忍び寄る魔の手と破局の危機【三人称視点】
「ねぇ、今年の新入生見た?」
「見た見た、いい感じの男見つけたんだけど、片方がめっちゃガード固くてさぁ……そっけないったらありゃしない」
「もう片方も難しそうだよね。ありゃ女がいるな」
流行りを意識した髪型にそれぞれの魅力を引き立てる洋服、高級感漂うブランドバッグにアクセサリーで身を固めた華やかな妙齢の女性達の話題は男についてである。
彼女たちのもっぱらの興味は今年の四月に入学してきた新入生男子達だ。
いわゆる肉食系女子達が将来有望な男を品定めしているというわけである。
「彼女持ちかー。だよね、あんないい男を女がほっとくわけないよねー」
「…何言ってんのよ。そんなの奪っちゃえばこっちのもんでしょ」
「えっ光安あんた行くつもり!?」
「ああいう真面目そうな男ってちょっと色仕掛けしたら簡単に落ちるわよ」
「うわぁー強気〜」
略奪発言を前にキャハハと笑う彼女たちの目は完全な肉食獣。獲物をロックオンしたら決して逃さないジャングルの王者のようにギラギラと輝いていた。
「でも光安、こないだF大の男捕まえたって言ってたじゃん。あっちも彼女から奪ったんでしょ」
「あぁ……全然お金持ってないから捨てちゃった。…あいつがくれたの安物のネックレスよ? もっとお金があると思ったのにガッカリ」
「はぁー? ちょっとあんたパパ活してるって言ってなかった?」
「パパは別よ。お小遣いくれる人がいないとブランド持てないしぃ」
「悪い女だな〜」
男を財布のように扱い、利用しているかのような発言をした彼女の言葉に誰も嫌悪感を示さない。
まるでそれが普通の事のように受け止めている。
きっと彼女たちはそれで傷つく相手がいても全く良心が傷まないのであろう。
愉快そうに笑いながら友人の一人が彼女をある二つ名で揶揄った。
「さすがサークル荒らしの女王」
「やめてよそのあだ名。……簡単に騙される男が悪いんじゃないの。それにそんな軽い男を彼氏にした女がバカなだけでしょ」
ここにはいない過去の被害者達を心底馬鹿にしたような言葉を吐き捨てると、女は真っ赤な唇を歪め、ニヤリと笑っていた。
「橘君こんにちは」
「……? 失礼ですがどちら様で…?」
「おいっ橘! お前ミスコン女王と知り合いだったのかよ!」
「ミスコン…?」
その辺の男ならミスコンで優勝した経験のある光安が声をかけるとソワソワするのに、橘亮介という男はまず警戒心を相手に向けてきた。
光安に見惚れるわけでもなく、自己紹介した後も興味を持つことはなかった。
だが光安はそこで諦めるようなヤワな神経をしていない。翌日から熱烈なアタックをするようになっていった。
「橘君、ねぇご飯一緒に行こ?」
「…何度も言ってますがご一緒できません」
「ご飯くらい良いじゃないの。あ、じゃあメッセージやり取りしない?」
「アプリを入れてませんので」
「じゃあメール」
「すいませんけど」
亮介は鉄壁のガードの持ち主だった。
なかなかつれない相手に焦れた彼女は体当たり攻撃ならぬドジっ子を装って密着作戦を繰り広げるようになった。
「ゴメンね私ったらドジで…橘君ありがとう」
「光安さん…ヒールの靴を止めたらいかがですか? つまづきすぎだと思うんですが。足を悪くしてるんじゃ…」
亮介の反応は変わらない。むしろ別の心配をされていた。
しかし、彼女が転けそうになっていたら亮介はなんだかんだ言いつつも即座に庇う姿勢を取るので、この作戦は使えると光安はほくそ笑んだ。
光安がその作戦を実行していたその時、偶然にも遠くからその一部始終を見てしまったあやめには効果てきめんで、ショックを受けている様子の彼女と目が合った瞬間、光安はニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべた。
「橘くんも一緒に来てくれないなら行かないー!」
「おい橘。先輩命令だ。お前も参加な」
「自分は未成年なのですが」
「酒さえ飲まなきゃ良いんだよ」
「やったぁー!」
「光安さん、さっきから言ってますけどいい加減に離して頂けませんか」
腕を振りほどいても振りほどいてもくっついてくる光安に亮介は大分面倒臭くなっていた。
振りほどく事数回。何度振りほどいても再度くっついてくるこの人は何なのだろうかと戸惑っていた。しつこすぎる。
自分には彼女がいるから他の女性と食事に行けないし、過度なスキンシップは避けたいと毎度言っているのだが、「そのくらいで? 大袈裟〜」と笑い飛ばされてしまう。
亮介は大学というところは皆が何かしら目的があって勉強をしに行っているものだと思っていたのだが……色んな人がいるんだなと感じつつも、意思疎通できない光安に何処か苦手意識を持つようになっていた。
彼が諦めの境地に至っている場面をまさか、あやめに見られてしまっていたなんて知りもせずに、先輩たちの飲み会に連行されて行ったのだった。
☆☆☆
「おい待て! 亮介!」
「何だよ!」
「どっちもどっちだが、そもそもの事の発端はお前の中途半端な態度が原因だろうが!」
亮介とその彼女の痴話喧嘩に巻き込まれた恵介は、現場から立ち去ろうとする弟を追いかけて肩を掴んだ。
