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恋文   作者: フジイ イツキ
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江ノ島デート(前編)

 葉菜がこの職場に来て既に4ヶ月が過ぎようとしている。仕事も要領よくこなすため、高幡は自分が管理していた仕事をそのまま葉菜に担当させた。社員の手続き関係の書類も高幡を通してではなく、葉菜が窓口となって行う事も多々あった。外部への提出書類の作成に追われその分、多少の残業は出てきてしまっていたが、派遣でもしっかり手当は出るし、やりがいを感じていたためその事に関して、不満はさほど抱かなかった。

 一葉を通じて加治が葉菜の自宅に来る回数も増えていた。主に、3人で夕食を囲む事が殆どだったが、時には一葉の見つけたイタリアンの店や時には居酒屋などで食事やアルコールを嗜む事もあった。

そんな時間を繰り返していくうちに、葉菜の中で加治のいる週末に、次第に当たり前のように慣れが生じていた。

「ただいまー」

 金曜の夜は思い切り残業をしたため、帰宅が20時を過ぎていた。一葉が帰宅していることを当てにしていたのもあったのも一つだが、翌日が休日だということでその分、張り切ってしまったのだった。

「おかえりー」

 一葉は姿を現さず、キッチンから声だけが聞こえた。玄関を上がると、既にカレーの匂いが漂っていた。トレンチコートを脱ぎ、履いていたパンプスを下駄箱に仕舞う。一葉は相変わらず玄関の隅に履き潰しのスニーカーを脱ぎ捨てていた。葉菜は、来客用のスリッパを出し、後から来るであろう加治に用意をしておいた。その行動が自分でも驚くほど自然で無意識だった事に、葉菜は気づかなかった。

「今日は、カレー?」

 キッチンに入ると、大き目の鍋を火にかけ煮込んでいるのが目に入った。

「あたりー。俺の得意料理の一つ! もーすぐ葵くんも帰ってくるって。さっきLINEで言ってた」

 週末になると、たいてい加治が家に訪れる。これも、繰り返された日常からもはや習慣となっていた。

「そう。一葉は同じ職場の私より、葵くんと連絡密だわ」

 葉菜は感心していたが、一葉は少し呆れ顔をしていた。

「そうかなぁー。最低限だけど? てか、ねーちゃん同じ会社に居てどーしてそんな会話しないの?」

「仕事が違うから。私は事務所でデスクワーク。葵くんは出社したと思えば夜まで出ずっぱりだったりするわ。酷いときには、直行直帰する場合もあるから、その時は全く会う事もないし」

「ふーん。そーいう時は、淋しかったりするわけ?」

 ニヤ付いて口元を少し上げて一葉は鼻を見ていた。

「そんなわけ、ないでしょう。一葉はすぐそーいうふうに取るんだから! 人の気持ちをからかわないの」

 葉菜は静かな声を少しだけ張り上げそう言い捨てて、葉菜は着替えをするのに自分の部屋へ行ってしまった。

 ストレートな想いを投げかけてくる加治の葉菜への気持ちは、十分見据えていた。その度に葉菜は対処に困りつつ、自分の中に生きているスナオを思い出して自分の居場所を再確認していた。しかし、不意を打つかのように葉菜の心の隙間に入り込んだ加治の存在に、意識がゆらりと傾いた時には、加治の中にスナオの面影を探しどこかで比較しては、自分の意識をスナオへと軌道修正していた。しかしそれが時には無理をしているような、苦しさを感じさせる事も少なくなかった。加治との時間が増えた事で、葉菜の中のスナオの存在がどんどん小さくなってしまい、次第に消えてしまうのではないかと大きな不安が膨らんでいた。

