早歩きする青服
青服要素つけるの忘れた
私は財布をカバンの中に戻し、代わりにスマホを取り出した。
時刻は午後三時。
今からいつものくだらない推理合戦が始まるとすれば、最低でも終わるのは四時過ぎになるだろう。遅ければ閉店まで続くかもしれない。
取り敢えず両親に今夜の夕飯はいらないとメッセージを送ってから、私は溜息と共に口火を切った。
「普通にさ、落とし物でもしたんじゃない。傘は差してると邪魔だったから閉じて持ってるだけで」
一応窓の外に目を向け、瞬の言う人物がいるのか確認してみるもそれらしき人はおらず。ひとまず一般的な答えでお茶を濁してみた。
勿論そんな答えで瞬が納得するはずもなく、すぐに首を横に振った。
「確かに下を向いてはいるけれど、その人は早歩きをしているんだ。とても落とし物を探している動きには見えない。たぶんもう一、二分したらまた窓から見える位置に来ると思うから、議論は焦らず、その後にしようか」
「……さいですか」
その言い方だとまるで私が議論を楽しみにしているようでとても嫌だ。無駄だから否定はしないけど。
私は先のゲームで作ったミックスジュースに手を伸ばし、一口飲む。
比率としてはコーラ6のジンジャーエール3のグレープジュース1で作製した。予想通りというべきか、少し風味と酸味がプラスされたコーラという感じだった。
ぶっちゃけ混ぜずに飲んだ方がおいしかったとは思うが、まあ飲めなくはない。
そんな私の反応に興味を持ったのか、眞が「僕もそれ一口飲んでいいかな?」と聞いてきた。
内心の動揺を悟られないようにしつつ、「どうぞ」とグラスを押し出す。
眞は笑顔で「ありがとう」と告げると、躊躇いなくグラスを口につけジュースを飲んだ。
「やっぱりコーラの味が強いね。七割近くコーラかな?」
「まあ、うん、そんな感じ」
「シンプルな味もいいけど、混ぜたことで生まれる複雑な味わいもたまにはいいね。後で僕も何か作ってみようかな」
「……いいと思うよ」
眞からグラスが返ってくる。
意識しない。意識しないようには努めているが、乙女心的にやはり――
「二人とも、来たよ」
絶妙なタイミングで瞬が口を開く。
今ばかりは有難く思い、私は身を乗り出し窓の外を見た。
「どれどれ……って、もしかしてあのめちゃくちゃ背の高い人?」
「本当だ。青い合羽を着ていて手には閉じたままの傘。それに早歩きって言葉がぴったりなくらい絶妙な速度で歩いてるね」
「彼は僕らがこのファミレスに来てから既にあの道を十三往復している。非常に興味深いとは思わないかい」
「まあ、確かに気になるけど……」
だからと言って華の高校生が休日に議論するようなことではないだろう。
「ていうか、そんなに気になるなら直接聞きに行けばいいじゃない」
私の至極まっとうな提案に、瞬は半目でこちらを睨んできた。解せぬ。
「それじゃ面白くないだろ。大体なんて声をかけるつもり? さっきから道を何往復もされていますがどうされたんですかって聞くわけ。それ普通に不審者でしょ」
「窓ガラスからずっと眺めて挙句の果てに面白おかしく推理する方がやばいと思うけど」
普段あれだけ非常識な行動をとっておきながら、どうしてこういう時だけ常識人ぶるのか。
私が睨み返すと、瞬は素早く目をそらし、「とにかく僕は声をかけるつもりはないよ」と断言した。
瞬がこういう奴だってことは分かっている。だから私は大げさにため息をつくだけで、それ以上強要はしなかった。
窓の外に視線を戻すも、既に早歩きする男はおらず。仕方なしに先の光景を思い起こす。
ぱっと見だが身長は優に百八十を超えるであろう長身。かなりぶかぶかの青いレインコートを着ていたため、体型と性別は不明。ただ身のこなし的に女性でなく男性であるように感じられた。
少し不気味な点としてはコートを目深く被っており、顔が全然視認できないようになっていたこと。俯きがちな点も含めて、普通に声をかけるには危険な相手に思えた。
他に特徴と言えば、瞬が言っていたように早歩きであることと、真っ黒な傘を差さず手に持っていること。また傘を持つ手も先端までコートで覆われており、素肌は一切外に晒されてないようだった。それから持ち物も傘以外にはなく、リュックやカバンなども見当たらなかった。
考えれば考えるほど怪しくはある。だけどこれは単に、普段周りの人なんて意識して見ていないからそう思うだけな気もする。
