早歩きする黒服
「見つけた! また今日も学校さぼってこんな場所にいるなんて、あんた何考えてんのよ。いい加減出席日数足りなくて進学できなくなるわよ!」
「大丈夫。校長と裏取引して、テストで常に満点取る代わりに出席日数はどうにかなるようにしてくれるから」
「な……」
私は絶句して目の前のぼけーっとした男――不動瞬を見つめた。相変わらずの何を考えているか分からない、死んだ魚のような目を空に向けながら瞬が言う。
「こうして毎日心配して探しに来てくれるのは嬉しいけど、学校に行こうっていう誘いに僕が頷くことはないからね。あそこにいたって僕が学ぶことなんて何もないから。社会に出るのに必要なスキルは中学の時に一通りマスターしたし、そもそも働かなくていいだけの金も稼いじゃったからねぇ」
「ははは、瞬君そんなこと言っちゃだめだよ。朱音ちゃんが瞬君を探しに来てるのは、たんに会いたいだけなんだから。せっかくの建前を奪っちゃかわいそうだよ」
私と一緒に瞬を探しに来ていた、長身長髪の金髪変態こと神田眞が言う。
瞬と眞は二人とも私――桐谷朱音の幼馴染で、子供のころから何かと一緒にいる相手だ。
瞬は全体的に存在の希薄なやつで、子供のころからボーっとした表情で空を見上げている変人。ただし、その変人性を補って余りあるほどの才能があり、中学の頃にゲームの一環でやっていた株の投資に成功し、すでに数十億単位の金を稼いでいる。
眞はぱっと見イケメンの英国貴族みたいだが、とにかく変態だ。その本性を知っているのは私や瞬を含めた一部の親しい人だけ。基本的な行動はすごく紳士的なため、見た目も相まって学校ではほとんどの人が彼を羨望の視線で見つめてはいるが……変態だ。私のように長く一緒に行動していれば自ずとわかるだろうが、なかなかそれを説明するのは難しい、というか信じてもらえなくて……。
と、今はそんなことより眞の発言を訂正しなくては!
「また変なこと言わないでよ! べ、別に私は瞬に会いたいわけじゃないんだからね! ただこのダメ男を放っておいたら、どこかで野垂れ死にしそうだし、それは幼馴染として流石にまずいと思ってるから探してるだけで……! じゃなくて、校長と裏取引ってあんたいつの間にそんなことしたのよ!」
私の言葉もどこ吹く風よといった様子で、瞬はこともなげに答える。
「たしか半年前の定期試験が終了したころだったかな。テスト簡単すぎて話にならなかったから、校長と交渉して――それ以来?」
「もうほとんど覚えてないんだね。さすが瞬君。まああそこのテストが簡単すぎるっていうのは僕も同意だけどね」
「くっ……、この天才どもが」
念のため言っておくが、私の成績は決して悪くない。うちの高校は定期試験終了後、成績上位者は名前と点数が発表されるのだが、常に私はそこに入っている。より具体的に言うと、三百人中三十位から二十位以内にいる。
しかし、この二人はほとんど勉強している様子もないのに常に上位――というか不動の一位・二位を守っている。因みに瞬が全教科満点で一位。眞が全教科九割五分越えで二位だ。
私がテスト一か月前から試験勉強を始めて、毎日夜遅くまで予習復習を繰り返してようやく八十点を超えられるかどうかというくらいのテストなのに……。
全く、嫉妬や恨み言の一つもしたくなるくらいの差だ。
一人意気消沈する私を前に、瞬が妙なことを言ってきた――ああ、また彼の子供のころからの癖が出たか。
「最近僕さ、この公園で朝は毎日時間潰してるんだけど、変わった人を見つけたんだ」
人間観察というと聞こえはいい(よくないかな?)が、実態は余計なところに興味を抱き、それを面白おかしく推理する彼の悪癖。
「いつも同じ時間、同じ場所を、同じ服で早歩きしていく男がいてね――」
はぁ、また始まった。今日の議題は『早歩きする男』。今回はいったいどんな荒唐無稽な解答に着地するのだろうか。
* * *