 部屋に入ると、明かりを点けずにまっすぐベランダへ出た。少しひんやりした夜風が葉菜の頬を撫でていた。空を見上げると、細く黄金色に輝く三日月が空高く見えた。細い輝きだったが、辺りは月明かりで明るかった。葉菜は不安げに表情を曇らせスナオの想いを馳せると、今にも泣き出しそうになっていた。丁度、家の近くまで来ていた加治は、ベランダに出ていた葉菜の姿を見つけた。思わずその場から声をかけたくなっていたが、夜の住宅街でそれはまずいと思い、歩く足を速めて家に近づいて行った。

「……葉菜……さ」

 葉菜の家の丁度ベランダの下辺りで加治は葉菜に小声で声をかけようとした。が、細い月明かりに照らされ見えた葉菜の思いつめた表情に、息を潜めた。薄っすらとだが、葉菜が涙を流しているように見えた。すすり泣くような弱弱しい声と鼻をすする音が小さく加治の耳に届いた。加治の顔からは笑顔がストンと抜け落ちた。何があったのだろうと、心配する思いもあったが涙の理由が何となく察しがついていた。“死んでしまったキミ”の事だろうと。そうして、どうしようもない思いで胸が押しつぶされそうになり、加治は俯いて小さく溜息を吐いた。

 しかし、自分まで落ち込んでどうすると、加治はその場ですぐ自分を無理矢理励ました。自分が葉菜を笑顔にしなければと気持ちを引き締め、力なく笑みを浮かべながら小さくため息を鼻から吐き出した。

 インターフォンを押すと、一葉の声に加治は元気よく「こんばんはー!」と声をかけた。そうして、笑顔を作り奥歯を少しかみ締めた。

「いらっしゃい!」

 一葉はドアを開け、加治を家に入れた。

「ん? 葵くん、なんかいーことあったの? すげー笑顔で」

 一葉に聞かれると、加治は表情を崩さず作り笑顔のまま「そりゃぁ、葉菜さんに会えるし、美味しい料理が食べられるからだよー」と、空元気で答えた。

「葵くんは幸せ者だねー。うん。よかった。よかった」

 何も疑わず感情を平たくしたように淡々とそう言うと、一人で納得した一葉は、くるりと方向を180度変えて、キッチンへスタスタと歩いて行った。加治がリビングへ入ると葉菜の姿はまだなかった。すっかり我が家のような感覚で、鞄を置くと洗面所を借り手を洗った。秋口になり、蛇口の水が少しひんやりと指先を冷やしていた。きゅっと、蛇口を閉めると大きな手をタオルで拭った。洗面台の鏡の前に映った草臥れた顔をした自分の顔を見て加治はもう一度、蛇口を捻り水を両手ですくうと顔をジャブジャブ洗った。洗っても、洗っても、押しつぶされそうな胸の苦しさが残っていた。加治は、葉菜のあんな顔を、見たくはなかった。葉菜の哀しみが拭えるのなら、何とかしてあげたい。その気持ちで一杯だった。しかし、以前に葉菜が言った『スナオと生きてるんです』の言葉を仕方なく汲んでいた。葉菜の想いを大事にしたいのは一番だった。強引な態度でそれをかき乱してしまう事は自分の性格上できない事がわかっていたからだ。勿論、押してしまっては葉菜に酷く嫌われることも加治にとっては怖かった。

 前にも後ろにも動けない自分自身が情けなくも思え、落ち込みそうになるがそれをあえて無視した。そうして、今のこの生ぬるい関係を保っていた。

 顔を洗っていると、着替えを終えた葉菜が2階から降りて現れ、大人しくそれでいてゆっくりと葉菜の声は加治の耳の中に入り込んだ。

「こんばんは。顔、タオルこれ使って下さい」

 葉菜は棚から洗濯されたふわふわのタオルを加治に差し出した。顔から水が滴っていたが、そのまま葉菜の顔を見た。瞼がかすかに腫れ目が充血して赤くなっていた。泣いていたのは間違いないと加治は思った。

