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バクの見る夢 『起』

作者: 彬月正一郎

桜が散っていた。入学式の日、足早に散りはじめた桜木の中を歩いていると、一人の少女を見かけた。


彼女は木に手をかけ、目を閉じている。


−−−桜の木には死体が埋まっている。


ならば、彼女はその死者に対して祈っているのだろうか?


ボクは桜と同じくらいの早さで、彼女を通り過ぎる。


−−−それだけの、出会いだった。




□■□■□■□■□■□



四月−−−




□■□■□■□■□■□



たいして偏差値の高くない、進学校だかなんなんだかの高校の二年生に進級し二週間が過ぎた。


始めはみな緊張して休み時間も静かにしていたが、これくらいになると、いろいろなグループを形成し、楽しそうに談笑している。


それを−−−このボク、獏本樹は遠くから見つめている。


人間関係というのがうっとうしく、ついつい人を遠ざけるようにしていたら、なんとなくクラスからあぶれてしまったらしい。


別に、そのことは構わない。普通の受け応えはしている。いじめられているわけでもない。クラスメイトからは、少し陰気な、静かなヤツとでも思われているほうが楽でいい。


−−−人とはなるべく関わらない。それが、獏本樹が自らにかした戒めなのだ。


「またまた眠そうだな、バッくん」


机にだらりと体を預けていると、上の方から声がかかってきた。


神経質そうな眼鏡をかけた、男子生徒がオレを見下ろしていた。


「ああ、委員長。おはよう」


「うむ、朝は一日の計だ。眠そうにしてないでシャッキリしたらどうだ。おはよう」


「説教か挨拶かどっちかにしろよ…」


「時間がないので短縮した。許せ」


…こいつは紫藤拓哉。うちのクラス委員を務めている、真面目でいいヤツで変なヤツだ。


クラス委員決めのとき、わざわざ自分から立候補して委員長になる程の委員長属性。


おしい、これで彼が女だったら−−−なんだというのだ。


「…まだ寝ぼけているみたいだ」


「ふむ、バッくん。お前はいつも眠そうにしているな。夜寝ているのか?俺も就寝は遅い方だが、そんなに眠いわけではないぞ」


「オレのことは放っておいてくれよ委員長。それと、バッくんとか言うな」


「む、何故だ?俺が三日三晩考えた愛称がきにくわんか」


委員長はひどく心外だと訴える。


「そもそも、なんであだ名なんてつけるんだよ」


「クラス委員たるもの、クラスメイトには愛を持ってあたらねばならん。そのための愛称だ」


…コイツはこういうヤツなのだ。真面目で真面目過ぎて、なんだか変な方向に行ってしまう。


「そうか、よくわかった。よくわかったから、どこかへ行ってくれ。オレは夜型だから、昼眠いだけなんだ」


「どこかもなにも、俺の席はお前の前だ」


そういって、ボクの前の席に腰をおろす。


「夜型だろうが朝型だろうが、学生の本分は勉強だ。授業中寝てばかりでは、ついていけなくなるぞ?」


「…ある程度の点数は取れてるから、心配はないよ」


「うむ、確かに学力診断のテストは見事だったな。だがしかし、それはそれ、これはこれというものだ」


「口うるさいな、委員長。そんなんじゃ−−−」


何かしらの反論をしようとしたとき、教室の空気が固まった。


一人の女生徒が−−−教室に入ってきた為だ。


学校指定の制服を、なんの違反もなく着こなし、真っ黒い腰まであるストレートの黒髪。細面で、顔色が悪いとしか思えない白い肌の色。


彼女をみるのは、おおよそ一週間ぶりだった。


クラスメイトはそんな彼女を遠巻きに見つめる。


−−−創崎誓衣そうざきちかいこの出席不良児は、入学前からかなりの有名人だったらしい。


彼女は確かな足取りで、自分の席に座る。


みな久しぶりに来た彼女に興味津々だが、誰も声をかけられない。


「ふむ−−−」


いや、ここに一人いたか。MAXレベルの委員長属性をもったこの男が。


「おい、紫藤」


「なんだ?」


「なにする気だ?」


「知れたことを。委員長としての務めを、果たしてくる」


委員長はそういって立ち上がると、真っ直ぐ、創崎のところへ歩いていく。


「おはよう創崎」


「………」


息を飲むクラスメイト達。(ボクも含めてだ)


「一週間ぶりだな。いろいろと配布物がある、一限が始まる前に担任のところにいくがいい」


「………」


「ああ、ちなみに忘れているかもしれんから言うが、俺はクラス委員の紫藤だ。よろしく」


「………」


「学校についてわからないことがあったらなんでも聞いてほしい」


「………」


「…もう一つちなみに、今日の学食の日替わりは豚の生姜焼きだ」


「………」


「ああそれと、君の愛称を考えて来た。『チカッチ』というのはどうだろう?」


「………」


「うむ、気に入ってくれたか。それでは、今日も健やかに授業を受けてくれ」


そういって委員長はきびすを返し、こちらに戻ってくる。そのさまは、さながら敗残兵のようだった。


「…おかえり」


「笑ってくれバッくん。この俺を」


「お前はよくやったさ。ただ、相手が悪かったのさ」


「そんなのは言い訳にしかならん。俺は、俺という限界に阻まれたのだ」


本気で落ち込んでいるようだった。


…この男には、レアな状態かも知れない。


まぁ、全くの無視じゃなあ…。


「そんな落ち込むなよ」


「うむ、チカッチという愛称は気に入ってくれたようだからな」


「お前はあの三点リードにどんな幻想を抱いたんだ…?」


そんなこんなで担任が来て、ホームルームが始まった。


担任も創崎がいるのには驚いたみたいだが、そこは大人、そんなことは噫にも出さず。ホームルームを進める。


ボクは窓の外を眺める。春の暖かな陽気のいい天気だった。


−−−あとになって思う。もし今日、雨さえ降っていなければ。いやせめて、曇りだったのなら。


ボク等の運命は、変わっていたのだろうか?




+--+--+--+--+--+--+--+




創崎は特に問題を起こすこともなく。(というか、なにもしない)おかげで授業は滞りなく進行し、ボクは委員長と日替わり定食を食べ、午後の授業となった。



………眠い。


ボクは体質的に、夜眠ることが、できない。正確には、眠るわけにはいかない。故に、日中眠るしかないのだが、悲しいかな、今は学生の身。おおっぴらに眠ると怒られる。


…しかし。


午後の授業は、しょっぱなから数学。飯を食ったあとに、数学。これは、耐えきれるものでわない。


−−−少しくらいなら、いいか?


ここは学校だし。夢を見る心配はそれほどないだろう。


−−−例え夢を見ても、今日くらいなら我慢できる。


それに、いつも授業中寝ていても問題はなかった。


−−−少し、眠らせてもらおう…。


窓から差し込む春の陽気が、いともたやすくボクを眠りの世界に引き込んだ。



+--+--+--+--+--+--+--+



夢を見る夢を見る。自分の夢を見ないボクは誰かの夢を見る。




そこは、見覚えのある教室だった。


というより自分の通っている学校のだった。


「…別に夢は見なかったか」


誰かの夢の中に入っては、自分から目覚めるのは不可能だ。夢が終わるか−−−終わらせるか、誰かに起こしてもらうしかない。


日常は何も変わったところは見せてない。授業も流暢な英語が教師の口から聞こえてくる。


英語?今の授業は英語だったか?


…どうやら数学の授業は終わり、今は英語の時間らしい。


我ながら寝すぎだな。


ボクはぼんやりと教室を眺める。


委員長、創崎でさえまじめに授業を受けている。


黒板には、『金曜日』とかかれ、日付は明後日てのものとなっていた。


…あれ。今日は水曜日のはずじゃあ。


というより、授業は時間割通りなら、今日は英語はない。時刻は12時ちょっと前。あと30分もすれば、昼休みだ。


昼休みは先ほど終わった。


おかしい。なんだか、すべてにおいておかしい。これではまるで夢−−−。


そう思考したとき。



不意に



地面が



揺れた



「なぁっ!?」


地震!?地震だと!!?


「お、大きいぞ!?」


教室内はパニックだ。みんな立ち上がることもできずに、悲鳴をあげている


ボクは、そんな中ひとり落ち着いて、机の下に避難していた。


ゾワリ、とボクの中から何かが総毛立つ。


なんで−−−?


体が軽い。


疑問に思った−−−瞬間。2階の床が抜けた。


「なっ!?」


みな、その地割れのような落とし穴に落ちていく。下には同じ用にパニックになっていた三年生が−−−。


落ちる前に崩れる床を蹴り飛び跳ねる。


すでに身体能力はリミッターを越えた動き。


自分が想像できる、限界の動きだ。


「くっ−−−!」


早く、早くしなければ−−−。


ギリギリ、足場が残っている黒板側に着地する。


やはり、そこも端からどんどん崩れている。


そのときに、避難していたと思われる−−−ここまできたら避難もなにもないが−−−女生徒が広がった落とし穴に落ちそうになる。


ボクは、反射で女生徒の手をとり、引き戻す。


そんなことをしている場合じゃないのに−−−。


その女生徒と目が合う。


その顔は混乱と壮悲に−−−なっていなかった。


しいて言うなら、疑問。


そして、それは驚愕となる。


「な、なんで−−−?」


その女生徒−−−創崎は、唇をわななかせて。


「どうして−−−?」


何を、気付いた?夢の中、その程度の矛盾、気付けるわけないのに。


そして、その後の展開は、ボクを驚かすには十分だった。


「−−−!!!」


切り離される。


彼女は落ちる。


ボクは飛ばされる。


一階へと。


現実へと。


−−−これは、夢の終わりだ。


彼女が死ぬから、この夢はもうこれ以上繋がらない。


だけど、最後に疑問を持つ。


なんで−−−彼女は気付けたんだ?