「正直よく分かんないけど、こんな雨の日に同じ道を十三往復してるんでしょ? 流石に普通とは言い難いし、知的障害とか発達障害の人なんじゃない。常同行動っていうやつ」
走っているのであればスポーツ選手とか、何かしら運動関係な可能性もある。だけど早歩きとなるとちょっと考えづらい。傘を手に持ってというところも運動する気があるとは思えないし。
となると明確な理由のない行動だと推察されるが、そんなことをする人と言ったら、知的障害や発達障害の人ぐらいしか思い浮かばない。
「後は単純に雨の日に外を出歩くのが好きな変人の可能性もあるけど、その場合は同じところを往復するより色々な場所を見に行きそうだし。言い方は悪いけど、障害者って答えが妥当かなって」
「うん。相変わらず朱音の意見は鋭いね。意味もなく同じ行動を繰り返し続ける人はまずいない。特に今回みたいにその行為に価値が見いだせないとなると尚更だ。手に傘しか持っていない点も、仕事などで仕方なく道を往復しているという考えを否定するしね」
「うーん、だけど僕はその考えには否定的かなあ。なんていうか、歩き方がぽくないんだよね。凄く綺麗というか、熟達しているというか」
「そうだね。眞の意見も分かる。僕はあの人が何度か信号で足を止めているのを見たけど、その時も周囲を見回したり、地団太を踏んだりということは一切なく静かに信号が青になるのを待っていた。そして青になるとスムーズに歩きを再開していた。現状完全には否定できないけれど、障害者とは思えない特徴も数多く有していると言える」
「二人ともよくそこまでじっくり見てるわね……瞬については今更だけど」
しかし二人がそう言うならば、きっとそうなのだろう。
ひとまず障害者説は捨て、別の案を模索してみる。だけど――
「今回難しくない? 特殊なバイトとか考えてみたけど、ただ道を早歩きで往復するだけのバイトとか何も思い浮かばないし。何かを探してる素振りもないから落とし物ってわけでもなさそうだし。正直ギブアップしたいんだけど」
もともとそこまで本気で考えてはいないが、今日は特に頭の巡りが緩慢だ。おそらく聞きに行けばすぐに答えを得られる状態にあるせいで、思考すること自体に無意味さを感じてしまっているからだろう。
ダメもとでもう一度直接聞きに行くのを提案してみようかと二人を見る。そして私はぎょっと目を見開いた。
いつの間にか、眞がピー(放送禁止用語)を掴み臨戦態勢に入っていたのだ!
私は慌てて周囲を見回し、こちらに注目している人がいないか確認する。
幸い今日は平日かつ雨であり、店内の客はまばらだ。それゆえこちらに視線を送っている者は誰もいない。ほっと胸を撫でおろしたのも束の間、ガシャンと食器が割れる音が店内に響く。
慌てて音源に視線を向けると、食器を下げていたと思われる店員のお姉さんがこちらを見たまま口を半開きにして固まっていた。
私はとっさに立ち上がり、お姉さんの視界から眞が消えるよう彼の隣に移動した。
なぜかこの事態に気付いていない二人が不審げな視線を向けてきたが無視。お姉さんが他の店員に連れられバックヤードに戻されるのを確認してから、「何か思いついたんでしょ。話していいわよ」と眞に呼びかけた。
眞は頬を赤く染めながら小さく頷くと、
「それじゃあ聞いてもらおうかな。雨合羽を着て雨の中歩く長身の彼の正体――レイニーデビルについてね」
熱い息を漏らしながら、変態はそう話し出したのだった。
* * *
「取り敢えず、レイニーデビルって何? 聞いたことないんだけど」
ちらちら周りを警戒しつつ、私は聞きなれぬ言葉を尋ねる。眞は全身を気色悪くくねらせながらも、「レイニーデビルは古くからヨーロッパに伝わる低級の悪魔だよ」と丁寧に説明を始めた。
「悪魔としては定番の願いを叶える系でね。雨の日に現れ魂と引き換えに三つの願いを叶えてくれるんだ。そしてその見た目は、雨合羽を着た猿の姿をしている。とまあそれぐらいしか特徴は無くて、かなりマイナーな悪魔だね。今は某小説のおかげでそこそこ知名度は高くなったけど」
「ふーん。それであの人がそのレイニーデビルだって推理した理由は、やっぱり雨合羽を着てるから?」
「まさしくその通りだよ! 古今東西見渡しても、雨合羽を着ている妖怪や怪異なんてレイニーデビルくらいしか聞いたことがない! この日本でまさか出会えるとは思っていなかったから、僕はいま猛烈に感動しているんだよ!」
「はいはい。感動してるのは分かったからもうちょっとだけ声のボリューム抑えようね」
正直周りの目が気になって推理を聞くどころじゃない。
