第18話 王都祭典と黒き歌姫
王都セレスティア——。
この街がもっとも煌めく季節がやって来た。
年に一度の「盛大祭」は、王宮主催の芸能祭典であり、政治も商業も娯楽も、すべてがこの日に向けて動く。
普段は荘厳で厳しい表情を見せる白大理石の街並みも、この時ばかりは色彩と光で飾られ、まるで巨大な宝石箱のようだ。
石畳の大通りには、朝から色とりどりの花びらが敷き詰められ、風に舞うリボンや紙吹雪が太陽光を反射してきらきらと輝く。
鐘楼からは王宮楽団がファンファーレを響かせ、道端では大道芸人が曲芸を披露し、屋台の呼び込みが喧しく声を張り上げる。
香ばしい肉の焼ける匂い、甘い菓子の香り、スパイスの刺激的な香りが入り混じり、歩くだけでお腹が鳴りそうになるほどだ。
「やば……これ、屋台巡りだけで一日終わるやつじゃん!」
思わず頬を緩ませる私に、すぐ横でマリアベルが呆れたように眉をひそめた。
「主目的忘れないで。私たちは遊びに来たんじゃない」
「……わかってるって。黒き歌姫の捜索、だよね」
そう——この祭りの最大の目玉は、王都中央広場で行われる音楽ショー。
その中でも今年初めて出演するという謎の歌姫は、あらゆる演者や商人から「一度聴いたら忘れられない声を持つ」と噂されていた。
けれど、その歌声には妙な話もついて回る。聴いた者が皆、歌姫のことしか考えられなくなる——まるで魔術のような魅了だと。
「で、これ着て」
エリナが差し出したのは、なぜかマスコットキャラの着ぐるみ。
「いやいや、なんで私だけ着ぐるみ!?」
「修道服だと目立つでしょ。逆にこれなら“宣伝用スタッフ”にしか見えない」
「でも視界5%・通気性0%って書いてあるよ!?」
「安心して。走るのは私たちが担当するから」
「走るって何!? 危険な匂いしかしないんだけど!?」
マリアベルは王宮騎士のパレード用鎧(本物)を着せられ、エリナはステージダンサー用の羽根ドレス。
全員が完全に方向性の違う変装で、私たちは人混みに紛れ、中央広場へと向かった。
夕刻、太陽が傾き、広場を囲む高層の建物の影が地面を覆い始めたころ——鐘の音とともに、ステージの大幕がゆっくりと開く。
観客のざわめきが一瞬で消え、空気が緊張に包まれる。
そして——現れた。
月明かりを浴びたような銀髪が夜風に揺れ、深海のように冷たく美しい青の瞳が、群衆を一人ひとり見透かすように流れる。
黒を基調としたドレスには銀糸の刺繍が施され、動くたびに星屑のように輝く。
唇がわずかに動き、次の瞬間——甘く、危険で、抗いがたい旋律が響き渡った。
それは歌というより、心臓を直接撫でるような感覚だった。
私の呼吸は勝手に浅くなり、思考が溶けていく。周囲を見れば、観客たちの瞳から光が失われ、夢見るような笑みを浮かべている。隣の露天商の兄ちゃんまでもが膝をつき、歌姫だけを見上げていた。
「……これが、黒き歌姫……」
私の声は震えていた。
「耳を塞いで!」
マリアベルが叫び、私の耳に布を押し込む。
しかし遅かった。
旋律はすでに脳の奥深くまで入り込み、意識が暗い水底へと引きずられていく。
冷たく透明な水が足首からゆっくりと這い上がり、もっと深く、もっと深く沈んでしまいたくなる——。
「……だめ、だ……溺れる……」
遠くでエリナの声がする。
「しっかり! まだ負けるわけには——」
不意に、顔面に冷たい液体がぶっかけられた。
——魚醤だ。
「っっくさぁああああ!?」
「これしかなかったの!」とエリナが手に持つ水差しを振る。
「水は!?」
「全部売り切れだった!」
「屋台の水事情どうなってんの!?」
強烈な臭気で意識を取り戻したとき、歌姫はすでにステージを降り、裏路地へと姿を消そうとしていた。
「追うわよ!」
エリナが羽根ドレスのまま疾走し、マリアベルは鎧をガチャガチャ鳴らしながら続く。
私は着ぐるみの頭を半分脱ぎかけ、視界を確保しながら必死で追いかける。
祭りの喧騒を突っ切り、屋台の裏手、薄暗い路地へ。
そこで、月光の中に佇む黒き歌姫が振り返り、ゆっくりと微笑んだ。
「来てくれると思ってたわ、可愛い子羊たち」
その声に、胸の奥がざわめく。
次の瞬間、路地の奥から青い霧が立ちこめ、足元に冷たい感触が広がる。——水だ。いや、水脈そのものを操っている!?
歌姫は手を差し伸べ、低く囁いた。
「さぁ、深淵の舞踏会へ——」
——その招待が、甘美な罠だとわかっていても、心のどこかが抗えない。




