可愛いお母さんじゃないの。しかしここでもすれ違いか。
6月の下旬に入った。
7月に期末テストがあるんだけど、亮介先輩とのお勉強デートのお陰で少々ゆとりが生まれている私は、テスト前だけども土曜のある昼下がり、橘家に再訪問していた。
心配しなくても後でちゃんと勉強はするよ?
あの後亮介先輩を中継して先輩のお母さんである英恵さんと会う約束をしたのだ。
今日も手作りのお菓子を持って、印象良くするために清楚系メイクでお邪魔している。
「これ良かったら皆さんで召し上がってください。どら焼きを数種類作ってきたんです」
「どら焼き…?」
「あ、和菓子お嫌いでしたか?」
「…いいえ好きよ。ありがとう」
やはり静かな人である。
出迎えてくれた英恵さんはうっすらお化粧をしており、シンプルなカットソーとパンツスタイルであった。クールな顔立ちだから飾らないほうが似合ってる。
リビングに通された私は手作りのどら焼きを彼女に手渡した。前回洋菓子だったから今回和菓子にしたんだ。この間花恋ちゃんが飲んでた和菓子ラテが印象深すぎて和菓子しか思いつかなかったんだけど。
「ええと、この緑のシールが抹茶あんで、こっちはシンプルなつぶあん、この2つは試作品で白いシールが生クリームとつぶあんで、ピンクはわらび餅とつぶあんが入ってます」
「まぁ…!」
「あ、わらび餅は市販の物使ってるんですけど、この組み合わせも美味しかったですよ。お好きなのどうぞ」
どら焼きを見た瞬間、目に見えて英恵さんの表情が明るくなった。頬はほのかに赤くなり、目はキラキラと輝いている。
その目は忙しなくどら焼きを往復しており、彼女はどれを食べるか迷っているらしい。
こんなに喜ばれると作って来た甲斐があるってもんだ。
抹茶とつぶあんは2つずつだけど試作品は1つずつだけだ。英恵さんはどれを選ぶだろうか。
自分の家族に試食させて太鼓判を貰ったので味は大丈夫だと思うんだけど。
「………」
「………」
時計の秒針が二周したかな。
英恵さんは迷いに迷っていた。意外と食いしん坊さんなのかもしれない。
「…えぇと、6つあるから…2つくらいは食べても問題ないんじゃないですかね?」
「え、でもそんなことしたらあなたの分が」
「私は試食でたくさん食べたのでお茶だけで結構ですから、どうぞ召し上がってください」
今日亮介先輩はここに来る予定はないし、手作り菓子は日持ちしないから気にせず早めに食べて欲しい。
私の言葉に英恵さんは恥ずかしげに、しかしちゃっかり試作品2点をチョイスしていた。
お喋りと言うか、どら焼きを頬張る英恵さんをしばらく眺めていたんだけど…なんかこの人かわいい人だなぁ。
自分の母より年上の人を指して可愛いなんて失礼かもだけど、こないだレモンケーキを食べていた時もそうだった。
頬を緩めて本当に美味しそうに食べるからこっちまで嬉しくなってしまう。
2つともぺろりと完食した英恵さんはお茶を飲んで満足そうにため息を吐いていた。
「おいしかった…」
「良かったです」
フフフ…と微笑ましい笑みを浮かべていたらしい私を見て英恵さんはハッとしていた。
「ご、ごめんなさい私食べるのに夢中になってしまって」
「いいえとんでもない」
別に気にしていないことを告げると、英恵さんは視線を彷徨わせてなにかを言いたそうにしていた。
あ、先輩と同じ仕草。親子が似るってホントなんだな。
「…英恵さん、私となにか話したいことがお有りなんじゃないですか?」
「あ、えっと…」
「もしかして私と亮介さんのことでなにか?」
亮介先輩がすごく気にしていたのがお母さんが私を排除しようと動くことだったけど、私もそれは心配していた。
お母さんにとって息子の彼女って重要だと思うんだ。もしかしたらどこの馬の骨だと思われているかもしれない。
彼女は口を開こうとして閉じてを繰り返し、俯いた。
だが、意を決したように顔を上げると、真面目な表情で私をまっすぐ見つめた。
「…亮介はあなたを大切にしているかしら?」
「……あ、はい。それはもう」
英恵さんの言葉に私の返事は少し遅れてしまった。
