自己紹介
転職初日の新しい職場は、人見知りする性格の葉菜にとっては、しばらく憂鬱期間が続きそうで気が重たかった。職場であるキッチンショールームを扱う会社の営業所は、駅から近くにありショールームと一体化している建物の奥にあるこじんまりとした事務所には、所長と営業職と経理、総務合わせても10人だった。産休期間の代行で契約社員として総務で採用されたものの、代行する休職中の人と仕事を比較されてしまうのではないかと、心の奥で不安が募る気持ちもあった。
「緑川さんのデスクはここね。今、お休み中の河野さんのところ使って。彼女、一応中整理して産休入ったから、足りない文房具とか必要なものは奥のラックに常備しているから。それもストックが少なくなったら、高幡さんに声かけて。彼女、備品管理しているから。教えてくれたら注文してくれるわ」
マイペースに事務所内を案内してくれる同じ総務の安西の説明に、葉菜は高幡がどの人なのか顔も分からないまま話を聞き、疑問抱きながら付いて歩いた。あれこれと物を一気に教えて回り、覚えては一つ前の事が消えてしまわないよう、メモ帳にしっかり書き留めていた。
「大丈夫よ。初めから一気に覚えらんないから。分からなかったらいつでも近くに居る人に聞いてー」
必死にメモを取る葉菜を見て安西はケラケラと笑いながら言った。40歳の葉菜よりはるかに年下だったが職場では先輩でもあるため上目線で平気に話していた。「分かりました」と返事をしつつも、本当に必要な時にちゃんと周りの人間が教えてくれる環境なのだろうかとさえ、心配になっていた。葉菜は、長女で下に5つ違いの弟が居る。いつも「葉菜ちゃんはしっかりしているねー」と周りの人達から口をそろえて言われるのだが、それは葉菜が心配性が故に確認し覚え、それなりの対応を取っているからであって、しっかりしている訳ではないのだが……と内心では腑に落ちない気持ちをその度に感じていた。
「この後も、各部署の人達出勤してくると思うから、その都度声かけて教えるね。所長と経理の2人と営業の4人は顔合わせたから、後は総務の高幡さんと営業の加治さんね」
葉菜は社員の名前と一緒に、特徴も書き加えていた。顔と名前が一致するよう覚えるためだった。
「今日は、初出勤早々忙しいのー。前半の勤怠チェックしないといけないから。うち給与15日締めだから、タイムカード照らし合わせて行くのよ。今日は、半月分のチェックをするのよ。けど、一番忙しいのは15日なんだけどね。細かい仕事、緑川さん好きなほう?」
デスクに戻ると、隣の席に座った安西は葉菜に聞いた。少し焼けた小麦色の肌に長く茶色の巻き髪にまつげエクステをしっかり付け、黒のアイラインをくっきり引いたその顔は、どこかギャルが抜けきれない少女の雰囲気だった。聞かれた葉菜は、少し考え返事をした。
「そうですね……几帳面な方なので苦ではないと思います」
「やっぱりー。緑川さん、A型でしょう?」
安西は、ぱっと明るい顔をして少し声を大きくして得意気な様子だった。葉菜は血液型も細かい作業も本当になにを根拠に当てはまるのだろうか、安西の下した血液判断に少し疑問を感じつつしかし、実際血液型事態は合っていた為「そうです」と答えると、更に興奮して「やっぱりー。だって、緑川さん、見るからにA型って感じだもん!」と一人で納得していた。葉菜は血液型占いや占い自体それほど興味がなく、信用することも少なかった。職場や学生時代に出会った人たちの中には、やはり安西と同様に自分の知っている範囲の知識の中、その血液型で判断し自分をその色で見てしまわれる現象を多々通過してきた。少しでもその知識の範囲外の事が起きると「以外ねー」と驚かれる。
経理の女性が入れてくれたコーヒーを口にしながら、葉菜は早速勤怠の仕事に取り掛かった。
「あれー。俺のタイムカードないよー」
事務所の入り口で立ち止まり話している男がいた。爽やかな水色のワイシャツに紺色の地のネクタイには白い水玉模様が入っていた。背が高くがっちりした体格に無造作に仕上げた髪をした男に視線を一瞬向けると、男も視線に気がつき葉菜を見た。