けれど周りを気にしているのは私ばかりであり、瞬は眉間に皺をよせ推理に対する疑問を口にした。
「雨合羽を着ている怪異はレイニーデビルのみであり、それゆえにあの人物はレイニーデビルである。眞の推理にしてはかなり強引な論理展開だね。まさかそれだけが理由じゃないんだろ?」
「それは勿論。雨合羽を着ていること以外にも、複数の類似点が彼をレイニーデビルだと指し示しているんだ。さっきも言った通り、レイニーデビルは猿の姿をしている。それゆえ雨合羽の着方も普通とは異なるものになる。要するに、姿かたちが見えないよう全身隙間なくレインコートで覆っているんだ」
「ふむ。確かにあの人も全身くまなく覆ってたね。傘も持っているけれど、持ち手はレインコートで包まれていて素手は見えてなかったし。だけどまだ弱いね。別に怪異でなくとも、雨で濡れるがのが嫌で全身隙間なくレインコートに包む人だっているはずだよ」
「ふふふ、瞬君は手厳しいね。だけど僕も切り札はまだ隠し持っていてね。僕が彼をレイニーデビルと推理したのは、彼が早歩きでここを何度も往復していたからなんだ!」
「それが根拠? レイニーデビルの特徴にはないことだけど」
変態は興奮がより高まったのか、怪しげに腰を振りながら、
「レイニーデビルは雨の日にしか出現できない怪異であり、その性質上雨合羽を着ていなければならない。しかし現代においては多くの人が雨の日は車や電車を利用することで、そもそも雨合羽を着ている者すら少なく、合羽を着ているだけで少なからず不審な目で見られやすくなっている。ましてや雨合羽を着たまま室内に長時間いれば不審者認定は必須だ。そんな現代の環境下では、レイニーデビルは実質公道にしか居場所がないと言える。
ではそんな限られた空間でレイニーデビルは何をするか? それは当然今も昔も変わらない! 邪な願いを抱くものを探し、その願いを叶えるんだ! そして探し者をしている時、彼らの歩調はどうなるか! 一刻も早く見つけ出すために早歩きを始めるはず! さらに悪魔というのは基本的に人間界での活動を制限されていることが多い。ここにいるレイニーデビルも例に漏れず活動範囲はここら一帯と制限を設けられていた! そこでかの悪魔は早歩きをしながら同じ道を往復し、願いを叶えるに値する人間を探し続けていたのさ!」
熱く、一息に語って見せた。
* * *
私は素早く周囲を見回し、誰かがこちらを覗き込んでこないか確認する。
変態ではあるものの良識と常識は兼ね備えているため、店内ということもありある程度声は抑え気味ではあった。
とはいえ眞の声は透明感と艶やかさを保ったよく通る声であり、聞き耳を立てずとも遠くまで届いてしまう。
頼むから誰も興味を持たないでくれという心からの願いと共に、眞の姿を隠せるようカバンを持ち立ち上がる準備をする。
けれど幸いなことに私の願いは天に通じ、他の客や店員がこちらを覗きに来ることは無かった。まあ一般的に、ファミレス内の別の客を覗きに来る人なんてそうそういないだろうし、ちょっと杞憂が過ぎたかもしれない。
ほっと胸を撫でおろし、私は席に座り直す。
一方隣では、そんな一連の私の挙動に全く関心を抱いていない野郎二人の議論が続いていた。
「流石は眞。相も変わらず素晴らしい想像力だ。彼の正体が人でなく悪魔であると考えることで、本来なら生じて然るべき矛盾を見事に解消している。ただ一つ気になるのは、今の説明では傘を手に持っていることの説明がなかった点だね。あれについてはどう考えてるんだい」
「傘については難しいことじゃない、レイニーデビルなりの配慮だよ。願いを聞く際、対象には少しでもリラックスした状態で本音で答えて欲しいだろうからね。手に持っている傘を差してあげることで、負担を少しでも減らそうとしてくれてるんだよ」
「成る程、優しい眞らしい考えだ。とはいえ少し説得力には欠けるね。今日の天気であれば傘を持っていない人なんてまずいないだろうし、わざわざ自分の傘を渡さずとも相手の傘を持ってあげれば済むだけの話だからね。僕はあの傘には、もっと深い使い道があると考えている」
「もっと深い使い道、か。その発言からするに、瞬君も既に雨合羽の人の正体について推理が完成していると」
「勿論。彼が雨合羽を着ていることも、早歩きで移動していることも、片手に傘を持ち続けていることも、全て納得の理由がつけられる完璧な推理をね」
