俺と父のスパリゾート日帰り旅行【橘亮介視点】
亮介大学3年、あやめ大学2年の2月初め辺りのお話。
「亮介、まだ入っているか?」
「…のぼせそうだし、もう出るよ」
何故か父と2人で温泉スパに出かけることになった俺は、現地に到着してすぐに父と肩を並べて風呂に浸かったものの、特に会話が盛り上がることもなく風呂から上がった。一応スパの内湯・外湯を制覇したが、温泉や風呂にこだわりが無いので、こんなもんかといった感想しかない。
何故いきなり温泉なのだろう。事の始まりはあやめの提案なのだが…裸の付き合いと言われても、何を話せばいいのかわからないのだが。
施設で借りられる浴衣に身を包んだ俺たちは施設の案内所で、このスパで利用できる施設を眺めていた。
父は整体マッサージを受けたいらしいが、俺はそこまで肩こりが酷いわけではないからマッサージは必要としていない。案内板を見ながら、待っているその間どうしていようかと考えていると、トン、と誰かと肩がぶつかってしまった。
「すいません」
「こちらこそ」
ぶつかったことを謝罪すると、あちら側も謝ってきた。目を合わせた俺と相手は間の抜けた顔で同時に呆けた声を出した。
「「あ」」
「あら」
そこにいたのは田端夫妻。俺の彼女のご両親だった。
「これは田端さん、お久しぶりです」
「どうも橘さん、ご無沙汰しております。亮介君はお父さんと一緒に来たの? 仲良しねぇ」
「こんにちは…そうなんです」
すごい偶然だな。まさかこんな所で遭遇するとは思わなかった。
「あやめは今岩盤浴にいるのよ〜。テスト前にお夜食食べすぎて太ったから身体絞ってくるんですって」
あやめも一緒に来ているのか。両親をスパに連れて行くことにしたという話は聞いていたが、まさか同じ日になるとは。
「あやめさんも来ていたんですね」
「今回あやめが親孝行にって連れてきてくれたんですよ」
ふふふ…と自慢げに俺に笑いかけてくるおじさん。…俺は相変わらず彼女の父親から馬の骨扱いを受けている。
もうすぐ3年の付き合いになるのに…悲しい。
「ここで立ち話もなんですから、水分補給がてらお茶でもご一緒しませんか?」
おばさんの提案で食事処へ移動したが、気まずいことこの上ない。あやめがいないからだろうか。おばさんが中心になって場を盛り上げようとしてくれるが、イマイチ盛り上がりに欠ける。
「親孝行でここにつれてきてくれるなんて、優しい娘さんですね」
父は場を盛り上げようとして、あやめを話に出しただろうが、それにおじさんが即座に反応していた。
「そうなんですよ。うちの娘は本当に優しい子で…! 生まれた時から本当に可愛くて自慢の娘なんです!」
「…本当に愛情こめて育てられたのですね」
父はそう言うが、俺もそう思う。おじさんは娘を溺愛しているなと感じる。
だから俺とおじさんの距離は埋まらないのだろうか。3年経っても、仲良くなれないのであろうか…
おじさんはイキイキ顔で語っているが、これでシラフなんだよなぁ…俺の父親とは正反対の明るさだ。
「えぇ! あやめが小さい頃は一緒にお風呂に入っていたんですよ!」
「そんなのどこのお家でもそうでしょ。橘さんのところもそうですよね?」
「…そうですね」
おじさんはなにを競っているんだろうか。それを聞かされた俺が悔しがると思っているのであろうか。そんな事なら俺だって…いや、なんでもない。
「うちには息子しかいませんが、大きくなってもこうして一緒に風呂に入れるので男で良かったと思いますよ」
「…父さん」
父の発言に俺は驚いた。
父の表情は大きく変わらないが、一緒に風呂に入れたことを喜んでいるらしい。それは…妙に照れくさいというか、くすぐったいというか…情けない顔を晒したくなかった俺は俯いた。
「和真連れてくればよかった…!」