「ふむふむ、じゃあ確認させてもらうね。瞬君の言ってる男は推定年齢三十歳の中肉中背のおじさん。平日だけでなく休日も毎日、この公園の中央を午前八時ごろに早歩きで歩いていく。服装はいつも上下ブラックのスーツ姿。また、最低でも瞬君がこの公園に来はじめた三か月前から、一日も来なかった日はない、と」
「それ、普通のサラリーマンか何かじゃないの? いわゆる社畜って言われるタイプの」
正直どうでもよすぎて、突っ慳貪に答えてしまう。
だってそうでしょう? 毎日同じ時間にこの公園を歩いていくだけのおじさんに、どうやって興味を持てっていうのよ。そんな男よりも、瞬がここ三か月間、その時間この公園に毎日通っていたことの方が気にかかる。
しかし、変人変態コンビは毎度のことながら、妙に真剣な表情で考え込んでいる。
ああ、テスト中でさえもしないような真剣な表情。これがこんなくだらないことでなく、もっと価値のある問題に対して向けられていたならカッコいいのに。
勿論私の気持ちが伝わることなどなく、二人はどんどん議論を進めていく。
「朱音ちゃんの考えが間違っていると断言はできないけど、いくら何でも三か月間一度も休みがないっていうのは考えにくいんじゃないかな。もしそんなに働き通しだったら流石に体調も悪くなるだろうし、瞬君が言った男の特徴の中に『不健康そうだった』っていうのがプラスされてると思うんだよ。だから彼には何か他の理由があったと考えるべきだね」
「それは眞の言う通りだ。それに付け加えるのなら、男はおそらく能動的に動いていると考えられる。会社があるから行かなくてはならないとか言った、受動的なものではなく、もっと自分からしないといけないと思えるもの。そうでないとこの期間は長すぎる」
「ふむ、そう考えたほうが自然かもね。そうすると、一番ありそうなのは健康を気にしての散歩、とか。いや、それなら時刻と場所が常に同じことに説明は言っても、服装まで同じであることの説明にならないか」
「服装もそうだけど、彼の年齢と体格からもその考えは否定できる。まだ健康に気を使わないといけない程の年齢には見えなかったし、体格も決して太っているわけではなかった。それに何より、健康を気にしているのなら早歩きではなく駆け足でのジョギングを行うはずだ」
「それもそうか……。待てよ、瞬君はどうしてその男が早歩きをしていると言ったんだい?普通目の前を人が歩いていても、その人のことを『歩くのが早いな』とは思っても、『早歩きをしている』とは思わないよね。それこそ周りに比較する相手がいて、明らかに男を歩いていると形容しづらい場合じゃないと」
別にそんなことはないと思うが。まあ、たかが言葉一つで面倒な解釈を持ってくる手腕には、純粋にすごいと思うけど。
眞の発言に対しにやりと笑顔を浮かべつつも、瞬は残念そうに首を振った。
「残念ながら、眞の考えは間違ってる。おそらく眞はこう考えたんだろ? 男の周りに歩いてるのを比較するような相手がいるということは、もしかしたら男同様その時間この場所を歩いていた人物がいるのじゃないか。そして、男はその中の誰かをストーキングしていたんじゃないかと。早歩きをしていたのは標的に逃げられないようにするためだと。
――発想は面白いけど、現実味は薄いね。それなら毎日執念深く同じ時間帯・同じ場所を早歩きしていたことに説明がつくし、同じ服を着ていたのも標的に印象付けるための装飾として行っていたともとれる。しかし、土日なんかはその男以外にその時間帯公園をだれも通らなかったこともあるから、ストーキングしていたとは考えづらい。それに、もしそれが事実だったなら、標的の方も三か月間ストーキングされているにもかかわらず毎日同じ時間に同じ場所を出歩いていたことになる。それこそあり得ない考えだ。そんなわけで、『男=ストーカー説』は否定されるね」
わざわざここまで力説して否定する必要はあったのだろうか?
