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第五部

「すみません」

 前原が電話を終えて間もなく、営業マンの男が手を挙げた。

「なんだ?」

 前原が不機嫌そうな声で応答した。

「やっぱり、会社に連絡だけさせてほしいんです。このままだと、私が仕事をサボっていると勘違いされてしまいます」

「ここにいる時点でサボってたんじゃないのか?」

「違います。お願いですから連絡だけさせてください」

「ダメだ」

「私が連絡を入れないまま帰らないと、上司が怪しんでなにかと不都合な結果を招くことになると思うんですが…」

「なんだ、オレを脅そうってのか?」

「い、いえ。そんなつもりは…」

「だったら黙ってろ。今どき社員の一人か二人突然蒸発したところで、会社はあんたが思うほど騒いだりしないんだよ」

 と言った後、前原は林田を振り返り、

「どう思います、林田さん? これほど危機管理能力の低い日本人が社会を背負っていると思うと、嘆かわしいと思いませんか」

 と、呆れ顔で言った。

 林田は返答に窮するしかなかった。

「労働者をこき使うしか能のない日本の社会に尽くすサラリーマン精神には脱帽するが、電話だけは絶対に使わせるわけにはいかないね。連中に仲間のことを話されて計画がおじゃんになっちゃかなわないからな」

「お願いします。余計なことはなに一つ言いませんから」

「無理だね」

「どうかーー」

「くどいぞ。無理と言ったら無理だ」

 前原が突っぱねると、営業マンは諦めたようにうな垂れた。

「やたら計画とやらを気にしているが、キミたちは揃ってなにをするつもりなんだ?」

 と、林田は思い切って尋ねてみた。

「R銀行の襲撃ですよ。『ロデオ』からかなり離れたR銀行を仲間たちが襲撃して、ごっそり現金を強奪する。計画が万事順調に進んだら逃走用の車を使って、警察の気を引かせているオレを拾う。がっぽり金を頂き、オレたちは優雅に暮らすっていう筋書きですよ」

 と、前原はなく躊躇なく、しかもペラペラと打ち明けた。

 いくらなんでも教えないだろう、と踏んでいただけにためらいなく言った前原に林田は唖然とした。

 常識で言えば仲間内の犯罪計画を部外者に話す人間などいるはずがない。にも関わらず、前原は素直に打ち明けた。それも、人質たちにまで聞こえるほどの声量で、である。

 彼がいかに林田光雄という作家に気を許し、崇めているかが証明された瞬間だった。

(この調子なら、私が本気になって人質を解放するよう要求すればこの男は折れるかもしれない)

 林田はそう自信を得た。自分が勇気を持って行動すれば、人質たちはこの悪夢から一刻も早く解放されるかもしれないと。

 しかし、同時に林田の脳内の片隅にて、彼の創作意欲に場違いな拍車をかける悪魔の囁きがあった。

「実話ベースの新作を書く絶好のチャンスだ」と。

 林田はこれまでフィクションとなる作品を数多く手がけてきたが、ノンフィクションを取り扱ったことは一度もなかった。

 林田はいつか実話モノを書いてみたいと思っていたが、編集長の日下部からあくまでフィクション作家としてのスタイルを貫くべきだ、と拒否されてきた。というのも、林田が読者を魅了させるほどのストーリーを仕上げるハイレベルな創造力を持つ逸材だと理解していたからだった。筋書きの決まったノンフィクションを書かせるよりも、彼の才能を十二分に発揮したフィクションを書かせた方が、断然書籍の売り上げに繋がると日下部編集長が断言していたのを、林田は須藤から聞かされていた。

 日下部に直接、実話を扱わせてほしいと直談判したこともあったが、結局一歩も譲ってもらえず諦めてしまった。

 だが、今度の籠城事件で念願のノンフィクションの執筆が実現する可能性が高くなってきた。しかも、筆者本人を主人公にした私小説としてなら、きっと日下部編集長も納得するに違いない、と林田は思った。

 なんとか実現させるためにも、なるべくこの状況を維持させるのが理想的だろう、と林田は思った。無論、意図的に長引かせる素振りを見せては人質に不審な目を向けられる可能性もあるので、その辺も考慮する必要がある。

(結果的にではあるが、電話の男に感謝しなきゃならないな)

 思えば、林田がここへ訪れたきっかけは、例の無言電話の男が出した指示だった。

 林田は指示通り午後二時にカフェ「ロデオ」に着いたが、電話の男は一向に姿を見せなかった。

 弄ばれたような気がして腹が立った林田だったが、そのとき偶然にも前原浩による籠城事件が発生し、彼を含む多数の人間が人質として囚われの身となってしまった。

 しかし、運命のイタズラか籠城犯の前原は林田光雄オタクだった。あろうことか仲間内での計画まであっさり打ち明けたのだから信者と言っても過言ではない。

 そんな男が立てこもった現場に偶然居合わせてしまった林田。もはや、念願の実話を書く機会を神が与えてくれたとしか思えなかった。大げさかもしれないが、林田にとってそう思えてしまうほどの幸運だった。

 すべて電話の男によって導かれた結果だった。

(ヤツに会ったら皮肉たっぷりに礼を言ってやろう)

 歪んだ創作意欲に憑かれた林田は口角を上げた。

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