「貴方では彼に釣り合わないわ!」「えっ、どこがですか!?」
「エアラス、エアラス!」
中庭の木陰で読書する恋人を見つけ、ラシャは喜び勇んで駆け出した。
「どうしたの、ラシャ」
ラシャに気づいたエアラスは本にしおりを挟み、優しく微笑んでラシャを迎える。
ラシャ・ペールブルーは伯爵家の長女である。両親に愛され、弟達を可愛がり、天真爛漫に育った。
夏空の下で元気いっぱいに咲くひまわりのように愛らしい容姿は母譲り。礼儀作法だけはちょっぴり苦手だけれど、たいていのことは努力と愛嬌で乗り切っている。
庇護欲を誘う華奢で小柄な体躯と溌溂な笑みは、多くの少年貴族をとりこにしていた。
その愛くるしさから求婚の申し込みが絶えないラシャだが、それらはすべて断っている。何故ならラシャにはすでに好きな人がいるからだ。
相手は三つ年上の男爵令息、エアラス・ベルネ。両家の母親同士の仲がよく─というより伯爵夫人が男爵夫人を一方的に崇拝している─、その縁で幼いころからよく一緒に遊んでいた。
優しくてカッコいいお兄ちゃんを好きになるなというほうが難しく、ラシャの初恋はエアラスのものになった。
好き好きアピールのかいあって、「大人になったら結婚しようね」という約束をもぎ取ることにも無事成功。それがおままごとの延長でないことは、抱きついてくるラシャの頭を今こうやって撫でる彼の手が証明している。
「えへへ。エアラスがいたから声をかけただけ!」
「そっか、なら仕方ないね」
ラシャがとろけるような笑みを向ければ、エアラスは愛おしげに目を細めてラシャの頬にキスをする。
「でも、僕以外にはやっちゃだめだよ」
「当たり前でしょ? 大好きな人にしかしないわ!」
エアラスは感極まった様子でラシャを強く抱きしめた。
「早く結婚したいね」
「うんっ」
普通、貴族の男の子は成人するまで学校に通って、貴族の女の子は社交界デビューするまで家庭教師のもとで学ぶけれど、魔法使いだけは別だ。この学園は、魔法使いの家系に生まれた才能ある子供達が魔法を学ぶための学び舎だった。
最高学年のエアラスは、来年の夏の終わりには卒業だ。けれどこの秋に入学したばかりのラシャには、まだまだ学園で学ぶことがたくさんあった。
卒業したら婚約して、それからやっと結婚できる。待ち遠しいことこのうえない。
「そろそろ次の授業が始まるから、もう行かないとね。お昼休みはまたカフェテラスでいいかな」
「はぁい。じゃあ、お昼にね!」
名残惜しいけれど、勉強は大切だ。
(次は初級属性魔法の座学だよね。早い時間にエアラスを堪能できたから、今日の授業も頑張れそう!)