「……ありがとう」

 葉菜からタオルを受け取ると、加治はタオルに顔を埋めた。何度も歯を食いしばりやりきれない自分の鉛のような重苦しい思いを、飲み込んでいた。

 夕食の食卓を3人で囲みながら、話題の中心が一葉の同僚の話になっていた。同僚と言っても、同じモデルの女友達らしく、一葉は恋愛相談を持ちかけられた話を葉菜と加治に聞かせていた。一葉と同じメンズファッション誌のモデルの男が気になると、自分の事をどう思っているか知りたいと、悶々とした気持ちを一葉をつかまえカフェで2時間以上話していたと言う。一葉は少し憤慨しながら、口を尖らせて話していた。

「一葉くんは、なんてアドバイスしたの?」

 加治に聞かれると、一葉は手にしていたスプーンを置いて両腕を組んだ。偉そうにイスにふんぞり返ると、まるで目の前にそのモデルの女がいるかの様に、話し出した。

「どう思う? って、そんなの俺はアイツじゃないんだからしらねーよ。そんなに知りたきゃ直接本人の口から聞きなよ。俺が、憶測で物を言った所でそれがお前の中で膨らんで更に悶々とするだろう? それって、アイツの本心でもなんでもない。アイツがお前をどう思うか知る前にさ、ティーンの片想いじゃないんだから、遠くから女友達とウジウジしてないで、友達でも巻き込んで近づけば? いつまでたっても何にもおきねーよ! って、言った」

 一葉の向かいに座っていた加治も、隣に座っていた葉菜も目を丸くして一葉を見ていた。

「なに? 俺、なんか変だった?」

 一葉は組んでいた腕を解き、2人をきょろきょろと見ていた。

「……一葉、アニメ好きなのに、どうしてそんな力説できるの?」

 葉菜は唖然として一葉に尋ねた。すると、一葉は勝ち誇ったような顔をして葉菜を見た。

「そんなの、アニメだって身になるさ! まぁ、どっちかっつーと、俺の周り女友達多いんだよね? モデル仲間の。アイツらまず、俺を男として見てない。だからたまに、女子会とか参加するし。ガールズトーク聞いてるとさ、やっぱ俺って男なんだなーって思うわけ。男と女じゃ考え方が根本的に違うじゃん? 俺がアドバイスすると、アイツら『一葉くんは、女の気持ち全く分かってない!』ってギャーギャー攻め立てられるわけよ。当たり前だろ! 俺は男なんだからって、思うんだけど。まぁ、アイツらは話きいてほしいだけなんだろーなって思って、その場では同調して聞いてるけどね」

「一葉くん、俺少し見直した……」

「えー!? なに? 今まで俺って、オタクなヤツとしか見てなかったってワケ?」

 一葉に問い詰められ加治は苦笑いして、一つ頷いていた。

「えー。マジでかよー。確かにそれはそーだけどさぁ……。ねーちゃん、葵くん、ひでーよな!」

 隣にいる葉菜に言葉を投げかけたが、葉菜も加治と同じように苦笑いしていた。

「え? まさか、ねーちゃんまで? 嘘だろ?」

「だって……一葉、女の子の気配全くないから。アニメやフィギュアがお友達なのかと思ったの。けど、それ聞いて少し安心したわ。女の子の友達もいるのね」

 真面目に葉菜が答えると、一葉は両手で頭を抱えオーバーなリアクションを取っていた。

「みんな、ひでーよ! 俺、悲しいっ!! いいんだ! 悲しいから俺、明日アキバ行って慰められてくる!」

 一人で嘆いている一葉を、葉菜と加治は和やかに温かく見守っていた。

「そうかー。一葉くんが、アキバで楽しむなら、葉菜さん良かったら俺と一緒に出かけませんか?」

 加治は笑顔で葉菜を見ていた。さっきまでの重苦しい胸の感覚はまだ微かに残っていた。

「え?」

「お! デートだ! ねーちゃん、折角なんだから行ってきなよ!」

 さっきまでいじけていた一葉は、ニヤリと笑みを浮かべ葉菜を見て茶化した。葉菜は戸惑いを隠しきれず口を小さくパクパクとさせて2人を交互に見ていた。

「……か、一葉も、一緒に行かない?」

 葉菜が弱弱しく一葉に助け舟を出すが、一葉は意地悪そうな顔をして口元を上げていた。

「ねーちゃん、ガキの遠足じゃねーんだから。保護者同伴って、おかしーだろ? 俺は、アキバに行くの。ねーちゃん、たまにはさ葵くんと出かけてみなよ。気楽に考えてさ。途中で嫌になったら、さっさと帰ってくればいい。ね!」

