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恋文   作者: フジイ イツキ
3/7

来客

 職場での加治の態度は全く変わらず、葉菜はどこまで本気で何処までが冗談なのかさっぱり検討もつかなかった。相手にするだけ疲れると入職当時から考え、さらりと交わしていた。同じ事務所の女性陣達は、葉菜の交わしように感心していた。

 台風が去り、ようやく天気も回復したと思いきや今度は梅雨明け宣言が発令され一気に真夏のような暑い日が続いていた。外回りして帰ってくる営業の男性人は滝のような汗をかき、帰社してくると「ここは、天国だー」と口をそろえたかのように言っていた。

 冷房が効いた室内で、女性陣の殆どがカーディガンとひざ掛けをしていた。冷えひえになった室内温度は所長が握っているため、上げることができないでいた。

 夕方、女性陣達は金曜ともありできれば定時に帰りたい一身で、全員仕事を終わらせようと黙々とディスプレイを見つめ、カタカタとキーボードを叩いていた。それまでは、所長が外へ出てしまったため室内温度を上げ、コーヒーブレイクで雑談していたのだが、誰しも残業しないで上がろうと気持ちを合わせ、意気込んでいた。葉菜はとしては、終われる仕事はさっさと片付けるに越したことがないと、それに便乗していた。

「お疲れさーん。お先にー」

 定時ぴったりでタイムカードを押したのは、以外にも営業の加治だった。誰しもが驚き、顔を合わせた。帰り際、高幡が加治に声をかけた。

「加治君、珍しく早いねー。デート?」

 冷やかしたつもりだったが、詮索する気持ちもあるのではないかと、女性陣は苦笑いしていた。加治は高幡の質問に笑顔で頷いた。

「そう! じゃーねー。お疲れさーん」

 加治の言葉に女性陣は、一杯食わされたような、そんな感じがしていた。拍子抜けした高幡の顔は、次第にショックを隠しきれないような少し冷めた顔をしていた。顔に出るタイプなのだろうか、分かりやすいと葉菜は内心そう思いながら、自分もそろそろ退勤できる準備をしていた。

 会社から外へ出ると、ねっとりとした暑さが夕方になっても続いていた。日がまだ明るくこのまま帰ってしまうのは少し残念な気持ちになった葉菜は、駅前の百貨店に立ち寄りふらふらとお店を眺めて歩いた。足のだるさが感じられ、最後に地下で今日食後に食べるスイーツでも買って帰ろうと考えた。ショーケースには、キラキラした光にカラフルなフルーツの乗ったゼリーがお行儀良く並んでいた。あれこれ見て歩きながら、葉菜はフルーツの乗ったケーキとガトーショコラ、イチゴのムースを選んだ。なぜか普段なら一葉と2人なので必要最低限2つ購入する所なのだが、明日も休みだしと緩んだ気持ちが前に出ていた。それぞれ2つずつを購入し、手に下げ自宅へ戻った。

「ただいまー」

 一葉が既に帰宅していた様子だったが、玄関にはもう一つ黒い大きなサイズの革靴が行儀良く並んでいた。誰だろうかと、葉菜は首をかしげた。一葉のマネージャーはやはり男性ではあったが、こんなに足が大きくない。

「葉菜さん、おかえりなさーい! お邪魔してます!」

 リビングから姿を現したのは、一葉ではなく、先程颯爽と会社を出た加治だった。

「えっ!! どうして加治さんが家に?」

 目を丸くして、玄関で放心状態の葉菜は頭の中が混乱し始めた。

「ねーちゃん、おかえり。俺だよ。今日、昼間偶然都内で会ってさ。話弾んじゃって、よかったらって、家にご招待したのさ」

 アニメキャラクターのエプロンをかけ、現れた一葉に葉菜は困った顔を浮かべ、目で訴えていた。

「まー、そんな顔しない。これはきっと、葵くんも言う“何かの縁”だよ。ねーちゃん、ぼーっと突っ立ってないで。あ! それ、スイーツ買って来たんだ!? ここの店のちょー美味いんだよねー」

 一葉はぱあぁっと明るい顔を見せて、葉菜の左手に下げた紙袋を指差した。

「なぜかしら、普段なら2個しか買わないのに今日は3種2つずつ買っちゃったの。丁度良かったわ」

 驚いたまま葉菜はそう答えた。

「うれしーなぁ。俺が来るの葉菜さんよそーしていたんじゃないですか? 俺も甘い物に目が無いんですよ。そこのお店のはどれも美味しいですよねー」

 加治と一葉のOLの女子の会話のような流れが一瞬飛び交い、葉菜はぼーっと2人のやり取りを見ていた。そうして、頭の中で加治が居る事を受け止め一葉を責める事はやめようと、諦めた気持ちに切り替えていた。