「和真はお友達と遊びに行くって言っていたからどっちにしても来なかったわよ。なにを競っているのよ。恥ずかしい人ね」
「だって母さんはあやめと一緒に女湯に入っていたけど、父さんは1人だったんだよ!?」
俺はおじさんの発言ですぐに冷静になった。1人が寂しいのか。……いつも思うけど田端家は賑やかだな。
「…田端さんさえよろしければ、私がご一緒しましょうか?」
「いえもう風呂は良いです…」
おじさんはそう言って項垂れていた。おじさんを前にすると父もペースが乱れるらしく、珍しく動揺している様子が見える。
「私はこれから整体マッサージを受けに行こうと思っているんです。折角の機会ですし一緒に行きませんか?」
「あらそれいいですね! 私もエステに行ってこようかしら! 橘さん、ウチのお父さんのことよろしくおねがいしますね」
スマホを触っていたおばさんが父の言葉に反応して、この後のおじさんの予定を勝手に決めてしまった。
父とおじさんの組み合わせで整体…? それは会話になるのか? それとも俺もその渦中にいなきゃならないのか…?
おじさんとは仲良くなりたいとは思っているけど、一体どうしたら親しくできるのかもわからない。そこに父が加わり……俺はどうしたら良いんだ…?
「あ。あやめ! ここよ!」
俺が密かに困惑していると、おばさんが手を上げた。大きく声を張り上げて、あやめの名を呼ぶ。
食事処の出入り口で他の人と入れ替わるようにして入ってきたあやめはすっぴんの頬を紅潮させて固まっていた。頬が赤いのは岩盤浴に入っていたからだろうか。牡丹の花が描かれた赤地の浴衣に黄色の帯をつけたあやめは首にかけたタオルで顔を隠して…踵を返していた。
「あら? どうしちゃったのかしら」
「…追いかけてきます」
なんとなく理由は想像つく。
すっぴんだからだろう。
女湯に逆戻りしようとするあやめを寸前の所で捕獲した俺は、彼女の手首を掴んで食事処に連行していく。あやめは後ろでずっと「すっぴんが、すっぴんが」と騒いでいた。
最近ギャルメイクをやめて、化粧が薄めになったというのに、未だにすっぴんを晒すのに抵抗があるらしい。
「可愛いから問題ない」
地の顔も可愛いのにどうしてそんなに自信がないのか。恥ずかしがっている姿も可愛いけど、少しは自信を持てばいいのに。
「だってお父様がいらっしゃるじゃないですか! すっぴんなんて晒せません! ていうかなんで今日いるんですか!? 2月半ばに行くとか言っていたじゃないですか!」
「テスト明けなら良いだろうって父さんが昨日誘ってきたんだよ」
「そんなぁ〜せめてお化粧させて下さい!」
往生際が悪いあやめを引っ立てて食事処に連れて行くと、彼女はコソ泥の様にタオルで顔を隠し始めた。
「こんな格好で失礼します。お父様お久しぶりです」
「不審者に見えるから、それはやめなさい」
「いえ、すっぴんを晒すくらいなら不審者と思われたほうが…ぎゃあ!」
案の定、父にも指摘されていた。
あやめからタオルを没収すると、手のひらで顔を覆って隠していたのでそのままにしておく。
やっぱり和服はいいな。風呂上がりもあいまって色っぽいし…綺麗だ。親の手前じゃなければ、ここが人目につかない場所だったら尚良かったのに。
彼女の顔が見たくなったので、顔を隠し続けるあやめの手を解いてみたが、またすぐに戻してしまう。
…赤くなってて可愛い。
「…ちょっとベタベタし過ぎじゃないかな?」
「お父さん、シッ」
おじさんとおばさんの声が聞こえてきてハッとした。ついついあやめを構うのに夢中になって親達を置いてけぼりにしてしまっていた。
「…それじゃあ田端さん、行きましょうか」
「じゃああやめも…」
父が施術を受けに行こうとおじさんを誘うと、おじさんはあやめを一緒に連れて行こうとしていた。あやめは整体よりもエステの方を好みそうだけど…行くかな?
