元カノ。
まだ暑い日が続く秋の始まり。怜羅はナーバスな日もあったが、左手の婚約指輪を愛でながら、残りの出社日数を数えていた。
「また指輪見てニタニタしてる。」
智也の声にハッとして顔を上げ、怜羅は頬が緩んでいることに気づく。
新居のマンションでお茶を飲んでいるのだ。もう荷物もだいたい入り、日用品は揃っているので、休日は新居で過ごすようになっている。
智也のスマホが鳴った。
「…もしもし。」
怪訝そうな声で出る。
「…ああ。久しぶり。はあ?今日は無理だよ。また別の日にしてくれ。じゃあな。」
智也が電話を切った。
「友達?」
「高校の同級生…間宮あさ美。」
怜羅の胸がいうことにズキンと痛みが走る。智也が口にしたのは、たまたま知ってしまった元カノの名前なのだ。
「…どうして?何の用事?」
「同窓会の打ち合わせをしたいから会えないかって。」
「なんで番号知ってるのよ?」
「お袋が教えたらしい。」
「だからって、どうして彼女は、智也と打ち合わせする必要があるの?」
「さあ、わからない。」
先ほどまでの幸せな気持ちは何処へやら。心がどっぷりと沼のようなナーバスに浸かってしまっている。“また別の日に”と言っていたから、会うのだろうと思うと、怜羅としては気が気じゃない。
「どうしたの?」
「別に…。」
心配そうに覗き込む智也に怜羅はそっけない返事をする。
新居の近くのカフェにランチに来ているのだが、怜羅は食欲がないのだ。
「もしかして、つわ……」
「…なワケないでしょ!」
怒った口調になってしまい、ハッとする。たった一本の電話でこんなに妬いている自分が情けないし、元カノのいきなりの出現でとても不安になっているのだ。怜羅の目に涙がにじんできた。
「やっぱり調子悪い?もう帰ろう。」
カフェを後に、新居に帰ることにした。
「横になってて。俺が晩メシ作るから。」
「いらない。」
「え?」
それだけ言って、怜羅は寝室のベッドに横になる。
…こんなに妬いていることを知られたくない。でも気になる。「今日、会えない?」なんて電話してきたことが気に入らない。それに、彼女に、自分のことをきちんと話してくれるのだろうか?
言いづらい気持ちがいっぱいになって、涙が溢れてくる。声を殺して泣いているのも苦しくなって、とうとう声をあげてしまった。
「大丈夫?」
智也が飛んできた。
「来ないで!」
顔を見られたくなくて、枕を投げつけて背を向ける。
「ちょっと!今日ヘンだよ。どうしたんだよ?」
宙を舞う枕をよけて智也が近づく。
「来ないでって言ってるでしょ!」
「怜羅!落ち着いて!」
泣く怜羅を、後ろから智也が抱きしめる。
「…ちゃんと話して。俺たち、これから夫婦になるんだよ?家族になるんだよ?だから、ちゃんと話して。」
家族という言葉に反応し、何も言わずにしゃくりあげる怜羅。智也が強く抱きしめる。
「怜羅。」
「…だったの。…今朝の、あの女の電話が…。」
「あさ美の電話のこと?」
無言で頷く。
「同窓会だよ?」
「どうして、“今日、会えない?”なの?どうして、智也なの?」
「そのことで、ずっと?」
また無言で頷く。
「…連絡したのは、俺だけじゃないみたいだよ。」
びっくりして顔を上げると、智也の笑顔が待っていた。目が合うと、智也の胸の中にしまいこむように包み込まれる。
「大丈夫だよ。元カノって言っても、高校の頃のこと。会ったら結婚のことを話すつもりでいるよ。…でも、怜羅が妬いてくれたのは、ちょっと嬉しかったな。」
智也は、子どもみたいに泣く怜羅を再び抱きしめると、今までで一番熱いキスをした。