+--+--+--+--+--+--+--+



ボクは夢の終わりとともに目を覚ます。


教室は静まり返り、みな、一人の女生徒に注目している。


創崎は席から立ち上がり、目を見開き、肩で息をしている。


「ど、どうした創崎?」


数学教師はかわいそうなくらい狼狽しながら、創崎に聞いた。


「………気分が悪いので早退します」


いうが早いか、創崎は自分の鞄を掴み、駆け出すように教室から出ていく。


「ま、待ちなさい創崎くん!?」


数学教師は後を追って出ていく。


途端、ざわめく教室。


「なぁ、何があったんだ委員長?」


「む、お前も寝ていたのバッくん」


「ああ。だから状況が掴めない。できれば説明を頼む」


「説明、というほどのものでもないのだがな」


委員長はそこで息を一つついて。


「創崎がまたやらかした」


「なにを?」


「寝ぼけていたのかどうだか知らんが、授業中に大声出した」


「どんな?」


「『私の中に入ってくるな』とな」


「………」


「まぁ、創崎らしい奇行と言えば奇行だ。今更気にするべきことでもない」


「………」


見ていた夢は彼女のだ。それは間違いない。だけどボクはまだ混乱していた。


今まで、一度もなかった。


夢見てるものから、自分が侵入者だと認識されるのは。


数学教師が教室に戻ってくる。


「あ〜創崎は早退だそうだ。静かに!授業を進める」


今だにざわめく教室を数学教師が静めようとする。


その最中、ボクはずっと彼女がいた机を見つめていた。




+--+--+--+--+--+--+--+



放課後。ボクは足早に帰宅の準備を始める。


家に帰って早く寝るためだ。ボクがわりと安全に眠れるのはせいぜい10時まで、あとは誰かの夢に迷い込まないよう、起きてなくてはいけない。


「ふむ、帰るのかバッくん。忘れ物なき用にな」


委員長が帰りがけに声をかけてくる。


「ああ。委員長は?」


「生徒会だ今年は生徒会長に立候補しようと思ってな」


「へぇ。なんかもう生徒会長みたいなイメージあったけどな」


「うむ。生徒会長になった暁には、俺の野望の為にお前にも働いてほしい」


「野望って?」


「うむ、学食のメニューからニンジンを廃絶する」


「………」


壮大な野望だった。


壮大過ぎてついて行けなかった。


委員長とは挨拶もそこそこにボクは帰宅する。


帰り道、考えることはやはり彼女のことだ。


果たして、彼女はいったい何処まで覚えているのか?


恐ろしいほどリアルな夢だったが。これが現実である以上、あちらが夢だ。


彼女の夢に入り込んでしまった。それは間違いない。


だけど、彼女は、創崎はそれをどれくらい覚えているのだろうか?


夢は、一瞬の脳の情報処理機能の合間に見せる記憶の断片の寄せ集めがほとんどだ。そしてそれは日常的過ぎて、目覚めれば記憶にも残らず消え去ってしまう。


できれば、忘れているか、錯覚であったと思っていてほしい。


もし、ボクの正体に気付いてしまうようなら−−−。


「いや、それは杞憂だよな」


どこの世界に、知人がちょっと夢に出てきたくらいで、それが侵入者だと思うヤツがいる?


例え、思い込みが激しく、そう糾弾されたとしても、それをさししめる証拠はないのだ−−−証拠がなければ許されることではない、が。


いや、もう考えるのはよそう。家に帰って、ぐっすり眠る。また夜は眠らないのだ。人間である以上、睡眠はとらなければいけない。


そうさ、たいして変わったことがあったわけじゃない。ボクの運命は、そんなことじゃびくともしない。


少し−−−夢見が悪かっただけ、それだけの話し−−−。


五月−−−。もう日は長くなっていて、この時間だって、まだまだ明るい時間帯。


−−−それが、一瞬の影がさした。


太陽に雲でもさしたかと顔を上げる。




−−−長い、坂道。


−−−人通りは皆無。


−−−音も、聞こえない。


その長い坂道の上。


長い黒髪。


学校の制服をきっちり着こなし。


その顔色は、白いというより、悪い。


まるで、旧来の怨敵でも見るような目付きで。


まるで、未来の宿敵でも見るような目付きで。




−−−創崎誓衣が、立っていた。



+--+--+--+--+--+--+--+



ボクは、動けない。


蛇に睨まれた蛙も同じ。


創崎誓衣の瞳に捕われ、見つめ合うこと、時間にして数秒のことだったろうけど、ボクの中では一時間はたったのではないだろうかという錯覚さえ覚えた。




「…貴方が−−−」


喋った。創崎誓衣が喋った。


何故か、目の前の存在が人間の言葉を喋ったことにたいして、ボクは驚いていた。


「−−−私の夢に入ってきた−−−?」


世界が巡る。世界が廻る。


足下が、覚束ない。


音がよく、聞こえない。


目がよく、見えない。


頭がうまく、働かない。



だけど、創崎誓衣の存在だけは−−−わかる。


聞こえる見える感じれる。



ボクの中のそれが訴える。


アレは、別格だ。


ボクが、常識はずれの異端だったとしても。


アレは、別格なのだ。




「−−−どうなの?」


それが聞いてくる。


喉がカラカラだ。


ボクは全身の力を動員して、首を縦に動かす。


アレから、言い逃れるなんてとんでもない。


何故気付かなかった?


ボクは、あんな巨大なものとずっと同じ教室にいたなんて−−−!



震えが停まらない。


考えが纏まらない。


何故−−−答えた?


今まで、少なくとも八年以上、一族の者以外には明かさなかった秘密を−−−絶対の暗黙を−−−何故破った?


「そう−−−」



彼女が頷く。


落ち着け。落ち着くんだ。


何を−−−恐れることがある。


何を−−−怖がる必要がある。


目の前にいるのは、普通の女のコじゃないか。


鵺原や鬼ヶ島などではないのだ。


人間−−−なのだ。


「創崎さん−−−」


ボクはようやく声を搾り出す。


その声は、自分でもわかるくらい震えている。


「何をいっているのか−−−オレにはわからないよ」


ボクは、何とかそう言った。


なんとしても、ここはごまかさなくては−−−。


彼女はその整った眉をピクリと動かした。


「創崎さん。いきなり現れておかしなこと言われたから思わず頷いちゃったけど、一体何の話しなんだ?オレが一体何をしたって言うんだよ?」


少し落ち着いたせいか、饒舌になる。


「オレ急いでるから、ほかに用がないならもう行くよ。ボクは夜眠れない体質だから、今のうちに眠っとかなきゃいけないんだ」


それじゃあ、といってボクは坂を上がり、彼女の横を抜けようとする。


その瞬間。


「しらばっくれるっていうの?別に構わないけど−−−それだと貴方死ぬわよ」


「え?」


立ち止まる。


「貴方の運命は、決定してしまっていると言ったのよ」


「…どういう意味だよ?」


「知りたい?」


そこで彼女は、ようやく人間らしい仕草を見せた。


少し、唇を歪めたのだ。


「それなら、ついてきなさい」


彼女はそういうと坂をくだっていく。


ボクはそれをぼけっと見つめていた。


「何をしてるの?早くしなさい」


創崎は、先程とは逆に、ボクを見上げて、言った。


「創崎さんが何を考えているのかボクにはさっぱりわからないんだけど…」


もう、先程のような戦慄はない。


だけど、ボクの中には混乱だけは残り続けた。


「早くしなさい。日が暮れるわよ」


………こうなったら毒皿だろう。


彼女についても幾つか聞きたいこともある。


「わかったよ。だけど、どこに行くのさ?」


ボクの当然の問いに、創崎は当然の様に答える。



「もちろん、私の家よ」



+--+--+--+--+--+--+--+



創崎誓衣について知っているアレコレ。


身長は160センチ前半。腰まで届く長い髪。整った顔立ちと白いというには憚られるような悪い顔色。実際病弱であるらしい。全体的に細身で、どこか柳の木のようなイメージがある。


以上が身体的特徴。


次が、クラスメイトから聞いた彼女の特徴。


ほとんどの意見がこれに集中する。




いわく−−−毒電波。




彼女の噂話にはいとまがない。


火事が起こると言っては火のない所に消防車を呼んだり。


教師を殴りつけて、

「コイツは人を殺そうとしている!」

と訴えたり。


「溺れる人が出るから」

と夏にプールの水を全部抜いてしまったりとか。


とにかく、いろいろな事件を自分の思い込みで起こしたらしい。


実際、火事は起きてないし、教師は殺人犯じゃなかったし、プールで溺れたヤツもいない。


全て、彼女の思い込みなのだ。


とにかく、日頃対人関係を気薄にしているボクでさえ、彼女の常軌を逸した言動を知っているのだ。


ボクは彼女とは中学も別だったので、この学校に入るまで知らなかったし、クラスメイトといっても話したことなんて皆無だ。


彼女は、たまに学校に来ては、誰も近付かせないオーラを発し、必要ないことは何一つ喋らない。そして、帰っていく。


仲のいい友人もいない。とにかく、変わっていた。


ボクはそんな彼女とは永遠に縁がないだろうと思っていた。


少なくとも、今までは。


以上が、ボクが彼女について知っている予備知識だ。




そして今、そこに新たなるページが書き込まれようとしている。


「どうしたの?早くあがりなさいよ」


「………」


ボクは何故、こんなところにいるのだろうか?


ここは創崎の家の前。なかなかよさそうだが、あえて特筆するようなところのない、極めて普通のマンション。その六階にある創崎と書かれた玄関の前で、ボクは固まってしまっていた。


「いつまでそこに突っ立っているのかしら?そこにいられると通行人の邪魔だと思うのだけど」


「ああ、おじゃまします」


そういってボクは家に入る。


…つまりボクは、女のコの家に入るのにとてつもなく緊張してたんですね。


…情けない。


家の中はマンションの外見と同じで、ごくごく普通の家だった。


よく片付いてる。


「………」


なんとなく、呪いの紋様が画かれていたり、部屋が黒一色で統一されていたりとか、いろいろ想像していた分、なんだかひょうし抜けした。


「使って」


創崎がスリッパを下におく。


…常識的な配慮だ。



…まぁ、普通が一番なんだけどね。


「家の人は?」


「いないわ」


そっけない返事。


と、いうことは二人キリということですか。


…緊張する。


ここまで一般的家庭を見せられると、相手があの創崎誓衣だとしても緊張する。


「ついてきて」


「どこ行くんだよ?」


「私の部屋よ」


…女のコの家に行くのも初めてだけど、女のコの部屋に入るのも初めてだ。


そしてその相手は創崎誓衣。


「この部屋よ」


たいして広くないので創崎の部屋には早くたどり着いた。


…ドアはいたって普通のウッドベースのドア。


…いったい中はどうなっているのだろう?


ここまでは普通の、ごく一般的な家庭だった。


「入って」


創崎がドアを開け、ボクを招き入れる。


部屋の中は、簡素ではあるが、女のコらしいものだった。


木目調の本棚にタンスとクローク。机の上にはかわいらしい小物が並んでいる。


フローリングの床には暖色系のカーペット。ベッドにはピンク色の布団がかけてある。部屋の隅にはサンドバックと全身鏡が置かれていた。



…サンドバック?



サンドバックだ。バックではない。砂袋と書いてサンドバックだ。


………。


そのサンドバックは全身鏡の隣りに吊されていた。


ボクサーが使う。本格的なヤツだ。


かなり使い込んだ後が見られる。


…一体どうやって手に入れたんだ?