足取りも軽く、ラシャは校舎に戻っていった。
*
「いいかしら、ラシャ・ペールブルー」
「なんでしょう」
お昼休み。カフェテリアの空席を確保してエアラスの訪れを待つラシャのもとに現れたのは、エアラスではなかった。
豊かな黒い巻き髪に、キッと釣り上がった黄金の目。まるで猫みたいなその人は、ラシャと同じくぴかぴかの新入生の、公爵令嬢ミランダ・カーティだ。
二人の女子生徒で脇を固めたミランダの唇は弧を描いていたけれど、目はちっとも笑っていなかった。
(ここは二人席だから、ミランダ様達は座れないけど……)
「貴方、いつまでエアラス様に付きまとっている気?」
「はい?」
ミランダはテーブルに手のひらをバシッと勢いよく叩きつけた。痛くないのだろうか。
「貴方のせいで、エアラス様が迷惑しているの、わからない?」
「!?」
突然告げられた新事実に、ラシャは長い睫毛に縁取られるぱっちりした新緑の目を大きく見開く。
「迷惑? エアラスが?」
「そうよ! 幼馴染みだかなんだか知らないけれど、どうせ強引に彼に言い寄っているのでしょう? まったく卑しいこと!」
「???」
ちょっと何を言っているのかわからない。ラシャが呆気にとられているうちに、ミランダは勝ち誇ったように宣告した。
「いいこと? 貴方では彼に釣り合わないわ!」
「えっ、どこがですか!?」
ラシャはびっくりして大きな声を出した。
「直すので、教えてください!」
それが逆にミランダを驚かせてしまったようだ。ミランダは一瞬びくっとしたものの、意地悪そうな顔で扇子をラシャに突きつけた。
「まず第一に、血筋が足りない。エアラス様のお母様は侯爵家のご出身で、王妃殿下の妹君よ。彼は王家の縁戚だというのに、貴方は伯爵家の中でも下級の家の出で、母方の実家も僻地にある小領地の男爵風情でしょう」
「はい。母はベルネのおばさまのことをすごく尊敬しているんです」
「ベルネのおばさま」
どうして侯爵令嬢だったおばさまが男爵のおじさまに嫁いだのか、理由はラシャもよく知らない。
きっと愛のなした技だろう。ベルネのおばさまとおじさまは、とても仲睦まじい夫婦だから。
「そんなベルネのおばさまに認めてもらえて、わたしも嬉しいですっ」
ベルネのおばさまはラシャによくしてくれる。特におばさまのアップルパイは絶品だ。ベルネ家に遊びに行くときの、ひそかな楽しみの一つだった。
「だ……第二に、成績! エアラス様は一度も学年首席の座を譲ったことがないらしいじゃないの。貴方みたいな凡人とは──」
「そうなんです! エアラスはすっごく頭がいいんですよ! エアラスに勉強を教わったおかげで、入学試験は次席になれました!」
ぱぁっと表情を輝かせるラシャ。一番になれなかったのはちょっぴり悔しいけれど、エアラスが自分のことのように喜んでくれていたのでラシャも気持ちを切り替えていた。
「次は、目指せ首席! です! 目標があると人って頑張れますよね。放課後はよくエアラスと勉強会をしてるので、今度のテストはもっと上を目指していきたいです」
「……」
取り巻きの女の子達が、「ミランダ様って確か十位ぐらいだって……」「しっ!」とひそひそ話している。ミランダは彼女達を睨みつけると、真っ赤な顔でラシャに向き直った。
「まだあるわよ! 貴方みたいな凡庸な見てくれで、エアラス様に並び立とうだなんておこがましいわ! 鏡を見たことがないの? 恥を知りなさい!」
残念ながら、ラシャの外見が凡庸だというのはミランダの主観による歪曲だ。今この瞬間、取り巻きの女の子達が絶望顔でミランダを見たが、ミランダは気づいていなかった。
とはいえミランダの言う通り、エアラスはとても美しい。均整が取れた体つきに、神々しささえ感じる銀の髪と、理知的ながらも熱い情熱を秘めたガーネットの瞳。至上の美を誇ると言われる光の神が受肉したかのような彼の美貌は、きっとおばさま譲りのものだ。
「そうなんです! エアラスはすごくすごくカッコいいでしょう? もちろん顔だけじゃなくて全部が素敵なんですけど」
見慣れているラシャでさえエアラスにはしょっちゅう見惚れてしまうのだから、彼に比べれば自分が見劣りしてしまうというのは確かにそうだろう。ラシャはうんうんと頷いた。
