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K-140 Everyone is growing up.

 飛行機のタラップを降りた瞬間、モト子は思わず深呼吸をした。


 日本の夏の蒸し暑さとは全く違う空気だった。赤道の下にいるとは思えないほど涼しく、カラッとしていた。エンテベ国際空港はビクトリア湖に突き出した半島の上に建っていて、標高は千百メートルを超える。体感温度は二十五度前後。日陰に入ると肌寒いくらいだった。


「これが赤道直下なの?」


 花が目を丸くしながら辺りを見回した。


「ウガンダは高原なんですよ。日本の猛暑とは全然違うでしょう?」


 サラコが笑いながら先に歩き始めた。


 空港の自動ドアを一歩出ると、景色が変わった。まず目に飛び込んできたのは、燃えるような赤土だった。日本の黒い土ではなく、鉄分を多く含んだ鮮やかな赤茶色の大地が露出している。そのコントラストで、周囲の木々の緑が信じられないほど濃く鮮やかに見えた。巨大なジャックフルーツの木が空に向かって枝を広げ、マンゴーの木が重たそうに実をぶら下げている。


 視界の端には、海のように広いビクトリア湖が広がっていた。


「空が、近い」


 モト子が呟いた。標高のせいで空が近く感じる。乾季特有の突き抜けるような青に、真っ白な巨大な入道雲が浮かんでいる。どこからか薪を燃やしたような香ばしい匂いが漂い、ビクトリア湖から吹く湿り気を含んだ涼しい風が肌に当たった。


 遠くでクラクションが鳴った。鳥の鋭い鳴き声が続いた。人々の陽気な話し声が混ざり合っていた。


 アフリカに来た、という実感が、静かに押し寄せた。



   *



「出発までまだ時間があるので、私は飲み物でも買ってきます。お二人はバスの中で待っていてください」


「いえ、私たちも行くわ。どんなものが売っているのかを見ておきたいもの」


 バスターミナルの周囲には露天市が広がっていた。三人は並んで歩き始めた。


 花が最初に目を止めたのは、薄焼きパンに野菜入りのオムレツを巻いた屋台だった。注文すると目の前で焼いてくれる。


「サラコ、これは何?」


「ロレックスです。ウガンダで一番愛されているストリートフードですよ。Rolled Eggsが名前の由来なんです」


 三人は熱々のロレックスを受け取り、その場で食べ始めた。


「あら、これ美味しいわね」


「モト子さん、あっちの屋台も買いましょう!」


 花はすでに次の屋台へと向かっていた。三角形に揚げたサモサ、甘い揚げパンのマンダジ。それぞれを買い込んで、バスに乗り込んだ。


 カンパラから北部のアルアまで、バスで八時間の旅だ。窓の外を赤土の道と深い緑が流れていく。途中で激しいスコールが降り、バスが揺れた。それでも花は窓の外を見続け、モト子は電卓と手帳を交互に眺めていた。


 アルアに着く頃には夕方になっていた。三人はHeritage Courts Hotelに泊まり、翌朝に備えた。



   *



 翌日の朝。初めてのバイクタクシーに、花とモト子は恐る恐る乗り込んだ。


 ウガンダのボダボダと呼ばれるバイクタクシーは、バジャージのボクサーBM150だった。鉄パイプのキャリアが標準装備された無骨な一台だ。


 走り出した瞬間、二人の顔がほぐれた。


「モト子さん! 日本でもバイクタクシーって普及しませんかね?」


「本当に最高! 日本でも普及すれば、もう自動車のタクシーには乗れなくなるわね!」


 赤土の道を風を切って走る。道沿いには原色の服を着た人々が行き交い、鶏が道端を歩き、子供たちが手を振っていた。


 二時間ほど走ると、ゼウ山の麓にサラコの実家が見えてきた。


 迎えてくれたのは、大勢の家族だった。


 サラコの家庭は一夫多妻で、母親が四人いる。兄妹は二十人以上、サラコ自身もまだ会ったことがない兄弟がいるという。サラコの実家はほぼ村そのものが親戚筋にあたっていた。モト子と花はその全員から熱烈な歓迎を受けた。


 歓迎の挨拶が一通り終わると、モト子が農園の視察を申し出た。



   *



 サラコが案内した倉庫の中に、見覚えのあるロゴが入ったバイクが三台並んでいた。


 HONDA TLM50。日本でもほとんど見かけないトライアルバイクだ。


「まさか、このトライアルで山を登るの?」


 モト子がハンドルをそっと撫でながら尋ねた。


「はい。畑まで車で走れるような道路がないので、トライアルじゃないと無理なんですよ。お二人はDT50とモトラに乗られているので、TLM50でも問題ありませんよね?」


