異世界の門と身元保証人
予備校を出る頃には日が暮れ豪雨は小降りになっていた。幸司は軽食と飲み物を買い込みアパートへ急ぐ。夜道の路地裏は暗く人影もまばらだ。
不意に視界の端で瞬く青白い光。電柱の下にしては妙な場所だと思い、近づいてみると、そこには輪郭の定まらない“光の裂け目”が浮かんでいる。
「……なんだ、これ?」
戸惑いながら手を伸ばした瞬間ふわりと腕が吸い込まれ、ぐいっと身体ごと引っ張られる。慌てて後ずさろうとするも間に合わず、幸司はそのまま光の中へ消えた。
グラリと景色が回転し、次の瞬間、硬い床に尻もちをついていた。廊下のような場所。角ばった白い壁が続き、おぼつかない足元を淡い照明が照らしている。
途方に暮れて立ち上がると、向こうから何者かが駆け寄ってきた。
耳が細長く肌は薄緑色。人間のようでいてまるで別種の生き物。彼らは互いに言葉を交わしながら幸司を囲み、困惑した表情を浮かべている。
「ちょっと待って、俺……どこだよ、ここ……」
しかし日本語は通じないようだ。幸司は必死に身振り手振りで「助けてくれ」「話を聞いてくれ」と訴える。結局、何やら彼らの指示に従って歩かされ、見知らぬ施設へ連行されてしまった。
◇
そこは役所のようでもあり、検疫所のようでもある広いオフィスフロアだった。しばらく名前や出身を尋ねられたり、身体を調べられたりといった場面が続いたが、言語がまったく異なるため意志疎通がほぼ不可能。幸司は一時的に勾留されることとなった。
数日後、ようやく小型の翻訳機らしい装置を渡される。係員の指示に従い耳に装着すると、周囲の会話が断片的に日本語に変換され始めた。まだ変なノイズが混じるが、何が行われているのか少し理解できるようになっただけでもありがたい。
「……彼は並行世界、つまり異世界から迷い込んできたらしい……」
「多元宇宙論の先生呼んできましょう」
「それじゃ当然、身元引受人なんていないよな……?」
「身元引受人がいたとして、船内を歩かせて大丈夫なのか?」
「凶暴性はないそうですが……」
「そっちじゃない。知能の高さの方だよ。我々と比べても認知能力は最上位集団に入ってるんだぞ……これは船団の知的生命体基準でも行動の自由を保証しなくてはならないレベルなんだよ」
(聞こえてるんだよなあ……そういう話は翻訳機を渡す前にやるべきだろうに……)
幸司は、議論し合う役人たちの様子をじっと見続け、この緑色の人類の社会がどういうものかを推測していた。
ここでは呼吸ができ、出された食事が喉を通る。話をすれば聞いてもらえ、暴力による服従を強いられない―― 地球に似た生態環境であり、かなり理性や規律が重んじられた社会が構成されているということか。
(まあ、ラノベみたいにチート能力をもらえなかったけど、魔王を倒せと棍棒一本で外に放り出されないのはありがたいか……)
「ああ、コウジさん……お疲れ様でした。今、防疫措置から言語翻訳措置、生理学的な検査その他、一通り済みましたのでこれ以上こちらでお引き止めすることはありません。」
「あ、ありがとうございます。だけど僕、行くところも寝るところもなくて……」
「その点に関しては現在、身元引受人になってくれる方を我々の方で探しています。それまでの間、あなたのいるこの場所がどういう所かを説明させてもらいますね」
何時間か、幸司は自分の置かれた場所と状況の説明を受けた。
愕然――その言葉がぴったりだろう。幸司は呆けるしかない。
少し経った頃、一人の青年が別の役人に連れられて部屋に入ってきて、係員と何か話し込み始めた。
耳が長く銀色の髪を持つやや中性的な印象の人物だ。そういえば幸司をここへ連れてきたのも彼だったかもしれない。
しばらく話し合いが続いた後、その青年が幸司のほうを向いて口を開いた。翻訳機を通して聞こえる言葉に、幸司は思わずホッとする。
「今日から君の面倒は僕が見ることになったよ。宿も用意する。ここにずっと放置されるのは気の毒だからね」
半信半疑ながら、幸司は思わず頭を下げる。
「ありがとう。助かる……。えっと、君の名前は……?」
「名前? そうか、ごめん。まだ名乗ってなかったね。僕は──ハワ。ここじゃ珍しくもない名前だけど……」
そう言ってハワと名乗った青年は小さく笑う。
誰一人知り合いがいない世界で、ハワという青年が身元保証人となってくれた。
兎にも角にも現状は幸司にとっては最大級の幸運が訪れたに等しい。翻訳機越しとはいえ、ようやく意思を通わせられそうな相手に出会えたのだから。
◇
書類手続きやいくつかの調査を経たのち、幸司はハワに連れられて施設を出た。窓の外を覗くと、どうやら莫大な規模の空間が広がっているのが見える。都市のようなビル群、複雑に交差する道路、人々が行き交う様子……。
「一体、ここは……?」
「細かい説明は、あとでゆっくり。君も疲れてるだろうから、まずは宿に行こうか」
ハワの言葉に頷いた幸司は、半ば放心状態のまま施設の通路を歩き始めるのだった。
(2025.01.11) この話は2025年1月11日の午後22:43分に、大規模な増補改訂を行いました。