 家に上がり、キッチンを覗くと野菜はカットされ材料がこの後調理される状態にスタンバイされていた。

「あとは、ねーちゃん作ってね。いちおー、ねーちゃんの得意料理トマトと海老のクリームパスタとアレ、用意しておいたから。サラダは適当に作って冷蔵庫入れてある」

 すらすらと一葉は献立を並べたが葉菜はアレと言うワードに意識が集中してしまった。

「ありがとう。一葉、アレって何?」

「えへへー。せっかく、葵くんが来たんだし、俺じゃなくてねーちゃんの手料理食べたいだろーと思ってさ。俺と同じで、葵くんも茶碗蒸しが好きなんだって。だから、作って下さい」

 にこりとした顔をして一葉はそう言った。

「お願いしまーす!」

 加治も一緒になってそう言うと、大の大人が2人して両手を合わせ葉菜の前でお願いしている様子が滑稽に思え、思わず葉菜は小さく笑ってしまった。

「ふふ。分かりました。ちょっと献立バラエティ飛んでるけど。いいわ。じゃ、着替えてくる。一葉、これ冷蔵庫入れておいて」

「はいはい」

 一葉はにこにこしてスイーツの入った紙袋から箱を取り出し、冷蔵庫へしまった。ふと、気が付くと加治が葉菜について一緒に二階に上がろうとしていた事に、葉菜は気が付いた。

「えっ!? 加治さんっ? どうして付いて来るの?」

 焦った葉菜は、階段の途中で足を止めた。

「どうしてって、葉菜さんのお部屋見てみたいなーって」

「ダメです! リビングでゆっくりしていてください」

 笑顔の加治に対して葉菜はムッとした顔を見せぴしゃりと言った。

「えー。残念だなぁ。折角お邪魔したから是非、葉菜さんのお部屋も……」

「だから、ダメです!」

 葉菜の大人しい声が少し強くなり、思い切り加治を拒否した。

「そうですかー。うーん。残念すぎる……。いつか、お邪魔させてくださいね」

 諦めきれず、加治は笑顔を絶やさずに葉菜に言って階段をトボトボと降りていった。ホッとした葉菜は部屋に行き、動揺していた。颯爽と退勤した加治は自分の家にいて、一緒に夕食をする事態なっている事。一葉が既に加治とフレンドリーになり「葵くん」と呼んでいる事も。

 葉菜は部屋の窓を開けベランダに出た。ほんの少し暑さが弱まり薄暗くなり始めた空に欠け始めたまだふっくらした月が、薄い光を放って姿を現していた。葉菜は切な気な表情で月を見つめた。

 スナオがいなくなって以来、死を目の当たりにし哀しみにどっぷりと浸っていた訳ではない。黒田が好きだとカミングアウトし、一人で去ってしまった失恋の傷や痛みは怒りにも変化し、行き場の無い想いを抱え続けてもいた。それらは葉菜の中で壁として作り変えられ、乗り越えるべきだとずっと思っていた。その壁にぶつかっては立ちすくみ、前に進めずもがき苦しんでいた。

 時間をかけ、ようやく葉菜の中で見えた答えは『スナオと共に生きる』事だった。死を悔やんでも、黒田が好きだった事もどうしようもないのだと、受け入れ始めた。スナオがあの時、話、遺書に残してくれた片割れの言葉を受け止めた。そう考えると、目の前に立っていたであろう壁は消え少しずつ気持ちが前に進み始め出していた。スナオの趣味が影響したのはこの頃からで、葉菜は自然と緑色の服を着たり、持ち物にも緑色が増えていた。職場の人達は初対面の加治同様、名字に色がついているそのせいと勝手に思い込んでくれて葉菜は良かったと思っていた。ワインを覚え、お酒が飲めるようになった一葉と一緒に飲むこともあった。葉菜は、スナオの影を追いながら自分の傷を癒して行った。一緒に生きているのだと、思い始めた頃だった。葉菜は、一人の男と結婚した。