「通販で買ったのよ」


創崎がボクの心を読んだように答える。


…そうか、彼女はボクサーだったのか…。


「そんなことより」


創崎はどこからかクッションらしいものを取り出し。ボクに渡す。


「座りなさいよ。長い話しになりそうだから」


ボクはクッションを受け取り、しずしずと座る。


「待ってなさい。今飲物を持ってくるから」


そういうと創崎は部屋から出ていってしまった。


…一人残されてしまった。


仕方なしに、視線をさ迷わせ、現状を把握する。


まず第一に、ボクは故意ではないが、創崎の夢の中に入ってしまった。


そして、それが何故か創崎にバレてしまい、問い質され、しらばっくれようとしたら

「あんた死ぬわよ」

発言。


そしてそれが気になり、こうしてのこのこついてきてしまったわけだが−−−。


やはり、アレは創崎の錯覚だと説得するしかないだろう。


コレは、ボクだけに関わる問題じゃない。


−−−一族に関わる問題でもあるからだ。


そのとき、目に留まるものがあった。


本棚の上段部分。そこにある本は全て、年号や日付がふられていて、それが綺麗に数十冊と並んでいた。


…日記をつけているのか?


それを眺めていると。


「それは今から説明するわ」


と、突然後ろから声をかけられた。


飛び上がるくらい、驚いた。


「そ、創崎さん…」


創崎は小さい持ち運び用のテーブルの上に、紅茶の入ったカップを乗せ。後ろに立っていた。


「通るわよ」


そういってボクの前にテーブルを置き。腰をおろす。


姿はまだ、制服のままだ。


「紅茶でよかったかしら?あいにく、今は家にこれしかなくて」


「あ、ああ、構わないよ。…いただきます」


紅茶を口に含む。うん。普通の紅茶だ。


「さて、そろそろ本題に入ろうかしら」


創崎がボクを覗き込むように言う。


ボクはその仕草にドキリとする。


「…創崎さん。何度も言うけど。オレは創崎さんが思っているようなことは何もしてないんだ。もし、オレが創崎さんの夢の中に出てきたとしても、それは創崎さんの錯覚で−−−」


「そう、よくわかったわ」


ボクが言い終わる前に、創崎が遮った。


「わかってくれたの?」


「ええ、確かにフェアじゃないわ」


「フェア?」


「私は−−−貴方が認めなくても、理解してる。貴方が一般とか常識から逸脱していることを」


「………」


普通ではなく異端である。


それは、ボクがずっと抱え続ける問題。


−−−それでも、ボクは、ずっと普通であるように生きてきたのに。


生きて行きたいのに。


「…何を、言ってるんだ創崎さん」


「でも、貴方はまだ私のことを理解してないものね。私が−−−どれだけ異端で間違った存在か」


理解?知ってはいる。創崎誓衣がどれだけオリジナルな存在か。


それでも−−−ボクにとっては、普通を逸脱していない。


常識を−−−越えてはいない。


人間を−−−踏み違えてはいない。


「創崎さん。オレは、創崎さんに言えるような−−−」


「私は−−−」


また、遮られた。


ここで、創崎誓衣は、言葉を溜める。


その眼は、何処までも深く。


その眼は、ボクだけを見て。


その眼は、何かを願うように。


何かに誓いたてるように。


何かに宣誓するかのように。


彼女は言った。




「私は、ラプラスなのよ」




日は、傾き始めていた。




+--+--+--+--+--+--+--+




『ラプラス』


名前としては、わりと有名な部類に入るのではないだろうか?


誰しも、一度は聞いたことのある神話。


パンドラの箱。


その話しに出てくるのが、『ラプラス』だ。




お話しはこうだ。パンドラという少女は神様から『絶対に開けてはいけない』と言われた箱を受け取った。


パンドラも最初の内は言い付けを守るが、最終的には好奇心に負け、箱を開けてしまう。


すると、箱の中からは欲望やら病気やら不幸だとか、『災厄』と呼ばれるものが飛び出してきた。


パンドラは慌てて蓋を閉めるが、後の祭。災厄はほとんど出ていってしまい。あとに残ったのは『希望』だけだった。という話しだけど、これは解りやすい解釈の話しで、実際残っていたのが−−−『ラプラス』である。



『ラプラス』



パンドラが最後の最後で閉じ込めた『災厄』。


それが、『ラプラス』だ。




その災厄は−−−予知。




それも完璧な未来を予知する。


予知と言う名の災厄。


災厄と言う名の予知。


その災厄が箱に残っていたからこそ、人は未だ未来を知らず。


災厄にまみれた世界でも『明日はきっといいことがある』と、希望をもって生きていける。


だから、最後に残っていたのが、希望。


人が、生きていくための、知らないことによる、希望。


つまり、希望を根こそぎ奪う災厄が、『ラプラス』なのだ。


つまり、絶望を人にもたらす災厄が、『ラプラス』なのだ。




ボクの知識ではこんなものだが、実感として−−−それがどんなに恐ろしいものか、解る。


件崎の−−−まるで件崎の悪魔だ。




そして、目の前の少女は、その名を名乗った。



自身を災厄だと名乗った。


自身を絶望だと名乗った。




自身を−−−人外の化け物だと。認めたのだ。




+--+--+--+--+--+--+--+




「私は−−−ラプラスなのよ」


−−−それが、彼女の告戒だった。


「どういう−−−意味だ?」


件崎、創崎。名前は−−−似通ってないわけじゃない。


「そうね、それだけじゃわからないわよね。ラプラスっていうのは−−−」


「それは知っている。神話に出てくる予知をする災厄の名前だろう?」


今度は、ボクが彼女の言葉を遮る。


「あら、博識で助かるわ」


「別に、それほどでもないさ」


声は、自然と険のあるものになる。


件崎の縁者なら−−−ボクのことを知っていて当然だ。


そんなボクの態度をいぶかしく感じたのか、彼女は少し眉根を寄せたが、話しを続けた。


「まずは、これを見てもらったほうが早いわね」


そういって彼女は本棚から、一冊の本を取り出してボクに渡す。


それは、先ほどの日記張だった。


「読んでもいいの?」


「ええ、そのために呼んだんですもの」


パラパラと日記をめくる。


書いてある文章は断片的で、とても日記として用をなしているとは思えない。


例えば。


『四月二十日。イメージは高くて遠い。場所は学校。誰かが迷子になる。日付は不明』


『四月二十六日。イメージはもやもやした感じ。場所は家。サッカーで負ける。日付は不明』


『五月二日。イメージは疲れてる。場所は教室。担任が遅刻してきた。日付は黒板通りなら五月四日』



「なんだコレ…?」


思わず、口をついて出てきた。


書いてあることが、日記の日付より、少し先のことになっている。そして、最後にそれが起きる日付が書いてある。




これでは、まるで−−−。


「予言書、みたい?」


日記から目を離す。


そこには、創崎誓衣の顔が−−−。


「そ、創崎」


「それは、私が見た夢を書き綴ったもの。よく読みなさい。…少しくらい記憶力があれば、それがどれくらいの正当制があるかわかるでしょう?」


ボクだって、ニュースくらいは、見る。この日記に書かれているのが日常的なものから、ニュースとして流れるものまで、かなりの正確さで予言されているのが、わかる。


「いつから−−−」


創崎はボクから目を逸らし、独白のように、言う。


「いつから、そんな夢を見始めたのかは覚えていないわ」


−−−予知夢。それは予知夢と呼ばれるものだ。


「私は−−−子どものころから、既視感が多かった。知らないはずのことを知っていたり。先に起こることを予見したり」


−−−正夢とも言われる、見た夢が現実になること。


「それが、いつ夢見た内容が未来の現実だと気付いたかは覚えていないけど五年前から、こうして−−−」


−−−件崎の家系が求める、未来を支配すること。


「夢日記をつけているの。できるだけ詳細に。でも、夢は断片的過ぎて…イメージによる予知が多くて、いつ起こるか、なんてことはわからないことが多いけど」


−−−それを体現していると言うのか、彼女は。


「それでも、日記をあとから読み返せば、それが前から知っていたと−−−知ることができる」


−−−それが、どれだけ巨大なことなのか。


「もっとも、それは記録であって、記憶ではないから、たいした意味はないわ−−−夢に見たことは既視感として、私の中に残り続けるから」


しかし−−−。


「これが、私が話しておかないといけない。現時点であなたに教えておけるすべてよ」


創崎はそういって言葉を締め括る。


ボクは−−−。


「それじゃあ、足りないよ、創崎」


ボクは言う。


「それじゃあ、全然足りないんだ、創崎」


彼女を見つめ。


「確かに、この日記にはキミが予言したと思われるものが、書かれている。だけど−−−」


言葉を紡ぎ出す。


「それが、コトが起こる前に書かれた。という前提が、まるでない」


彼女は目を逸らさないで、ボクを見る。


「それに、よくよく読めば、この日記に書かれたことは、あやふやな部分も多い。起きる日の日付が入ってないなら−−−いつか起こりそうなことを書いておけば、いいことだ」


ボクは、なぜか彼女から目を逸らす。


「残念だけどね。この程度なら、フェアとは言えない。フェイクだとしたら、という疑念をボクはいだかざるえない」


紅茶を飲む。いつのまにか、すっかり冷めてしまっていた。


「そう、うたぐり深い、のね」


「慎重なのさ。こうみえて、苦労してるんだよ」


少し余裕を見せようと、ニヤリと笑ってみせる。


「貴方に笑顔なんて似合わないわよ」


酷いことを言われた。


「そうね…始めから全てを信じてもらおうなんて、虫のいい話しよね」


そういって彼女は紅茶を少し飲む。…思えば、彼女はずっと紅茶に口をつけていなかった。


「そういうことだからさ」


ボクは、紅茶を飲み干し。


「もう帰るよ。ご馳走様でした」


「待ちなさいよ」


「なに?」


そういって彼女は、机から一枚の手紙をボクに差し出す。


「これは?」


「この間見た、明日の夢を書いたものよ」




+--+--+--+--+--+--+--+




『未来』というものに固執する一族がいる。


件崎。


未来という、予測不可能な、どんな数式も算式も導き出せないものを、知ろうとする。もしくは、その断片。いや、流れる方向だけでもいいから、その一端を掴むことに固執する一族。


件崎。


その一族は摸本や縫原などとは違い、呪いを受け入れた家系。


ボクに言わせれば、縫原なんかよりよっぽど最悪な一族だ。


未来−−−。


ボクは、そんなもの知りたくもない。




日はすっかり落ちてしまい。辺りは暗闇に包まれている。


ボクは創崎の家をあとにし、家に帰る途中だ。




−−−明日、起こること?


−−−そうよ。それなら、証明になるでしょう?


−−−コレがもしハズレていたら?


−−−その時は、これは私のただの思い込みだったということね。貴方のことも、錯覚だったと認めるわ。




先ほどの会話が甦る。


もしも、もしも、彼女が予知を−−−完全でなくても、高い確率で当たるのなら−−−。


あの時、教室でみた夢は−−−?


「バカバカしい…」


そんなわけ、ないじゃないか。


件崎でさえ、未だまともな予知を体現していないのだ。


それを縁もゆかりもない一般人である彼女が、出来るわけがない。


彼女は、思い込みが激しいのだ。電波系、と回りから囁かれるのも頷ける。きっとボクのことも、思い込みの当て推量で指摘したに過ぎない。


だとしたら、ボクはバカをみたという話しだ。


電波の話しを真面目に聞き、貴重な睡眠時間を浪費してしまった。


「早く帰って寝よう」


今なら、あと三時間は眠れる。


坂道を、今度こそ上る。


−−−そういえば創崎は、どうしてボクの帰り道を知っていたのだろう?