まあ彼らの言動にいちいち付き合っていたら、突っ込み疲れで倒れかねないので気にしないことにするが。
それにしても、二人の話を聞いていたら私にもある考えが浮かんでしまった。なんだかこの二人と同列になりそうで嫌なのだが、たまには付き合ってやるか。
私はコホン、と咳払いをしてから切り出した。
「二人とも行き詰ってるみたいだし、私からも一つ考えを述べてあげる。結論から先に言うと、男は探偵だったのよ」
「ほう、詳しく聞かせてもらおうか」
瞬が挑戦的な目で、眞が好奇心に満ちた目で私を見つめてくる。
若干の気恥ずかしさを覚えながら、私は説明を開始した。
* * *
「今回のポイントって、結局は男がどうして三か月間も毎日同じ行動をとったのか、それに尽きると思うの」
「確かにそうかもね。早歩きをしていたことや、同じ服を着ていたことは、最悪その人の個性だとすれば片付けられるし。うん、僕もそこまでは朱音ちゃんに賛成かな」
眞がニッコリ笑顔で肯定する。彼の本性を知らない人が見れば、男でも惚れてしまいそうな笑顔。
私はぐっと拳を握り締めて緩みそうなになる顔面を制御すると、小さく頷いてから続けた。
「そこでいくつか理由を考えてみたんだけど、私はこれってやっぱり仕事の一環だったんじゃないかと思うの。二人はさっき、三か月も同じ行動をとり続けるなんて、男が能動的に動く理由がないと無理だって言ってたけど、それは仕事でも十分同じことが言えると思ったから。で、その肝心の仕事なんだけど、土日であろうと関係なく、そして毎回同じルートを通るような仕事は何か――答えは、探偵よ」
「探偵?」
目をぱちくりさせながら、瞬が繰り返す。
どうでもいいが、こうして議論している最中だけは、こいつの目が死んだ魚から活き活きした生者の瞳に代わるのよねぇ。本当に勿体ない。
私が勝手に残念がっていると、瞬が疑問を口にしてきた。
「どうして探偵がその条件を満たすのか僕には分らないな。探偵だったらそれこそ別の事件を探しに毎日いろんなところを飛び回ってるはずでしょ? その条件とは全く真逆の人だと思うんだけど」
「アハハ、瞬君それは間違ってるよ。実際の探偵は基本的に浮気調査とか、見合い相手の身辺調査とかで、事件を探して飛び回ったりなんかはしないから。でも、朱音ちゃん。仮にその男が探偵だったとしても、条件を満たすことになるとは思えないんだけど。詳しく説明してくれないかな?」
「言われなくてもするわよ」
二人の思考の上をいっているということに、ちょっとした優越感を覚えながら答える。
「その探偵の仕事っていうのは、一言で言うと監視調査。それも、普段家から全くでないような引き籠り野郎の監視調査ね。依頼人は何らかの理由があって、その引き籠り男を見張っていてほしいと探偵に頼んだ。きっと金はすっごく弾むから、土日も含めた毎日、それも三か月以上監視を続けてくれ、みたいな依頼だったのよ。で、探偵はその依頼を受けて、毎日同じ時間同じ場所を通ってその監視対象の家まで行っていた。今回はその姿をたまたま瞬が目撃してたってわけ。どう、この推理」
わたしは得意になって、フフンと鼻を鳴らしながら二人を見た。
眞は「おー」と言いながら笑顔で拍手を。
瞬は難しい顔をしながら、ぐっと押し黙って考え中。
自分で言っておいて何だけれど、別にこの答えが正しいというつもりは毛頭ない。ただ、この案を否定するような根拠は現状ないと思う。だから、仮に二人がこの先にまだ話を展開するとしたら、少なくともこれ以上に整合性のある考えを言うか、この案自体を否定しないといけない。
さて、どう動くのか。もしかして今日はこれで帰れるのか。だったら、ナイスファインプレーだ私。
フフフと勝利の予感に打ち震える中、遂に瞬が口を開いた。
「さすがは朱音、中々鋭い考えだとは思うよ。探偵がそんな地味な職業だったことを僕が知らなかったことを除いても、十分称賛に値する推理だ。でも……」
瞬が一旦言葉を切る。なんだか嫌な予感。私の脳で警報が鳴り響くと同時に、瞬が続きを口にした。
「それは彼が早歩きだったことから否定できる」
……何でよ?