「…どこに行くの?」
「お父さん同士で行ってきなさい。…じゃあ亮介君、あやめのことよろしくね」
おばさんは渋るおじさんの背中を力尽くで移動させていた。父はその後ろをゆっくりついて行っている。
…父と話をするためにスパリゾートに来たはずなのに、結局あまり話せなかった気がするのは俺だけなのだろうか…
二人きりになってようやく顔のガードを解いたあやめは火照った顔を冷ますように
手で扇いでいた。
「…皆どこに行ったんですか?」
「父さん達が整体で、おばさんはエステ」
「そういえばオプションでありましたね。先輩は受けなくても大丈夫なんですか?」
「大丈夫」
あやめこそ行かなくていいのかと尋ねたが、岩盤浴目当てで来たからいいと返ってきた。
じゃあ親を待つ間どうしようかという話になる。読書スペースか、リラクゼーションブースで時間を潰すか。もう風呂には十分浸かったので、満足してしまった。風呂はもういい。それならばどうするか…
するとあやめは何かを思いついたようである。
「なら2人で岩盤浴行きましょ! 男女共用の所がありますから!」
「…さっき出てきたばかりなんだろう? あまり長く入るのは体に良くないぞ」
「折角一緒に入れるんですよ? ちょっとくらい大丈夫ですって」
…どうせなら俺は家族風呂で一緒に入る方がいいのだが、言ったら多分あやめが恥ずかしがるし、親も一緒だ。今回は止めておこう。
立て続けの岩盤浴は危ないので、あやめにしっかり休憩と水分補給をさせてから、2人で岩盤浴へ向かった。
後で合流した親たちに、2人で岩盤浴に入ってきた話をすると、おじさんが「父さんも行きたかったな…」とあやめをジト目で見てイジケていた。
だがなんだかんだで父親同士積もる話があったのか、父とおじさんは数時間前よりも打ち解けているように思えた。父もどこか表情が柔らかくなって、いつもの緊張が解けているように見えた。
帰りはお互い親の車で来ていたのでバラバラで帰宅した。助手席に座っていた俺は車を運転する父に、整体マッサージの間でどうやっておじさんと仲良くなったのか聞いてみた。
「父さん…田端のおじさんとなにを話していたんだ?」
「あやめさんの小さな頃の話を聞かせてもらった。昔からお転婆な子だったんだな」
そんなことで打ち解けたのか? 嘘だろ…さっき今度2人で呑みましょうみたいなやり取りしていなかったか? おじさん…禁酒はどこに行ったんだ。
「…焦らなくてもいい。娘を持つ父親はどうしても、娘の彼氏の存在を面白くないと感じてしまうものらしい」
それは知ってるけど…こちらとしても複雑なんだよ…
父さんも同じように、母さんの父親とはうまく行かなかったのであろうか。
「…父さんは結婚の時、母さんの方のじいちゃんとはどうだったんだ?」
「俺か? …挨拶の際に警察官だと身分証明したら歓迎されたな」
「俺と全然状況が違うじゃないか……説得力がないな」
父さんは馬の骨扱いされてないんじゃないか。ちょっと八つ当たりのつもりで吐き捨てると、隣で父が笑った気配がした。
例え俺が警察官になってプロポーズしてもあのお父さんは渋りそうな気がする…まだ結婚なんて早いとか言って。
どうやら俺は、彼女のお父さんと仲良くなるまで、まだまだ戦う必要があるらしい。
それと…
この時の自分の気持ちを理解できているのに、遠い未来で自分の娘が生まれた時、まさにおじさんと同じ感情を抱くようになるという事を、その時の俺はまだ知らない。