 声をかけてきたのは、同じ職場の同僚であり先輩の黒田だった。黒田は、葉菜が入社した頃から気にかけていたと言う。葉菜は、暫く黒田の誘いを断り続けた。スナオの黒田を想う気持ちに気が咎めていた。それとは裏腹に、葉菜は黒田に疎ましい思いもあったからだ。しかし、葉菜は自分の中で生きている片割れのスナオの想いを汲んで、好きでもない男と結婚した。好感のある人間ではあるが、葉菜の中に黒田に対して好意や愛情は全くなかった。自分がなんて残酷な人間だと、恐ろしくも思えた。

 そんな結婚は、勿論長くは続かなかった。葉菜の中で息が詰まり、日常にそれが漂っていた。いつしか大きな亀裂になってしまい、2年の年月でその生活は終ってしまった。

 黒田との結婚生活の中で、一度だけ葉菜はスナオの事を聞いた事があった。スナオをどう思っていたか。黒田は少し困った顔をし、小さく溜息を吐いて沈黙していた。葉菜は、黒田が沈黙を押し通すのではないのかと、半分諦めていた。しかし、小さく息を吸い口を開いた。

「……驚いたよ。いい後輩だと思ってたんだ。けど、男が男に好意をだなんて、考えただけで胸がムカついてくる。おかしいだろ。そんなこと。けど、まさか、あんな事になるとは思わなかった……」

 怪訝そうな顔をし、当時を思い出しながら黒田は言った。葉菜は、黒田の話を黙ったまま聞いた。葉菜はスナオの気持ちに置き換え話を聞いていた。それは途轍もなく哀しく、胸が締め付けられるような痛みを感じていたのを覚えている。


部屋に戻り窓を締めると、Tシャツにデニムパンツとラフな格好に着替えた葉菜は、下に降りて夕飯の支度に取り掛かることにした。一葉と加治はソファーでテレビを観ていた。こうして見ると、年相応の男にも見え葉菜は少し安心した。

「あ、葉菜さん! カジュアルな格好も新鮮ですねー」

 葉菜に気が付いた加治は、振り返りにこにこして葉菜を見ていた。

「ありがとうございます……」

 葉菜は小さく笑って見せた。隣に座っていた一葉も振り向いて葉菜に話しかけた。

「ねーちゃん。葵くん、都内で一人暮らししてるんだって」

「そうなんですか……? あ、でも先日横浜にご自宅がって言ってたような……」

 葉菜はキッチンに向かい、加治に話しかけた。

「嬉しいですね。葉菜さん、僕の事覚えていてくれて。実家が横浜の端の方なんです。週末だけ、実家帰ってます。平日は都内のマンションで一人暮らしですよ」

「じゃぁ、ご飯とかお家の事は加治さんがされているんですか?」

「食事は、料理全く出来ないんでコンビニだったり外食が多いです。掃除や洗濯くらいはなんとか……。葉菜さんがしてくれると嬉しいですね」

 加治は葉菜に笑みを浮かべてそう言った。葉菜は呆れつつも家事を自分でしている事に対しては感心していた複雑な思いで、苦笑いしていた。

「ねー。だから、また来てもらおうよ」

 一葉は葉菜に言った。葉菜は、一葉の友達ならばと抵抗する気持ちを抑えそれを受け止めた。

「そうね。加治さんさえ、よければ」

 葉菜がそう言うと、加治はすぐさま席を立ち葉菜を見た。

「ホントですかっ!! 来ます。是非また、お邪魔します!!」

 嬉しそうにそう言った声が少し大きくなっていた。くしゃっと笑った笑顔に、思わず葉菜もつられて顔をほころばせていた。

 料理は、一葉が下ごしらえをしてくれたお陰で、速やかに作り終えた。イタリアンと和食の融合的な食卓に並んだ料理を見て、加治は目を輝かせていた。

「うわぁー。いいですね。家庭料理。俺、泣けてきちゃうや」

 相変わらずのテンションの中、何かを思い出したのか加治は鞄を置いたソファーから、ワインのボトルを葉菜に差し出した。

「葉菜さん、赤ワイン好きだって一葉くんから聞いたので」

 ボトルを見ると、偶然なのか昔スナオが美味しいワインを見つけたと自殺前に2人で飲んだそれと同じだった。驚き、身体が一瞬止まってしまった葉菜の顔を、加治は覗きこんだ。

