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暗雲

幸司は研究施設の廊下を歩いていた。今日はハワに連れられてラトの研究室に向かっている。ハワは珍しく口数が少ない。彼の表情には、どこか張り詰めたものがあった。


「ハワ、今日はどうしたんだ?いつもみたいに冗談のひとつでも言わないのか?」


「……いや、今日の話はちょっと重要でね。ラトから直接聞いたほうがいい内容だからさ。」


ハワの口調が真剣なのを感じ、幸司はそれ以上質問を控えた。



ラト研究室に入ると、彼女はすでに端末の前に立っており、真剣な表情でデータを眺めていた。彼女は振り返ると、微笑みを浮かべて幸司に声をかけた。


「コウジさん、いらっしゃい。今日は少し複雑な話をしなくてはなりません。」


幸司は椅子に腰掛けながら頷いた。


「ハワが作った、宗教をテーマにしたコンテンツが船内で大ヒットしている、という話を覚えていますか?」


「はい」


幸司がハワの方を向くと、ハワはありがた迷惑のような、すこし渋い顔をしている。


「そのコンテンツと関連情報がマイオリス側に輸出されてしまったんです。コンテンツの普及とともに宗教を興すものが現れ、爆発的に広まりました。それが彼らの精神的な安定に深刻な影響を与え始めています。すでに依存や暴走といった社会的影響の兆候が確認されました。」


幸司はそれを聞いて青ざめた。


「それって……もしかして僕が話した宗教の話が原因なのか?」


「いや、マイオリスの性質によるものだろう。彼らは普段、批判的な物の考え方をしないからな」


ハワが口を挟んだ。


「批判的?」


「ああ、『これって本当だろうか』『反対意見はないだろうか』『どこかにちゃんとした証拠があって話してるんだろうか』って考える思考方法だね。これがないと噂話や疑似科学があっという間に流布してしまう。実際マイオリスでは、船一隻丸ごとねずみ講に引っかかった事例もあるんだ」


「あの……コウジさんの話はきっかけに過ぎません。私たちがその影響を制御できなかったことが問題なのです。

 昨日、船団の司令部から私に依頼が来ました。宗教がマイオリスの中でどのような影響を与えているのかを調査してほしいというものです。」


「え?どうしてそんな依頼がラトさんに名指しで来るの?」


幸司の何気ない質問にラトは一度視線を下げた後、再び顔を上げて話し始めた。


「私はミノリタスとしてこの船団で研究を続けていますが、実は私は生まれながらのミノリタスではありません。

 マイオリスの船で生まれ、こちらで教育を受けて育ちました。マイオリスの生活様式や思考にはある程度知識があります。だからこの調査に白羽の矢が立ったんでしょうね」


その告白に幸司は驚きを隠せなかった。


「えっ……ラトさんはマイオリスだったの?」


「マイオリスの中で異常に高い知能指数を示す者は、ミノリタスとして迎え入れられる仕組みがあるんです。」


「船送りって言うんだ。まあ、珍しいことじゃない。元マイオリスはこの船の要職にだっていっぱいいるさ。むしろ彼らのほうが優秀なくらいだ」


ハワがフォローする。確かに、地球でも天才は親を選ばずに生まれてくるケースが結構あるようだ。「とんびが鷹を生む」なんて言葉もあるくらいだしな。


「僕たちミノリタスは異文明としての宗教の存在を文化的なギャップとして楽しむ程度で済む。でも、マイオリスはそうはいかない。」


ハワの説明にラトが静かに頷く。


「その通りです。私が研究を進める中で、宗教的な行動を取ることで脳内で放出される快楽物質の量が急激に増加しているデータが確認されています。」


幸司はその話を聞いて、自分が教えた地球の宗教の知識がここまで影響を及ぼしていることに衝撃を受けた。


「そんなことになっているなんて……」


「何度も言いますがコウジさん、あなたのせいではありません。マイオリスの文化が持つ脆弱性が表面化しただけです。ただ、これ以上の混乱を避けるために、慎重な対応が必要です。まずは聞かせて下さい。地球で発生した宗教起因の暴動や事件のことを」



幸司は研究室を出た後も、その話が頭を離れなかった。マイオリスとミノリタスの関係、その中で自分の存在がどれほど影響を及ぼしているのか。


ハワがそっと肩に手を置いた。


「コウジ、考えすぎるなよ。君が持ち込んだ知識は確かに影響を与えたけど、それ以上に重要なのは僕らがどうそれを管理していくかなんだ。」


幸司は小さく頷いた。


「わかってる。でも、なんというか、申し訳ない気持ちでいっぱいなんだ。僕がこの船に来たせいで、少なからず人生が変わってしまった人がいるってことなんだから」


ハワは軽く笑いながら、幸司の背中をぽんと叩く。


「君は記憶を振り絞って、地球の歴史上の宗教的な事件や紛争について事例を出してくれたじゃないか。どれもこれも面白い話ばかりだったよ。手術を受けるよう勧めた甲斐があったってもんさ」


「ハワ、まさか、このために手術を受けるよう勧めたのか?」


「まさか。こんな状況、誰にも予測なんてつかないよ。だったら娯楽プロデューサーとしてはうまく波に乗って楽しむしかないよね」


幸司の胸には、言いしれぬ不安のみが広がっていった。


ちなみに、マイオリスの身体的特徴として、耳の形状が異なることを設定として考えています。ミノリタスはエルフのような細く長い耳。対して、マイオリスの耳は人間の耳のような形状という感じです。

ラトは差別を受けることを恐れて、普段はカモフラージュとして「つけ耳」をしている……なんて設定も。

いつか役に立つ日がくれば良いのですが。

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