* * *
「そもそも朱音自身も感じてることだと思うけど、矛盾とは言わなくても奇妙な点がたくさんある。
まず一つは、男が常に同じスーツに身を包んでいた点。もしこれが一週間程度の短い調査だったのなら、そこまで不自然なことではないけれど、三か月ともなれば話は別だ。人は身なりのきちんとしている相手には比較的警戒心を解きやすい。だから、スーツというチョイス自体は別段問題ない。でも、平日だけでなく休日も全く同じスーツで変わらずに三か月間も同じ場所を行き来する。これは完全に怪しまれるだろう。特に朱音の発言からすると、男はその引き籠りを監視するためにどこかで常に待機する必要があったはずだ。まさかずっと外にぼけっと立っているわけにもいかないだろうから、どこか喫茶店にでも寄って。その際、休日も平日も変わらずに同じ時間に同じ服で店に来るような人がいたらどう思われるか。
次に、監視されるような対象が三か月間一切動きがないなんてことがあるのか、という点。仮に対象に動きがなくとも、男が常に同じ時間同じ経路を通ってその男の監視に向かうというのも考えづらい。
さらに、それに付随してそんな辺鄙な依頼をする人がいるのかという点。三か月間もほとんど同じ場所から動かないような人をただ監視するだけの依頼。あの男が探偵だとしたら、その三か月間ほぼ丸々その作業に従事しないといけないから、他の仕事はまともにできない。となると、そこには探偵の三か月分の給料をはるかに上回るような報酬が提示されないといけない。果たしてそこまでの額を払ってまで、そんな依頼をする人間がいるのか」
うう、痛い所を仰られる。私自身「そんなのあり得ないよなー」と思ってるから反論しづらい。でも、どっかにはそんな奇特な依頼人がいるかもしれないじゃない!
私が逆切れ反論をしようとする前に、瞬はとどめを刺しにかかってきた。
「そして最大の問題点は、何といっても男が早歩きしていたことだ。眞が言ってくれたことではあるけど、男は周りの人よりもはるかに速い速度で移動していた。それこそ、早歩きをしていると形容したくなるほどに。これは取りも直さず男が急いでいたことを意味している。実際男はかなりの速さで、周りを歩いている人を抜かしていっていた。男が探偵だったとして、どうしてそんな毎日急いでいたのか? 対象が部屋で引き籠っていて動かないような奴なら、わざわざそんな急ぐ必要性はない。何らかの理由で急いでいく必要があったのなら、もっと早く家を出ればいいだけの話。結果、朱音が言っている監視という仕事を考えるなら、男が急いで動く必要性は何もない。ゆえに朱音の『男=探偵説』は否定される」
「う、私はその早歩きしている男とやらを見てないんだから、急いでたのかどうかなんて分かんないんだけど。単純に歩くのが早いだけなんじゃないの?」
何とか反論しようと口を開くが、
「そこは僕を信じてもらうしかないけど、あれは明らかに急いでる速度だったね。もちろん朱音がその考えに固執したいっていうなら止めないけど」
「くっ……」
ぐぅのねもなく黙り込むしかない私。と、今まで静観していた眞が不意に口を開いた。
「電車に乗ろうとしてたんじゃないかな?」
「? どういう意味?」
突然の眞の発言にびっくりしながら私は聞く。
「男はこの公園を早歩きで通って、ぎりぎり間に合うようなタイミングの電車、もしくはバスに乗ろうとしてたんだよ。電車の乗り換えとかする時って、一本ずれるだけで到着までの時刻が早くなりすぎたり遅くなりすぎたりするからさ。きっとその時刻にこの公園を通っていくのが、男にとってはベストだったんだよ」
「……そういうことも、あるのか?」
瞬が困惑した表情でこっちを見てくる。
私は小さくため息をついた後、首を横に振った。
