第19話 水底の舞踏会と、酸欠ギリギリ修道女
路地裏は、祭典の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
湿った石壁、足元に広がる青白い霧、耳に残るのは遠くの音楽の残響だけ。
「さぁ、可愛い子羊たち」
黒き歌姫が指を軽く鳴らすと、霧が一瞬で濃くなり、次の瞬間——足首までの水が、膝、腰、胸と、ありえない速さでせり上がってきた。
「ちょ、待って待って! ここ地上だよ!? 水源どこ!?」
「歌声に合わせて水が……あ、これ水魔法!」
マリアベルが叫ぶが、もう腰まで水没している。
「深淵は、貴方の呼吸を愛でるの」
そう囁く歌姫の唇が、ゆっくりと動き——水が一瞬で頭上まで満ちた。
——息が、できない。
冷たい水が鼓膜を圧迫し、視界が揺れる。浮力で着ぐるみの頭がぷかぷか浮き、私の顔は完全に露出。そんなことどうでもいい。空気が——足りない。
「ブハッ! やば……っ」
浮き上がろうとするたび、透明な水の壁が立ちはだかる。まるで見えない膜で、地上と水底を隔てているかのようだ。
「酸欠は芸術の前菜……」と、水中で微笑む歌姫の髪がゆらりと揺れる。
完全に人間の動きじゃない。むしろ水中での方が生き生きしている。
「クッ……!」
マリアベルが剣を抜こうとするが、水圧で動きが鈍る。エリナは必死に泡を吐きながらポーチを探り、何やら瓶を取り出した。
——ポンッ!
瓶の栓が外れ、中から大量の気泡が弾け出す。
「酸素ポーション! 一口で三分いけるわ!」
エリナが差し出すが、私が手を伸ばすより先に——
「ゴクッ」
……マリアベルが飲んだ。
「おま……それ私の分……!」
「……ハァー、生き返る」
(水中でも喋れるの!?)
歌姫がゆっくりと舞い踊るように近づく。その瞳が淡く輝き、私たちの身体から力が抜けていく。
指先から痺れが広がり、意識が再び暗闇に沈みかけたその時——
「なめんなぁああああ!」
私は必死に、祭典の屋台で買った唐辛子スナックの袋を開け、中身を水中にぶちまけた。
粉が水に溶け、猛烈な刺激が目と鼻を襲う。
「ぎゃあああ目がぁああ!」
エリナとマリアベルの悲鳴が泡混じりに広がり、同時に歌姫も動きを止める。
チャンス——!
私は全力で水面(?)を蹴り、見えない膜を頭突きで突破した。頭上の水がまるでガラスのように割れ、呼吸が——戻ってきた。
「はぁっ……! 酸素うまっ……!」
地上に飛び出した私を追うように、歌姫の影が水面から現れた。
その目は先ほどの妖艶さとは違い、獲物を狩る捕食者の光を宿している。
「楽しいわね……もっと遊びましょう?」
その言葉と同時に、路地全体が再び水に包まれ——
次の瞬間、私たちは再び暗い水底へと引きずり込まれた。
——続く。