「ふふふ。今回はいつにもまして自信がありそうだね。それじゃあ、早速聞かせてもらえるかな。僕のレイニーデビル説よりも上だという、瞬君の推理を」
「言われずともお披露目するよ。僕の推理した『雨合羽の人=死体コレクター説』を!」
そんな風にして、私が眞の姿を隠すことに気を揉んでいる間に、今度は変人による推理が始まったのだった。
* * *
「そもそも雨合羽を着てただ歩いているというのは、それだけでかなり珍しいものだ。基本的に雨合羽を着用するのは外で両手を使った作業をする場合や、自転車に乗っている時のみ。眞も言っていたように店に入るときは邪魔になるし、脱いだ後の置き場所についても困ることになるからだ。
では件の雨合羽の人はどうか? まず自転車には乗っていない。さらにただ道を往復するだけで、物を運ぶ様子なども一切なく仕事とも思えない。つまりあの雨合羽が雨合羽を切る理由はないことになる。だから僕は視点を変えてみた。雨合羽を着る価値を、ただ雨をしのぐことだけに限定していては一向に答えが見えてこない。だったら、雨合羽に雨をしのぐ以外の用途はないかと――結果、僕は雨合羽の持つある特徴を思いついた。それは即ち、密着率の低さであり、収納力だ。
そう、あの雨合羽は、雨合羽の中に死体を入れて持ち運んでいたんだ!」
「また意味不明な……ていうか声のボリュームちょっと落として」
眞とは違い常識や良識をあまり持ち合わせていない瞬は、店内であってもそこそこ大きな声で話す。こちらは見られたからと言ってそこまで害はないが、話す内容が物騒なので下手したら警察を呼ばれかねない。
ひとまず店内から追い出したいところだが、議論中の二人を止める力は私にはない。
自身の無力さに打ちひしがれる中、瞬は自信満々に目を輝かせながら「意味不明なんかじゃないよ。むしろこの考え以外で雨合羽の行動を説明はできないと思っている」と断言した。
「いや普通に意味不明でしょ。ちょっと変とはいえ、雨合羽を着て道を往復してるだけじゃない。なんでそこで死体が登場するわけ」
「簡単な話だよ。雨合羽の中に隠しながら持ち運べばばれずに家まで持ち帰ることができるからだ」
「そうじゃなくって、なんで死体を運ぶって話になるのかってことが聞きたいんだけど」
「だから雨の日に雨合羽を着て道を往復する理由が他にないからだよ。朱音だって他にアイディアはないだろう? あるなら聞くけど」
「……ないけど」
「じゃあ僕の推理が正しいことになる。死体を持ち運んでいるとすれば、そのことに説明がつけられるからね」
口で瞬に勝つことはできない。何度目のことかそれを思い知らされた私は、両手を上げ「はいはい。じゃあさっさと説明して」と対話を投げ出した。
瞬は特に気分を害した様子もなく、「任せて」と頷いた。
「さっきも言ったように雨合羽を着て道を何度も往復する理由は基本的にはない。だけどとある目的を持つ人――つまり人に見られたくないモノをこっそりと持ち運びたい人は別だ。雨合羽の中にモノを隠すことで、周りの人に見られることなく回収することができる。
さて、人に気付かれることなく運びたいモノ。さらに何往復もしないといけないほど量が多いモノ。それは一体何か? ズバリ死体だ。それも四肢を分解し持ち運びやすくしたものだね。
雨合羽が死体をこっそり持ち運んでいるとすればその行動には全て説明がつく。歩くでも走るでもなく早歩きをしているのは、できる限り急いで帰りたい気持ちと、万一走って死体を落とした時のリスクを天秤にかけた結果だ。何往復もしているのは一度に全てのパーツを運べなかったため。持っている傘は、死体をレインコートの中に隠す際、周りの人に万一にも覗き込まれないようバリケード代わりに使用している。もしかしたら死体をばらす際に、返り血を防ぐ役割として使用していた可能性もあるね。色も黒だから血が付いても目立たないだろうし。
そもそも雨の日というのは殺人を犯すのに適した状況だ。雨により死体から流れ出た血は勝手に流されてくるし、臭いも周りに拡がりにくい。雨合羽は普段から雨の日に人を殺してはその体を分解し、しっかり家に持ち帰って保存していた。その残虐性と変態性を考えると、彼こそ真の意味でのレイニーデビルと言えるのかもしれないね」
* * *
語り切ったという様子で、変人は満足そうに息を吐く。
だけどそれを聞かされた立場としては、「凄い推理だね!」で終われるわけもなく。全力で首を横に振っていた。
「いやいやいや、ちょっと待ってよ。悪いけど反論要素めっちゃあるんだけど」
