第2話:生存戦略の開始
目覚めてからのリリアナに、休息の文字はなかった。
鏡の中に映る自分は、まだ処刑される一年前の若く傲慢な輝きを放つ公爵令嬢だ。
しかし、その瞳の奥には、前世で培った「現実主義者の社畜」の魂が宿っている。
「断頭台の上で後悔するのはもうたくさん。やるべきことは山積みだわ」
リリアナは、朝日が昇る前に自室のデスクに向かった。
前世の記憶から得た乙女ゲーム『聖女の祈りと銀の冠』の知識を総動員し、一枚の羊皮紙に「リリアナ・ヴァン・ベルシュタイン没落年表」を書き出していく。
「まず、没落のトリガーは婚約者アルフレッド殿下への執着による『聖女エレーナへの嫌がらせ』。そして、公爵家が裏で関わっているとされる『隣国への不当な資金流出』……。これが私の処刑の直接的な罪状になるはずよ」
リリアナはペンを握る手に力を込めた。
公爵家は、父・ベルシュタイン公爵の甘い管理体制のせいで、家臣たちが不正に手を染めている。
もしもこれを放置すれば、自分がどれほど聖人君子のように振る舞っても、家とともに断頭台へ送られるのは明白だった。
それを回避するためには……。
「アン! お父様との面会を調整して。至急よ。それから、学園の図書室にある魔導書の目録も用意してちょうだい」
扉の外で待機していたメイドのアンが、驚きで肩を震わせる。
「お、お嬢様……。公爵閣下は今、領地経営のことでひどくお疲れです。いつものように『新しいドレスが欲しい』と仰っても、聞き届けてはくださらないかと……」
「ドレスなんて要らないわ。私が欲しいのは『権利』と『知識』よ。いいから早く行きなさい!」
リリアナの鋭い一喝に、アンは脱兎のごとく部屋を飛び出していった。
一人残されたリリアナは、クローゼットの奥から一冊の古びた本を取り出す。
それは、リリアナが幼い頃に「可愛くない」と放り投げた、公爵家に伝わる魔導の基礎書だった。
「ゲームの中のリリアナは、火の魔法の才能がありながら、それをただ派手な魔法の花火や、ヒロインの教科書を燃やすことにしか使わなかった。けれど、本来の魔力出力はエレーナにも匹敵するはずなのよね……」
リリアナは精神を集中させ、手のひらに魔力を集めた。
じわじわと熱が広がる。
しかし、それは破壊の炎ではなく、制御された熱量。
彼女は前世で学んだ物理学や科学の知識を応用し、魔法という超常現象に「論理」を組み込もうとしていた。
「魔法は想像力と計算の産物……。出力を一定に保ち、術式を幾何学的に固定すれば……」
指先に灯った小さな炎が、彼女の意図通りに立方体の形へと姿を変える。
「……できた。これを応用すれば、あの処刑の刃さえ防げる強固な結界が張れるかもしれない」
生存への手応えを感じたリリアナの瞳に、強い意志が宿っていた。
一時間後、彼女は公爵家の執務室にいた。
重厚なマホガニーのデスクの向こう側で、父、ベルシュタイン公爵が不機嫌そうに書類を眺めている。
「リリアナか。朝から騒々しい。アルフレッド殿下にまた贈り物をしたいのなら、勝手にするがいい。だが、予算には限りがあると言ったはずだ」
父の言葉は冷たかった。
彼にとってリリアナは、美しく着飾って王家に嫁ぐための「装飾品」に過ぎない。
しかし、リリアナは怯むことなく、父の机の上に数枚の書類を叩きつけた。
「殿下への贈り物など、もう致しません。お父様、私に北部の『ロスチャイルド領』の管理権をください」
公爵は初めて顔を上げ、娘を凝視した。
「何を言っている。あそこは不毛の地だ。魔物の被害も多く、赤字を垂れ流しているだけの場所だぞ」
「だからこそ、私に任せていただきたいのです。もし三ヶ月以内に収支を黒字に転換できなければ、私は殿下との婚約を潔く辞退し、修道院へ入る覚悟です」
「婚約を辞退だと……?」
公爵の目が細まる。
彼にとって、リリアナと王子の結婚は唯一の野望だ。
それを知っているリリアナはさらに畳み掛けた。
「今のままでは、殿下は私を……いえ、我が公爵家を疎ましく思うばかりです。私が領地で成果を出し、有能な婚約者であることを証明すれば、殿下の評価も変わるはず。そうは思いませんか?」
これは真っ赤な嘘だ。
リリアナの本心は、有事の際の「逃げ場所」と「軍資金」を作ることにある。
しかし、父のような野心家を動かすには、王家との繋がりを餌にするのが一番だった。
公爵はしばし沈黙した後、鼻で笑う。
「よかろう。どうせ遊び半分ですぐに泣き言を言ってくるだろうがな。許可証を出す。好きにするがいい」
「……ありがとうございます、お父様」
リリアナは深々と一礼し、執務室を後にした。
廊下に出た瞬間、彼女は大きく息を吐き出す。
(第一段階、クリア。これで私は、公爵家の『操り人形』から、一人の『経営者』としての足掛かりを得たわ)
それからのリリアナの生活は一変する。
昼は領地の資料を読み込み、現代の農業技術や物流管理の概念をどう落とし込むかを練った。
不毛の地とされる北部の領地には、ゲームの設定上「希少な魔導鉱石」が眠っていることを彼女は知っている。
それを掘り起こし、独自の魔導具として加工・流通させれば、莫大な利益が出るはずだ。
夜はさらに過酷な魔導学の勉強。
彼女は家の図書室から借り出した古代語の文献を、前世の翻訳経験を活かして解読していった。
「火の魔法を、熱エネルギーとしてではなく、空間の圧縮に使う……。これこそが、処刑ルートを回避する鍵……」
彼女が没頭すればするほど、かつての「贅沢三昧の令嬢」としての面影は消えていった。
派手な宝石は売り払われ、その資金は領民のための種籾や農具に変わっていく。
そして夜会への出席を断り、孤独に研究を続ける彼女を社交界の人々は、「アルフレッド殿下に相手にされず、いよいよ狂った」と噂していた。
しかし、リリアナは笑っていた。
誰になんと言われようと構わない。
あの、首筋を撫でた死の冷たさに比べれば、嘲笑など春のそよ風のようなものだ。
「さあ、殿下。一年後の私がどんな顔をしているか……楽しみにしていてくださいね」
リリアナは、破り捨てた王子の似顔絵の破片を窓から放り投げた。
夜空に舞う紙片は、まるで彼女が捨て去った「過去の自分」のように、闇の中へ消えていく。
だが、彼女はまだ気づいていない。
彼女が必死に「悪役」であることをやめようと足掻く姿が、皮肉にも、あの冷酷な王子の「関心」という名の鋭い刃を研ぎ澄ませていることに。
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。
よければ、評価、ブックマーク、感想、レビュー、リアクションをお待ちしております。
次回、第3話:氷の王子との再会