「おーーーーっ! 美人さんだっ! 河野さんの代わりの人だねー。はじめましてー俺、加治 葵(かじ あおい)っていいます」
朝から元気で、安西よりもテンションの高いノリで現れた加治に、葉菜は面食らった。
「おはようございます。私、今日から来ました緑川 葉菜(みどりかわ はな)です。よろしくお願いします」
葉菜は勤怠チェックしていた手を止め、席を立ち加治に丁寧に挨拶をした。黒く長い髪とナチュラルなメイクをし、シンプルな濃いグリーンのワンピースに肩に掛けた紺色のカーディガン姿が、加治の目に止まり、目を輝かせて見ていた。
「あの……? えっと、加治さん…」
「そう! 加治 葵」
葉菜はメモを取りながら名前を見て思った事を、思わず口に出した。
「綺麗な名前ですね」
「ありがとー。女みたいって言われるかと思った。よければ、葵くんって呼んで下さい。葉菜さん! イメージからーですね。緑色」
にこにこした顔で、加治は葉菜を見ていた。葉菜は加治のテンションの高さと初対面で突然、着ていた服の色をイメージカラーと決められ、対応に困っていた。視線をデスクに移すと、加治のタイムカードをの前半をチェックしていたのに気づき、慌てて加治にそれを手渡した。
「すみませんっ。勤怠チェックしていて……」
「いいよ別に。嬉しいなぁ。初出勤で俺のタイムカードチェックしてくれるなんて。しかも、俺が出勤したらタイムカード渡してくれるんだもん。これって、運命じゃないですかね?」
よくもすらすらと前向きな事が出てくる人と、葉菜は呆れ半分凄いとさえ思えた。
「加治さーん。新人を朝から、颯爽とナンパしないでくださーい。仕事、これから外、出るでしょう? 山崎くん待ってるみたいですよ」
安西は呆れつつも、困っていた葉菜を見兼ね加治に声をかけた。
「ほーい。じゃぁ」
大きな掌をひらひらと葉菜に振り、加治は営業のデスクで待っていた新入社員の山崎の元へ行った。去った後の加治が付けていたブルガリの香水の残り香が、葉菜の鼻についた。
「加治さん、テンション高いでしょう? あの人ね、女好きで営業所だけじゃなくて会社関係じゃ超有名人だから。緑川さん、美人だし気をつけてねー」
安西の加治に対する簡単な説明だったが、妙に納得ができた。葉菜の中で加治の第一印象を一言で表すならば警戒だった。「はぁ……」と苦笑いして安西に返事をする。美人と言うくくりが引っかかったが、そこを強調して否定すると容姿に関しての人間独特のお世辞の押し売りが、タイムセールのように飛び交いそうで避けたかった。何も触れず、否定もしないでいるのもきっと自分でもそう思っているのか……と捉えがちだろうが、葉菜は気にせず仕事に集中した。
高幡は少し遅れて現れた。葉菜の入職に必要な書類を行政の窓口へ出向き、入手してきたからだった。
「はじめまして。緑川 葉菜です。よろしくお願いします」
葉菜は丁寧にお辞儀をした。自己紹介と言うのは、抵抗がある。葉菜にとっては挨拶の前に自己主張の一つと捉えているからだ。前の会社で受けた研修では講師に客室乗務員がマナーについて教えてくれたが、自己紹介を練習させられた。日本人は苦手らしい。葉菜は同感だったのを覚えている。自分の名前を相手に伝え顔と顔を合わせる。この簡単な作業は第一印象となる事を教えられたため、プレッシャーが大きい。服装、表情、声のトーン、視線など。完璧を追求しようとは思わないが、悪い印象を与えるよりは良い印象を与えたほうが良い事は確かだ。まして、これから暫く職場として毎日顔を合わせるわけなので、少しでも気持ちの良い環境で仕事をし過ごす事が自分自身にとってもプラスになれるならと、頑張った。
「高幡 恵(たかはた めぐみ)です。同じ総務なのでいろいろ聞いて下さい」
落ち着きある中に、凛とした雰囲気を感じた。小柄な身長とショートカットのせいか、少し幼げな印象を受けたが、仕事をするにあたり躓いたら聞くことが出来る受け皿を自ら作ってくれた相手とあり、葉菜はほっとした。
