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罪人と女神

作者: 王里

 「あなたは、女神のようですね」

 その言葉に、思わずタオルの水を絞る手を止めて振り返る。白いベッドから上体を起こした彼は、微笑んでそう言った。

 「私は、そんなんじゃ…」

 「いえ。…見ず知らずの僕を、今もこうして看病してくれている。僕にとって、女神ですよ」

 そっと両目を覆う包帯に指で触れながら、私を女神と信じて疑わない彼。包帯の奥に隠れている、見えないはずの瞳に見つめられているようで、たまらず視線を逸らした。

 ***

 そもそものきっかけは、いつものように仕事を終えて家に帰る途中の道で、彼がうずくまっていたのを見つけたのが始まり。慌てて駆け寄ると、目から溢れ出る血を抑えるようにしていたので、簡単に止血をしながら診療所へ案内したいと声を掛けた。でも、いくら細身とはいえ、私よりも身長が20cm程高い男性を運ぶことは出来なくて、肩を貸しながらなんとか診療所へ来てもらったのだった。

 『…ここは、あなたの診療所ですか?』

 それまであまり言葉を発しなかった彼が突然聞いてきて、驚きつつもえぇ、と答え、自分が医者であること、なるべく最善は尽くすが、その怪我だともしかしたら失明する可能性もあることを伝えた。彼は一瞬困惑した表情を浮かべたものの、そうですか、と一言だけ言って黙ってしまった。

 それから、手は尽くしたものの出血の量から分かるように、傷口が深かったことで彼の視力は戻らなかった。

 (もっと早く治療をしていれば…)

 後悔の念に駆られる私に、彼は私を責めるどころか“女神”と呼ぶ。私はそう呼ばれる度にいたたまれない気持ちになり、せめて少しでも早く彼の具合が良くなるようにと、こうして今も看病を続けているのだ。

 「そういえば、先生はお見合いの話…どうするんですか?」

 「えっ?何でそれを知って…」

 ぼんやりとしていたら突然そう聞かれて、思わず洗面器を落としそうになる。動揺を表すように、チャプリ、と水が揺れた。

 「やっぱりするんですか?」

 「いえ、それはしませんが…」

 続けて聞かれ、反射的に答えると彼は安心したようにそうなんですね、と小さく笑った。

 お見合いの話はもう随分前から、両親に言われていることで、聞く耳を持たない私にしびれを切らした母が診療所までやってきたこともある。だから、数人だけどここで働いている看護婦さんもお見合いの話は知っているし、他の患者さんにからかわれたりもするから、彼が知っていてもおかしくはない。それでも、何故か違和感を感じて、けれどもう彼はいつものように他愛もない話をポツポツと楽しそうに話しているから、気のせいかとほっと息を吐いた。

 (さっき声も低かったような…でも、それも気のせいかな)


 

 僕は罪人だ。

 この罪に名前をつけるとしたら何か、と問われれば具体的には挙げられないだろう。けれど、確かに言えることは周りが思う僕は偽りであり、本当の僕を知れば罰せられるべき人間であることがよく分かると思う。

 僕は、身分が低い家の生まれだ。だから本当はこんな立派な診療所(彼女は小さいと言っていたが)に入院なんて出来ないし、そんな事実が分かってしまったら間違いなく罰せられる、これが罪人である理由の一つ。もう一つの理由は彼女ーー僕を助けてくれた医師であり、女神だーーのことを一方的によく知っていて、彼女の優しさにつけ込んだということ。

 目を怪我する前、僕は狩人だった。いつものように狩をしようとした途中の森で、木々の隙間から偶然笑顔で人と接している彼女を見つけ、その笑顔の虜になった。所謂、一目惚れというものだ。…でも、彼女は僕よりもずっと高貴な身分だったから影からたまにそっと見ることしか出来ず、見つめるだけの初恋だけれど、生まれつき“全てを記憶していられる”お陰で些細な情報でさえも思い出としてそっと心に留めておくことが出来た。

 この記憶力のことは誰にも話したことがないし、散々苦しめられてきたけれど初めて悪くないって思えた。

 そんな日々を送っていた時、狩の途中にそれは起きた。彼女がお見合いをする、と微かに聞こえた情報で頭が一杯になり、心ここにあらず、それがいけなかった。もう仕留めたと思っていた獲物が突如として襲いかかってきて、反応が遅れた為に目を怪我してしまったのだ。覚束ない足取りで、なんとか森を抜けるとフッ、とある考えが浮かんだ。

 (この怪我を使って、彼女に会えるんじゃないか…?)

 それは、彼女が医師であることを理由にしたあくどい方法だったが、どんなやり方を使ってでも一度だけ彼女の側にいたかった。

 結果として上手くいったが、彼女に後悔をさせてしまった。そのことを悪いと思いながらも、彼女が僕の看病をしてくれることに喜びを覚え、僕はまた一つ罪を犯してしまった。そして、それだけにはとどまらずもっと僕の側にいて欲しい、僕だけを見て欲しいと願うようになってしまった。

 たった一度、隣で笑顔を見せてくれたなら、その思い出だけで生きていけたのに、あまりにもここでの時間は長すぎて、側にいてくれることが当たり前のように思えて、心は今まで以上に離れることに対して拒否するようになった。 

 今日も、以前のようなことはまたあるのかと思ってお見合いの話をしてみたけれど、まさか本当にあったとは思いもしなかった。彼女は驚きながらも否定し、僕はそのことに安堵してしまう。勝手に嫉妬し、そしてこの途切れそうな関係を必死につなぎ止めようとする僕は、なんて愚かなんだろうか。彼女といればいるほど、この気持ちは益々制御が利かなくなっていく。

 僕はこの先いくつ、罪を重ねるのだろう。

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