「おいおい。一葉くん。それはないだろー……って、言いたい所だけど。一葉くんの言うとおりです。葉菜さん、気楽に行きましょう。あまり自分を追い詰めないで下さい。苦しんでる顔見るのは、俺も辛いから……」

 加治は残った胸の痛みを重ねて、言葉を葉菜に投げかけた。葉菜は少し考えている様子で目の前にあるグラスに注がれた水を見つめていた。2人の言う“気楽に”の言葉が少し葉菜の気持ちを緩めてくれた気がした。そうして、自分の中で納得すると顔を上げて加治にゆっくり頷いて見せた。

「ホント!? よかったー!」

 加治は目じりを下げ、皺を寄せてにかっと笑った。嬉しそうな加治を葉菜は小さく笑って見ていたが、胸の奥にはもやがかかっていた。


 午前9時という早めの時間だったが、加治は待ち合わせではなく葉菜を車で迎えに来た。Aラインの深いグリーンの長袖ワンピースを着て支度をし、家の外で待つ加治に挨拶をすると、後ろに止っている車に視線を移した。

「…………」

 何かの縁なのか、葉菜はその車を見た瞬間胸がぎゅっとなり、懐かしさよりも苦しさを感じていた。

「これ、葵くんの車?」

「そう。実家に止めてるんだけど。高速使ったから案外早く着いちゃった。身体に似合わない車だと思った?」

「いえ……そんなことは……」

 加治は助手席のドアを開け、葉菜を誘導しながら話していた。立ちすくんだ足を前進させ、葉菜は加治の車である黒のロードスターに乗り込んだ。

「ありがとう」

 紳士的な行動までもが、遠い記憶と重なり葉菜は込み上げてくる複雑な思いを必死に抑えていた。

 加治が運転席に乗り込むと、2人の距離がぐっと近くなり、さらにシフトチェンジで操作をする加治の左腕が葉菜の腕に触れそうになり、葉菜は両腕の肘を手で支えながら、できるだけ意識しないよう気持ちを落ち着かせた。

「一葉くんは、もう出かけたの?」

 出発し、家から少しずつ離れて行くと加治は葉菜に尋ねた。

「いいえ。まだ寝てます。夜遅くまで撮りためしていたアニメを見ていたみたいだし」

「好きだねー。はたから見ればそんなふうには見えないんだけど。分からないものですね。人の趣味って」

 葉菜は運転している加治の顔を見ていた。楽しげでずっと笑顔が絶えない加治に葉菜もつられて小さく笑って見せた。

「わざわざ車だなんて。遠かったでしょう? 電車でも良かったんですが……」

「高速使えば、朝だしそんなに時間かからなかったから、それほど遠くは感じませんでしたよ。それに、せっかく葉菜さんとデートするなら、こうして車でドライブしながらのほーがいいなって、思ったんです」

 葉菜は加治の笑顔を見るたび、胸が痛かった。車内の雰囲気は車の作られた年代が多少違うのだろうか、葉菜にはあまり良く分からなかったが、低いボディからの視界は変わらず懐かしさを感じていた。 