言われると覚悟していた言葉とは違った単語が飛び出してきたからであろうか。
「あの子、口下手なところがあるでしょう? 私も人のこと言えないんだけど……夫も私も仕事仕事であまり構ってあげられなかったから…」
「大丈夫ですよ。亮介さんは高校で慕われてましたし、大学でも先輩方に可愛がられていたので」
私の返事に英恵さんはホッとする様子を見せた。
……気づいていたが、本当にコミュニケーション不足なんだなこの母子。
そういう家族は他人の目に見えないだけで色んな所にいそうだけど、私が見た感じでは英恵さんは亮介先輩を気にかけているように見える。
その後も私は先輩の話ばかりしていた気がする。
先輩の高校の時の話とか、一人暮らしの様子とか、大学はどんな感じなのかとか。
「二度三度と指を切るものだからピーラーを与えたんですが、本人は諦めたらしくて野菜の皮を剥かないでカットして調理してるんですよ。でも皮のほうが栄養ありますし、ちゃんと洗ってますからね」
「そうなの?」
「私が作ることも出来ますけど、それじゃ本人のためにならないから一緒に作ったりしてるんです。この間はミートソースパスタを作りました」
先輩は腐らずに自炊を頑張っている。
始めはうーん…な出来栄えだったけども最近は上達を見せてきた。実に育てがいがあるよ。
それでもしんどい時は出来合い物食べたり、外食してるみたいだけど、一人暮らしの生活費も食費もすべてご両親に出して貰っているからと無駄遣いはしないようにしているみたいだ。
先輩も経験のためにもバイトをしてみようかなとボヤいていたけど、長期休暇中の期間限定になりそうだと言っていた。
あくまで学業を優先したいそうな。当然だけど。
何より親がいい顔しないからなとも言っていた。
うん、うちの親もだよ。確かに勉強は大事だもんね。将来の夢に関わるし。
楽しそうに話を聞いていた英恵さんだったが、なんだか段々と暗い表情に変わっていった。
「…どうかされたんですか?」
「…いえね、母親なのに私はあの子のことなにも知らないと実感したの」
「いやそんな事は」
「高校入試の時、体調不良で受験に失敗した亮介に私は慰めの声を掛けられなかった。むしろ説教をしてしまったわ」
「…説教?」
「…あの時あの子が交際していた彼女がいたのはご存知かしら?」
英恵さんの言葉に私はうなずく。
ええ存じておりますとも。とっても美人な元カノ様ですもの。
「はい…沙織さんですよね」
「私は会ったことのない子だったんだけど……受験日前から亮介、少し体調悪くしてたみたいなのよ」
「…あ、当日急にってわけじゃないんですね」
「義母が言うには三日前位から? 喉が痛いと言っていたけど本人が学校には行くと言って聞かないものだからなるべく暖かくして、学校が終わったら早く家に帰りなさいって告げていたそうなのだけど…彼女と学校帰りにデートに行って…多分そこで悪化したんじゃないかって」
「……あー…」
英恵さんは項垂れて、額に手を当てながら深いため息を吐いていた。
私はなんとコメントすれば良いのかわからずに気の抜けた返事しか出来ていない気がする。
「それで私つい…きついことを言ってしまって…」
「そうなんですね…」
「受験生なのに彼女がいるからこんなことになるんだ、別れなさいって怒鳴りつけてしまったのよ。私のせいであの子、彼女と別れたんじゃ」
「…多分それだけじゃないと思いますけど」
「相手の迷惑を考えない相手と交際しても、うまくいく訳がないって言ってしまったの。それがあの子のためだと思ったから」
「あー……」
「それからあの子、口数も少なくなってしまって…」
「あぁー…」
盛大なるすれ違いか。
お父さんがどんな人かわかんないけど、英恵さんは不器用な人なんだな。
そんでもってコミュニケーション不足なのも災いして、ご両親の言葉を真面目な先輩は重く受け止めて自分を責め続けてきたのじゃなかろうか。
だけど他人である私が偉そうになにかを言うのは憚られる。
後悔に後悔を重ねて嘆く英恵さんになんて声をかけようかと迷っていると、玄関ドアのある方向から「ただいま」と声が聞こえてきた。