ふと、そんなことを気になり出したが、すぐにそれを思考から切り離す。


もう創崎のことを考えるのは沢山だった。




家に帰り着く。


築三十年は越えてそうな二階建てのぼろアパート。


その二階の角部屋が、ボクが高校を入学してから一人で暮らしている。


鍵を取り出しながら階段を上ったところで、気がついた。


ボクの部屋の前に、誰かいる。


創崎より一回り小柄な、女のコ。長い髪を後ろで縛り。前髪を二つに分けておでこを出し、前に垂らしている。服装は、ある学校の学生服だった。


旧知の間柄の人物だったが、ボクは少しばかり警戒しながら近づいていく。


決して、友好的な関係ではないからだ。


向こうも、ボクのことに気付いたようで、ドアから、ボクの方に向きなおる。


「やぁ…」


おざなりに、挨拶をする


「お帰りなさい。樹お兄様。今日は随分と遅いお帰りですね」


そう、ニッコリと邪悪な笑みで、獏本夢理ばくもとむりはボクに挨拶をした。




+--+--+--+--+--+--+--+




獏本夢理。たしか今年で十五歳。私立のお嬢様系学校に通う、中学三年生。


ボクとの続柄は、よくわからないが、おそらく叔父と姪だろう。だが、年は近いし、なにより叔父さんと呼ばれるのも抵抗がある。


故に、兄。ということなのだ。




「…相変わらず、赴きのある家ですね、お兄様?」


からかうような笑顔でボクに問う。


………そりゃあ、キミんとこの千坪の豪邸には敵いませんよ。


とりあえず彼女にな部屋に入ってもらった。決して友好的とは言い難いが−−−それでも礼節は忘れてはいけない。


「お兄様、普段は学校が終われば真っ直ぐ帰ってらっしゃるのに、今日に限って遅かったですわね?何かご用事でも?」


座布団を敷きながら応える。


「いや、別に。道草食っていただけさ」


創崎のことは、本家の人間には言わない方がいいだろう。


「そうですか。お兄様は赤貧を美徳なされるお方ですからね。それは十分考えられることでした。それで、どのような雑草を−−−」


「道草食ってたわけじゃない!!」


思わず、突っ込み。


「冗談ですわお兄様。かわいい妹からフレキシブルなジョークです」


かわいらしくコロコロと笑う。


「それで、一体どんな用なんだよ」


ボクは座布団に腰をおろし、夢理に聞いた。


「あら、早速本題ですの?少しばかり私とトークを楽しみませんか?」


「楽しいのはきっとお前だけだ」


「つれないですね。−−−今日は本家からの使いで参りました」


やっぱり、そうか。


「明日の昼間、お爺様がお呼びです。摸本宗家までお戻りくださいませ」


獏本宗家。ボクの実家。



「なんの、用なんだろうな」


ボクは、わかりきったことを聞く。


「おそらく、跡目についてのお話しでしょう」


夢理は律義に、わかりきったことを返す。


「ボクにはあまり、関係ある話しじゃないと思うんだけどな」


「それを決めるのはお爺様やお父様ですわ。とにかく、有資格者は、私も含め全員出席。これは決定事項です」


「明日は普通に学校なんだけどな…」


「風邪をひいて下さい。それか、夢久叔父様くらいなら、殺しても構いません」


それは、忌引を使えということだよね?


「まぁ、爺さんには聞きたいこともあるし、明日は宗家に出向くさ」


気は重いけど。


嫌いなわけじゃ、ないんだから。


家族、なんだから。


少なくとも、あの爺さんだけは。


「さて、宗家からのお使いも終わりましたし…食事にしませんか?お兄様」


「食事か…」


今、うちにある食材。冷凍食品。カップラーメン。乾燥パスタ。


つまり、ろくなものが、ない。


この生っ粋のお嬢様である夢理に食べさせられるものは−−−?


「お前、道草好きか?」


「お弁当を持って参りました。一緒に食べましょう」


流された。


「ふーん。準備がいいな。立川さんに作ってもらったのか?」


「いえ、これは私が作りました」


そういって夢理は鞄から風呂敷に包まれた二段の重箱を取り出す。


手作りだと…貴様、何を企んでいる−−−?


「早起きして仕込みました。なかなかの出来だと思いますので、きっとご満足いただけるはず」


風呂敷から黒光りする高そうな重箱を取り出す。


「開けてみて下さい」


ニコニコと、機嫌よさ気にボクに促す。


…爆発とかしないんだろーなぁ?


恐る恐る。ボクは重箱を開ける。


−−−爆発はしなかった。


一段目の中には、肉じゃがが入っていた。


肉じゃがが入っている。


あと肉じゃがと肉じゃがある。


その一段目をそっとはずし、二段目を見る。


中には、取り皿と箸。湯飲み茶碗が入っていた。


「肉じゃがしかないじゃないかっ!?」


「ええ。殿方がもっとも喜ばれる料理と立川におそわりましたので」


確かに、ド直球の料理だ。大抵の男は肉じゃがで落ちるといっても過言ではない。


だがしかし、ものには限度というものがあるだろう−−−!?


「そうか。うんまぁ、できれば、いくら喜ばれると言っても、一品料理はよくないな」


優しく、諭してみる。


「そうですね。私としては一品でも通用するカレーにしたかったのですけど、結局はスタンダードに肉じゃがにしてしまいました。やはり、マニュアル通りはいけませんね」


「弁当にカレーはかなりマニュアルから逸脱しているけどな…」


とりあえず、一口食べてみる。


………………。


「如何ですか、お兄様?」


オブラートに包んだことを言えば、マズイ。


ストレートに言うとしたら、殺す気きか?


何だコレは?甘いというより−−−苦い。


と言うか、なんか舌がビリビリいうぞ!?


体から、何かイヤな汗が吹き出してくる。


毒だ−−−コレは、毒物、もしくは劇物だ!


ま、まさか、夢理のヤツ、跡目争いに常時て、ボクを亡きものにする作戦では−−−!?


夢理を見る。


その顔はご満悦で、『どう?美味しいでしょう?』といいたげな表情だった。


「夢理…」


「あらあらお兄様。あまりの美味しさに言葉も出ませんか」


殺人犯は笑う。


「それでは私も失礼していただきますね」


ボクがどうやってダイイングメッセージを残そうかと思案していると、彼女はおもむろに毒物を箸に取り、口に運んだ。


「………」


「うん。美味しい。立川は何故この味がわからないのでしょう?」


心底、不思議そうな顔をする。


ボクは、立川さんに心底同情した。




+--+--+--+--+--+--+--+




夜もふけてきた。


結局、肉じゃがは半分くらい残ってしまい。明日食べるから、ということで皿に移しといた。


明日なんて、永遠に来なければいいのに。




「それでは、失礼いたしますね、お兄様」


「ああ、気をつけてな」


彼女はすでに車を呼んでいたらしい。


と、いうより此処には車で来ていた。


なぜ、車の中でなく、ドアの前で待っていたのだろう…?


「お兄様?」


「ん、なに?」


「私は本音を言いますと、貴方には摸本家の敷居を跨いでほしいとは思いません」


「………」


「お爺様がどうしても、とのことだったので、今度の使いを承りましたが−−−貴方が摸本家に相応しくないと言うのは、お爺様以外の一族の総意です」


少しは−−−友好的な雰囲気が今日はあったのにな。


「摸本家は貴方にとって敵だらけです。それはユメユメ忘れないように」


夢理は−−−獏本家の長女は、感情の篭らない目を向ける。


「ああ、それは重々承知してるよ」


ボクも、自然と冷たい声になる。


「それでしたら、結構です。それでは、失礼致します」


「ああ、じゃあな」


パタンと、静かにドアが閉まる。ボクはそれから十分な時間がたってから、ドアの鍵を締める。


「やっぱり、そうだよなぁ…」


一族、家族。


ボクには有り得ないものなのだ。


異端は、孤独であるからこそ異端。


創崎誓衣。


彼女もまた、孤独なのであろうか?


