第4話:ヒロイン、現る
そう、「運命の日」は抜けるような青空とともに訪れた。
リリアナが通う王立ラ・ヴァリエール魔導学園の校門付近は、春休み明けの活気に満ちている。
高級馬車が列をなし、着飾った貴族の令息令嬢たちが優雅に挨拶を交わす。
かつてのリリアナなら、この喧騒の頂点で取り巻きを引き連れ、女王気取りで歩いていたはずだ。
しかし今、彼女は学園の校舎の陰で、怪しいほどに身を潜めていた。
「……そろそろね」
リリアナは手元の懐中時計を確認する。
ゲーム『聖女の祈りと銀の冠』のプロローグ。
平民でありながら稀有な「光」の魔力を見出され、特待生として入学したヒロイン、エレーナ・ミルズ。
それからあらゆる試練を乗り越え、聖女へと覚醒する。
その前段階として、このイベントは重要だ。
学校へ来て早々、彼女は下級貴族の嫌がらせに遭い、そこをアルフレッド王子が颯爽と救う。
それが二人の恋の歯車が回り出す、歴史的瞬間なのだ。
(私が邪魔をしなければ、二人は出会い、純粋に愛し合い、私は『邪魔な婚約者』として円満に身を引ける。これこそが、私の描いた処刑回避ロードの最短ルートよ!)
リリアナが唾を呑み込んで見守る中、校門をくぐった一人の少女がいた。
使い古されたカバンを抱え、不安げに周囲を見渡す、蜂蜜色のふわふわした髪の少女。
この物語の主人公、エレーナだ。
その素朴ながらも輝くような美しさは、確かに「物語の主役」の輝きを放っている。
そして予定通り、数人の下級貴族の男子が彼女に近づき、嫌味な笑みを浮かべて道を塞いだ。
「おいおい、ここは学びの舎だぜ。野に咲く雑草が入ってくる場所じゃない」
「その安い服を見ているだけで、目が汚れちまうよ」
エレーナが俯き、目に涙を浮かべる。
完璧だ。
完璧すぎるシナリオだ。
あとは、あそこからアルフレッド王子が登場すればいいだけ。
そのはずだった。
(……遅い)
一分……二分……三分、どれだけ経っても、王子は現れない。
(おかしいわね。殿下の馬車はもう到着しているはずなのに。まさか、お腹でも壊してトイレに!?)
リリアナが待ち焦れて身を乗り出したその時。
男子生徒の一人が、エレーナのカバンを奪い取り、学園の噴水に投げ込もうとした。
「あっ、やめてください!」
「ははっ、泥水の方がお似合いだ!」
その瞬間、リリアナの思考より先に、彼女の身体が動いていた。
「そこまでになさい。見苦しいわよ」
凛とした声が響き渡る。
いじめに加担していた男子生徒たちは、雷に打たれたように硬直した。
振り返った彼らの目に映ったのは、燃えるような赤髪をなびかせ、氷よりも冷たい視線を向けるリリアナの姿だった。
「リ、リリアナ様!? なぜこのような場所に……」
「あら、公爵家の娘が、学園の品位を汚す恥知らずを注意してはいけないのかしら? そのカバンを返しなさい、今すぐに!」
「ひっ、も、申し訳ございません!」
男子生徒たちは、カバンを放り投げ、リリアナの前から蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
沈黙が流れる中、リリアナは地面に落ちたエレーナのカバンを拾い上げ、汚れを払って彼女に差し出す。
(やってしまった……。助けてしまった。これじゃ、殿下の出番を奪ったことにならない!?)
「あ、あの……ありがとうございます。リリアナ様……ですよね?」
エレーナが、キラキラとした瞳でリリアナを見上げている。
その瞳には、恐怖ではなく、隠しきれない憧憬の色が混じっていた。
「……礼には及びません。ただ、あなたは特待生としての自覚を持ちなさい。毅然としていないと、この学園では食い物にされるわよ」
リリアナはあえて厳しく突き放すように言い、その場を立ち去った。
早くどこかにいるはずのアルフレッドを探し出し、エレーナの元へ誘導しなければならない。
そして曲がり角を曲がった直後。
リリアナは、そこに立っていた影にぶつかりそうになった。
「……何を慌てている」
心臓が跳ね上がる。
立っていた影とは、銀色の髪を揺らし、腕を組んで壁に寄りかかっていたアルフレッドだったのだ。
「で、殿下。いつからそこに……」
「最初からだ。雑草が絡まれているのも、君が妙な隙間から覗いていたのも、すべてな」
リリアナは絶句した。
見ていたのなら、なぜ助けに入らなかったのか。
「殿下! なぜ見ておられたのですか。あの方は特待生で、この国の未来を担う光の魔力を持つ少女なのですよ。貴方が助けて差し上げれば、彼女もさぞや喜んだでしょうに!」
リリアナの必死の抗議に、アルフレッドは底冷えのするような冷笑を浮かべた。
彼は一歩、また一歩とリリアナに近づく。
リリアナは思わず後退りし、校舎の壁に背中をつけた。
「なぜ私があんな女を助けねばならない。……それよりもリリアナ、君だ。以前の君なら、あのような平民、真っ先に踏み潰して笑っていたはずだろう」
アルフレッドの指先が、リリアナの頬を伝う一筋の髪に触れる。
その手つきは、かつての嫌悪感に満ちたものとは明らかに異なっていた。
「最近の君は、私を避けるだけでなく、他人のために動く。その瞳、その言葉……一体、何が君を変えた?」
「な、何も変わってなどおりません。私はただ、無益な争いを避けているだけです」
「嘘だな。君は何かを恐れている。あるいは、何かを『演出』しようとしている」
アルフレッドの顔が近づく。
彼の香水の香りが鼻をくすぐり、リリアナは意識が遠のきそうになるのを必死に堪えた。
「いいか、リリアナ。私は君が望むような『物語』には乗らない。君が私に誰を宛がおうとしても無駄だ。……私は、自分の興味を惹くものしか見ない主義でね」
そう言い残すと、王子はエレーナの方を一瞥もせず、悠然と歩き去っていった。
一人残されたリリアナは、その場にへたり込む。
(どういうこと……? シナリオ通りにいかない、どうなってるの? 王子とヒロインは、出会えば必ず惹かれ合うんじゃなかったの!?)
エレーナの方はといえば、遠くからリリアナの後ろ姿をじっと見つめ、頬を赤らめている。
王子への恋心など、微塵も芽生えていない様子だ。
「……前世の乙女ゲーム知識が、役に立たないどころか、邪魔をしてる?」
リリアナは頭を抱えた。
生存戦略の第一歩「王子とヒロインの縁結び」は、開始早々、盛大に空振りに終わったのだ。
そして、彼女はまだ気づいていない。
アルフレッド王子が、エレーナという光り輝く宝石を無視して、泥の中から這い上がり必死に形を変えようとしている「紅い石」。
リリアナ自身に、狩人のような執着を抱き始めていることに。
その日の学園の放課後、図書室にて、リリアナは一人でアンが用意した「領地経営の報告書」を読みながら、重い溜息をついていた。
「……シナリオ通りにいかないなら、別の方法でいくしかないわね。次はどこから攻めていこうかしら?」
リリアナの孤独な軍師ごっこは、あらぬ方向へと加速していくのだった。
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次回、第5話:図書室の密会




