自分の思い通りにならないからと、相手を否定するような人間にはなってはいけない。
「…本橋、これ持っていてくれ」
「あ、橘先輩」
後ろでそんなやり取りが聞こえたのは、私が花恋ちゃんの元カレ君と睨み合って、一触即発間近な時だった。
おぉ先輩が来たぞ! 心強い味方だ!!
興奮状態だった私はグルンと振り返って彼氏様にチクった。
「先輩! 聞いてくださいよ、コイツが花恋ちゃんを辱めるんですよ! ひどいと思いません!?」
「全くお前は……怪我は無いか?」
「大丈夫です!」
平気だ! なんとも無い!
先輩はランランと目を輝かせる私を見てため息を吐いていた。首を横に振りながら諦め半分な感じの反応をされる。解せぬ。
「下がってろ」
そう言って私の前に出てくると、先輩は元カレ君をじろりと見下ろした。背が高く、武道をしているため体の厚い先輩から見下された元カレ君はぎくりとして後退りしていた。
「…暴力に走るのは感心しない」
先輩はまず指摘した。頭ごなしに怒鳴り散らすんじゃなくて冷静に注意していた。
「あぁん? いきなり入ってきてテメー花恋の何なんだよ! オラァッ!」
しかしいろいろと空回りしている元カレ君は利き手をグーにして殴りかかってきた。体格に恵まれた先輩を前にしてやけくそになってしまったのだろうか。
彼にとっては渾身のパンチだったのかもしれないが、先輩は相手の動きを見切っていたのだろう。ぱしりとその拳を軽々と手のひらで受け止めていた。
「なっ…!」
同じ男性だと言うのに力の差が現れていた。元カレ君は先制攻撃を仕掛けて相手をあっと言わせたかったのかもしれないが、先輩に平然と拳を受け止められて焦っているように見えた。
「本橋は高校の後輩だ。それと俺は剣道段持ちなんだ。手を出せば怪我をさせてしまうことになるから俺からは手は出さない、安心しろ」
先輩は元カレ君の拳をそっと離してあげていた。
そうだ、暴力じゃ何も解決しない。冷静にならねば。
……よくよく考えてみて疑問に思ったのだが、何年も前に振られた元カノと再会して、この男は何を期待していたのか。別れた後はもうただの他人になるのではなかろうか。まさかまだ相手は自分に気があると思っていたりするの? 私は先輩としか交際経験がないのでよくわからない…。
「交際してきた女性全員にそうしてケチをつけていくのか? そんな自分を俯瞰して見てどう思う? かっこいいと思うか?」
そういえば先輩は以前交際相手だった沙織さんのことを悪く言ったこと…私が記憶する限りでは無いよね。『お互い様で仕方なかった。だから別れた、それで終わり』って感じで受け入れている感じだったような気がする。
それらを鑑みれば花恋ちゃんの元カレ君よりも、先輩のほうが元カノに手ひどく裏切られている(浮気された)のに随分と冷静だったな。口には出さないだけで心の中でどう思っているかはわからないけど、相手をコケにしたりしないだけ自制心が強い人だなぁと今更ながらに思う。
「もう少し、大人としての立ち振る舞いを考えてみたらどうなんだ。やることが中学生くらいの子どもがわざと悪ぶっているようにしか見えないぞ」
先輩の諭す言葉に勢いを削がれたのか、元カレ君はなにかブツブツ捨て台詞を吐き捨てると踵を返して人ごみの中に消え去った。お仲間が「おい、どこ行くんだよー」とこれまた他人事のように呼びかけているが、元カレ君は振り向きもしなかった。
おぉ、暴力無しで解決してしまったぞ! 先輩すごい。風紀委員のときの面倒見の良さが変わらない! 私、惚れ直しちゃいました!
私は胸をときめかせながら彼氏様を見上げていた。しかし一方の彼氏様は私の方に向き直るとムスッとした顔をしていた。
「だから危険に首を突っ込むなと言ってるだろう」
私が何かを言う前に問答無用でほっぺを掴まれてブニュッとされた。ブサイクの刑発動である。
「ひやんでひゅよ、わひゃひは、」
「お前のそれにはいい加減慣れたが、流石にそろそろ落ち着いてほしいんだがな?」
「ひょんなこひよにゃいでふ!」
言い訳をしようとしたが、頬を潰されているため言葉がちゃんと出てこない。
先輩の手を頬から外そうとするが、外れない。
これは罰か。公開処刑なのか。私の顔がどんどんブチャイクになっていく……
「橘先輩、あやめちゃんは私を庇ってくれたんです、あんまり怒らないであげてください」
ピザの箱を持った花恋ちゃんがオロオロしながらフォローに入ってきた。
「すみません、先輩にもあやめちゃんにも迷惑をかけてしまって」
過去に交際した相手に逆恨みみたいな反応をされた花恋ちゃんは災難だったな。
……結局アレは誰だったのか思い出せたのかな? 花恋ちゃんには告白されて試しにお付き合いしたけどキス止まりで別れた過去の彼氏が2・3人存在するはずなんだけど……。大学生くらいになると一斉におしゃれに目覚めて風変わりする人多いからわかんなくなることあるよね。数年ぶりの再会だと尚更に。
先輩は沈んた顔をする花恋ちゃんを見下ろしてから、元カレ君が去った方向へ視線を送り……10秒くらい何かを考えるとこう言った。
「本橋もあやめと同じ爆音防犯ベル持ったらどうだ?」
先輩なりの気遣いなのだろうが、それはどうなのだろう。提案された花恋ちゃんは「あやめちゃんとおそろいなら考えてみますね」と前向きに検討する的な返事をしていた。
花恋ちゃんが少し笑っただけで周りに花が咲いたような空気になる。周りの視線が彼女に集中するのだ。
流石元祖ヒロイン。推しは雅ちゃんだけど、花恋ちゃんも捨てがたい…
可愛らしい彼女の微笑みに私がポーッとしてると、花恋ちゃんは私の手を掴んできた。こころなしか、周りにいた無関係の男性陣の視線が羨ましそうなものに変わった気がする。なんだか優越感を覚えた。
「あやめちゃん、ごめんね、私のために」
「大丈夫! ぶつけたのはお尻だしなんともないよ!」
ほらこの通り! と元気さをアピールするために足踏みしてみせる。だいたい花恋ちゃんは被害者なんだ。気にすることはない。私が勝手に割って入っただけなんだから!
「……あやめちゃん、ありがとう」
元気な私を見て安心したのか、花恋ちゃんはニッコリと笑みを浮かべた。
その笑顔はまるでお花が開花したかのような華やかな笑み。瞳をうるうるさせて真っ白な頬を薄桃色に染めた彼女は、とても魅力的だった。
──彼女は元ヒロインなんかじゃない。今もヒロインだ。
ほら、現に私の胸はときめきでいっぱいだ。ひろいんってしゅごい。
「あやめちゃんは昔と変わらず私の王子様だね」
私の胸がキュンッとするのは抑えきれなかった。
けしからんぞ花恋ちゃん! 可愛いが過ぎるだろう。これでドキドキしない男は男じゃない!
ヘラヘラ笑いながら花恋ちゃんとお手々を繋いでいると、横から微妙な顔をした先輩の視線が突き刺さってきた。
──浮気じゃないですよ、先輩。
これは純粋な友情なのです。美しき友情ですよ。
私は慌てて表情を取り繕ったが、笑顔の花恋ちゃんから「ピザ食べよ!」と明るく声をかけられて、またへらりとだらしない笑顔を向けてしまったのである。
焼き立てクリスピーなピザはとても美味しかった!




