでエインヘリャルとして立つことを余儀なくされた戦士のように。

 目の前にはおやっさんと我らがヴァルキュリア、おやっさんの娘さんが立っている。


 私の横には三人の客。おばさんとおっさん、若い眼鏡の娘だ。……私は地獄に迷い込んだのかも知れないな。

 目の前の鍋に投入されるおでんを、トング(サーバー)で取るのがこの店のルールのようであった。何故このような無慈悲なルールが適用されているのかは分からない。


 おやっさんはおもむろに、鍋にちくわを入れた。しっかりと味が染みていると見えるそれを、おばさんと眼鏡の娘が競り合う!

 凄まじい鍔迫り、だが、私はそれを躱し悠々とちくわを手に入れた。漁夫の利である。

 二人に鋭く睨まれたが知ったことではない。元よりここは戦場である。誰一人慈悲を持つことは無く、乞うことも許されぬ。


 私は口角を上げて店主にビールを求めた。やはり暑い日にエアコンの効いた店で熱いおでんを喰らい、冷たいビールで押し流す、この贅沢には抗えない物があった。

 私が喉を鳴らすのを見て、三人は決意したように見える。次なるネタこそは我が元に、と。

 しかしここでおやっさんは暴挙に出る。なんといきなり味の染みた玉子を投入したのだ!

 ちなみに調理してないものが卵で、調理しているものは玉子だ。寿司屋のルールではあるがここで適用しても問題は無かろう。

 そもそもおでんの主役と言って差し支えない味の染みた、茹で玉子を突然投入したのだ。おやっさんが狂気に飲まれているのは疑いようもあるまい。


 一瞬の静寂の後に響く声。「きえあえええええいッッ!!」と言うおばさんの声。体を捻り飛び上がり、一直線に玉子に向かうトング!

 あっさり眼鏡の娘が玉子をインターセプト。おばさんは鍋に頭を突っ込んで顰蹙を買った。

 その飛び上がりは素晴らしいスキルだったが、娘が一枚上手だったのだ。

 私は玉子を手にいれる必要はなかった。玉子の口がぱさぱさする感じが苦手だったためだ。玉子アレルギーは持っていない。

 ビールをすすり、ちくわを割り、口に運ぶ。至福である。次のネタはそろそろ手にせねばなるまいか。


 次におやっさんが投入したネタははんぺんであった。丁度酒に合うが、ちくわはまだ残っている。似た味の系統、無理をする必要はあるまい、そう思いつつも箸を伸ばす。

 結果は眼鏡の娘とおばさんと私が競り合ってしまい、おっさんにかっさらわれる結果となった。このおっさんは策士のようである。油断は出来ない。おっさんもビールを注文する。私は何となく彼と乾杯した。味方はいて困ることはない。


 まだ一品も食ってないおばさんは闘気をまとい、次こそはと気合いを入れている。ここで私は迷った。

 そろそろつまみが欲しい、しかし次のネタを奪った者はおばさんと明確に敵対することになろう。

 それは戦略の上では下策である。


 しかし、無慈悲にもおやっさんが投入したネタは、牛スジであった! 酒のつまみにはこやつを手にせねばならぬ!

 娘とおっさんはガッチリと鍔迫りした。おっさんは私をアシストしてくれたのだ! 私はそれを避け、おばさんのトングを上に弾き、ルール無用の直箸でスジ肉を掬い上げた。いや、救い上げた。私の勝利である。

 ビールもう一杯! 私の声が高らかに響いたのも当然の事であろう。次のネタを手に入れたならばライムチューハイを頼むことも吝かではない。

 ここで三人は私を強敵と理解したようだ。多対一となるのは不味い。しばらくは大人しくせねばなるまいか。

 なに、牛スジはあるのだ。一味も振って私好みの辛味を足したこれで、緩やかに酒を楽しもう。


 次におやっさんは何をとち狂ったのか、こんにゃくを投入した。

 迷った。その場にいる全員が、美味しいけど積極的に行くネタか? そう考えたのである。私は出汁の染みたこんにゃくが好きなのでトングに持ち替えて一気にこんにゃくを目指す。

 それを妨げたのはおばさんであった。おばさんは食物繊維が好きだったのだ! ダイエットしているのか!

 こんにゃくを得ることに迷いの無かった彼女は、明らかに私の速度を超えていた。流石である。

 たっぷり出汁の染みたこんにゃくにカラシをまとわせ、まるで女王のように彼女はこんにゃくをほふり、何と、梅酒ロックを注文した。

 その手が有ったか!

 味気の少ないネタは、甘い酒と合うのである。旨味の染み込んだこんにゃくに粘りけのある梅酒は甘美と言わざるを得ない組み合わせだ。完全なる勝者の選択であった。


 不味い。次のネタ、私は彼女とは敵対している。

 果たしてつまみを足すことは出来るのであろうか?

 他の面子に奪われるのでは無かろうか。


 そこに無慈悲な回答が与えられる。だいこーんである。大根!

 味の染みた大根!

 おでんの主役にして一番人気の大根!

 私たちのトングは乱れ飛ぶ。物理的に相手を殺す勢いであった。

 その苛烈な戦いを、我は制した。


 ……大根は二つに割れてしまったが。眼鏡ちゃんとシェアしてしまった。


 仕方がない。これが私の実力だったのである。次に来る時は大根の占有を。そう思いつつ、私はこのおでん屋を去った。

 ラグナロクはまだ先である。






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