「お兄さん。おかえりなさい」
「…あやめさん? …あぁそういえば母と会うと話していたな……それで、母さんはどうしたんです」
「…なんでもないわ…」
「あ、お兄さんどら焼き食べません? 作ってきたんですけど」
「どら焼き?」
首を傾げた橘兄に私は「冷蔵庫に入ってますから。抹茶とつぶあんの2種類がありますよ」と教えてあげる。
「君もマメだな」
「趣味の一環ですからね。あ、そういえばこの間作ってきたレモンケーキはどうでした?」
「…レモンケーキ…?」
訝しげに眉をひそめた橘兄は、なんのこっちゃと言いたげなリアクションをしていた。
それには私もなんのこっちゃと首を傾げる。
「……ごめんなさい…私が食べたわ…」
「えっ?」
「あまりにも美味しくて恵介とお父さんの分を食べてしまったのごめんなさい…」
「あれを3つも食べたんですか?」
小さいのにカロリー高いんだよあれ。
本当に食いしん坊さんなんだな英恵さん。
「……母さん」
しょぼんと項垂れる英恵さんに橘兄が呆れた目を向けている。
私はついつい笑ってしまった。
かなりシリアスな家庭環境なのかと思ったけど…先輩のお母さんは可愛いお母さんじゃないか。
もしかしたら先輩とお母さんが向き合えば誤解は解けるんじゃないだろうか。
今はまだ先輩と深く付き合ってるわけでもないし、英恵さんとも2回会った程度だから間に入っていく勇気はないけど、いつかそのうち先輩がお母さんと和解できたらいい。
帰り際に「色々話しすぎちゃってごめんなさいね…」と英恵さんがションポリしたまま謝罪してきた。
いえいえ気にしないでくださいと声をかけたんだけど、英恵さんはまたあの恥ずかしそうな顔でボソリとつぶやいた。
「今日のお菓子もとっても美味しかったわ…」
「…喜んでいただけてよかったです」
「…また、亮介の話を聞かせてもらえないかしら…?」
「! ……今年私が受験生なんで頻繁には無理ですけど、たまになら構いませんよ。…またお菓子作ってきますね」
私の返事に英恵さんは小さく微笑んでいた。
門の外で橘兄と少し会話したのだけど、橘兄いわく「外ではキビキビ仕事してるし、きっぱりしゃべるけど家に入ると途端に電池がなくなったかのように口数が減るんだ母は」と英恵さんの説明をされた。
それはフォローなのか。それとも取扱説明なのか。
その後橘兄に見送られて反対方向にある自宅に向かって徒歩で帰宅していると、自宅待機を命じていた先輩から電話がかかってきた。
電話口の先輩の声はすごく心配そうで、挨拶もそこそこにお宅訪問の事を聞かれた。
だけど私は英恵さんの事を思い出してしまい、ついつい笑い声を漏らしてしまった。
『…あやめ?』
「可愛いお母さんでしたよ。反対とかそんな話全く出てきませんでした」
『……可愛い?』
「…心配しなくても良さそうですよ。亮介先輩のこと心配してるだけみたいでした」
私の話を信じられないのか電話口の亮介先輩は疑いに満ちた返事しかしてこなかったけど、先輩の話をたくさんしてきた事、それと先輩の子供の頃のアルバムを見せてもらったことを話しているとあんなに心配げだった先輩の声はいつの間にか落ち着いていた。
『じゃあ今度はお前の子供の頃の写真を見せて貰うことにする』
「なに言っているんですか。そこは私が触れてほしくないところなんで、ノータッチ願います」
先輩の小さい頃の写真は超可愛かった。
橘兄も映っていたけど、その中には変な写真が一枚もなかったし、確かにアレなら見られても恥ずかしくないだろう。
しかし私はそうじゃない。
女の子向け戦うヒロインコスプレでポーズしたり、男の子になりきってたり、おパンツ丸見えにさせながら逆上がりしている恥ずかしい写真ばかりなのだ。
ウチの弟だってそうだ。人見知りで泣き虫だった和真はギャン泣き写真が圧倒的に多いのだ。
なのになんで橘兄弟はそんな恥ずかしい写真が一枚もないんだよ。
だから余計に見せられないよ!
私の地味な顔とかすっぴんとか置いといて恥ずかしいんだよ。あんなん見られたら私は爆死する。
先輩は最後まで不満そうな声だったが、絶対に見せないからね。