「あ、ごめんなさい。ありがとうございます。このワイン、私好きなんです。ちょっと驚いちゃった」

「よかったー。正直言うと、一葉くん情報なんです。けど、喜んでもらえてよかったー」

 素直にそう答えた加治に、葉菜は少しだけ見方が変わりかけていた。

 丁度、食事がトマト系のパスタとありワインが合った。3人でグラスを合わせテーブルを囲んでいる事が、葉菜にとっては夢を見ているような非現実的な事だと、まだ実感がなかった。

「美味い!」

 加治は葉菜の料理を口にして言った。それは、パスタに次いで茶碗蒸しを口にした後も同じだった。

「俺、やっぱり毎日葉菜さんの手料理食べたいです」

 加治はスプーンを強く握り締めそう言っていたが、葉菜の目にそのスプーンがとても小さく見えた。

「ありがとうございます。毎日は……。家にいらしたらいつでも。一葉も料理上手ですよ。子供が好きな食べ物ばかりですけど」

「ねーちゃん、俺は押し売りしなくていいよ。いいじゃん。自分の好きな物を作ったほーが、腕も上がるって」

 一葉は好きな物を最後に食べるタイプで、茶碗蒸しに手を付けず、ワインを口にしながらそう言った。

 テーブルを囲み、アルコールも入っているせいか話が弾んでいた。一葉は、加治の伸ばした顎鬚を見て「俺も少し髭伸ばしてみようかなぁ」と口にした。加治は賛成していたが、葉菜は苦笑いして見せた。

「葵くんみたいに、少しお顔はっきりしていると似合うのかもしれないね」

 すらりと出た言葉に、葉菜は瞬時にハッとした。その頃にはとき既に遅しで、満面の笑みで加治は葉菜を見ていた。アルコールが入ったせいか少し顔を赤くしていた。

「やったー。ようやく、葉菜さんが名前で呼んでくれたー!」

 嬉しそうに、向かいに座っていた一葉にハイタッチを要求し、一葉はそれに付き合った。

 話はそれから途切れることなく出てきていた。加治が小学生の同級生と活動しているバンドの話では、葉菜や一葉がまだ会ったこともないメンバーの顔が思い浮かぶようなほど、加治は熱心に彼らの事を話してくれていた。家族の話題では、おばあちゃん子で時々入所している老人ホームに顔を出している事、その祖母がくれた鞄を仕事で大事に使っている事も。

 職場での女好きの印象とは別に、加治個人の話を聞いているとそれほど悪い人ではないのだろうと、葉菜は内心思えた。

「葵くんは、なんつーか無邪気な大人だよね? いいね。毎日楽しそうでさ。けど、やっぱその笑顔の裏側には色々あったりするんだろうなー?」

 食事が終わり、葉菜はそろそろデザートを出そうかと見計らっていた頃だった。一葉が頬杖を付きながらワイングラス片手に話掛けていた。色白の肌はピンク色になり少し酔いが回っているようにも見えた。

 一葉に聞かれ、加治は目じりを下げ目を細めたまま少し沈黙した。加治の様子を気にかけ、葉菜は席を立ち空いた食器を下げながらデザートの用意を始めた。

「よく、悩みなさそうだよねって言われるんですが、一葉くんはするどいなぁ。あはは。確かに。俺、少し前まで、かなり落ち込んでたんですよ」

 葉菜は加治の前に置かれた食器を手に取り、顔を見た。力なく笑うその表情が少し哀しげだった。一葉はじっと、加治の話に耳を傾けるかのように加治を見ていた。

「少し前なんですが、付き合っていた彼女が浮気していたことが分かって。問いただしたら逆ギレされちゃって。別れ押し付けられて終っちゃたんです。俺としては、踏ん切りつかなくてスッキリしなかったんですが。彼女がそうしたかったんだから、仕方ないと」

 葉菜も一葉も黙って加治の話しに耳を傾けていた。少しずつ、加治の顔から笑みが抜け落ち俯いていた。

「それから少し経って、突然刑事が俺を捜してて、その元カノが殺害されたって。事情聞かれて。まだ、犯人とかわかんないみたいなんだけど、事件に巻き込まれたらしい……。それ聞いて、ショックだったんだ。別れたけどどこかで、元気にしてればって思っていたのに。殺されたなんて……」

「……犯人は、もう捕まったの?」

 一葉は興味本位で尋ねた。加治は首を横に振っていた。

「けど、俺少しずつ元気になってきたんですよ。すごく生真面目な友達がいて、恋愛なんて奥手なヤツで。俺が少し協力して、やっと付き合うようになってホッとして。その2人見てたら、俺もまた誰かと付き合えたらいいなぁ……って。それに、職場にこんな美人さんが入ってくれたし。一葉くんとも仲良くなれたし」

