第10話:刺客の襲撃
火災の混乱から一夜明け、学園内ではどこか重苦しい静寂が漂っていた。
昨夜、アルフレッドが見せた弱さと、二人の間に通った微かな温もり。
リリアナはその感触を振り払うように、早朝から学園の図書室のテラスで、古代魔法の術式を羊皮紙に書き殴っていた。
(いけない。殿下の過去を知り、あの孤独に触れてしまったせいで、私の『生存戦略』が狂い始めている……それに……)
本来のゲームのストーリー上、仮面舞踏会で火事なんて起こらない。
それだけゲームの設定(神様)は、私とアルフレッドとの仲を裂いて、リリアナと結ばれるストーリーに結びつけたいのだろうか。
ましてや、アルフレッドの過去で、母親についての設定なんて聞いたことがない。
それなのに自分が彼の心の深淵に足を踏み入れてしまった。
歯車が狂い始めている。
このままでは、ゲームのシナリオという巨大な濁流に、自分もろともアルフレッドを巻き込んでしまうのではないか。
「……リリアナ、朝から随分と熱心だな」
聞き慣れた低い声。
リリアナが顔を上げると、そこには昨夜の乱れを感じさせない、いつもの冷徹で完璧な「第一王子」の姿があった。
だが、その瞳だけは、リリアナを捉えると僅かに和らぐ。
「殿下……。昨夜は、その、大変な状況でしたから。少し落ち着こうと思いまして」
「私の方は落ち着いていない。……昨夜の君の温もりを、まだこの腕が覚えている」
「なっ、何を仰るのですか! 往来ですわよ!」
リリアナが真っ赤になって立ち上がると、アルフレッドは珍しく声を立てて小さく笑った。
その笑い声は、氷が解ける春の川の音のように、リリアナの胸に真っ直ぐに届いてしまう。
「冗談だ。……いや、半分は本気だが。それより、少し歩かないか。昨夜の火災の調査報告がある」
二人は学園の奥まった中庭を歩き始めた。
ここは古い大樹が並び、人目に付きにくい。
アルフレッドは周囲を警戒しながら、声を潜めた。
「昨夜の炎は、隣国の禁忌魔導だったことが判明した。標的は間違いなく私だ。王弟派の残党が、私の命を狙って仕組んだのだろう。リリアナ、君も狙われる可能性がある。しばらくは私の側を……」
その時だった。
リリアナの「魔力探知」が、異様な鋭さで反応した。
(殺気!?)
前世の記憶と、この世界で死に物狂いで磨いた魔導の感覚が、脳裏に警報を鳴らす。
「殿下、伏せて!」
リリアナが叫ぶのと同時に、庭園の茂みから漆黒の霧のような矢が、音もなく放たれた。
それは物理的な矢ではない。
標的の命を確実に刈り取るために調整された、高密度の「闇の呪詛」を纏った魔導矢だ。
アルフレッドは咄嗟に反応し、氷の障壁を張ろうとした。
しかし、刺客の狙いは卑劣だった。
第一射は陽動であり、本命の第二、第三射が、アルフレッドの死角、彼が守ろうとしたリリアナの隙間を縫って、王子の心臓目掛けて飛来したのだ。
「……っ!」
アルフレッドが目を見開く。
氷の壁が間に合わない。
その瞬間、リリアナの頭の中は真っ白になった。
(私が死んだら、公爵家はどうなる? 領地の立て直しは? 断頭台はどうなる?)
そんな「論理」や「損得」は、一瞬で消え去った。
ただ、昨夜、自分の肩で震えていた銀髪の少年の姿が、彼女の突き動かせる。
「……させないっ!」
リリアナはアルフレッドを突き飛ばし、自らその軌道上に躍り出た。
彼女の手から、独学で研究し続けてきた「物理衝撃吸収」と「魔力分散」を組み合わせた古代魔法の未完成な魔法陣が展開される。
ーーズガァァァン!!
凄まじい衝撃波が中庭を駆け抜けた。
リリアナの展開した結界は、闇の矢を霧散させることには成功した。
しかし、未完成ゆえに、矢に込められた呪詛の余波と衝撃をすべて防ぎきることはできなかった。
「……がはっ……」
リリアナの細い身体が、紙屑のように吹き飛んだ。
彼女の背中が石柱に激突し、鈍い音が響く。
「リリアナっ!!!!!」
アルフレッドの絶叫が、学園中に響き渡った。
彼は転がるようにリリアナの元へ駆け寄り、ぐったりとした彼女を抱き上げた。
頭や身体から血がだらだらと流れ落ちる。
そしてリリアナの意識は急速に遠のいていく。
視界の端で、アルフレッドが狂おしいほどの怒りと絶望を浮かべているのが見える。
彼の氷の魔力が、怒りに任せて暴走を始めた。
周囲の木々や、逃げようとした刺客の影さえも、一瞬にして黒い氷の中に閉じ込められていく。
「……あ、ある……ふれっ、ど……様……」
リリアナは震える手で、彼の頬に触れようとした。
「……よかった……。貴方が、無事で……」
「馬鹿な……何を言っている! なぜ私などを庇った! 君は、自分の命が一番大切だったはずだろう!」
アルフレッドの声は震え、その目からは大粒の涙が溢れていた。
冷酷な王子が、他人のために泣いている。
「……私にも、わかりませんわ……。でも、悪役……令嬢……にも……。守りたい……矜持……くらい……あるのよ……」
リリアナの視界が闇に沈む。
最期に聞こえたのは、アルフレッドが彼女の名を叫び続ける慟哭と、学園の教師たちが駆け寄ってくる喧騒。
(ああ、私……結局、死んじゃうのかな。断頭台じゃなくて、今度はアルフレッドを狙った刺客に殺されるなんて……。私の、馬鹿……)
皮肉にも、彼女が自分自身の生存のために必死に開発した魔法が、「自分を犠牲にして他人を守る」ために使われた。
リリアナ・ヴァン・ベルシュタイン。
傲慢で、我儘で、贅沢三昧だったはずの悪役令嬢。
彼女が流した鮮血は、中庭の緑の芝生を真っ赤に染め上げ、王子の心の中に決して消えない「永遠の楔」を打ち込んだ。
この日を境に、アルフレッド・ド・ラ・ヴァリエールの中から「冷酷」という名の仮面は完全に消滅した。
代わりに生まれたのは、自分を救った少女を、この世界のあらゆる脅威から守り抜き、支配しようとする、底知れぬ「偏愛」と「執着」だった。
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