「何かな。僕としてはこれ以上ない完璧な推理だと思ってるんだけど」
「百歩譲って死体を運ぼうとしているのは受け入れるとして、見つかりたくないなら車に入れて持ち運ぶ方が絶対安全でしょ。わざわざレインコートに隠して持ち運んだりしないでしょ」
「いい指摘だね。それに関してはむしろ犯人の情報が絞り込める要素だと考えてるよ。つまり雨合羽は自分の車を持っていないか、運転することのできない未成年であるとね」
「くっ……だとしてもせめてリュックとかスーツケースとかでまとめて運ぶんじゃない。やっぱりレインコートの中に隠して持ち帰るのはおかしいと思うんだけど」
「そう! そこが僕が雨合羽をただの殺人鬼でなく死体コレクターと推理した理由だ! 単に効率を考えればリュックなどに死体を詰めて運ぶ方が合理的。だけど雨合羽はそうはしていない。つまり合理性よりも自らの快楽――公共の中を死体と一緒にデートすることを優先する変態だと推測されるんだ!」
「推測されるんだって……ああもう! 我慢できない!」
私はリュックから財布を取り出し立ち上がると、レジへと一直線に歩いて行った。
慌てて追いかけてきた眞が、「ちょっと朱音ちゃん。急にどうしたの?」と聞いてきたため、簡潔に「真実を暴くのよ」と言い返した。
「公共の場で見ず知らずの人を殺人者呼ばわりしてる非常識さ。一度お灸を据えたほうがいいと思うの。雨合羽の人に直接話を聞いて、いかに自分がくだらない妄想をしていたか目を覚まさせてあげるわ」
「でも危ないよ。もしかしたら本当に危険な人かもしれないし」
「それなら尚更放置しておくのはヤバいでしょ。警察呼ぶ準備をしておいてね」
止めようとする眞を振り切り、三人分の会計を済ませた私は店の外に出る。
今のくだらない議論でそこそこ時間は経ったから、そろそろやって来るはず。
ファミレスの軒先で、私は数分の間じっと雨合羽の人が通るのを待った。
隣では不安そうな顔をした眞と、ようやく店から出てきた瞬が死んだ魚のような目で欠伸をしている。
「ねえ、本当に直接聞くの?」
「聞くわよ。たまには現実を直視するのも大事でしょ」
「ふーん」
興味がないのがありありと伝わってくる声。
もし自分の推理が正しければこれから殺人者と話すことになるというのに。全く、良くもぬけぬけと完璧な推理だと豪語したものだ。
別にくだらない推理合戦をするのは構わない。構わないが、少しはその誰もが犯罪者に見える変人性は直した方がいいと思う。今回の件で多少は現実に目を向けられるようになるといいのだけど。
そんなことを考えていると、ついに早歩きをする雨合羽さんが視界に入ってきた。
いまだ乗り気でない二人を置き去りに駆け寄ると、「ちょっといいですか」と声をかけた。
近くで見てみると、身長だけでなくかなりガタイも良いことが分かる。まず間違いなく男性。それも老人ではない。
少しばかり心に怯えが生じるが、既に声はかけた後。今更逃げ出すわけにもいかないと腹をくくり、男の反応を待つ。
雨合羽の男は数秒硬直した後、ゆっくりこちらを振り返った。
レインコートの隙間から、男の顔が見え――
「……え?」
握力が抜ける感覚。
頭が真っ白になり、目の前の光景を受け入れることを脳が拒絶する。
雨合羽のフードの中。そこに収められていたのは、人ではない、獣の――猿の顔だった。
完全に思考が停止し、私はパクパクと無意味に口を動かす。本当は悲鳴をあげたいはずなのに、驚きからか声は全く出てこない。
そんな私に対し、男は雨合羽に隠していた手をそっと伸ばしてきた。その手を見て、私はいよいよ立つ力も失せ、その場にへたり込んだ。
伸びてきた手は、腕は、やはり人のモノではなく、茶色い剛毛に覆われた猿の手だったから。
猿の手は、動けずにいる私の顔に徐々に近づいてきて――
「朱音ちゃん! 大丈夫!」
急に視界が暗くなり、硬直していた体をぎゅっと抱きしめられる。焦燥を伴う声はされど心地よく、恐怖で強張っていた体を少しずつほぐしてくれた。
気づかぬうちに目から込み上げていた涙がこぼれ落ち――
「凄い衣装ですね」
という、やや興奮を伴った瞬の声で正気を取り戻した。
「衣装……?」
私の呟きを感じ取ったのか、私を抱きしめていた体が離れ、眞の心配そうな表情が視界を占有した。
ああ、やっぱりめちゃくちゃイケメンだ。不安げに揺れる瞳は珍しく、これはこれで儚さみたいなものが付与されて妖艶さを底上げしているし……じゃなくて!