 加治はにこりと笑みをみせた。葉菜は、それぞれ箱の中から選んだデザートを皿に乗せ、彼らの前に置いた。

「誰かさんも、葵くん見習ってほしーもんだ!」

 一葉は独り言を2人に話しかけるように言っていたが、一葉の視線は冷たく葉菜を映していた。その言葉は、葉菜の胸にチクリと刺さった。加治は少し首をかしげ小さな笑みで一葉を見ていた。

「葵くん。ねーちゃんは、死んだ奴をいつまーでも想ってる。すげーずっと。他の男と結婚しても、そいつの方が良くて、結局離婚だ。だから、いつまで経っても独身で俺と一緒に家にいるワケ」

 葉菜は毒付いた一葉の言葉を黙って聞いていた。全くその通りなのだ。だから仕方のない事なのだと、反論する余地はなかった。加治は葉菜を見た。少し驚いた顔をしていたが、落ち着いた葉菜の様子からそれを察した。事実なのだと。

「加治くんは、前に進もうとしている。けど、ねーちゃんはいつまでもスナオくんが居心地よくってそこに居ついている。世の中にはたーくさん男がいるのにさ。ねーちゃんもっと周り見ろって、思うんだ」

 一葉は口をへの字にし、むっすりとした態度を示していた。微かに重苦しい空気がリビングに漂っていた。

「ごめんなさいね。なんか……」

「葉菜さん?」

 一葉の言った言葉が突き刺ささり、胸を痛めた葉菜の目からは涙が零れていた。

「すみません……」

 葉菜はリビングから出て自分の部屋へ行ってしまった。加治はどうすることも出来ず、ただリビングで一葉を前にしていた。テーブルに顔を伏せたまま、一葉は加治に声をかけた。独り言のように。

「スナオくん好きだったねーちゃんは、確かにすげー楽しそうだったけど。結局スナオくんは、死んじゃった。俺、ねーちゃんに、ちゃんと幸せになって欲しいだけなんだ……」

 弱弱しく一葉はそう言った。加治は黙ってそれを聞いていた。そうして、自分の胸の中に受け入れ難い感情がふつふつと湧いているのを感じていた。

「ごめん、一葉くん。俺、帰るから。今日は、ご馳走様でした」

 気まずい雰囲気と、胸の中に広がった感情にこのまま向き合う事を避けたかった加治は席を立ち、鞄を手にして一葉に声をかけ、いそいそと玄関へ向かった。

「こっちこそ。なんか悪かったね……駅まで道分かる? おくろーか?」

 浮かない顔をした一葉は加治を気にかけたが、加治は心配ないと一葉の気遣いを断り家を出た。外はすっかり暗くなり、虫の鳴き声が一定のリズムで聞こえていた。葉菜の家から駅までは歩いて20分程の距離だった。加治は、歩きながら葉菜の事を考えていた。あの手の美人がいつまでも独身であることには、何かしらの理由があるのだろうと頭の片隅では思っていた。バツイチは想定していたが、過去の男が死んでも未だに葉菜の中で行き続けている事が、胸の中でどうも納得できず未消化だった。すんなりと、葉菜が手に入るとは思っていなかったが、居ない男を想い続けていると言うどうしようもない事に、加治は怒りにも似た疎ましい感情を胸の中に溜めていた。


 月は少しガスがかかってしまい、琥珀色の光が霞んでいた。葉菜は窓越しに膝を抱えて座り、顔を埋めていた。一葉とは、今日のように時々スナオの事で嫌味を言われることがあった。両親が亡くなって以来、一葉は弟だが葉菜の事を心配していたのだった。しかし、葉菜にとってはスナオの存在を打ち消されてしまいそうな、そんな思いがしてならなかった。だから、なるべく一葉の前ではスナオの話題は自分からは出さないでいた。

 加治に過去が知られた事は、葉菜にとってはどうでも良かった。今はただただ、一葉に自分の胸のうちを、居心地のいい場所と指摘されたスナオの存在を傷つけられたその事が哀しくてたまらなかった。

 

 

 

 


葉菜の過去が引き続き(さらりとですが)出てきました。

そろそろお話も佳境にさしかかります。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

引き続きお付き合いの程、よろしくお願いいたします。m(__)m

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