ひとりぼっちでさ迷っている。あの時のボクのように。


「…くだらない」


ボクは皿に移った肉じゃがを全て生ゴミに捨てる。ついでに、あの手紙もだ。


知ったことか。未来とか一族とか異端とか跡目とか。みんな、ボクには関係ない。


爺さんに何を言われたって断ろう。


未来のことなんて知ったことか。


ひどく眠い。


もう悪夢を見ようが構うものか。


そんなもの、喰らい尽くしてやる。


ボクはボクの意志で、ボクの世界を閉じる。


最後に考えるのは、創崎誓衣のこと。


異端は、孤独であるから異端。


彼女もボクと同じ異端であったとしとも。


おそらく、友達なんかにはなれっこないんだよ…。




世界を閉じる。その中、ボクはまだ有り得ない現実をみる。




+--+--+--+--+--+--+--+




雨が、降っていた。


『雨が、降っていた』


場所は駅前、突然の雨にみなが急いで屋根のあるところにかけていく。


『場所は駅前、大勢の人が、雨の中にいる』


空にはゴロゴロと雷雲が


『空には厚い雲があって』


稲光が轟き、ビルの看板に雷が落ちる。


『雷が、看板に落ちる』


雨は勢いを強める。前身はびしょ濡れだ。


不意に、そこでボクの上に傘が。


ボクは振り向いたところで−−−。




+--+--+--+--+--+--+--+




摸本家。


それは古くからある名家で、今でも財界、政界に問わず、力を持った家系。


−−−表の顔は。


ボクは十一歳のときに、摸本宗家の摸本夢路に拾われ、養子となった。


夢路には二人の息子と、その四人の孫に囲まれていたが、ボクはどうしてもなじめず。


そして夢路以外の家族はボクを容認せず−−−ボクは高校に入ると同時に家を出た。


高校に入ってからは、摸本宗家には極力、近づかなかった。


それはやはり、ボクはその家でも異端者扱いだったからだ。


現、摸本家当主である、摸本夢昭にも半ば勘当扱いも受けている。


それを突然呼び出すとは−−−。


「やはり、遺産と跡目の話しかな」


近頃、夢路−−−爺さんの具合いが悪いことは知っている


死ぬ前に、世襲を決めておきたいということだろう。


郊外にある摸本家には電車を乗り継ぎ30分ほど。


空はとてもいい天気だ。



−−−雨が振り出しそうな気配はない。


「そんなもんだよ、創崎」


つい、独り言を言ってしまう。




摸本宗家にたどり着いた時、すでに何台かの車が停まっていた。どうやら分家の連中も来ているらしい。


無駄に広い門構え。純和風作りだ。


敷居を跨いで、屋敷に入る。


『貴方には、摸本家の敷居を跨いでほしくありません』


「………」


門を抜け、正門へと向かう。


途中、何人かとすれ違う。


挨拶をするヤツもいれば、あからさまに無視するヤツもいる。


前者は親戚筋の中でも遠縁で。後者が近しいものだろう。


正門には受付まであったが運よく正門にいる立川さんにであえたのでそのまま声をかける。


「立川さん!」


「樹坊ちゃま!」


いや、立川さん、今時坊ちゃまって…。


「まあまあいらしてくれたのなら、お迎えをよこしましたのに!」


立川さんはこの家のホームヘルパーで、年は五十中頃女性だ。爺さん付きのヘルパーなので、摸本家に住んでいたころは、よくしてくれた。


「でも良かった。来ていただけて。こられなれないと聞いたときはガッカリしたんですよ?」


「ボク、来れないことになってたんですか?」


連絡自体、昨日の夜だったんですけど。


「旦那様が樹坊ちゃまは来られないと…」


「………」


…やっぱり、そうか。


あの人達のやりそうなことだ。


「まずはともあれ、親方様にお会い下さいませ」


立川さんはそういってボクを中に促す。


「おい、お前何でそんなところでサボってんだぁ?」


後ろから、声がかかる。


振り返ると、そこには上等なスーツをだらしなく着こなした。二十歳そこそこの男が立っていた。


「高夢さん…」


立川さんが応える。


ああ、いたな、こんなヤツも。


摸本高夢ばくもとたかゆめ


現当主の弟、夢久の長男。…おそらくコイツも、跡目候補なんだろう。


「ああ?大事な仕事ほっぽりだして、何こんな浮浪児の相手なんかしてんだぁ?」


…相変わらず、コイツのバカさ加減には頭に来る。


「いえ、樹坊ちゃまは摸本家の」


「はぁ!?この浮浪児が!?バカ言ってんじゃねーよ!!…お前さぁ、爺さん付きの女中だからって調子乗ってんじゃないのか?」


「相変わらずですね、高夢さん」


立川さんを庇うべきではないのに、つい口を出してしまう。


ボクが立川さんを庇えば、コイツはさらに立川さんに酷く当たるだろう。


−−−そんなことには、できればなってほしくないのに。


「…なんか言ったか、ガキ?」


「…いつまでも子どものままですね、って言ったんですよ。高夢さん」


ここでボクは挑発的な笑みを作る。


「こんなところで使用人に当たるなんて、どうせ親族会議から追い出されたんでしょう?いつまでもそんなんだから、夢霧さんに敵わないんですよ貴方は」


「てっテメぇ…!!」


「もう少し、キレイな言葉を使って下さいよ。人間の底が知れますよ?」

衝撃。


高夢の拳がボクの右頬を撃ったのだ。


衝撃で倒れる。


「樹坊ちゃま!」


「構うんじゃねえ!!」


高夢の恫喝が辺りに響く。


「お前さぁ、立場ってものがわかってんのかよ?お前は摸本のおこぼれで生きてんだよ!?そういう恩義を忘れて摸本の直系であるオレにナメたこと言ってんじゃねーよ!」


高夢がボクを上から睨みつける。


睨みつけるということは、必然的に−−−。


「て、テメぇ。何だその目はよ!」


−−−ボクと目が合うということだ。


ボクは、高夢の目を睨みつける。


ボクの中の何かがゾワリと音をたてる。


何か、巨大な獣のようなイメージ。


その目で高夢を見つめる



−−−喰い殺してやろうか?



「な、なんだ!」


高夢はボクから後ずさる。


…さすがに摸本のはしくれ、格の違いくらいわかるか。


「お前、オレにそんな目を向けて、どうなるかわかってんだろうなぁ!!」


高夢が、虚勢のような恫喝をする。


ボクは立ち上がる。


「どうなるって言うんです、高夢さん?」


「お、お、お前ー!!」


「何の騒ぎですか?」


そこに、もう一人の獏本が現れた。


やはり高級そうな黒いワンピースを着て、後ろ髪を解き、気だるそうな目付きで、獏本夢理は高夢とボクを見る。


「夢理か…。へへっ浮浪児が一匹迷い込んでたからさ、俺が優しく説教していたところさ」


高夢はへつらうような笑みを浮かべる。


「そうでしたか…それはお疲れ様でしたね高夢さん」


「ああ、ちょっと待ってろよ。俺が今この浮浪児を追い出してやるからさ!」


「いいえ、席を外すのは貴方です、高夢さん」


夢理は−−−半眼で高夢を見つめる。


「−−−へ?」


「この人は、お爺様がお呼びだてした人であり、一応、摸本の名を冠した人です−−−お爺様の対面上、ある程度の礼節は守っていただかないと」


「でもよぉ夢理、コイツは…」


「何度も言わせないで下さい。この人はまだ、お爺様の庇護下にあるのですよ?…高夢さんは摸本を敵に廻すと?」


夢理の、脅しを含んだ言葉に、高夢は言葉を失くす。


「それに、私は、礼節のない人は嫌いです」


「………」


チッと高夢は舌打ちする。


「いいか、ガキ。テメえがデカい顔してられるのも今のうちだ。ジジイが死んだら−−−ソッコーで摸本から追い出してやる!」


高夢はそう吐き捨てる。


「行こうぜ、夢理!そんな奴と話してると品がおちるぜ!?」


「いえ、高夢さん、私はお爺様についていなければならないので」


夢理はニッコリと、ボクに向けるのとは違う。自然な笑顔高夢に向ける。


「そっか、じゃあまた後でな、夢理!…ガキ!面倒起こすんじゃねえぞ」


そういって高夢は大股で出ていく。


その後ろ姿を見送って、夢理はため息をつく。


「馬鹿の相手は疲れます。そうは思いませんかお兄様?」


夢理はニッコリと、やはり邪悪そうな笑顔を向ける。


「まぁ、何かしら波乱がおきると思ったけど、いきなりあんなヤツとエンカウントするとはね…」


運が悪かった。としかいいようがない。


「立川もご苦労でした。お兄様は私がご案内しますから、お仕事にお戻り下さい」


「す、すみませんお嬢様、樹坊ちゃま。…見ていることしか出来なくて」


「いいんです、立川さん」


ボクは立川さんに頭を下げる。


「巻き込んですみませんでした」


「そんな樹坊ちゃま…!」


「申し訳ありませんがお兄様、ここにいたらまた何かと厄介なことになりますので、移動してもよろしいでしょうか?」


「ああ、そうだな。−−−それじゃ立川さん」


「はい、樹坊ちゃま!」


立川さんとの挨拶もそこそこに、ボクらは奥に入っていく。


爺さんの部屋の場所は知っていたが、ここは夢理についていくことにする。


他の親戚筋には、極力あいたくなかったから。


「お兄様−−−」


「なに?」


前を歩く夢理から声がかかる。


「立川のことなら心配しないで下さい。彼女は−−−私が護りますから」


そう、彼女は言った。


「…ありがとう」


「お兄様のためではございませんわ。ただ単に私が−−−立川が好きなだけです」


その表情は、後ろに歩くボクには伺い知れない。


ただ、少し嬉しかった。


「そして、私が高夢さんを嫌いなだけですわ」


私怨かよ!?


「まったく。あの人を好きになれとは、お父様も夢久叔父様も無茶を言ってくれますわ」


そこまで嫌われているのか、高夢。


別に、同情しないけど。


「頭が悪いのは許せますが、馬鹿は許せないんですの」


そこまで言われるか、高夢。


別に、否定はしないけど。


「お兄様?」


「なに?」


「何できたんですか?」


「………」


「ここには、お爺様以外の味方はいないと、はっきり申し上げたでわないですか」


「まぁ、ね」


「先ほどは立川が巻き込まれていたので、見るに見兼ねて助け船を出しましたが、本来なら、捨て置いてもよかったのですよ」


………やはり、アレはボクを助けるためではなかったのか。


「一体、何が目的でここにきたのですか?」


彼女は、ここで足を止め、ボクに向きなおる。


「答えてください返答によっては、ここでお兄様にはお帰り願います」


彼女は、強固な口調でそういった。




…理由。


ボクがここにきた、理由。


そんなのは、考えるまでもない−−−。


「家族だからさ」


「………」


「爺さんはボクにとって家族だから。」


「会いたいってときには会いにいく。」


例え、地球の裏側にいたとしても。


例え、すぐ隣りにいたとしても。


「家族だったら、会いに来るのは当たり前だろう?」


夢理は、少し、ボクの見たことないような、笑顔見せた。


ほんの少しの失望が入り混じった。笑顔。


「1点です」


「その理由では、1点しか差し上げられません」


「めちゃくちゃハードル高いんだな」


「ですが、0点ではないので、お爺様との面会を許可しましょう」


「めちゃくちゃハードル低いんだな」


「それでは、私はこれで」


そういうと、夢理は引き返そうとする。


「あれ?お前は爺さんに会っていかないのか?」


「ここでお邪魔をするほど野暮ではございません。それでは、私も用がありますので」


夢理は引き返していく。


その後ろ姿に。


「なぁ、さっきの。何て答えれば百点満点だったんだ?」


その問いに、夢理は振り向きもせず。


「そんなの、いえるわけないじゃないですか」


そのまま、見えなくなった。




+--+--+--+--+--+--+--+




−−−摸本夢路。


摸本宗家もと当主。


御年八十歳。


ひとりぼっちでさ迷っていたボクの引き取り手。


ひとりぼっちでさ迷っていたバクの引き取り手。


かつてはかなりの権力を奮っていたが、その晩年は−−−。


五十畳はある広い部屋。その中央に。


布団を敷き。


出会ったときより。一回りは小さくなった。老人だった。




「久しぶりだな、樹」


その老人は、布団から上半身を起こし、確かな眼光で、ボクを射ぬくように見る。


「久しぶり。起きててもいいの?具合い、悪いんだろ」


「あなどるな。例え明日果てる身でも、小僧に心配されるなど心外だ」


そういって、ニヤリと笑う。


ボクも、同じように笑う。


少し、安心した。


だけど−−−。


老いた、獣の匂いがした。


「樹、学校の方はどうだ」


「うん。まぁ、ぼちぼち。何とかやっているよ」


「そうか、俺の若いころは学ぶことも必死だった。その点、お前達は幸せ者だ」


「まぁ、ね」


少しばかり、取り留めのない雑談が続く。


普通の家族がするような、当たり前の会話。


それは、とても−−−。


かけがえがない、ものだった。




老人は少し、息をつく。


「樹」


「なに?」


「摸本の名を継ぐつもりはないか?」


「………」


「摸本の名を継ぐ資格があるのは、お前と夢理くらいだ」


「夢霧さんが−−−いるじゃないですか」


「あやつには、摸本の才覚は出なかった。摸本の名を継げるのは、呪われた魂をもつものだけだ」


呪われた、魂。


呪われた家系。


呪家。


「だけど、ボクは−−−摸本の出身じゃない」


ひとりぼっちでさ迷っていた、獣なのだ。


何処にも、いたことがない。


何処にも、いる所がない。


「そう、その点が焦点だった。それであの愚息二人は反対しておる。…自分のことは棚に上げてな」


「なら、さ」


出自は変えられない。どんなにボクが望んでも。


−−−ボクは貴方の孫ではないのだ。


「お前、夢理をめとるつもりはないか?」


「………はぁ?」


何言い出したんだこのジジイ?


