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幼児はなぜ排泄物に興味を持つのか

作者: 六野みさお

 某氏が「小学生はなぜ排泄物に興味を持つのか?」という疑問を呈していたが、このあたり個人的に思うところがあったので書いてみる。そもそも排泄物に興味を持つのは小学生がピークなのではなく、おそらくもっと低い年齢ではないだろうか。もともと新生児は自分の体から尿と便が排出されることを理解していない(というより新生児はこの世のほとんどを理解していない)。ところが生後2年かそこらが経つと自分が排泄することを理解し、また排泄の自立、いわゆるトイレトレーニングに取り組んで自分の排泄を制御しようとする。この過程は幼児が自我を獲得することとほぼ同時期になされる。つまり幼児が世界を認識したとき、その大部分を排泄に関する事柄が占めているのではないだろうか?


 我々大人は排泄をタブー化しているが、それは我々がすでに「トイレで誰にも見られないように排泄する」ことが当たり前のようにできるからである。ところが排泄機能が未熟な幼児においてはその限りではない。彼らは常に漏らすのではないかという恐怖と戦っていて、そしてしばしば実際に漏らすから、幼児社会では「誰かが漏らしている」という状況が高頻度で起こっている。また幼児は値上げされた卵、不倫した俳優、連敗した野球チームのような高度に社会的な事柄について友人と論じることがまだできないから、より卑近な話題で盛り上がるようになる。そしてそれは自分または同年代の友人がうまく排泄できているかどうかというものになりやすい。


 これを「自然」の面から補足する。すべての動物は「清潔でありたい」という本能を持っているが、人間以外のほとんどの動物は高い知能を持っていないから、排泄欲を感じたらなるべく体を汚さないように排泄する以外のことはできない。ところが人間は知恵を絞って、設備の整った場所で排泄することを考え出した。また(本来排泄とは別件として)十分に成長した人間はなるべく自分の生殖器を隠したいという欲求を持っているため、服で体を覆うようになり、そのため排泄するときはわざわざ服の一部を脱がないと悲惨なことになるようにしてしまった。ところが生まれたばかりの人間はまだこれらの欲求を持っていない。しかし成長するにつれて排泄欲のままに服の上に排泄することは不潔で非合理的であると学ぶことになる。幼児はこの過程の途上にあるのだ。言い換えると、人間は生まれたときには(高い知能を持たない)動物的な存在であるものの、成長するにつれて自分の感覚や理性、そしてこれまで人間の大人たちが形成してきた知識について理解するようになり、その過程で正しい排泄方法について学ぶことになるということだ。


 たとえそれが幼児であっても、正常に排泄している幼児は清潔で、排泄を制御する身体能力を持っていて、社会の要請に正しく応じることができる素晴らしい子であるが、正常に排泄できない幼児は不潔で、排泄を制御できない劣った身体能力で、社会の要請を理解していないダメな子であることを理解する。排泄の自立は我々が思っている以上に幼児にとって重大な問題である。ところが本来幼児は本能のままに排泄していた存在のはずである。それなのに大人たちは面倒な排泄制御の規則を幼児に教え込もうとする。このあたりの議論は古くから「肛門期」として知られているが、つまり幼児にとって排泄物は「多くのリソースを使って制御しなければならない面倒なもの」である。幼児の排泄機能は未熟であるから、幼児は我々よりも必死に排泄を制御していることを再び思い出してほしい。そのような幼児が、道に落ちている動物の排泄物を見たらどう感じるだろうか? 動物は(現在は人間の大人たちの「改革」によって飼い犬の排泄物でさえ隠されようとしているが)自由に排泄するものである。その姿は、本来自由に排泄していたが大人たちや社会の要請によって面倒な排泄制御をしなければならない「不自由な」幼児たちにとって憧れの存在である。こう考えると、幼児にとって道に落ちている動物の排泄物とは、確かに「傲慢な人間の大人たちによる幼児への排泄制御の強制」に対する反抗といえよう。


 幼児は成長するにしたがってこの感覚を忘れていく。排泄物は不潔なものであり、たとえ動物のものであってもなるべく見たくないと思うようになってしまう。しかし本来、我々が使用している排泄システムはあまりにも自然とかけ離れており、我々はそのギャップに驚き戸惑いながら成長してきているはずなのだ。最近創作についても排泄についての描写を避ける動きがみられるが、特に幼児や年少の人物を扱った作品においては、排泄の自立が及ぼす影響から目を背けるべきではないと思う。もちろん子どもの排泄を性的に消費するべきではないが、それと子どもの発達段階の一部、もしくは子どもに関する人間関係の一部として排泄を適度に取り上げることは別物ではないか。少なくとも排泄の自立に悩む子どもに対して、もしくはその家族たちに対して、排泄に関する創作は提供されるべきである。そうしないといずれ適切な排泄教育が行われなくなり、小学生までもがオムツをつけている事態になるかもしれない! とにかく人間は大きな努力を払って排泄制御を身につけているのだ。その象徴となるのが道に落ちている動物の排泄物に興奮する小学生である。

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― 新着の感想 ―
「変態は何故発生するのか?」への婉曲な回答になっているのもエクセレンッ!! 
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