「うん、そういうこともある……けど、今回は当てはまらないわね。最寄りの駅からこの公園を通って別の駅に行くなんて、遠回りもいいところだし。それに、土日は電車・バスの来る時刻も変わるから毎日同じ時間にここを通るってのはおかしいわ」
「あはは、やっぱりだめか。もしかしたらこれですんなり通るかと思ったんだけど。ま、これで完全に朱音ちゃんの考えが潰えただろうから、僕のとっておきの推理を聞いてもらおうかな。ズバリ、男はこの町の結界を守る陰陽師だったのだ!」
ああ、ついにこっちの悪癖も出たか……。
神田眞、見た目は英国貴族風のイケメンにして中身は変態。その変態たる所以は、霊だのUMAだの悪魔だの、現実には存在しないような不思議なもの――要はオカルトに性的興奮を覚え、周りの迷惑を考えずに熱く語りだすところだ。
* * *
「彼の服装、持ち物、歩くルート、時間――それらが全て同じだったのは、それが結界を維持し続けるのに必要な条件だったからだよ!」
変態が言う。
もう流石に慣れてはいるが、それでもドン引きしてしまう。英国貴族風の顔のまま、ポッと頬を赤らめ、ピー(放送禁止用語)を握り締めたまま身をくねらせるその姿。変態と言わずに何と呼ぶ。普段とのギャップが激しすぎるため、初めてこの状態の彼を目撃した人はほぼ例外なく卒倒し、起きるまでにその記憶を削除してしまう。私や瞬はもう慣れっこではあるのだが、一人の夢見る女の子の意見としては、本当に勘弁してほしい姿だ。
しかし、変態は変態であるがゆえに変態なわけで、全く治る気配はない。
で、変態の話は続く。
「日本という国は神秘の国だからね。その男は龍脈を司る陰陽師の子孫で、今も日本の結界が崩壊しないよう毎日補強を行っているんだよ。ああ、そして日本を襲おうとしている異世界からの侵略者を――」
「ちょ、ちょっと待って」
たまらず私は呼び止める。発言だけ聞けばただの中二病の妄想であり、別段害はないように思えるが、それをそのポーズで語られると……。
今この公園の中には幸い子供たちの姿はない。しかし、散歩途中で休んでいる老人や、ジョギングしている人、犬の散歩に来ている大学生とかがちらほらとはいて……うー、視線が怖い。
彼の妄言を一刻も早く否定し、元の姿に戻ってもらおうと、私は口を開いた。
「眞、それ本気で言ってる? こんな何の変哲もない公園の下を龍脈が通ってるなんて本気で考えてるの? それに陰陽師って……その男の人の洋服って普通のサラリーマンが着ているようなただのスーツなんだよ。陰陽師感全然ないし、スーツがその結界の守護(?)に必要だなんて全然思えないんだけど。そもそもこの公園を早歩きで通り過ぎるだけで結界の補強なんて行えるの?」
「朱音ちゃん、ありとあらゆるものは時代が変わればその姿を変えていくものなんだよ。かつての陰陽師とは違っているかもしれないが、今の陰陽師の制服はスーツなんだ! それから龍脈に関しては僕ら一般人ではその力を感じ取ることはできない。だから、どこにあるんだ、証拠を見せてみろと言われてもそれには答えられない。しかし、しかしね! 見えていないからこそ! 感じ取れないからこそ! ここに龍脈が流れていないと断定することもできない! さらにだ、朱音ちゃんは知らないだろうけど、陰陽師が邪気を払う際には禹歩と呼ばれる特殊な歩行術があるんだ! 今回は禹歩ではないだろうけど、おそらくそれに類似する何かなんだね。男は呪いを唱えながら、一見ただの早歩きに見える特殊な歩行術を行いながら結界の補強を行っていたのさ!」
「そ、そうなんですか……」
こうなった状態の眞は無敵だ。いくら私たちが反論しようにも、そんなものが存在するのかどうかさえ知りようがない。つまり明確な否定などする余地がないのだ。眞がこの結論に至ってしまった以上、彼の熱が冷めるまでしばらく放置しておくしか……。