「夢理には摸本の名を継ぐ資格がある。その夫ともなれば−−−十分、その当主たりえる」


いや、まて。ジジイ。


「お前と夢理は来年には結婚出来る年となる。その時までに気持ちを固めておけ」


だから、待て、ボケジジイ。


「夢理は真理に似て料理もうまい。お前にとっては渡りに舟ないい話しでわないか?」


料理がうまい−−−?


舌までおかしくなったかこのジジイ?


ちなみに、真理というのは夢理の母親だ。


「この間も、肉じゃがを届けてくれた」


食ったのか!?アレを?今死にかけの老人が!?


「うまかった−−−」


しかもうまかったのかよ!?


「真理も料理が得意だった。よく『本当に、こんなものでよろしいんですか?』と恐縮していたが、すべて絶品だった」


………真理さん。ボクがこの家にきたときは既に亡くなっていたが、是非とも、お会いしたかった。


「とにかく、夢理を嫁にめとってくれ。幸い、お前は夢理に気に入れられとる」


「…ツッコミどころが多すぎて、今まで放置しておいたけど、最後の気に入れられてるってのは無理があるんじゃないか?」


実際。彼女は家のため。好きなもののためにしか動かない。


「心配ない。あの娘はツンデレなのじゃ」


…そのボキャブラリーは、寝たきり老人がどうやって手に入れたんだろう。


…夢霧さん?


「まぁもちろん当人同士の気持ちの問題じゃ。お前も年頃、いい人の一人や二人いるだろう」


………。


「まぁ、考えておけ。いつかは−−−お前もいろいろ決断しなければならない」


−−−決断。


何を捨て、何を得ろ。


ということか。


「出来れば−−−俺の生きているうちに、嫁の顔を見せてほしいがな」


「………」


「樹、お前は、こんな家絶えてしまった方がいい、と思っているだろう」


話しが、飛んだ。


おそらく、この話しこそが、この老人のしたかった話しなのだろう。


「このような呪われた家系。お前は、そうそうに絶えた方がいい。と思っておるだろう」


思ってる。思っているさ。


異端など−−−孤独なだけだ。


「しかし−−−誰かが、持っていなければならないのだ。この呪いは。きたるべき、災厄に備えて−−−共に滅びるために」


「………」


「人を呪わば穴二つ。並ば、もう一つの穴に対抗するためにも、この呪いは必要なのだ」


災厄に呪い。


どこかで、そんな話しがあったような−−−。


「だがな樹。呪いはあくまで呪い。決して−−−この呪いで誰かを救おうなどと考えるではないぞ?」


「………」


やめろよ−−−。


「呪いでは、人を救えない。人を呪わば穴二つ−−−自滅するだけだ」


「やめろよ」


それじゃまるで−−−。


「樹。お前は、類い稀なる呪いを持って生まれた。−−−それが何を意味するのか」


「それじゃまるで−−−」

遺言みたいじゃないか。


「何か、巨大なものに対抗するためのものではないかと−−−俺は思うのだ」


巨大なもの。未来。創崎誓衣。


「わかったよ。爺さん。オレは−−−この呪いと向き合って生きていくから」


そう応える。家族である老人に。


老人は少し笑い。それでも、真剣な目で。


「呪いでは、人を救えない。共に自滅するだけだ。−−−それだけはユメユメ忘れるな」




時刻は正午過ぎ。天気は晴れ。



少年のボク。


老人の夢路。


家族。


貴方がいるから−−−ボクは孤独でなくなった。


異端ではあったけど。


孤独ではないと、錯覚できた。


一人ではないと、誤解できた。


摸本樹は、そのことに、本当に感謝してるんだから−−−。




+--+--+--+--+--+--+--+




帰り道。


摸本家からは、特に揉め事もなく、無事出ることができた。


立川さんには挨拶をしておきたかったが、爺さんに言伝を残し、そのままでてきた。


『呪いは呪いなんだよ。人に関わればその人を呪い何かをなそうとすれば、呪いによって憚れるんだ』


かつて、ボクにそういった人がいた。


その人も結局、呪われた身で、誰も救えず、ボクも救えず、自分も救えなかった。


二年ほど、一緒にいた人。


摸本夢路に引き取られる前の、ボクの保護者。


結局、あの人はボクの近くにいたから、あんなにも早く死んでしまったのだろう。


夢路に会うまで、ボクは自分の呪いを制御することもできなかった、未熟なボクのせいで。


「ボクはいったい、どれだけの人を不幸にすれば、死んでいいんですか?赤道さん−−−」


嘆いた言葉は、誰にも聞こえない。


誰にも届かない。


何にも届かない。


だけど−−−。


「アレは…」


電車の窓から、どこかで見た看板が見える。


アレは…。


「間もなく〜停車致します〜お降りになるお客様は〜」


電車のアナウンスが響く。


ボクは、何かに急かされるように、その降りたことのないような駅を降りる。


「そんなバカな…」


確か、あの時ボクは−−−。


改札を抜ける。そこにはいつか見た風景。


昼下がり、平日だというのに、大勢の人がいる。


誰かの夢で見た風景。


夢でしかなかったはずの光景。


「だけど、まだ」


足りない。


予知だというなら、まだ、足りない。


雨が、降っていない。


−−−何か、冷たいものが、頭に当たった。


空を見上げる。


雲が、雨が、さっきまであんなに晴れていたのに−−−?


ポツリポツリと降り出した雨は、次第に雨足を強めていく。


突然の雨に驚いた人達は屋根を求めてひた走る。


その最中、一人、雨の中、ビルの看板を眺めてボケっとしてる少年をいぶかしく思いながら。


ボクは待つ。心は呆れるほど平穏。


これで、それが起こるなら、それは、かなりの決定打になる。


雨が降る。その程度のことならまだ偶然で片が付く。


だがしかし、これ以上の決定打を見せられたら−−−?


一瞬の、稲光。


いつの間にかの雷雲が、ビルの看板を直撃した。


大気が震える。


ボクも震える。


もはや−−−確定的。


いくらなんでも、ここまでの偶然は予測できない。


これは、未来なのか?


これが、運命なのか?


巨大なものが、ボクの前に現れていた。


件崎−−−。


件崎の悲願。


未来を知ること。


人間を越えること。


それが、その片鱗が、ボクの前に。ボクの運命をおし流すほどの存在が、ボクの前に。


あの夢の−−−。


あの夢の続きは、どうだった?


確か、ボクは一人ボケっと空を見上げていたら、そこに傘を差されて−−−。


ボクの上に、傘が差される。


薄いピンク色をした。かわいらしい女ものの傘。


夢では、ここでボクが振り返り、そこで追い出された。


ボクは、あの時と同じように、振り返る。


「雨が降る、って書いてあったでしょう?」


「創崎、誓衣−−−」


今はもう、その名は戦慄を持って呼ぶ。


「よくこの場所がわかったわね。…まぁ、今日の夢にこんな感じであなたにあったような気もするし…貴方、また人の夢を盗み見たわね」


二の句が継げない。


「仏の顔も三度と言うから、今回までは許してあげるわ。でも、次に許可なく盗み見たら−−−殺すわよ?」


「は、ははっ」


自然と笑いが込み上げる。


「?」


「あははははは!」


「どうしたのよ、突然?」


創崎が少し、焦ったように聞いてくる。構うものか。


ボクは今、嬉しくて嬉しくてたまらないのだ。


「あははははは!」


創崎誓衣。キミは最高だ。


キミはボクが出会いたくて出会いたくてたまらなかった人だ。


運命さえ感じる。このまま愛の告白さえしたいくらいに


ボクは雨の中、狂ったように笑い続ける。こんなに笑ったのは生まれて初めてだ。


「摸本−−−くん?」


彼女がボクの名を呼ぶ。


考えてみたら、これが初めてなのではないだろうか?


「ははは…。いや、落ち着いた。もう大丈夫だ、創崎」


「…そう?私には貴方のキャラが完全に崩壊したように思えたわ」


「ボクのキャラはこれから新しくなるんだ、気にしないでくれ」


自分でもわかる。今、ボクは最高にハイになっている。


テンションがおかしい。今だかつてないモチベーションだ。


「そう。それならいいんだけど…」


創崎は今のボクのテンションに気圧されたのか、少し、引き気味だ。


「でも、これで私のことを理解してくれたでしょう?」


創崎は、確認するかのようにいう。


「ああ、理解した。キミの能力は、『ラプラス』は確かに」


そして、ボクのやるべきことを−−−。


「さて、立ち話しもなんだ。早くいこう。服も濡れちゃったし、急がないと−−−」


「ちょ、ちょっと摸本くんどこに行くっていうのよ?」


創崎は慌てたように。ボクに聞く。


ボクは、いつかの彼女のように、答える。


「ボクの家に決まっているじゃないか」




+--+--+--+--+--+--+--+




摸本家。


その裏の顔は−−−。


呪われた家系。


呪われた血族。


その呪いは、名前に冠した通り。




『獏』




やはり、コレもかなり有名な名前なのではないだろうか?


古来、大陸から渡ってきた。魔物。


その特性は−−−。


夢喰い。


人の夢に入り込み、その夢を喰べる魔物−−−。


それが『バク』だ。



摸本家は、その呪いを受けた一族。


体の中にバクを宿し、誰かの夢の中に入り込み夢を喰らう。


貧食の魔物なのだ。




ボクは彼女に自分はバクなのだと名乗った。


自分を−−−人外だと認めた。


自分を−−−異端だと認めた。


自分を−−−化け物だと告白したのだ。


ただし、摸本家については伏せておいた。


あくまで、コレは一個人の、ボクの能力だということにしておいた。


嘘をついたことは心苦しかったが、彼女には呪家に関わってほしくなかったし、なにより−−−宗家に何かしらの迷惑がかかるのは避けたかった。


彼女はボクの話しを、聞いているんだか聞いてないんだかだったが、それでもいい。


コレが、ボクが初めての自己紹介なんだから。




+--+--+--+--+--+--+--+




豪気にもタクシーで家に帰り着いたときには、雨はもうやんでいた。


「以上が、ボクの話し。証明は…二度も体験したからもう十分だと思うけど」


「ええ、二度ものぞき見盗み見されれば十分よ」


「………」


少し、会話に刺がある。


どうやら、ボクのハイテンションぷりに自分のペースを崩されたのを不満に思ったようだ。


「どうしたの?覗き魔」


…コレといって弁解できることはない。


ていうか、さっき許してくれるとかなんとか言ってなかったか?


