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k-08 カッパとパイ

元ネタは原付転生の

【第十四話:焚き火と履歴書】です。

こちらも合わせて読んで貰えるとスッキリします。

 翌朝。


 カフェの営業開始は十時だが、早朝から出発する旅人のために、アハロでは宿泊客だけが早朝のカフェを使うことができる。


 今朝もカウンターを賑わせていたのは、昨夜から泊まっているトラ子だった。


「なぁ店長、ウチ、朝っぱらから昨日の鶏辛丼が頭から離れへんのやけど、今から作れる? アレ、マジで美味すぎてヤバかってん。起きた瞬間から口の中が完全に鶏辛丼モードやねんけど、無理言うてる? ……アカン? なぁ、ウチ今朝はもうアレ以外受け付けへん身体になってんねん。な、お願い。店長の腕やったらサクッと作れるやろ? 食べたいねん、ほんまに!」


 モト子が厨房でランチの仕込み中の花に声をかけた。


「花ちーん! 鶏辛丼いける?」


 花が厨房からホールへ出てきた。


「また鶏辛丼? トラ子ちゃんは昨夜も食べたじゃない」


「なんならウチ、ここにおる間、全食これでもええわ。マジで。……さすが花ちんやな! 見直したわ。その腕前でアプリのオッサンの胃袋をガッツリ掴みよったんやな。あんな偏屈なオッサン、誰が面倒見んねんと思てたけど……。あんたやったら、オッサン任せてもええかもな。うん、あんたやったら安心やわ!」


 花がトラ子をからかうように答えた。


「大丈夫よ。私もモト子さんも貴女からアプリさんを取らないからね」


「ちょ、ちょお……! な、何さらしてんねん自分! 誰がオッサンのこと好きやて? わ、わ、ウチちゃうわ! アホ抜かせ! オッサンのこと『ええな』思てんのはユッタや! そうや、ユッタの方やねん! ……な、なぁ! ユッタ! 自分、オッサンのこと好きなんやんなぁ!? ほら、早よ言うたれや! 自分やろ、オッサンにゾッコンなんは!」


 トラ子とユッタが揃って真っ赤になり、俯いてしまった。


 セイラと小石先生とモト子と花が、一斉に吹き出した。


「なんて可愛い子!」


「でしょ? 小豆島に滞在してた時なんて、ずっとアプリさんと野球してバイトしながらデレデレしてたんですよ」


「してへん!」


「わ、わ、私は野球には加担してませんよ! 小石先生とプロ野球チップスのカードを抜いてたじゃないですか! もう!」


 照れた二人がますます可愛くて、四人の笑いが止まらなかった。


   *


 朝食が一段落すると、コーヒーを飲みながらセイラがモト子に尋ねた。


「店長さん、このコーヒー凄く美味しいです! このアップルパイも凄く美味しい」


 小石先生も深く頷いた。


「でしょ? うちのコーヒーは石川県にある二三味コーヒーって所から取り寄せてるのよ。このコーヒーは私やアプリさんにとっても特別なコーヒーなの」


 トラ子が目を丸くした。


「え……アプリのオッサンも? ちょお待てや。……やっぱりな! 店長とオッサン、昔デキてたんやろ? 隠してもムダやで、空気でわかるわ。白状しぃや、店長!」


 突然アプリの名前が出てきたので、ユッタも身を乗り出して聞いている。


 モト子はそんな二人に、一冊の雑誌を見せた。


「この雑誌、モタチャンプっていうバイク雑誌なんだけど、ほら? 表紙に私やアプリさんや本田くんも写ってるでしょ? 石川県の千里浜という砂浜で、皆で飲んだコーヒーなのよ」


 トラ子とユッタが雑誌に顔を寄せた。


「これってキャノンボールの時ですか?」


「そうよ。ここで私たちは初めて全員で顔を合わせたのよ。本当に楽しい夜だったわ」


「鹿児島から稚内まで何日かかるんですか?」


「私はゴールの留萌までは約十七日ね。こう見えても四位だったのよ!」


「「「四位!?」」」


「まあ、ほとんどDT50の性能のおかげなんだけどね」


 モト子が笑いながら言った。


「え……店長、マジで? 自分、そんなエグいことしとったん! うわ、今の今までただの店主や思てたわ。めっちゃうらやましいねんけど! ……そんなオモロそうなレースあったんなら、早よ言うてや! ウチもその時おったら、絶対混ざって暴れ回っとったのに……。あー、マジで悔しいわ、それ出たかったなぁ〜!」