 モト子と花は揃って親指を立てた。


 三人はTLM50に乗り、ゼウ山を登り始めた。赤土の急斜面、雨に洗われたぬかるみ、岩の間を縫うような道。TLM50の軽量な車体と2ストロークの瞬発力が、その全てを難なくこなしていく。


 しばらく登ると、視界が開けた。


 斜面に広がるコーヒー畑だった。日本の平地の畑とは全く違う、急な斜面にへばりつくように伸びたコーヒーの木が、どこまでも続いている。


「何処までがサラコの農園なの?」


「さあ? 家族の誰も何処までがうちの畑なのかわかっていないんですよ。土地を開拓した人のものになるので、未開発地区も開拓すればうちの畑になるんです。モト子社長のリクエスト通りにカカオも、コーヒー畑と同じくらい確保できますよ!」


 広大なコーヒー畑と同じだけのカカオ畑が可能だと聞いて、モト子と花は同時に笑顔になった。


「サラコ、カカオ畑に関しては、経費はいくら使っても大丈夫だからね。数を作るよりも美味しいものを作るのよ。もう勉強はしたわよね?」


 サラコは自信に満ちた顔で答えた。


「はい! もう欠点豆の失敗は犯しません! 任せてください。最高のロブスタと最高のカカオを日本へ納めます!」


 風がゼウ山の斜面を吹き抜けた。コーヒーの木が穏やかに揺れた。


 こうして、モト子とサラコ一族の契約は結ばれた。



   *



 その頃、笠寺のアハロは今日もいつも通りに営業していた。


 社長のモト子はウガンダにいる。コック長の花もいない。


 しかし、アハロはなんの影響もなく、明るく動いていた。


 厨房では菊とエメラが担当していた。エメラは花から習った手順を着実に自分のものにしていて、今では菊と二人で厨房をまとめていた。ホールにはカッパとラブとクレアおばさんが立ち、夜になると現十一面観音が加わった。


 カッパが彼女に贈ったスクラップ車のHONDAのeve PAXsを受け取った現十一面観音は、カッパからイブという名前をもらって、アハロの夜営業の看板娘になっていた。


 カッパはカウンターに立ちながら、ラテアートを描き続けていた。


 ホールを見渡す。テーブルのお客さんがコーヒーを飲み終えそうだと気づく。ラブにそっと目配せする。ラブが静かに動く。カウンターの端で粘っているライダーが注文を迷っているのを感じ取る。イブが声をかける。


 全部が、流れていた。


 社長がいなくても、コック長がいなくても、アハロは回っている。


 モト子がカッパを新店長にしたのは、まだ十七歳という若さだった。周りには早すぎると思った人もいたかもしれない。しかしモト子には最初から見えていた。この子はいつか、自分がいなくてもアハロを動かせると。


 その思惑は、今夜も静かに証明されていた。


 笠寺の街は、今日もいつも通りに穏やかだった。





ウガンダとエンテベ国際空港について:

エンテベ国際空港はビクトリア湖に面した半島に位置し、標高約千百メートルの高地にあります。七月下旬は乾季の終わりにあたり、最高気温は二十五〜六度、最低気温は十八度前後と涼しく過ごしやすい気候です。赤土ラテライトと濃い緑のコントラストが特徴的な景色が広がります。


ロレックス・サモサ・マンダジについて:

ウガンダを代表するストリートフードです。ロレックスはRolled Eggsが語源で、薄焼きのチャパティに野菜オムレツを巻いたものです。一五〇〜二〇〇円程度でお腹いっぱいになります。


バジャージ ボクサーBM150について:

インドのバジャージ社製の一五〇ccバイクで、ウガンダでは最もよく見かける車種です。ボダボダ(バイクタクシー)の主力車種として活躍しています。


HONDA TLM50とゼウ山の農園について:

ウガンダ北西部の西ニイル地方に位置するマウント・ゼウ(Mount Zeu)周辺の農園は、標高千五百メートルを超える急斜面にへばりつくように広がっています。未舗装の赤土道を登るには、軽量で瞬発力のある二ストロークのTLM50が最適な選択でした。


カッパ新店長について:

モト子と花がいないアハロを、十七歳のカッパが静かに回していました。言葉にしなくても伝わる目配せ、気づかれないほど自然な采配。それが今夜のアハロの答えでした。

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