「エアラスはいつもわたしのことを世界一可愛いって言ってくれるけど、好きな人にはいつだって一番可愛いわたしを見てもらいたいじゃないですか? 可愛さを毎秒更新していきたいんです。だから化粧品とか、スキンケア用品とか、結構こだわってるんですよ」
ラシャはうっとりと染まる頬に手を当てる。
「欲しいクリームがあったんですけど、お小遣いだとちょっと足りなくて……でもこの前、エアラスがプレゼントしてくれたんですよ! あれから毎晩、大事に大事に使ってます。おかげでお肌に前より透明感が出て、モチモチにもなりました」
あっ、ミランダ様にもおすすめしておきますね。ラシャは善意で愛用のクリームを教えた。取り巻きの女の子達は興味深そうにメモを取っていたが、ミランダの顔は引きつっている。
「で、でも! 彼はこの前、黒髪の女の子に似合う髪飾りについてご学友と話していらしたそうなの! 残念ね、貴方への贈り物はきっとそのクリームで打ち止めよ! だってこの学園に、黒い髪の女子生徒はわたくししかいないのだから!」
ミランダは自信満々に、ドリルのような黒髪を手で払うように揺らした。
「ああ、もうすぐハイビスの誕生日ですからね。エアラスは妹思いなので」
「妹思い?」
兄エアラスの銀の髪はベルネのおばさま譲りだが、妹のハイビスはおじさま譲りの黒髪なのだ。
「ハイビスはエアラスの妹で、わたしの親友です。つやつやでサラサラな黒髪の美人さんですよ。魔法に興味がないので、この学園には通ってませんけど」
ハイビスの誕生日、ラシャは毎年お菓子を贈っている。去年は巨大な手作りカスタードプディングを贈った。今年は何にしよう。
「わたしとハイビスは似合うファッションの系統も好みも違うから、わたしの知ってるお店じゃあの子に似合うアクセサリーは選べないんですよね。あの子は大人っぽくて、キレイ系が好きだから、ミランダ様のイメージが近いかも? 今度いいお店教えてくれません?」
「我が公爵家の御用商人を、貴方ごときの家が呼びつけられると思って!?」
「そうなんですか? 残念です……。じゃあわたし、エアラスと一緒に家を盛り立てて、いろんなお店でお買い物できるように頑張りますっ」
目標が増えた! 頑張れる理由ができるのはいいことだ。
「い、妹……そうよ、妹だわ! エアラス様は貴方のことを、ただの妹分としか見ていないのではなくって?」
「そ、そんな……」
わななくラシャに、ミランダは得意げに鼻を鳴らした。
「つまり、恋人を超えて家族同然……!!?? 結婚もまだなのにぃ……!」
キャー! と顔を手で覆うラシャ。にやける口元は隠しきれない。
「そのような! ことは! 言っていませんわー!」
ミランダが金切り声を上げる。まだ何か難癖をつけてやろうと視線をさまよわせながら口を開いたが、その声が言葉になることはなかった。
「お待たせ、ラシャ。……お友達?」
「エアラスー!」
エアラスはミランダとその取り巻きに柔和な笑みを向ける。たちまち三人はぽうっと顔を赤く染め、うっとりとエアラスを見つめた。
「いま、みんなでエアラスの素敵なところを話してたの!」
「なんだい、それ。照れるなぁ」
エアラスは気恥ずかしげに頭を掻いた。「よかったら、これからもラシャと仲良くしてあげてね」とミランダ達に声をかけ、ラシャが押さえていた二人席に座る。
「僕の素敵なところを話してくれてたなら、次は僕がラシャの素敵なところを言う番かな?」
ラシャの手を取り、エアラスははにかむ。
「ラシャはね、真面目で明るくて、努力家で、裏表がなくてまっすぐで、ちょっぴり心配になるぐらい純粋で甘えん坊だから、僕がちゃんと傍にいてあげないと。世界一可愛いラシャが僕以外の男にたぶらかされるなんて想像しただけで耐えられないし」
「心配しなくても、男の人なんてエアラスにしか興味ないよぉ」
でれでれくねくねしながら、ラシャはだらしなく相好を崩している。
「そうだ。ミランダ様達もランチ、ご一緒にどうです? 広い席に移りますよ」
「……結構よ……」
ミランダは生気の抜けたような顔でフラフラと去っていった。その背中はどこか煤けているように見える。
(あれ? そういえば、わたしとエアラスのどこが釣り合ってなかったんだっけ?)
「どうかしたの、ラシャ」
「んー……。なんでもない!」
まあいっか。だってエアラスは、ラシャの目の前で幸せそうに微笑んでくれているわけだし。
エアラスの両親が結婚した理由→https://ncode.syosetu.com/n4450ji/