 賑やかな朝食が終わった。


 四人が支度を済ませて、部屋の清掃に来ていたクレアおばさんに声をかけた。


「遅くなる前には帰ってきますね。今夜もよろしくお願いします」


「ジブリパークに行くなら名駅からは地下鉄東山線ですからね」


「はい! ありがとうございます」


 モト子と花が入口まで見送った。

 四人が笑寺駅への道を歩いていった。

 虎柄の服のトラ子が先頭を歩いて、ユッタがその横に並んで、小石先生とセイラが後に続く。


 路地の曲がり角に消えていく四人の背中を見ながら、モト子が言った。


「あの子たち、また夏休みにも来てくれるといいわね」


 クレアおばさんが速やかに清掃を始めた。

 アハロの朝はこうして動いていく。


   *


 その日のランチタイムも、滞りなく終わった。


 中休みの静けさが路地に戻ってきた頃。


 西之門の古い路地に、一台のママチャリが頼りなく停まった。


 サイクルベースあさひで購入した「カジュリー リラックス」。

 外装六段変速。オートライトモデル。


 ハンドルにかけられた細い腕が、緊張でわずかに震えていた。


   *


 少女の名前は、誰も知らない。


 笠寺に住んでいる。

 友達がいない。

 勉強も苦手で、要領も悪い。


 ようやく終わった義務教育という名の監獄から解放されたと思いきや、母親の強い勧めで夜間学校へ通うことが決まっていた。

 父親はいない。

 母親一人で育ててくれているが、裕福ではない。

 中学を卒業したら働きたかった。

 でも母親が「せめて高校だけは卒業しろ」と言った。

 それで夜間学校という選択肢に、かろうじて落ち着いた。


 彼女は、変わりたかった。

 四月から始まる新しい生活。

 いわゆる「高校デビュー」というやつに、淡い期待を持っていた。


 そんな時、近所の路地裏に見つけた一軒のカフェ。

 引き戸のガラスに貼られた「メイド募集」の貼り紙が、彼女の運命を狂わせた。


(……メイドカフェ。あんなフリフリの可愛い服を着て働けたら、私みたいな陰キャでも、キラキラした女の子に変われるかも)


 少女は、意を決して重い木製の扉を押し開けた。


「……失礼、します……」


 だが、淡い期待は、足を踏み入れた瞬間に粉々に砕け散った。


 目の前に立っていたのは、秋葉原にいるようなミニスカ姿のメイドではなかった。


 床まで届くような長い黒のスカート。

 糊の効いた白いエプロン。

 首元まで詰まった襟。


 それは、十九世紀の英国からそのまま抜け出してきたような、本物の「家政婦」の正装だった。


「……は?」


 圧倒的な威圧感と美貌を放つモト子と、熟練の風格を漂わせるクレアおばさん。

 二人の本格的すぎるメイドを前に、少女は金縛りにあったように硬直した。


「……面接の方ね。こちらへ」


 モト子の事務的な、それでいてどこか優雅な所作に促され、少女は逃げ出すタイミングを完全に失った。


 磨き上げられた廊下を歩きながら、脳内は「帰りたい」という文字で埋め尽くされていた。

 ここは自分の来る場所じゃない。

 こんなガチの戦場に、自分のような出来損ないが居場所を見つけられるはずがない。


 案内された事務所の椅子に、少女は小さくなって座った。

 モト子から飛んでくる志望動機やシフトの質問。

 でもほとんど耳に入ってこなかった。

 どうせ断るのだ。

 適当に相槌を打って、この扉を出たら二度とここには近づかない。

 そう決めていた。


 その時だった。


「お待たせしました。コーヒーと、焼きたてのアップルパイです」


 厨房から、ピンク色のコック服を着た少女が、トレイを運んできた。


 ふわりと鼻腔をくすぐる、バターの香ばしい匂いと、甘い林檎の香り。


「さあ、一緒に食べましょう。お腹、空いているでしょう?」


 モト子に言われ、少女はおずおずとコーヒーカップを手に取った。


 一口、口に含んだ。


 缶コーヒーとも、大手のチェーン店とも違う。

 深いコクと、透き通った苦味。

 喉を通る瞬間の、贅沢な余韻。


「……美味しい」


 無意識に、本音が漏れた。


 続けて、フォークでアップルパイを一口、口に運んだ。


 サクッとした生地の層が弾け、中からとろりと甘酸っぱい果肉が溢れ出した。


(……何これ。何これ!? こんなに美味しいもの、食べたことない……!)


 もし、ここで働けば。

 この信じられないほど美味い賄いが、自分のものになる。


 絶望に塗りつぶされていた少女の人生に、初めて「食欲」という名の強烈な光が差し込んだ。


「あの……っ!」


 モト子が次の質問を投げかける前に、少女は身を乗り出していた。


「私、ここで働きます! 働かせてください!」


 それは、高校デビューへの見栄でも、自分を変えたいという抽象的な願いでもなかった。

 本能が選んだ、この場所への直訴だった。


「……あら。いい返事ね」


 モト子が少しだけ、口角を上げた。


   *


 後日、モト子と花はこの少女を「カッパ」と呼ぶようになった。


少し伸びたボブカットがオカッパに見えたからだ。


 名古屋市笠寺在住。

 夜間学校に通う女子高生。

 週末限定のアルバイト。


「カッパちゃんって、このクラッシックメイド服、少し戸惑ってわよね」


「そうですね。でも、賄いを食べた時の顔が全然違いましたよ。目が生き返ったみたいで」


「食欲が人生を変えることもあるのよ」


「モト子さんはどうしてアハロを始めようと思ったんですか?」


「それはね……」


 モト子が少し考えた。


「全部、あの千里浜の夜から始まったのよ。あのコーヒーがなかったら、今の私はなかったかもしれない」


 花が静かに頷いた。


 二三味コーヒーの豆から挽いたあのコーヒーが、千里浜の焚き火の夜に全員の前に配られた。

 そこから全部が繋がって、今のアハロがある。


 事務所の外では、春の夕暮れ時、カッパのカジュリーリラックスのオートライトが白く光り始めていた。


 彼女の週末限定のバイト生活が、今、ここから始まろうとしていた。









カジュリー リラックス BAA


型式 ABC2602

(26インチ・外装6段・オートライトモデル)

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