「高幡さん、きーてくださいよー。予想の通り、もう加治さんったら緑川さんナンパしてましたよー」
ピンクの艶やかなグロスをたっぷり塗った唇を尖らせ、安西は高幡に報告するかのように、話しかけていた。
「仕方ないわよ。あぁいう人なんだから。緑川さん、加治君のテンションには慣れなくていいですからね」
高幡は冗談交じりに真面目に話しかけてくれ、葉菜は小さく笑い頷いた。
「今、勤怠チェックしてるのね? お昼終わったら、会社の手続き通勤とか健康保険とか書類教えるので少し私に時間下さいね」
高幡は安西の隣の席に座り、安西に隠れた葉菜の顔を見るためイスを少し引いて話しかけた。
「はい。分かりました」
葉菜は高幡に返事をし、再び勤怠チェックを始めた。営業職である加治葵のタイムカードは残業ばかりで、22時を過ぎる退勤の打刻が殆どだった。なのに、朝9時にはあのテンションで元気そうに出社するバイタリティーに葉菜は感心していた。
午前中、葉菜は黙々とタイムカードのチェックを終え総務と経理の女性陣で近くのファミレスに入りランチがてら簡単な歓迎会をしてくれた。営業所では後日改めて歓迎会を開くと声をかけられ、葉菜は表上は笑顔で礼を言ったものの、内心は大きく抵抗していた。
ランチの間は質問半分、各々自分の主張半分で時間はあっという間に過ぎ去った。葉菜と高幡以外の女子は全員20代だった。その彼女達は全員、タバコを吸う喫煙者で、颯爽と各々の鞄からタバコを取り出すと、おいしそうに煙を吸い込んでいた。その状況に吸わない葉菜と高幡は内心煙たさを堪えていた。更に、ここでランチを囲んだ女子職員全員が独身だと言う事が明らかになった。葉菜は当たり障りのないよう、言葉を選びながら質問に答えていた。友達ではないし、契約が切れた後、この会社に居るかも分からない期間限定の人間関係に身の上話をしても、他人の話題のネタになるのが目に見えているため、中身の薄っぺらい人間と思われるほうがましだと思っていたからだ。
午後、高幡がキャスター付きの自分のイスを葉菜のデスクに持参し、会社の必要提出書類について説明をしつつ、会社の倫理規定についても説明してくれた。
「ここまでで、どうかしら? 何か分からないところとか、ありますか?」
ある程度の区切りで高幡は説明している内容について、葉菜に確認してくれていた。その丁寧なやり方が葉菜はとても気に入ったし、高幡自身も会社の中で一番親しみやすいと感じていた。それは、ランチで知った高幡が自分と一つしか年が変わらない事で、しっかり者と言われていた葉菜より、一つ年下の高幡こそ、しっかり者と言う人物の鑑だと思えた。
「えっと……この記載ですと入職後3ヶ月とありますが契約社員も同じですか?」
葉菜は有給に関して疑問点を高幡に質問した。高幡はテキパキ明確に答えてくれた。まるで、頭の中に就業規則が入っているかのようだった。
「大学卒業してから、ずっといるし長く総務業しているとね。嫌でも覚えるのよ」
感心していた葉菜に、高幡は苦笑いしながら答えた。
「高幡さんは、営業所の生き字引ですよねー」
安西は隣のデスクでそう声をかけた。彼女なりの純粋な誉め言葉なのだろうが、葉菜も高幡も同年代くらいの女性になると、二十歳そこそこの女の言葉は全て、裏を返した捉え方をしてしまう悲観的な耳と感情を持ってしまう年頃になっていた。
二人は苦笑いし、顔を見合わせた。ふいに営業部のデスクを見るとがらんとしていて、所長すら居なかった。葉菜を見て高幡がそれを察して説明してくれた。
「営業は、朝から出ずっぱりよ。お客の所で契約取れたらすぐ、仕事が動いたりもするから見積もり作るのに夕方戻ってきて書類作成。大変よね。割とうちの営業所は関連しているお客さんが固定しているから仕事ある方だけどね。ほら、一応モチベーション上げるために所長が張り出しているけどね」
営業成績表なるものが、営業部の壁に大きくプリントアウトし掲示されていた。今年上半期、上位はダントツで加治が実績を上げていた。
「加治さんて、以外に仕事できる方なんですね……」