そう、私が諦めの境地に陥りかけたとき、救世主のごとく瞬が口を開いた。
「眞、さすがは僕の親友なだけはある。この僕を以てしてもそれを明確に否定できる反論は思い浮かばないよ。でもね眞、僕は君以上に合理的で素晴らしい回答を導きだしたんだ。この僕の推理、『男=復讐者説』。これを聞き終わってから、どっちの推理が正しいのか判断してもらおうじゃないか」
違った。全く救世主じゃなかった。
眞が変態であるように、瞬は変人である。で、その瞬の変人っぷりの最たるは、ありとあらゆる出来事を犯罪と絡めて考えるところにある。
* * *
「これは眞の『男=陰陽師説』にも当てはまることなんだけどね」
指を一本ピンとたてながら瞬が言う。
「男の真の目的は、彼が早歩きして向かった先にあるのではなく、早歩きで同じ時間・同じ場所を歩くことそれ自体にあったんだ」
「つまり……どういうこと? 眞の考えじゃないけど、その行為に目的を持たせようとしたらかなり特殊な事情が必要になると思うんだけど」
「ふふふ、もしかして瞬君も僕と似た考えなのかな。実は僕も、いくつか他に案を考えていてね、そのうちの一つに男=宇宙からの侵略者説というのがあるんだよ。これは宇宙人が地球に潜んでいるある要人を――」
「残念ながらそんな非現実的な考えではないよ」
強引に眞の妄言を中断させると、瞬はすっと私を指さしてきた。
「朱音、君は毎日ほぼ同じ時間・場所を通って学校に向かってるよね。その中で顔を覚えた人って何人くらいいるかな?」
「え! と、突然そんなこと聞かれても……。うーん、一人か二人、かな? 確かにいつも同じ道と時間帯に通学してるけど、そんなに周りの人って見てないから」
「眞はどうだ?」
「最近の下校中はずっとポケ〇ンGOをやってるからね。顔を覚えてる人は一人もいないかな」
ようやくピー(放送禁止用語)から手を放して眞が言う。しかしだ、今はそれよりも気になることが。
「ちょっと待って。私たちの学校って携帯やスマホの持ち込みって禁止されてたはずでしょ」
「あはは、そんなことを律儀に守ってるのは朱音ちゃんくらいだよ。みんな普通に持ってきてると思うよ。まあ僕は校長と取引して、学校でも堂々とスマホをいじってもいい契約を結んでるけど」
な……、全くなんなんだこいつらは! 成績優秀者というのはそんなに待遇がよくなるものなのか! ズルい!
……それにしても、皆スマホとか持ってきてるものなの? 別に学業に必要ないし、わざわざ持ってくる必要なんてないと思うのに。
私が難しい顔で黙ってしまったからだろうか。瞬が少し声を和らげて話を再開した。
「二人の言葉からも分かるように、同じ場所と時間帯を歩いているからと言って、周りにいる人たちの顔を覚えるわけではないんだ。でも、もしここで、毎回自分のことを猛スピードで追い抜いていく人がいるとしたらどうだろう。眞みたいにポケ○ンGOをしてる人は気づかないだろうけど、朱音のようにただ歩いているだけの人なら、もしかしたら記憶に残るんじゃないかな?」
「えーと、なんとなく瞬の言いたいことは分かったわ。要するに、その男は自分の姿を記憶してもらうために、毎日同じ時間と場所を早歩きしてたんじゃないかってことね。でもそれだったら、もっと派手な格好で歩けばよかったんじゃないの?」
思いついた疑問を口に出すと、瞬は小さく首を横に振った。
「派手な服というのはこの場合マイナスになる。例えば冬にアロハシャツを着て歩いている男がいれば、それは確かに目立つだろう。しかし、目立ちはするもののその男の印象はアロハシャツそれ自体に収束されてしまう。ここで重要なのは、男がただ存在を認識してほしいのではなく、一体どんな様子だったのかも記憶しておいてもらいたいってことんなんだ」
?
