第1話:断頭台の悪夢
冬の朝の空気は、肺の奥まで凍てつかせるほどに鋭利だった。
石畳の上に響くのは、荷車の車輪が軋む音と、集まった民衆たちのどよめき。
それは好奇と、憎悪と、そしてわずかな憐憫が混ざり合った、不気味な合唱だった。
リリアナ・ヴァン・ベルシュタインは、荷車に揺られながら空を見上げた。
かつては贅を尽くした宝石よりも輝いていたはずの彼女の瞳は、今はただ、どんよりとした灰色の冬空を映している。
「……汚らわしい悪女め!」
「聖女様を傷つけた報いだ、死んでしまえ!」
投げつけられた石が頬を掠め、鮮血が伝う。
しかし、リリアナには痛みすら感じられなかった。
何もかもがもう遅い。
彼女の視線の先には、高くそびえ立つ処刑台。
その上には、一人の男が立っていた。
銀髪は冬の陽光を反射して冷たく輝き、氷の結晶のような瞳は感情を一切排して彼女を見下ろしている。
アルフレッド・ド・ラ・ヴァリエール。
この国の第一王子であり、リリアナの婚約者であった男だ。
リリアナが処刑台に登ると、アルフレッドがゆっくりと口を開いた。
その声は、かつて甘い愛を囁いたことなど一度もなかったように、冷徹に響き渡った。
「リリアナ・ヴァン・ベルシュタイン。貴様は自らの地位を笠に着て、聖女エレーナを幾度となく害し、挙句の果てには毒殺を企てた。その罪、最早弁明の余地はない」
リリアナは乾いた唇を震わせた。
「……殿下、私は……。私はただ、あなたに愛されたかった。あなたの隣に並ぶために、必死で……」
「黙れ。貴様の愛など、吐き気がする。私への愛を語る口で、罪なき者を呪う。それが貴様の真実だ」
アルフレッドの言葉は、物理的な刃よりも深くリリアナの胸を切り裂いた。
リリアナが傲慢だったのは事実だ。
贅沢を好み、自分こそがこの国の頂点に立つ女性だと信じて疑わなかった。
けれど、彼女がエレーナを敵視したのは、ただアルフレッドが自分を一度も見てくれなかったからだ。
振り向いてほしくて、彼に相応しい自分でありたくて、その空回りが彼女を「悪女」へと変えていった。
「……執行せよ」
王子の冷酷な宣告が下る。
リリアナの体は荒々しく押さえつけられ、冷たい台の上に固定された。
見上げれば、巨大な鉄の刃が冬の空に不気味な影を落としている。
(……ああ、私の人生は、こんなにも虚しいものだったのかしら)
前世の記憶が、走馬灯のように頭を駆け巡る。
忙殺される日々、コンビニの冷めた弁当、そして唯一の癒やしだった乙女ゲーム『聖女の祈りと銀の冠』。
あの日、残業帰りの駅の階段から足を踏み外した瞬間、私はリリアナとしての人生を始めた。
最初は、ただ豪華なドレスと美味しい料理に浮かれていた。
ゲームの知識など、ただの幸運だと思っていた。
けれど、アルフレッドに出会い、恋をして、私は本物のリリアナになってしまった。
ゲームのシナリオという「運命」が、私を断頭台へと導く鎖であることに気づかないまま。
ーーギィ……、ギィ……。
重い刃が巻き上げられる音。
「アルフレッド様……。来世では、どうか……」
言いかけた言葉は、重力に従って落ちてきた鉄の衝撃にかき消された。
視界が上下に反転する。
真っ赤な飛沫が空を染め、世界が急速に闇へと沈んでいく――。
「ひっ、あああああ!!」
悲鳴とともに、リリアナは跳ね起きた。
全身が冷や汗でぐっしょりと濡れている。
首元を反射的に押さえた。
繋がっている。
痛みはない。
ただ、心臓の鼓動だけが、早鐘のように耳の奥で鳴り響いている。
「……はあ、はあ、はあ……」
ゆっくりと周囲を見渡した。
そこは、処刑台のような寒々しい場所ではない。
最高級のシルクを使ったカーテンが朝陽に透け、空気には公爵家特注のアロマの香りが微かに漂っている。
「……私の、部屋?」
鏡の前に駆け寄ると、そこには処刑直前の衰え果てた姿ではなく、若々しくも美しいリリアナが映っていた。
燃えるような真紅の髪。
勝気で、傲慢な自信に満ちた菫色の瞳。
「戻った……? いや、目覚めたんだわ」
その瞬間、ダムが決壊したように「今までの知識」が流れ込んできた。
これは乙女ゲームの世界だ。
そして自分は、ヒロイン・エレーナを虐め抜き、最後には婚約者のアルフレッドに処刑される悪役令嬢。
先ほどの光景は、ゲームのバッドエンドそのままの未来。
「冗談じゃないわ……」
リリアナは膝から崩れ落ちた。
夢の中の感覚が、あまりにもリアルだった。
首に走った冷たい感触。
アルフレッドの、あの虫ケラを見るような蔑みの視線。
今がいつなのかを確認するために、カレンダーと日記をむさぼるように調べる。
「学園の二年生、春休みが終わる直前……」
卒業パーティーまで、あとちょうど一年。
そして、一週間後の夜会で、彼女はアルフレッドと「再会」することになる。
これまでのリリアナは、この休みの間もアルフレッドへ大量の「重すぎるラブレター」を送りつけ、彼を心底うんざりさせていたはずだ。
「このままじゃ、本当にあの処刑台に連れて行かれる。……絶対に嫌。死んでたまるもんですか!」
リリアナの瞳に、絶望ではない、別の輝きが宿る。
前世で事務員として培った忍耐力と、ゲームファンとしての攻略知識。
そして何より、一度死を体感したことによる生存への凄まじい執念。
「アルフレッド殿下。……愛しているなんて、もう二度と言ってあげないわ。私を殺した男に、縋り付くほど私はお人好しじゃない」
リリアナは震える手で、机の上にあった王子宛の未投函の手紙を破り捨てた。
それは生存戦略の幕開けを告げる、最初の一歩だった。
彼女の長い戦いが、ここから始まる。
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次回、第2話:生存戦略の開始