葉菜が感心していると、高幡は笑った。お腹を抱えるほどツボに入った様子だったが、葉菜には何がどうしてそんなに面白く捉えられたのか不思議でならなかった。それに、テキパキとした高幡の雰囲気から、砕けて大笑いしている様子を目の当たりにして、葉菜は目が点の状態だった。
「あはは……やっぱり、第一印象が強いからですよね。うちの営業所は加治君あっての……って感じなんですよ。あぁ見えて、かなり努力家で真面目なんです」
高幡は自分の事のように嬉しそうに話していた。その雰囲気に葉菜はほんのりとした恋心を薄っすら察した。葉菜は小さく頷いて「そうなんですか」と呟くように言った。
葉菜の直感は的をついていた。高幡が提出書類があるということで、労働局へ出かけた後のことだった。安西と2人でコーヒーブレイクをし手を休めていた時の事。雑談の中で、さっき見ていた高幡との出来事を思い出し、いかにも話したそうにニヤニヤした顔を見せ、葉菜に話してくれていた。
「私もさ、聞いた話なんだ。前に居て辞めちゃった経理の子からね」
葉菜は又聞きの狭いワイドショーに付き合うハメになり、コーヒーを啜りながら安西の話を、顔を見合わせ聞いていた。
「加治さんが入社してすぐ、あの2人付き合ってたんだって。加治さんは、あーいう性格だから分かりそうだけど。高幡さんも目ざとい人なんだぁーって、ビックリした。しかも、割と面食いで軽い男が好きなのかって。あぁ言う硬そうな女の人って、やっぱ自分に無い物追い求めるのかもねぇ」
安西はクルクルに巻いた髪を指で絡めながら、さらにイスをクルクルと左右に小刻みに振りながら落ち着き無い様子だと葉菜は感じながら聞いていた。
「けど、加治さんあーいう人だから、堅物の高幡さんはヤキモチ妬いたみたい」
「今朝の、私にとった態度みたいな事ですか?」
葉菜はおずおずと安西に尋ねた。すると、安西は葉菜に人差し指を向けて大きく頷きながら「そう!」と答えた。
「見栄えないって言うの? 電話でお客の女性とか、同じ会社で他の営業所の女の子とかにしょっちゅうナンパしてるからねー。そりゃぁ、高幡さんの性格じゃ無理でしょう。で、1年持ったか持たないかで別れちゃったんだって。でも、毛嫌いして分かれた訳じゃないから、同僚としては何だかんだ言っても仲いいわ。その後、加治さんには彼女できたらしくって。けど、高幡さんは未だにアラフォー独身女子。未練もあるのかなぁーって、思っちゃったりして」
安西は小悪魔のようにニヤっと笑った。笑うと右上に八重歯がある事に葉菜は気がついた。それが安西に似合っていると素直に感じていた。
安西の話を聞き、葉菜は高幡にも若い頃があったのだろう。誰でも色んな道を通って経験して行くが、高幡はきっとそれを学習して成長していくにつれ、賢くなっているのかもしれないと思った。そうなれば、なるだけ身構えたり、社会的な地位や人間としてもハクが付きプライドの高い男であれば、そう言う女は避けて通るだろう。男性独特の女は一歩下がっては、いつの時代の話だ。時代と共に柔軟な対応ができなくては、女だって困るだろうに……と葉菜は思っていた。高幡が自分と年の近い女性だったと言うのもあり、自分を重ねて考えてしまっていた。しかし、高幡が未だに独身であるのは、彼女自身の問題だろうと、葉菜は深く考えるのをやめた。勝手に憶測してその人に自分の描いた色眼鏡を掛けて見るのは、邪道だと思っていたからだ。
初日の仕事は勤怠チェックと倫理規定、提出する書類作成で終わってしまった。総務は割と定時で上がれるのだが、経理は締めの請求日になると残業があり、営業にあたってはほぼ毎日のように残業しているが、遠方の取引先の場合はその場で直帰してしまうこともあるのだと、安西は教えてくれた。
「緑川さん、明日から外線も取ってみてね。総務も、営業や経理が取りきれないと電話出たりするから。取引先のお客さんの名前とか色々あって、最初は、? 見たいな感じだけどね」
高幡は電話をしているジャスチャーまで付けてくれそう説明してくれた。