どうにも瞬の話は回りくどい。私みたいに先に結論から話して言ってくれればいいのに。だが、そんな理解の遅い私と違い、成績優秀者の眞は瞬の意図を読み取ったようだ。いつものイケメン顔で、「そういうことか」と声を漏らした。
「瞬君の考えが読めてきたよ。常に同じ黒のスーツで、急いでいるのか毎回早歩きをしている。もしそんな人を見かけたら、『この人は何か急がないといけないような用事を抱えているんじゃないか?』、なんてことを思うかもしれないね。アロハシャツの時との違いは、男に漂う切迫感のようなものを感じさせることができる点だ」
的を得た答えだったのか瞬は満足そうに頷く。
何だか二人の間ではすでに答えが出ているようだが、今だ私にはちんぷんかんぷんだ。ここから男が復讐者であるという結論にどう持っていくのか? いや、この場合はその復讐方法が何なのかを考えるべきなのだろうか?
何にしろさっぱりよく分かっていない私は、瞬の話を黙って聞くことにした。
「その通り。ではなぜ男はそんなイメージを道行く人に持たせたかったのか。それは男が行うある復讐劇の証人になってもらいたかったからだ。
さて、その復讐劇とはどんなものか? それは、自分の命を犠牲にして、ある人物に殺人・その他の罪をかぶせるというものだ。
すでに何度も話したことだけど、三カ月もの間こうした行動をとり続けることは、並大抵の理由では考え難い。となると、それは人生をかけるに値する行為であるとも考えられる。
僕が考えるに男は脅されていたんだ。それもかなり厄介な脅され方、もしくは下手に手を出せない相手からの脅し。
そこで考えついたのが自分の命を捧げ、脅迫者に殺人の罪を擦り付けるという復讐方法。今回僕が目撃した光景も、その工作のための一つだ。
男がどこかで死体となって発見されたとき、その死体に不自然な点があれば、警察は捜査を始める。
捜査の過程で、当然男が普段どのような生活をしていたのか調べられることになり、聞き込みが行われるだろう。
聞き込みの結果、男がいつも同じ時間・同じ場所を何かに追われるように急いで歩いていたこと。さらには、その際の服装が毎回同じだったことも判明する。
加えて、もし男の部屋に家具と呼べるものが存在せず、さらにはほとんど服も存在しなかったら。
男が何らかの事件に巻き込まれていたこと、および誰かから脅迫されていたのではないか、という結論に達してもおかしくはない。
あとは男がどの程度の仕掛けをしているかによるわけだが――自身を脅していた脅迫者に殺人の罪を擦り付け、復讐を果たすことになるわけだ」
自信満々。威風堂々。ドヤ顔で瞬は口を閉じた。
* * *
………………どう答えたもんでしゃろ。
しまった、口調がおかしくなったか。しかし、まあ、どう反応すればいいものか? 本人は語りきったぜという満足そうな顔でこっちを見ているが、瞬の話が疑わしい――というか、ただの妄想にしか聞こえなかったのは私だけだろうか?
