もう一つの社会
再び人工の空が青い明るさを帯び始める頃、幸司は仮宿として与えられた部屋で目を覚ました。
ここに来てから、ゆっくりと睡眠を取っていない。昨晩は意識が混乱したまま早々に眠り込んでしまったが、意外とぐっすり休めたようだ。
壁際のパネルがほんのり発光し、“朝”を知らせるアラームが優しく鳴っている。
ぼんやりと目をこすっていると、廊下のほうで足音が聞こえた。ドアが開き、ハワが顔を出す。翻訳機がまだ枕元に置きっぱなしだったので慌てて耳にはめ込むと、ハワの声が少し遅れて日本語へと変換されてきた。
「おはよう、コウジ。ちゃんと眠れたみたいだね」
「うん、ありがとう。今起きたところだよ。ハワは朝が早いな」
まだベッドの上で所在なげにしている幸司を見て、ハワが微笑む。
「今日は約束どおり船内をもう少し案内するよ。君もここがどんな場所なのか知りたいだろう?」
「助かるよ。正直、何がなんだか……。早く地球に帰りたいけど、いつ帰れるかわからない以上ここを理解しとかないと身動き取れないもんな」
受験、地球への帰還……それが頭の片隅にあるものの、昨日見た巨大な船内都市のインパクトはすさまじい。それは幸司という若者の好奇心をくすぐるには十分なものだった。
◆
軽い食事をとった後、ハワに導かれながら居住ブロックを出る。昨日はあまり理解できていなかったが、こうして改めて眺めると、道路と交通機関が幾重にも分岐し、それぞれ別の区画へ通じているのがわかる。
「ここからは少し広いエリアになるよ。まずは食糧プラント。地球にも似たようなものがあるかもしれないけど、まずは僕らの現状を見てほしい」
そう言いながら、ハワは長い耳を揺らし案内用のパネルに指を滑らせる。奥まった通路にロックが解除され、薄い霧のような湿った空気が吹き出してきた。
扉を抜けた先は巨大なドーム空間。まるで工場のように整然と並んだ培養タンクや水耕栽培システムが一面に広がっていた。柔らかなライトがあちこちに配され、目に優しいが、そのスケールには圧倒される。
「ここでは、僕らの主な食糧を生産しているんだ。合成タンパクや微生物の培養、植物の水耕栽培なんかが中心だよ」
「あの不思議な味のする食べ物はここで作られていたのか……」
幸司はガラス越しに覗き込みながら、うっすら緑色の液体に沈んでいる作物を目で追う。船内の農業風景は、地球のそれとはまるで違う。受験科目を生物にしておけばもう少し理解できていたんだろうか、と幸司は過去の自分の選択を少し恨んだ。
さらに奥に目を向けると、作業員たちが機械を操作しているのが見えた。彼らの肌も薄緑色、背丈もハワと似たような感じだが、それぞれ違う色合いの髪を持っている。幸司が見惚れるように見つめていると、ハワが続ける。
「ちなみに、こういう作業は"ミノリタス"だけじゃなく"マイオリス"が担当している船もあるんだ。僕らの船は生産プラントが割と多いけど、マイオリスはもっと大規模に農作物や工業原料を作ってくれるんだよ」
「ミノリタス?」
聞き慣れない言葉に幸司が眉をしかめた。
「ああ、僕らは自分たちのことをそう言ってる。まあ、言い出したのはこの数百年のことだけど、その必要があってね」
「もう一つ、マイオリスって言ってたか。別の船に乗ってるんだっけ? こんな船がいくつもある、みたいな話をしてたよな」
「そう。僕らミノリタスが住む船とは別に、マイオリスたちが暮らす船が複数あるんだ。人口比は 22:78 で、ミノリタスが少数派。マイオリスたちはそれぞれの船の中で主に第一次産業や時折近くを通りすがる小惑星からの資源の採掘、船のインフラ維持なんかを担っているけど、基本的には船を管理する人工知能のシステムに従ってる。生活スタイルや価値観が僕らとは全然違う人たちだね」
「価値観……?」
「説明が難しいけど、要するに自己能力の獲得・拡大・先鋭化、他者との競争や比較、合理性の追求なんかを嫌う人たちのコミュニティだと思ってもらうといいかもしれない。」
「お気楽のんびりな人たちってこと?」
「そんなとこかな。実は僕も彼らのことをよく知ってるわけじゃないんだ。資源や物資、創作物なんかのやり取りは日常的にするけどね。もともとは同じ星の住民だったんだけど、いろんな歴史があって、今の体制に落ち着いたわけ」
説明を聞いても、幸司にとってはピンとこないが、要するにミノリタスらは自らを高める努力をする人たちで、マイオリスはそういうものと距離をおいている人たちらしい。
母星を失う時に脱出し、次なる大地を求めて宇宙を旅する巨大船団があり、その中で、ミノリタスとマイオリスが役割を分担して生活している──。
「なんだか、相当複雑そうだな……。もしかして、一つの種族が二つに別れたんで、便宜上自分たちをミノリタス、マイオリスって言ってるのか?」
「鋭いね。だいたいそんな感じだよ。さ、次に行こう」
あっけらかんと話すハワの横顔に影はない。特に民族的なタブーか何かが絡む話ではなさそうだ。