「分かりました。今日は、ありがとうございました。お先に、失礼します」
葉菜はデスクに向かい、安西と高幡に声を掛けた。
「お疲れ様でーす」
安西も既にパソコンの電源を落として、直ぐにも帰る準備に差し掛かっていた。
会社は、建物自体はショールームと一体化しているが、中で分けられているため事務所に客が来ることは滅多にない。帰り際、建物に沿って歩いているとショールーム側で客と商談している様子の加治の姿が見えた。真面目な表情をしつつ時々笑い合い、和やかな雰囲気だった。ふと、さっき高幡が話していた事を思い出した。表面上は、軽そうだけれどあんなふうに真面目に仕事に取り組んでいるのだから、色んな顔は誰にでもあるものだと、葉菜は思いながら歩いていた。
ショールームの入り口に飾られた笹の葉には、七夕の飾りが折り紙で装飾されていたのを最後に目に留め、葉菜は空を見上げた。 パッとしない灰色の雲が広がっている。今夜も、月は見られないだろうと葉菜は内心淋しさを感じていた。
「たいだいまー」
家のドアを開け、玄関に揃えてあった靴を見て葉菜は一葉(かずは)が帰宅している事を確認した。
「ねーちゃん、おかえり」
葉菜の声を聞き、リビングから出迎えた弟の一葉は、Tシャツ姿にエプロンを付け夕飯を作っている最中のようだった。長身で細身の体格に黒く短めの髪と、二重の瞼や鼻筋の通った形のいい鼻、少し薄い唇と凛々しい眉は姉の葉菜に良く似ていた。一葉は今年35歳になるのだが、実年齢よりも若く見られる事が多い。酷いときには買い物先のレジでアルコールを購入した時、年齢確認を要請させられた事もあると言う。女の葉菜としては若く見られることは嬉しい限りだが、そう言う事態が起こると一葉はなぜかあまり良い気分ではないようで、機嫌が悪くなるのだった。
「一葉、早かったのね?」
「うん。撮影早く終ったから。今日、グラタンでいいかな?」
リビングへ入ると、既に鍋の中で煮込んでいるホワイトソースのクリーミーな匂いが鼻についた。
「いい匂い。ありがとう。ごめんね。今日、私がやる予定だったのに」
「いいよ。それより、初出勤お疲れ様。どーだったの?」
一葉は尋ねた後、すぐに火にかけた鍋を見に向かった。
「こじんまりしてたわ。事務の女の子たちは明るい人ばかり。年近い人もいて、その人はなんとなく気が合いそうかな。営業の男の人でやたらテンション高い人がいたけれど」
「へー。職場の人達が良さ気な感じなら、働きやすくていいんじゃない?」
一葉にそう言われ、葉菜は自分の中でも再確認し少しホッとした。
「着替えてくるね」
葉菜は一葉に声をかけ、自分の部屋に向かった。葉菜の住む家には姉弟の2人で住んでいる。10年前に葉菜の両親が交通事故で亡くなり、2人は実家であるこの家で協力し合いながら暮らしていた。弟の一葉はファッション雑誌のモデルやタレント業で生計を立てていた。35歳で独身という所が、姉の葉菜としては少し残念な所ではあったが、自分が戸建てに一人暮らしするよりは安心と一葉の同居をあり難く感じていた。家事も一通りこなすことができるため、2人で役割分担をして家事を助け合っていた。
部屋着に着替え、長い髪をシュシュで束ねると、薄く開いたカーテンと窓を開け、ベランダに出て空を見上げた。夜空には厚い雲が広がり気が塞いでしまうほど重く暗い空だった。葉菜は小さく溜息を吐いて肩を落とすと部屋の中に入っていった。
加治 葵くん。
作者の作品をご覧の方はご存知……と思います。
彼を描くのは楽しいです。
過去の作品から今回に至るまで、彼の様々な顔が伺えます。
友達との顔。職場の先輩としての顔。恋人を失った男の顔。
いつか、彼の恋愛小説を書こうと靴擦れを書いていて思ってました。カラーリバーサルで既にちょっと葉菜との事は描かれています。
表面上は、葉菜と葵の恋愛ですが、これから葉菜の過去とかも出てきます。
連載スタートしました、シリーズ完結編の『恋文』よろしくお願いします。
第一話をご覧頂きまして、ありがとうございました。m(__)m