「衣装ってどういうこと!?」
眞のおかげか抜けていた力も戻っており、私は勢い良く立ち上がった。
そして改めて雨合羽の男に顔を向ける。
やはり顔は完全に猿だし、腕も猿のものだ。ただよくよく見てみると、本物の毛ではなくどこか人工物のように見えなくもない。
猿男は私に伸ばしていた手を引っ込めると、代わりに自身の首元を掴んだ。そして「スポっ」とい間の抜けた音と共にあっさりと猿顔をはぎ取ると、中から正真正銘人間の、それもかなりイケメンの顔が出てきた。
舞台俳優を彷彿とさせる塩顔イケメンは、当たり前のように人語で、「すみません、驚かせてしまいましたね」と言い、頭を下げてきた。
力は取り戻したものの思考が停止したままの私は「はあ」と馬鹿みたいに呟くことしかできず。
一方危険でないことを認識した瞬と眞は、雨の当たらない軒先に移動すると、塩顔イケメンと楽し気に談笑を始めてしまった。
「それ凄い精巧な被り物ですね。もしかして全身そうなんですか?」
「そうなんだよ! 今日は特に蒸し暑くて本当に大変でさ。良かったら全身を見てみるかい?」
「是非。それにしても、街中でこの格好はかなり珍しいですね。役者さんで、演技の練習中とかですか?」
「ご明察。実は今度とある舞台に出演予定でね。雨の日に出現する猿の姿をした死体コレクター、通称『レイニーデビル』っていうのを演じることになったんだ」
「レイニーデビル……。死体コレクター……」
「それは凄いですね! となると僕の推理も八割方間違ってなかったみたいだし、今回は僕の勝ちってことになりそうだね」
「そうかな。眞よりも僕の推理の方が本質は付いていたと思うから、むしろ僕の勝ちだと思うけど。因みに、その傘は何のために持ってたんですか?」
「ああこれ? これはもし今みたいに声をかけられた時ようでさ。レインコートを脱いで全身見せるってなったらどうしても濡れちゃうじゃん。その時見てる人に僕が濡れないよう傘を差しておいてもらおうと思ってね」
「ああ、相手じゃなく自分を雨から守るようだったんですね。それは思い浮かびませんでした。でも瞬君。この傘の使い方を考えるなら、やっぱり僕の推理の方が近かったことにならないかな?」
「……まあ、今回は引き分けってことでいいんじゃない」
「ねえねえ。それはさっきから何の話をしているの?」
「ああ実はですね。ファミレスの窓からあなたの姿を見かけて、僕らでその正体を推理してたんですよ――」
そう言ってこれまでの経緯を丁寧に語っていく眞と瞬。
私は一人、その隣で完全に置いてけぼりを食らい――結果として、なぜか私が日常に潜む異常性を目の当たりにさせられることとなり、瞬の変人性にはむしろ磨きがかけられることになったのだった。
p.s. 塩顔イケメンの舞台俳優さんと意気投合した瞬たちは、次回の公演の無料チケットをいただきました。本当に、世の中どこでどんな縁が築かれるか分からないもの。世界は十分狂っていたのでした。