いや、その、どこか話に矛盾があったり、論理的におかしい所があるかと言われると、特には思いつかない。男の服装にしろ、早歩きしていた理由にしろ、納得できると言えばできる答えではあるのだが……。
しかしいくらなんでも「これが真実だったのか!」、とは思えない。現実的じゃないという点で言うのなら眞とどっこいどっこいだし、今の情報だけでは確認のしようがないことが多すぎる。
とまあ、一人悶々と悩む私を前に、二人は好敵手を見つめる視線をぶつけ合っている。
「瞬君、君って人は本当にすごいよ。まさかここまで衝撃的な解答を用意しているとは。だけどね、やはり僕の意見は変わらない! 彼が陰陽師であるという考えの方が正しいのか、今から補足をつけさせてもらおう!」
「もちろん聞いてやろうじゃないか。だけど、こっちの説を譲るつもりは毛頭ない。僕の追加説明も聞いてもらおうじゃないか!」
はぁ、馬鹿二人が勝手に盛り上がり始めた。
私はすぐに家に帰れるという期待を捨て、無心になって二人の論争を聞き流すことに決めた――p.s帰宅時間は二十二時を超えました。
* * *
さて、『早歩きする男』についての論争が行われた次の日。私は生まれて初めて学校をさぼり、かの公園の裏に待機していた。
あの変人・変態たちは、そもそもああいった推理合戦(?)をすること自体が好きなだけで、真相を二の次に考えている。つまり、あの話し合いの決着をつけようと、後日調査をしたりするわけではないのだ。
だが、残念ながら私は謎に対する真相は知りたい派――いな、分からないままだと寝れないタイプの人種である。
そんなわけでこうして公園で「早歩きする男」が来るのを待っているわけだ。
時刻が午前七時半になったころ、瞬が公園にやってきた。……本当に学校をさぼってこんなところに。まったく何をしているんだか。
そして、時計の針が八時を指したとき、「早歩きする男」はやってきた。
ほとんど瞬が言っていた通りの容姿。中肉中背で黒のスーツを着た三十代くらいの男。やってきたかと思うと早歩きで公園を通り過ぎ――と、そこでようやく私は悟った。男の正体が何なのかを。
私は男が公園から出てきたタイミングで声をかけた。その第一声は、
「瞬の護衛、お疲れ様です」
というものだ。
すでに気づいていた人もいるかもしれないが、瞬はかなり裕福な家の生まれだ。株の投資で成功するにしても、中学の三年間だけで数十億も稼ぐとなると、かなりの額の元手が必要になるのが分かるだろう。実際瞬は元手一億からのスタートだったわけで、彼の裕福さが窺い知れる。
それから、いくら学年トップの成績だとは言え、もし彼が貧乏な家の出であれば出席日数のごまかしなどそうそう行えるわけがない。加えて、瞬が電車の乗り継ぎにおける時間のタイムラグを知らなかったことからも、彼のお坊ちゃまぶりが窺える。
で、そんなお坊ちゃまな瞬の母親は、かなり過保護な人だったりする。
つまり、瞬が無事に日々を過ごせるよう、護衛をつけているということだ。
瞬がこの公園に来た日から三か月間、毎日「早歩きする男」が来たのは、瞬も毎日この公園にやってきていたからに他ならない。
護衛を任されたボディーガード――「早歩きする男」が瞬の姿を確認し、こっそりと護衛していたわけだ。常に同じ服装であったのは、それが護衛をする際の制服だったから。早歩きをしていたのは、瞬に顔を覚えられてしまったり、話しかけられることを避けるため。
今回のことから分かるように、瞬自身は自分に護衛がついているなどとは毛ほども思っていない。彼の母親も護衛がついていることを悟らせて、余計な負担はかけたくないと考えているようだ。
ちなみに、護衛をするだけならわざわざ瞬の目の前を横切らなくていいのでは? という気もするが、護衛対象が瞬本人であることを確認するために瞬の前を横切っていたらしい。
知ってしまえばどうということもない真相。
ただ、こういった結末になることを知っているからこそ、瞬や眞は真相を確かめようとはしないわけだ。
別段私は二人の考えを否定するつもりはない。それどころか、大いに奨励していると言っても過言ではないだろう。
二人が他人に気を遣うことなく、ありのままの自分を出せる唯一の舞台。それこそが、たわいない日常に潜むちょっとした謎なのだから。
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