「えーと…創崎さん。お腹とか空いてないですか?」


食べ物で釣ってみる。


「そうね、お昼をとっていないから、確かにお腹が空いてるわ」


「よし、それだったら−−−」


うちにある食材。冷凍食品。乾燥パスタ。カップラーメン。


「−−−何か買ってきます」


さすがに道草は勧められない雰囲気。


「いいわ、ご馳走になるんだから、私が作ってあげる」


そういって創崎は台所に歩いていく。


「いや、今日はロクな食材がなくてさ」


創崎は失礼するわよ。と、冷蔵庫を開ける。


中には予想通り。多少の野菜と調味料が入っているだけで、ほとんど空っぽだ。


「ほらな、ちょっと買ってくるから待っていてくれよ」


「いえ−−−これだけあれば十分よ」


…マジですか?


「いや、いくらなんでも−−−」


「いいから少し待ってなさい。ご馳走を作ってあげるわ」


−−−貴方は鉄人なんですか?


言われた通り、犬の如くしばし待つ。


思えば、この部屋に二日続けて人が来るなんて、稀有なことなのだ。


そして二人目は同級生の女のコ。しかもボクのために料理を作ってくれるという。


ボクは気付かぬうちに、かなりの偉業を成し遂げてしまったのではないだろうか?


「待たせたわね」


創崎から声がかかる。


「え?もうできたの!?」


時間にして5分とたっていないクッキンタイム。


なんだ貴様。天才なのか?


「ええ、運ぶからテーブルを片付けて」


「わかった…」


ボクはいそいそとテーブルを片付ける。


うん。なんかドキドキしてきた。


彼女は料理をお盆に乗せ、運んできた。


テーブルにおろす。


テーブルには、二個のカップラーメンが乗っかった。


カップラーメンである。


まごうかたなきカップラーメンである。


「創崎、これは?」


ボクはたまらず創崎に尋ねる。


「人類の産んだ究極の料理、カップラーメンよ」


カップラーメンは料理とは言わない。


「ふふっ。摸本くんはこれがただのカップラーメンだと思っているようね。甘いわ。私がそんな芸のないことするはずないじゃない」


すると、コレは何かのアイディア料理に変身するのだろうか?


「そろそろ頃合よ蓋を開けてみなさいな」


言われた通り、蓋を開けてみる。


中には、これでもか、というくらいマヨネーズが入っていた。


一度、創崎を見る、そのあと、カップラーメン見て、ふたたび創崎を見る。


「お湯を注いだあとに、マヨネーズを入れて蓋をするのがミソなのよ」


聞いてねえよ。


「それでは、いただきます」


そういって創崎は自分の分のカップラーメンを一口すする。


…何て言うか、幸せそうだ。


「………」


…まぁ、幸せの形は人それぞれだから、いいか。


そして、ボクも創崎特製カップラーメンをすすった。




+--+--+--+--+--+--+--+




食事が終わりゴミを捨てる。


創崎特製カップラーメンは、まぁ好きな人は好きなんだろう。………ボクは普通が一番だ。




「さて、そろそろ−−−本題に入りましょうか?」


本題。創崎の本題。


予知夢。


「聞くけど摸本くん。一番最初の夢を覚えてる?」


あの夢。一番最初の夢。あの地震。


「ああ、身を持って覚えてるよ」


「そう、助かるわ。私は、自分の見た夢を断片的にしか覚えてないのよ」


そう言って、彼女は例の日記帳をとりだす。


『イメージはのんびりしてる。場所は学校の教室。時刻は昼間。授業中に地震が起こる。かなり大きい。教室の床が抜ける。私は慌てて教壇のほうに行くが、中央から飛んできた男子生徒に突き飛ばされ、落ちてしまう』


なんか、違うような気がする…。


「いきなり突き飛ばすなんて、何か私に恨みでもあったのかしら?」


「さぁ…なんかの思い違いじゃないか?」


ジロリ、と創崎が睨む。


負けるな、誤解なんだ。


「まぁ、それは不問にするとして、問題は日にちよね」


「日時は明日の正午、ちょっと前だ。それは、見た」


記憶している。黒板の日付、時計の針。


「明日って−−−」


「そう、明日の正午。時間としちゃ、二十四時間切ってるな」


創崎は、ただでさえ白い顔を蒼白にして−−−。


「大変じゃない!急いで街の人達に伝えないと!!」

彼女は慌てて立ち上がる。ボクはそれを制した。


「落ち着けよ。『明日地震が起きる夢を見たから避難してくださーい』なんて誰が信じるんだよ」


そんなヤツは駅前にでもいけば大量にいるご時世だ。誰も、見向きもしない。


「だからって…」


「少なくとも、オレ達は助かる」


「………」


「今すぐタクシーで飛ばして他県−−−いや、国外にでも出れば、地震からは逃れられる」


「………」


「それに、キミの予知はかなりの確率だが−−−百パーセントってわけじゃないんだろ?なら、他の人たちにはそれに賭けてもらうしかない」


予知が−−−外れることに。


「−−−貴方が、そんなことをいうとは思わなかったわ…」


「そうかい?」


彼女はボクに、どんな幻想を抱いていたというのだろう?


ボクが、誰かを助けたり、救ったことがあるとでも思っていたのだろうか?


「どうしようもないことなんだよ。地震なんて、どうやって防げって言うんだ」


それが、現実。


現実は覆らない。


夢とは違って。


「そう、もういいわ。あなたには頼らない。私一人でなんとかするわ」


なんとか、できるわけがない。


でも−−−。


「それは、街の人たちを救うために、自分が何とかする。という意味か?創崎」


「?」


「誰かを救うために、自分を犠牲にするつもりがあるのか。と聞いているんだ」


彼女は、特に考えるそぶりも見せずに。


「知ってしまった以上、無視はできないわ」


そう、言った。


ボクには、できないことを。


「そうか…なら、方法は一つだけある」


「あるの!?」


「ああ。キミはボクを自分の夢の記録係だとでも思ってたのかい?−−−いくらなんでも、大地震が来るというのに、何の策もなしに、こう落ち着いてはいられないさ」


余裕たっぷりな雰囲気を出す。


実際余裕はそれほどないが−−−。創崎をリラックスさせるのが先決だ。


「じゃあ、さっきのは?」


「キミの覚悟を試させてもらった。もし逃げ出す気があるようなら−−−この策は不完全だからね」


「………嘘つき」


「まぁそれなりにはね」


創崎を見つめる。こっからさきは、おちゃらけはなしだ。時間もない。


「創崎、予知を外すために−−−何でもできるか?」


「その覚悟は−−−あるわ」


創崎は力強く応える。


よし。


「創崎、ボクと一緒に寝よう!」




+--+--+--+--+--+--+--+




目覚めは爽快だった。


久しぶりに睡眠不足が解消された。


「久しぶりにまともな朝食でも作るかな」


うちにある食材。冷凍食品。乾燥パスタ。


「道草を食べよう…」


学校に行きがてらコンビニでもいくとする。




学校はいつもどおりの平穏だった。


「おはよう、バッくん」


「ああ、おはよう。委員長」


「………」


「どうした?委員長」


「………朝から爽やかなバッくん、かなり気持ち悪いな」


「………」


やはり、ちょっと傷つく。


「冗談だ。昨日は何故休んだのだ?」


昨日は金曜…いや、木曜か。


摸本宗家親族会議。


「いや、ただの風邪さ」


「そうか、それは災難だったな。もう平気なのか」


「ああ、もう災厄はこないよ」


そういってボクは席を着く。


創崎がくるのは二時間目からだったか。


今日はいい天気だ。


「チカッチは今日は欠席か。昨日は早退したし、出席率は大丈夫なのだろうか?」


「お前、本気でそのネーミングを定着させる気なんだな」




授業をうける。


二時間目の途中。創崎が登校してきた。


休み時間、委員長と一方的なやり取り。


委員長の撃沈。これも予定調和。三時間目の休み時間。動くなら今だろう。


「委員長」


「なんだ?」


「風邪が振り返した。早退する」


「とてもそこまで大事には見えんが…」


「オレは強がりだからな、そう見えるんだ。実際は−−−今にも倒れそうなくらいふらふらだ」


「…そうか。息災でな」


「ああそれじゃ、委員長」


その後ろから。


「紫藤くん、私も早退します」


「ん?あぁ!?」


「とてもそうは見えないでしょうけど。−−−今にも倒れそうなくらい、ふらふらなんです」


「俺にはその通りにしか見えんが…」


そういって創崎は出ていく。


「そういうことだから。よろしくな委員長!」


そして、ボクもそれに続く。




あとには、何がなんだかわかっていない委員長が残された。




+--+--+--+--+--+--+--+




ここは、丘の上。コンクリートで補強された強固な展望台。


どうやら地震は直下型地震だったらしく、この展望台は無事だった。




「どこまで行くのよ?」


創崎はいきなり展望台まで来させられて、かなり不機嫌だ。というかいつにもまして顔色が悪い。


「展望台。それより創崎、大丈夫なのか?顔色がゾンビみたいだぞ?」


仮借のない意見を言ってみる。


「…薬の副作用よ。はっきりいって怠くて仕方ないわ」


彼女は、柳の木のような印象だが、今はいつにもまして弱々しい。


まるで、枯れ木のようだ。


「それで首尾は−−−うまくいったの?」


「キミが覚えていないこと、それがうまくいった証拠さ」


ボクは自信満々に応える。


展望台は平日の昼間。利用者は殆どいない。


その時まで、時間にして数分。


街を見下ろす。


平穏そのもの。何一つ変わらず、人々はいつもの毎日を送っている。


「…こんな風に、街の時間は流れているのね−−−知らなかったわ」


彼女はベンチに座り。遠く広がる街を眺めている。



ランチタイムなのだろう。多くの人が商店街にあふれていて、みな楽しそうに歩いている。


公園が見える。小さな子ども達が駆け回り、声を出して遊んでいる。


学校が見える。眠そうに授業を受けてたり、校庭で体育をしていたり、屋上でサボってるカップルもいる。


それは、幸せな光景だった。


どこにも不幸なんてなくて、どこにも悲しいことが見えない。


誰もが埋没する、幸せな日常だった。


それをボクは、遠い場所を見るように眺めている。


それを創崎は、遠い場所を見るように眺めている。


「…キミは同じ予知を何度か見るみたいだね。例えば昨日の雨の夢」


創崎は、気だるそうな瞳で、街を眺めている。


「アレを見るのは二度目何だろう?なぜ、同じ夢を二度見るのか?答は簡単−−−変更があったからだ」


創崎は、気だるそうな瞳で、街を眺めている。


「予知は完璧だった。だけど未来は可変。今までは未来を創崎は『なんとなく』でしか見ていなかった。だから、未来は大幅な変更もなく、単一な夢しか見れなかった」


創崎は、気だるそうな瞳で街を眺めている。


「だけど−−−今回は違う。ボクという第三者。未来を正確に記録するものが現れた」


創崎は、ここで、視線を空に移す。


「ボクが予定調和を崩すたびに、キミの見る夢は変更されていった。今と異なった未来は多種多様とあっただろう。−−−しかし、それはあくまでも一個人としての変更でしかない」


