お引き取りください。
「人違いならいいけど…。」
智也が独り言を言いながら向かった先の路地には、まだ同じ車が停まっていた。車から降りて近づいていくと、街頭の灯りでうっすらと照らされた車内には、キャップを目深にかぶったり1人の男が身を隠すようにして、スマホをいじっていた。智也には気づいていないらしい。…と、男がスマホを耳に当てた瞬間、目があった。
暗いせいか、目がやたらギラギラ光っているように見える。
窓をノックしようとした瞬間、ドアが開いた。
「お前が怜羅を浮気させたのか!」
男は降りて来るなり、智也の胸ぐらをつかんで叫んだ。
「…やはり、見張っていたんですね。」
この男が竜夫だということは、この一言ですぐにわかった。ガラが悪いとまではいかないが、あまり品の良くない服装に、憔悴してギラギラ光る目。年上と聞いていたが、見るからに子供っぽさの抜けていない男だ。
智也は、怜羅の家に近づいてきた頃に数回見かけた車が、別れ際にこの場所に停まっていることに気づいていたのだ。
「…俺たちは、結婚するはずだったんだ!いつからだ?」
「…これからです。」
「何?」
胸ぐらをつかまれたまま、智也が続ける。
「今は、ただの友達です。これから、お付き合いして、結婚しようと思っています。」
「どういうことだ?」
竜夫が拳を待機させて訊く。
「今、お話しした通りです。結婚を前提にお付き合いを申し込むつもりです。」
竜夫が急に手を離して、笑い出した。
「笑かすんじゃねーよ。よく付き合ってもいないのにそんなこと言えるよな。おもしれー!」
「あなたのことは怜羅さんから聞きました。お引き取りください。もう彼女には近づかないでください。」
くるりと踵を返す智也に竜夫が叫んだ。
「おい!待てよ。別れたわけじゃねーぞ!」
「あなたのしていることは、ストーカー行為に該当します。近いうちに弁護士をそちらに行かせても良いですか?」
実際、智也の同級生の弁護士関係者に動いてもらうことは難しいことではなかった。
「はあ?お前、何様?口からでまかせ言ってんじゃねーよ!」
再び拳を握っている竜夫に智也は冷静に言った。
「録音してありますよ。殴ったらそれも証拠として提出します。傷害罪のね。」
「…チッ!おぼえてろよ!」
竜夫は捨てゼリフを吐いて車に乗りこみ、走り去っていった。
「ハァァーー…。」
竜夫が走り去った後、智也は長く息を吐いた。実は録音している、というのはハッタリだったのだ。比較的冷静にしていたが、少しも怖くなかったわけではない。
しかし、怜羅のことは、ハッタリではない。今日一日を一緒に過ごしてみて、もっと一緒にいたいと思ったのだ。
『今日はありがとう。楽しかったです。帰り道、大丈夫でしたか?』
『今、家に着きました。こちらこそありがとう。買い物、楽しかったです。岡田さんは大丈夫でしたか?』
『はい。無事です(笑)』
『良かったです。では月曜日に会社で。』
『はい。おやすみなさい。』
お互いがスマホの画面と夜空を交互に見た夜だった。