亮介は苛立ちを隠さずに兄を睨みつけた。明らかに冷静ではなく、下手したら殴りかかってきそうな雰囲気を察知した恵介だったが、それに構わずに弟を一喝した。
「お前、もしも逆の立場だったらどうする? あやめさんを信じられたか?」
「俺は何もしていない!」
「今はそういう話をしているんじゃない! 亮介お前、優先順位をきちんとわかっているのか? ……またすれ違って終わっても良いのか」
恵介の警告にも似たその言葉に亮介の肩がピクリと震えた。
「………」
「…祖父さんや祖母さんの言いつけを守るにしてもな、限度があるだろう。お前はもう子供じゃないんだから自分で判断して行動しろ」
「……あやめは何も言ってくれなかった。いつも俺には何も言わない」
「……まぁその辺は彼女も悪いが、お前たちはきちんと本音で話し合うべきだ」
恵介の叱責に亮介は幼い頃と同じようにバツの悪い表情で顔を背けた。
恵介はその姿を見てため息を吐く。図体ばかりでかくなったが、相変わらず手のかかるやつだと。
「お前は、その口紅の女とあやめさんどっちが大事なんだ?」
「そんなの、」
「言葉にするのが苦手なら、態度で示さないと相手には伝わらないし、どんなに好き合っていても信用を失えば相手の心は離れていくぞ」
兄の言葉を受け止めた亮介は悔しさや悲しさ、怒りを全て凝縮したような複雑な顔をして地面を睨みつけていた。
彼の手はその複雑な感情を抑え込むかの如く、ギリギリと音を立てて固く握りしめられていた。
★☆★
「………」
「暗いなお前。どうしたよ」
「…別に」
「わかった。田端姉と喧嘩でもしたんだろ〜。お前がそうなるのって大体アイツのことじゃん」
「………」
「おいおい図星かよ」
学部は違うものの同じ大学に通う大久保と大学の学食で昼食をとっていた亮介はわかりやすく落ち込んでいた。
無心になるために剣道サークルでは激しく打ち合いをして平静を保とうとしていたが、剣道から離れるとこれである。
そんな親友を見て大久保は肩をすくめた。
話聞くだけなら聞くけど? と促された亮介がぽつりぽつりと事情を話すと、大久保は腕を組んで背もたれに寄りかかった。
「俺はそういうのよくわかんねーから上手いこと言えねーけどさ。お前らまだ付き合って間もねーじゃん。信頼関係がまだちゃんと構築されてないからそうなっても仕方ないと思う」
大久保の言葉に亮介は眉間にシワを寄せて無言で睨んできた。
言葉は出てないが、反論がしたいのだろうなと大久保は察したが、敢えてそれをスルーして話を続けた。
「田端姉はああ見えて気にしいだし、色々言いたいこと溜め込んでると思うんだよ。あっちから話してもらうのを待つんじゃなくて、話せる状況を作ってやったら?」
「……一昨日から連絡が来ないんだ」
「ん? お前からは連絡したんか?」
「………してない」
「お前アホじゃないの。連絡来ないならこっちからしたらいいじゃん」
大久保は呆れた目を向けた。
意地を張っている場合じゃないだろう。
お前はこのまま喧嘩別れしてしまいたいのかと。
「お前は女に親切すぎるんだって。…それで田端姉と別れることになってもいいのか? 逆の立場で考えたことあるか? 田端姉が男に八方美人だったらお前どうよ? お前がしたことを田端姉が他の男相手にしてたら?」
「……嫌だ」
亮介の脳裏に喧嘩別れした日の彼女の泣き顔がよぎった。
兄の腕に抱きついて今までの不満や不安をぶちまけながら自分を睨みつけてきた彼女に苛立った。
何故他の男にくっつくんだ、何故自分にそれを見せつけるのか、兄には話すくせに何故自分には話さないんだとイライラするばかりで冷静に彼女と向き合うことが出来なかった。
自分は明らかに兄に嫉妬していたというのに、あやめがそれに似た気持ちをずっと抱えていて、不安に思っていたことに気づくことが出来なかったのだ。
兄も親友も彼女側の気持ちを理解しているのに、どうして自分はわからなかったのかと自分を叱りつけたい気分になった。
亮介が苦々しい表情で項垂れたその時、亮介の肩に綺麗なパステルカラーネイルのされた手がポンと乗っかった。
「橘くーん! やっと見つけたー! ねぇねぇ今日」
噂をすれば影なのか、彼を悩ませている事件のそもそもの根源が甘えた声で話しかけてきたのだ。
亮介は彼女の登場にイラッとした。
そもそもこの女さえいなければと腹立たしく思ったが、自分の至らなさも原因で彼女のあやめの態度も原因。全ての悪い要素が組み合わさってしまっただけ。
ただ間が悪かったのだ…と言い聞かせてイラつきを抑えているつもりだったが、目の前に座る大久保は亮介の顔を見てちょっと引いていた。
「…光安さん。今後俺に関わらないでください」
「えーなにそれぇ?」
「…迷惑なんです。それじゃ」
「え!? ちょっと!?」
亮介は無表情で八つ当たりも含まれたそれを光安にぶつけると、空の食器の載ったトレイを持ち上げて席を立つ。
「おい亮介? 午後の講義は」
「頭痛がするから帰る」
大久保の声かけに振り返りもせずに返事をすると、トレイ類を返却口に戻した。大学の食堂を出る手前でスマートフォンの電源を入れて、彼女から連絡が入っていないことを確認すると深々とため息をついた。
そのまま亮介は寄り道せずにまっすぐ自分の部屋に帰り、ふて寝するかのようにベットへと崩れ落ちたのであった。