「空が綺麗ね」


「ああ。−−−つまり、もっと巨大な。例えば自然現象のようなものは、一個人の変更では、とても改ざんすることはできない」


「私達の住んでいる街は、こんな顔をしているのね」


「中々気付かなかったな。−−−だから、今回は裏技を使わせてもらった。いや、そんなものに対抗するなら、反則くらいつかわないと、とても足りない」


ボクは腕時計を確認する。あと少し。


「それは、始めから『無かったこと』にするしか方法がない。そんな夢は見なかった。そんな未来は有り得なかった、ということにね」


彼女は瞳を閉じる。どうやら意識を保っていられるのも限界みたいだ。


構わず続ける。


「キミの夢を消させてもらった。正確には喰らわせてもらった。−−−ボクはバクだからね、悪夢を喰うのは専売特許さ」


少し、自嘲気味に笑う。


そう、始めて、意味をもてた。夢喰い。


未来は変わる。ボクは変わる。もう、何もなしえない、人を呪うだけの存在じゃない。


呪いでは、人は救えない−−−。


そんなことは、ない。


ボクだって、何かを救えるときが、誰かを助けることが、できる。


誰かに、必要とされることが、できる。


此処に、居てもいいと、思うことが、できる。


もう、ひとりぼっちでさ迷っていたりなんかしない。


「もうすぐ時間だ。起きろ、創崎。喰われたいか?」


創崎に呼びかける、返事は、ない。


だけど、その瞳だけは、薄く開いた。


「カウントダウン。9、8、7、6、5、4」


…正直、不安が、ないわけでも、ない。


ただ、ボクに出来ることはコレだけだったし。創崎には悪いが、ここで死んでもよかった。


やれるだけやって死ぬなら、きっと許してくれるだろう。


街を眺める。いつもと変わらない平穏。


−−−。


「3、2、1、ゼロだ」


「………」


何も、起きなかった。


何も、起きなかった。


何も、起きないこと。


それが、ボク達の望んだ結末。


望んだ結末が、この通り。叶った。


予知は−−−外れた。


願いは−−−叶った。


想いは−−−届いた。


なら、今は、それで十分じゃないか?


街は、平穏そのもの。誰しもが、一歩違う未来なら−−−。


今は、この街がたまらなく愛しい。


ボクが、救った街だ。


ボクが、助けた人々だ。


「気分はどうだ?創崎」


「…悪くないわ」


創崎は、一度、街を眺めて、ふたたび、瞳を閉じた。


「お休み、創崎」


ボクは創崎の横に座り。彼女と同じ目線で街を眺める。


キミが、ボクをここに連れてきてくれた。


キミが、ボクをこんな気分にしてくれた。


幸せになれそうな気がした。創崎と二人なら。


創崎の頭がボクの肩にもたれかかる。ボクは微動だにせず。それを受け止める。


空は高い。暖かな春の陽射しの中、二人で眠るのも、決して悪くはない。


二人なら。


ひとりぼっちとは言えない。


「それじゃあ創崎。今度はいい夢をね」


それでは、夢で、会いましょう。


そんな気恥ずかしいフレーズも、今なら口に出せそうな気がする。




街は平穏そのもの。ボクはその光景を、創崎を隣に飽きることなく眺め続けた。




+--+--+--+--+--+--+--+




「貴方の講釈が随分長いから、うっかり眠ってしまったわ」


夕刻の帰り道。


彼女はずっと言い訳ばかりしている。


あの後、創崎は夕方まで結局起きなくて、ボクは何時間も動いては行けないという責め苦を受けることとなった。


なぜか、少しでも動いたら、とんでもないことになるような気がして、トイレにもいけなかった。


そして、夕方、ようやく創崎は目を覚ました。


おはよう。と挨拶をすると、肩に頭をおいた創崎と目が合う。


そのまま、数秒。


創崎は物凄いスピードで立ち上がると、これまた華麗なるバックステップで距離を取ると、拳を固め、脇を締め、拳を正眼に構え、腰を落とし、見事なファイティングポーズを決めた。


そうだ、彼女はボクサーだったのだ…。



闘志剥きだしの彼女を何とかなだめて、帰る途中。その間も『女のコの寝顔を眺めているなんて最低』とか『変態』とか『痴漢』とか『暴行魔』等と(最後のは冤罪だと思うが)できれば、欲しくない称号をいくつも手に入れた。


まぁ、反論はしないけどね。


「もう、気分は大丈夫なのか?…睡眠薬ってのは、ずいぶんと後に残るものなんだな」


「正確には導眠剤よ。…処方されて使わなかったのを捨てないでとっといてよかったわ」


「備えあれば憂いなし、だ」


彼女が、もう一度、あの夢を見る可能性は高かった。


だけど、夢を見るタメには、とにもかくにも、眠ってもらわなくてはならないのだ。


ボクは慢性的な睡眠不足なので、何時でも何処でも眠れるが、彼女の場合そうはいかない。


『緊張して眠れない』だの『眠るところを見るな』等といろいろ面倒があったが、彼女の家に移動し、彼女が持っていた導眠剤やらなんやらを使い眠ってもらって、ボクは部屋の外で待機。ということになった。


その結果が、コレだ。


彼女は朝から導眠剤の副作用でだるそうだし、ボクはめでたく変態の称号を手に入れた。


…一方的にボクの被害が甚大な気がしないでもない。


彼女の言い訳が終わり、少し、間があく。


…ボクは、沈黙には慣れている。特に気にしない。


しばらくの間。二人とも無言。


「ねぇ…」


−−−不意に、創崎が口を開いた。


「何だよ」


ボクは、また悪口雑言かと思い、身構える。


「何で−−−貴方は逃げなかったの?」


出てきた言葉は−−−ボクが答えるのを意図的に避けていたことだった。


「私が−−−逃げてはいけない理由はわかるわ。私は、同じ夢を見なくてはいけない。だから、此処で起きることを予知するために、ここに残る。だけど−−−貴方は、此処に残らなければならない理由は、ない」


理由は、ない。


確かに、その通りだ。


ボクには、街を救う理由もなかったし。


街も、ボクに救われる理由はなかった。


だけど−−−。


『これは、呪いなんだよ、誰も助けられない。誰も助けられない、呪いなんだよ、樹』


それを、信じたくなかった。


疎まれさげずまれ厄介者扱いされ−−−化け物と呼ばれ。


なにが悪い?


誰かと寄り添って生きたいと願ってなにが悪い?


どこが悪い?居場所が欲しいと願ってどこが悪い?


幸せになりたいと−−−願って、どうしていけないんだ?


『集団は、集団に迷惑かけるものを決して許さない。なんで殺人者は罰せられるのか?答は簡単。集団で決めたことを守らなかったからさ』


いつも、ビクビクしていた。


世界は、いつだってボクに優しくなかった。


運命は、どんな時もボクに微笑まなかった。


いつも、ボクは許して欲しかった。


だから−−−世界を救えば。


誰かの助けになれると証明できれば。


ボクにも、世界は優しくしてくれるかもしれない。


そう考えた。


そう、浅はかにも考えた。


そう、浅はかにも考えたから。


だから−−−。


「別に。オレには成功する自信があったし、予知の段階で、自分だけは生き残る算段があったからさ」


「そう…」


「それに」


「それに?」


一度、言ってみたかったセリフ。


他人には関わらず、独りで死ぬことを目標として生きてきたボクの、憧れの、永遠に使うべきことはないと−−−思っていたセリフ。


「だってさ、知ってしまった以上、見て見ぬふりはできないだろう?」


−−−そこで、創崎誓衣は初めて。


普通の女のコらしい、笑顔見せた。


その顔は、とてもかわいらしく。ともすれば、ホレてしまいそうな、笑みだった。


「摸本くんも−−−そんな顔で笑う時もあるのね」


顔に手をあてる。


笑っている−−−?このボクが?


「夢は−−−」


創崎は、独り言の用に呟く。


「夢は、覚めてしまえば、何も残らないところにその価値がある。現実に続く夢なんて、醜悪以外、何物でもないわ」


どこか、自分に言い聞かせるような響きだった。


ボクは、その言葉の意味に気付くことはできず、そのまま二人、黙って帰路につき。


別れの挨拶は、しなかった。




+--+--+--+--+--+--+--+




蛇足−−−というより、後日談。


いろいろあって、授業をサボり過ぎたボクに、一応の進学校であるこの高校は居残り補習を命じられた。


憂鬱な気分で指定された教室にいくと、そこには見知った女生徒が、教室に独り残されていた。


「………」


ボクは黙って、女生徒から離れた席に座る。


「………」


ボクはもらった課題を黙々とこなす、


その女生徒は、もう終わっているのか。はなからやる気がないのか、窓の外を見て微動だにしない。


「………」


ボクは課題に取り組む。


不意に。


「昨日は、夢を見たわ−−−」


女生徒が話し掛けてきた。


「どんな?」


ボクは手を止める。




−−−こうしてボク達は時たま話し合う仲になった。




−−−こうしてボク達は、友達になった。




今まで、何も持っていなかったボクが、初めて手に入れた、友達だった。


だから、まぁ、幸せといえば幸せなのだ。







bakumoto ithuki TO BE NEXT….







□■□■□■□■□■□







−−−もしかしたら、有り得たかも知れない現実。



そこは、廃墟だった。


大勢の人が死んだ。


多くの物が壊れた。


沢山の事を失った。


その廃墟の中。


一つの人影が揺らめいている。


「もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと−−−失くなってしまえ」


それは、ひどく、陰鬱な歎きだった。


「足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない足りない−−−こんなんじゃ、足りない」


ゆらゆらと人影が廃墟の街を歩く。


「もっと多くの不幸を。もっと巨大な災厄を。−−−ありったけの絶望を、夢に見ろ」


それはさながら、ひとりぼっちでさ迷っている化け物ようだった。


「だから、今回は見逃してやる」


その廃墟の世界は−−−暗幕が覆いかぶさるように、…崩壊していく。


消えていく。


喰われていく。


「復讐してやる」


その人影も、暗幕に捕われる前に、消えていく。


やがて、世界は暗闇に消えていく。


「復讐してやる復讐してやる復讐してやる復讐してやる復讐してやる復讐してやる復讐してやる復讐してやる復讐してやる復讐してやる復讐してやる」


後に残ったのは、誰かの不気味な歎き。


だが、いつしかそれも聞こえなくなる。




あたりまえといえばあたりまえ。


これは、有り得なかった現実。


これは、有り得たはずの現実。


だけど、これはもはや摸に喰われた夢の後先。


そこには、もうなにも残っていない。


−−−だから、夢の続きは現実で行われるのだ。

これは『バクの見る夢』の本編にあたる話しです。ようやく、ヒロインがでてきたのですが、なんだか影が薄い気もします…。あと、ご意見ご感想待ってます。それでは読んでいただきありがとうございました。

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