優秀さとは何か
翌朝、幸司はハワの案内でミノリタスの教育機関を訪れることになった。これまでは船内の生活区画や生産施設を見学したが、今日向かう場所は、いわゆる知識と技術を育む場、つまり学校のような機能を持つ場所だ。
「ここは僕らの教育機関だけど、地球の学校とはだいぶ違うと思うよ。」
ハワがそう説明する横で、幸司は巨大なドーム型の建物を見上げていた。建物全体が滑らかな金属で覆われており、太陽のような光を反射して眩しい輝きを放っている。その中に入ると、広大なホールが広がり、数百人規模の学生らしきミノリタスたちが集まっていた。
「ここで何を学ぶんだ? 地球の学校だと、国語、数学、理科、社会みたいに科目が分かれてるけど……」
幸司の質問に、ハワは軽く笑った。
「僕らの学びは、もっと遺伝的な素質を活かしたものだよ。ここでは、個々人の潜在的な資質に応じた分野での学習が進められるんだ。例えば、その生徒の遺伝子が科学や技術に向いていると判断されれば、その分野での教育が提供されるようになっている。」
「じゃあ、科目を自分で選ぶわけじゃないのか?」
「そうだね。僕らの社会では、基本的に遺伝的な特性が能力を決めるという考えがあるから、教育の方向性もそれに基づいているんだ。」
ホールの中央には、いくつかのグループに分かれた学生たちが何かを議論していた。その中には、3Dホログラムを操作している者や、数式の羅列が浮かぶ透明なパネルを叩いている者もいる。彼らはまるで全員が専門家のようだ。
「すごいな……僕らの学校でこんなことをやってる人はほとんどいないよ。」
幸司がそう呟くと、ハワは軽く頷いた。
「僕らの船団では、こうした教育が必要不可欠なんだ。船の運営や技術の維持に欠かせないからね。でも、地球のような競争はあまりないよ。全ての人が最初から自分の適正と役割を理解しているからね。」
その言葉に幸司は少し安心感を覚えた。だが同時に、この環境が自分にとってどれほど遠いものかも痛感した。
(これが、もともと優秀な2割の人々が世代を超えて遺伝子を凝縮していった結果なのか……)
幸司は圧倒されながら周囲を見渡した。遺伝子という形で未来に蓄積された才能の集積地。それは自分が生まれ育った環境では到底想像もできない世界だった。
(俺には、こんな選ばれた遺伝子なんてない……。受験勉強で苦しんでいる時点で、その差は歴然だよな。)
思わずため息が漏れた。
「優秀さって、何なんだろうね。地球では、僕みたいな浪人生が必死で数学を解いて偏差値を上げることで“優秀”って評価を勝ち取れるけど、君たちの基準は全然違うんだな。」
ハワは少し考えるような顔をした。
「僕らの基準は、君たちのそれとは確かに違うね。でも、優秀さは結果ではなく、どうその能力を活かすかにあるんじゃないかな。」
幸司はその言葉に少しだけ救われるような気がした。地球の受験競争は“勝つ”ことだけが目標だった。特に難関大学の医学部医学科の入試は、全国学力コンテストの決勝戦のような意味合いを持ち、医者になりたくない人間でさえ、自分の優秀さを確かめるために受験することがある。そんな環境の中で“勝つ”ことだけが目的化してしまう競争と比べると、ここでは“役に立つ”ことが評価される。自分もそんな基準で努力できたら、もっと前向きになれるのだろうか。
◆
午後、ハワの提案で幸司は教育機関の学生たちと実際に話す機会を得た。幸司にとってハワ以外の異世界人とまともに話すのはこれが初めてであり、彼らから一斉に向けられる好奇の目に少し圧倒されてもいた。翻訳機のわずかなディレイが、幸司の焦りを煽る。
「君は異世界から来たって本当? 元いたところはどんなところ?」
「本当だよ。地球って言うんだけど……うーん、この船の中とはだいぶ違うと思う。例えば、空には本物の太陽があって、海や山も広がってるし。」
学生たちは興味津々で幸司の話を聞いていた。中には質問攻めにしてくる者もいて、受験制度や学校の仕組み、さらには地球の文化や歴史にまで話が及んだ。
「君たちの教育はすごいよ。地球では個人の特性は本人が気づくしかないし、競争が激しすぎて疲れることも多い。僕もその一人なんだ。」
幸司の言葉に、一人の学生が静かに答えた。
「競争があるからこそ、地球の面白い文化や制度が生まれたのでは? 我々は競争そのものをあまり重要視せず個々の特性を活かして調和するけど、それじゃあ地球の人類には刺激がなくて物足りないのかもしれません」
その言葉に幸司は一瞬、胸の中に何か熱いものが込み上げるのを感じた。そして、自分がどれほど受験の結果に縛られているかを再認識した。
「……ありがとう。でも僕はまだ何も乗り越えていないよ。」
その日の帰り道、幸司は人工の空を見上げながら考え込んでいた。自分が本当に成し遂げたいことは何なのか。受験を超えた先に何があるのか。そして、この異世界での経験が自分にとってどんな意味を持つのか。
「帰ったら、ちゃんと答えを見つけられるかな……」
ハワは何も言わずにその隣を歩いていたが、その表情には何かを思案する影が見て取れた。
(続く)