 高速道路に乗り、しばらく走ると湾岸に沿って快適なドライブになっていた。葉菜は車のガラスに顔を寄せてきらきら光る海を見ていた。

「海見るの久しぶり……」

「ここら辺、工場地帯だから海の雰囲気なんだけど、夜は案外鉄骨の無機質な雰囲気とライトがいい具合に綺麗ですよ。海岸まで向かうんで、海は、お楽しみにしてください」

「はい」

 葉菜は笑みを浮かべて返事をした。

 移動中、加治は自分の身の回りの話をしてくれた。会社の話を少しした後、同じバンドメンバーが不慮の事故で亡くなってしまった事、元恋人を殺した犯人が捕まったが死んでしまった事を話していた。友人や元恋人を思い出しかけてしまい、哀しい雰囲気を変えようと、加治は話題を葉菜に向けた。

「俺、一人っ子だから葉菜さん達見ているとすごく羨ましいんです。なんか、自分にお兄さんとお姉さんが出来たみたいで」

「ふふ。一葉は葵くんより年上だけど、なんとなく一葉の方が子供に見えるわ」

 葉菜はくすくす笑った。加治もそれにつられ笑顔を見せていた。

「前から思ってたんですが、葉菜さんの名前って、女の子だからお花とか華やかの方かと始め思ったんですけど、名字から全てがなんていうかグリーンな感じですよね?」

「えぇ……。実は、亡くなった母が華子と書いて“かこ”って言うんです。子供の私から見てもとても我侭な性格の人で、『この家に“華”は1人いればいい』って。父はお花の方で何か考えていたみたいですけどね。で、あれば引き立て役って所で私も一葉も、母が名付けたそうです」

「ふーん………。葉菜さんが大人しい控えめな性格なのは、お父さん似ですか?」

 加治は少し首を傾げで葉菜に尋ねた。葉菜は少し考え込んで、ゆっくり加治に話しかけた。

「どうでしょう。父はそう言われてみれば大人しい性格でした。けど、いくら親子とは言え、1人の人間なので、私としては、母がとても大人気ない人だと小さい頃から思ってました。なので、その周りにいる私達がそれをフォローすると言うか。悪く言えば、母に振り回される事が多かったんですが、私達の関係全体で見ればそれは良かったのかも知れません」

「振り回わされるのに……ですか?」

「ふふ。そうです。母の行いによって私達がいい具合に動かされて、そうする事で私達家族が安定をしているみたいな」

「葉菜さん、寛大ですね。お母さんは、幸せ者だったんでしょうね」

「どうでしょうか。若い頃の夢が親によって断たれてしまったみたいで。人生に後悔してましたよ。モデルとか芸能関係に就きたかったみたいでしたが」

「それじゃぁ、一葉くんの事は喜んだんじゃない?」

 加治の質問に葉菜は小さく溜息を吐いて横に首を振った。

「母は『自分自身がなりたかったのに』って言うのが強くて、一葉を酷く妬んでしまって……。そんな頃に事故で両親が亡くなってしまって。一葉は辞めようかって悩んだんですが、父が生前、母の居ない席で一葉に言ったんです。『母さんの子でもあるけれど、1人の人間であり自分の人生なんだから、やりたい事をしなさい』って、背中を押されて今に至るんです」

「そうでしたか……。一葉くん、ファッション誌の中じゃメチャクチャカッコいいですもん。色んな服着こなして、紙面の中でバシッと決めてくれるんですよねー。見てて惚れ惚れします」

「ふふ。本人に言ってあげてください。ああ言う性格でひねくれてる所あるけど、喜ぶと思います。葵くんがオシャレなのは、男の人もファッション誌見て、情報いろいろ取り入れるんですね?」

 葉菜は加治の着ている服を見て言った。仕事では大抵海外ブランド物を着ている事が多いが、私服では、ショップで目にするブランド物の服をキッチリ目に着こなしていた。

「うれしーなぁ。葉菜さんにそう言ってもらえて! もともと服は好きなんで、ファッション誌に限らず街中歩く人を見てとかアンテナ張ってますよ」

 それから目的地まで到着するまで、2人は自然な空気の中会話とドライブを楽しんだ。高速道路事態はそれほど混雑はなかったが、高速を降り鎌倉に近づくにつれ八幡前付近で道は渋滞し始めるとそこから海岸線の交通量が多くとろとろとした運転が続き、ようやく到着した。

