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零れ続ける


「・・ごめんなさい」


 もう何度言ったか分からない謝罪の言葉を私が繰り返す間、ハロルド様は黙ったままでした。しかし涙は途切れる事なく青の瞳から溢れ、少し開いている口からは声にならない声が紡がれようとしています。


 そんな時、応接室のドアが開き、帰り支度の済んだお父様が出てきました。お父様は持っていた鞄を強く握りしめながら私達の名前を呼びました。


「・・・リア、ハロルド君」


 ハロルド様は涙を手の甲で拭い、お父様に向き直って礼を取ります。私は首だけを動かしてお父様を見つめました。


「分かっているとは思うが、選択肢は無い」


 念を押すように話す硬い声が降ってきます。私は掠れてしまった声を気にも留めず返事をしました。


「・・・分かっています。ちゃんと、分かっていますわ。私だって生きていたい。ええ、選択肢などありませんわ」


 私はマリーの魔力供給を受け入れるのみです。


「でも・・・!」


 でも、それでも。


「ハロルド様を忘れてしまう事が、私達のこれまでを忘れてしまう事が嫌で、嫌で、嫌で仕方が無いの!・・先程も言いましたが、今はまだ、覚悟が出来ません」


 私がそう言うと、お父様は『今回の事はリアとハロルド君が受け入れなければならない。酷な事を言うようだが時間は限られているんだ、よく理解して欲しい』と言って私の頭を撫で、帰って行きました。



 その後、私達は2人で私の部屋に向かいました。寮は基本的に異性の出入り禁止となっておりますが、私とハロルド様は1人以上の監視役がいる場合に限って出入りを許されています。それはいつ魔力供給が必要になるか分からない私の為に作られた特例で、先程は女子寮の入り口でユノが出迎えてくれましたのでハロルド様も一緒に女子寮内に入る事が出来ました。


 明らかに普段とは様子の違う私達にユノは何も聞かず、2人分のミルクティーを用意してくれます。ソファに並んで座った私達はそれを一口飲み、相変わらず零れていく雫をどうする事も出来ないままでいました。



「ララリア」



 ハロルド様がようやく発したその声は、ほとんどが空気に飲み込まれてしまいそうな程に薄く、弱いものでした。


「・・・、なに?」


「ララリア、ララリア」


 名前を呼びながら、ハロルド様は右隣にいる私の顔の輪郭をその指でなぞっていきます。それはまるで、私が間違いなくここにいる事を確かめているかのようでした。


「どうしたの?」


 その指を求めるように顔を傾けて先を促すと、ハロルド様は泣きながらも精一杯の微笑みで話してくれました。


「すきだよ」


 たった4文字で表される心からの告白が、私に喜びと苦しみを運びます。


「私も、すきよ。だいすき。でも私は・・」



 私は・・あなたを忘れてしまう。



 それが、私の心をひどく痛めつけました。



「・・・・消えるのは、俺の方だったな」


「え?」


「約束、覚えてる?・・・ララリアじゃなくて、俺が消えるんだ。ララリアの頭の中から」


 『俺の前から消えないでくれ』。去年、ハロルド様が『約束』として私に言った言葉です。マリーによる魔力供給が行われれば私の命は助かりますので、私がハロルド様の前から消える事は無いでしょう。でも、私の頭の中からハロルド様が消えてしまう。



 ああ、神様は意地悪ですね。


 

 私が天を仰いでそんな事を思っていると、いつの間にか繋がれていた手に少しだけ力を込めたハロルド様が再び口を開きました。


「・・・ごめん」


「・・・え?」


 何に対する謝罪であるのかが全く分かりませんわ。


「『俺は大丈夫だから』って言えなくて、ごめん。『俺を忘れても大丈夫だ』って言えなくて、ごめん。・・でも、何があってもララリアは魔力供給を受けなければ駄目だ」


 見つめ合って、繋がれた手に一層の力を込めて、ハロルド様は続けました。


「・・・大丈夫かなんて分からないけど、ララリアが俺を忘れても、俺はララリアと過ごした全部を忘れない。・・・それだけは、約束する」


「・・・・っ!」


「ララリア。好きだよ」


 そう言ってハロルド様は私を抱きしめて下さいました。ハロルド様の温かな体に身を預け、私の腕を彼の背中に回した時、私は歓迎できるはずの無い浮遊感に包まれました。何度も何度も私の生活を『普通』から遠ざけていく癪気体が、また私の魔力を奪ってしまったようです。


「・・・ハロルド様、癪気体、が・・」


「・・!分かった。すぐに魔力供給を」


「ごめ、んなさ・・」


「大丈夫だから」


 私が意識を手放す直前、ふわふわと温かいものが体内に入ってくる感覚がありました。どうやら魔力供給が始まったようです。しかし私は意識を持続できず、ソファの背に体を預けたまま眠りにつきました。








「ララリア、愛している」





「どうか、俺を覚えていて」



 魔力供給の形を取った状態で呟かれたその祈りは、部屋の端でひっそりと涙を拭うユノにさえ届く事は無かった。




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