生成AIを敵視するひとたちは、この先、どこに向かうつもりなのか?
AIを極端に嫌う人々。
彼らは、いったいなぜ、それほどまでにAIを嫌うのか?
筆者の感覚からすると、大半が「毛嫌い」に見える。
一度も使わずに、ただ忌み嫌う。
使い方が分からないので、それに対する捨てゼリフとしての否定。使いこなすことは出来るが、それでも何か不穏なものを感じての否定。―― 後者は、いったい全体の何%ほどいるのだろうか?
「なぜ、それが嫌なのか」の感情の整理と言語化。
これが、ほとんどなされていない単なる拒絶は、聞くに値しない。論理未満の情緒でしかないのなら、「議論のテーブル」に座ること自体が、ナンセンスでもある。
時間の経過は、不可逆だ。
少なくとも、現在のところは。
生成AIの利用が一般化するのは、もはや規定路線。インターネットやスマホの普及と同レベルの話。だとすれば、食わず嫌いしているだけ、時間の無駄だし、損ともいえる。
もちろん、保守的な人々にとって、AIの生成物に対する忌避感は、ごく自然な生理的反応ともいえる。であるのならば、やはり重要なのは「言語化」だ。
思わず、納得するような切り口での批判・指摘こそが必要だ。感情だけの否定ほど、自分たちのテリトリーを狭めていくことに、もう少し留意すべきではないだろうか。
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実際のところ、彼らがどうなろうが、ほんとうは知ったことではない。老婆心のようなものも、彼らにとっては、単なるおせっかいであることも、重々承知している。
だが、だいぶ後になって「あの時、なぜ、もっと真剣に私たちを説得してくれなかったんだ!」とか言われても、それはもう、何を言ってやがるともなる案件。なので「宗旨替えするなら今がギリギリだよ?」とだけ、言っておく。
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読むに値するレベルにない文章が、人間によって、無分別に垂れ流されている現状。それらを鑑みれば、AIにフルオーダーまではしなくても、「添削くらいはしてもらえよ」というのが本音か。
特になろうのような、自分でも何を言いたいのか分かっていないような文章が、毎日投稿されているようなサイトにおいては。
人間の知性が、AIよりも上だと信じているのだとすれば、それはもう、人間に対する盲目的信仰ともいえそうだ。
未来の投稿サイトでは、「AIスコア」付き新着情報などが実装されれば、読む前に時間の無駄も省けるというものか。
※本文には、いっさいAIは関与していませんので、ご安心ください。