「江ノ島、すごく久しぶりに来たかも……」

 葉菜は車を降りるとそう言った。風に乗って潮の匂いがふわりと漂う。2人は観光客に紛れ込みながら江ノ島を散策し始めた。

「すごい人だね。こんなに賑わってるなんて思わなかったなー」

 葉菜は加治の横を付いて歩きながら、道に並ぶ店をふらふらして見て歩いた。

「葉菜さん! 小腹空かない? 俺、これ食べたい」

 加治は店先から漂う蛸せんべいの香ばしい匂いにそそられ、それを指差して見せた。

「すごい。大きいね」

「2人で半分しよう! どう?」

「えぇ。それなら」

 葉菜が了承すると加治は列に並び、大きく薄っぺらい蛸せんべいを手に入れて嬉しそうに葉菜に差し出した。

「葉菜さん、どうぞ」

 加治の大きな手から、その大きく薄っぺらい蛸せんべいを受け取ると、片手でぱきっと割って一欠けら貰うと、再び加治にそれを差し出した。

「いっただきまーす」

 加治も手でせんべいを割り、2人はそれを口の中へ頬張った。

「うまいねー!」

「うん。おいしい」

「これ、蛸丸々一つ使ってプレスしてたね。すげーなぁ」

 薄っぺらいせんべいになった蛸をまじまじ見て、加治はそう言った。葉菜は小さく笑みを浮かべて加治のすぐ傍で見ていた。

 秋風が潮に乗り、少し肌寒さはうっすら感じられていたが、天気が良く日光が温かかったため丁度良い気候だった。

 江ノ島エスカーに乗り、さらに奥の方へ散策し展望台で江ノ島の辺りを一望した。休日ともあり、観光客が多く、押し合いへしあいしながら2人は歩いた。

 展望台を出ると、葉菜は何かに気が付き加治から少し離れて行った。

「葉菜さん?」

 加治が葉菜に近づくと葉菜は身体を屈めて、野良猫を撫でていた。三毛模様をした猫は大人しく、人になれている様子でゴロンと寝そべるとお腹を見せて、葉菜に腹部を撫でられていた。

「ふふ。人懐っこくて、かわいい。私、猫好きなんです」

 葉菜は穏やかに笑みを浮かべ、嬉しそうに猫を撫でていた。加治は、一葉から葉菜が猫好きだと聞いていたため、江ノ島行きを選んだ一つの理由がそこにもあった。しかし、それはあえて言うまでもないと思い、加治は猫に戯れる葉菜の姿を見つめていた。

 どこからか、黒猫が1匹やってくると葉菜のもう片方の甲に頭を擦りつけていた。

「葉菜さん、猫に好かれてますねー」

「ふふ。こうして猫と遊べるなんて、嬉しい」

 大人しい声で葉菜がそう言うと、加治は胸の中でたまらなく喜んでいた。

 広場では大道芸人がパフォーマンスをしているのを客が囲んで眺めていた。2人はさわりだけ見て歩き出した。人混みで少し密度が高く、行き交う流れが混乱していた。加治は後ろを歩いていた葉菜の手を取り、離れないように歩いた。

「!!」

 葉菜は加治の大きな手に握られて、ドキッとしたが何かを言おうとも抵抗もしなかった。暗黙の了解で葉菜はそのまま加治と手を繋ぎ歩いていた。加治は加治で、緊張した様子で葉菜の顔を見ることなく、まっすぐ前を見て歩いていた。お互いにまるで10代の子供のように、手を繋いだただそれだけで、緊張する思いでいっぱいだった。 

 

 

今回は前編後編と続きます。

ここまでご覧頂いてありがとうございます。m(__)m

この後も続きますので、よろしければお付き合いお願いします。:)

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